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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

Martin Edwards, The Life of Crime が刊行されました

イギリスのミステリ作家/評論家のマーティン・エドワーズが年頭に自分のブログやフェイスブックにて「ミステリの歴史についての本を出します」と言っていたものが、 The Life of Crime という題でついに刊行されました。全世界的な流通の問題により(イギリス以外の)紙版は遅れて八月刊だそうですが、電子版は既にamazon kindle他で購入することができます。

この The Life of Crime は「1972年に刊行されたジュリアン・シモンズ『ブラッディ・マーダー』以来の、50年ぶりの総括的概説書」という惹句で売られていますが、エドワーズ曰く、シモンズの本とはかなり方向性を異にするものであるようです。

『ブラッディ・マーダー』は「探偵小説から犯罪小説へ」という副題からも分かる通り、「パズル的な『探偵小説』は人間の心理や社会を描く『犯罪小説』へと進化していく」という評論家シモンズの「思想」を論証する形で本文が構成されています。彼の意に沿わない、あるいは彼の好みから外れた作家は、論点から外され、また時に偏見にまみれた(ただし異様に切れ味のいい)罵言を投げつけられられました。その例が、文脈から排除されたことが明らかなドロシー・L・セイヤーズや、"Humdrum"(退屈派)と雑に括られたクロフツジョン・ロードのような作家たちです。それでもなお、シモンズの評論は「ミステリ/探偵小説/犯罪小説」というあまりに膨大で、あまりに多岐に渡る小説群を総括的に論じた、という点から現代でも高く評価されています。

エドワーズは、本書ではシモンズと『ブラッディ・マーダー』の業績を評価しつつも、それとは異なる方向性を目指したと序文に記し、以下の三点を方針として示しました。すなわち、
作品ではなく作家本位で書いたミステリ史であること(これは暴露本的な意味ではなく、作家を理解することによって彼らの作品を、そしてその連なりが作り出す「歴史」を理解することができると考えてのこと)
②シモンズとは真逆に、自分の好みの偏りや偏見を作品に反映させない、できるかぎりニュートラルな書き方を心掛けたこと。
「ミステリ」という巨大なジャンルの全体像(黄金時代から現代へという時間軸を含めた)を捉えるのを重視したこと(その関係で、取り上げることのできなかった作家や作品が数多く存在するが、それらについては参考資料に示した作家の評伝や作品論を見てほしい)

本書は、ジャンルに属する膨大な作品群を、「矢印」のような「直線的な『進歩』の流れ」の中で評価するのではなく、ジャンルを大樹のように枝や根が多岐に分かれたものとしてイメージし、その全体像を評価するという姿勢を取っています。これは、作者が前著 The Story of Classic Crime in 100 Books (2017) で示したイメージと軌を同じくしています。The Story ~エドワーズは1950年頃までの古典ミステリのうち、そのすべてが必ずしも傑作とは言えないが、その時代の全体像を考える上では重要な100冊を取り上げて紹介しました。本書はその内容を拡大発展させたものと言えます。私も本文に取り組むのはこれからですが、読むのが今から楽しみです。

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(参考)

以前、Re-ClaM誌に訳載した The Story of Classic Crime in 100 Books 序文の一部です。エドワーズの考え方を知る上での参考としていただければ。

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