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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

[レビュー]ノエル・ヴァンドリー『逃げ出した死体』(同人出版、2013)

今月末に行われる第三十四回文学フリマ東京にて、エニグマティカ」(テ-33)の中川潤氏(最近のお仕事は、白水uブックスから出たモーリス・ルヴェルの短編集『地獄の門』)がノエル・ヴァンドリー『獣の遠吠えの謎』La Bête hurlante, 1934)を刊行されると聞いたので、日本で唯一紹介されているヴァンドリー作品を読んでみた。

この『逃げ出した死体』La Fuite des morts, 1933)はROM叢書の第七巻として2013年に刊行された作品で、二段組みとは言え140ページほどで完結する短い長編である。アルー予審判事シリーズの第三作だが彼が登場するのは作品の後半で、そこまではマルティニェ警視とローラン予審判事が事件の捜査にあたる。あらすじは以下の通り。

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カドゥアンというセールスマンが、「グレシーという男を殺した」と夜の街を巡回中の警察官に自白して出る。連絡を受けたマルティニェは事件現場とされる場所を確認するが、そこには血痕が残されているだけで死体は見あたらなかった。ところが同じ日、サポローという実業家が「グレシーを殺したので自殺する」という書き置きを残して失踪したことが明らかになる。懸命の捜査にもかかわらず消えた死体は一向に見つからず、しかしグレシーの妻、その愛人、さらには街を牛耳る脅迫者と容疑者ばかり次々に増えていく事態を前に、マルティニェとローランの捜査は混乱させられる。
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1930年代のフランスの本格ミステリというと、英米の「パズラー」以上に「パズル」的な雰囲気が強いように勝手に思っていたが、その印象を裏切らない作品だ。登場人物の心理を書きこむ気などテンからない(被害者も関係者も極めて類型的・没個性的)極端な作風だが、ミスディレクションを利かせながら作りあげた物語をシンプルな(しかし入念な)どんでん返し一発でひっくり返す、という意外性に賭けて成功している。

「無暗に仮説など立てず、虚心坦懐に事実に向かい合うべし」と度々語るマルティニェが我慢できずに想像力を暴走させ、逆に彼にあまり手柄を立てさせたくないローランとの間で打打発止の議論を行う中盤は面白いがやや冗漫な部分もある。しかし、そこで組み立てられた理論を終盤で登場したアルーが再度分析、そこにマルティニェが「事件とは関係がない」と排除した些細な手がかりを組み込んでまったく異なる絵柄へと導くラストの展開は鮮やかなものだった(犯人が何でもかんでも説明してくれる結末はどうかと思う)。

本作について訳者の小林晋氏は「初頭幾何の問題が補助線一本引いただけで解けたような印象を受けた」と解説で書かれているがその表現には納得。氏が愛するレオ・ブルースの諸作にも近しい部分があると思う。

小林氏による解説は、ヴァンドリーの経歴や再発見の流れ、またアルー予審判事シリーズの全作品を子細に紹介した大変充実したもの。シリーズ第六作にあたる『獣の遠吠えの謎』へのコメントには「人間消失に城の中での密室殺人と、読者の興味をかき立てる。この作品でもミスディレクションの巧さが特徴的である」とあり、文学フリマ東京で刊行される中川氏の翻訳をぜひとも入手して読まなければと感じた。小林氏によるとアルー予審判事シリーズの最終作 À travers les murailles (1937、Through the Walls という題の英訳版がkindleで入手可能) がシリーズの集大成的な傑作で、本国の評論家の評価も高いとのこと。こちらもいずれ翻訳刊行されることを期待したい。

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【後記(5/19)】

twitterで中川氏から連絡があったが、『獣の遠吠えの謎』は文学フリマには間に合わない可能性があり、初出は通販になるかもしれないとのこと。詳細の情報はご本人のtwitter(@Nakagawa_Jun)から告知されますので、ゲットしたい人はチェックを欠かさないようにして下さい。