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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

【ネタバレあり】ジョン・ロード『デイヴィッドスン事件』(1929)

 どう感想を書こうとしてもネタバレになってしまうので、ブログに書くことにする。というか以下のあらすじすらネタバレを回避するために、やや捻った書き方になっている。「クリックで展開」以降は決定的ネタバレなので、クリックは注意。

あらすじ:

 デイヴィッドスン社の社長ヘクター卿は酒癖や女癖が悪く、会社の経営にもほとんど興味がない。彼は先代社長であった父の死後に働き者のいとこガイを追い払い、今また様々な発明で会社に大きな利益をもたらし続けてきたエンジニアのローリーを放逐して資産を独り占めしようとしていた。ところが土曜日の夜、サマセット州のとある駅からデイヴィッドスン家の別邸へ向かう荷馬車で心臓を刺されたヘクター卿の死体が発見される。そして、馬車が運んでいた大荷物入りの籐のケースはどこかに消えてしまった。ケースも殺人犯も見つけられない地元警察へと派遣されたロンドン警視庁のハンスリット警部は、プリーストリー博士に協力を要請する。

感想:

 ジョン・ロードは(少なくとも既に翻訳されている作品では)「丁寧な証拠の収集」「証拠に基づく仮説の構築」「仮説についての論証の展開」によって物語を構成する作家である。その軸には「意外な結末」への強い志向があり、そのためには奇想天外なトリックを弄することすら辞さない力強さがある。

 しかし本作はその「三段階の構成」が緩い。というのは、プリーストリー博士が事件にあまり介入しないからだ。友人であるガイからヘクター卿の検死審問への同行を依頼されても助手のハロルドを派遣して済ませているし、事件の関係者に直接話を聞くこともほとんどしない。犯人に目星を付けた後に、アリバイトリックを解き明かすヒントをその自宅でつかみ警察に提供したりしているが、全体的に活動は消極的だ。このシリーズにおいて、博士は謎とその解決を楽しむが、本業に差し支えるほどの深入りはしないという設定になっている。とはいえその彼が事件に対してまるで「他人事」のような対応をしているのが、本作の特徴である。

 

▼クリックで展開

 

 この「特徴」がまさか、本作の趣向のための仕込みとは仏様でも思うまい。

 さて物語の続きは……結局証拠は一向に挙がらず、警察は間接証拠だらけの訴因で裁判に持ち込んだ挙句、揚げ足を取られて敗訴。ほとんど行動を起こさなかった博士はただ警察に失望されて、事件はバタバタと幕を下ろす。いわば「名探偵の敗北」だ。一事不再理のルールがある以上、法的にはもはやガイを捕らえることはできないと警察は諦めてしまうが、ただ真実にのみ興味を持つ博士は、そこから証言の見直しと証拠の洗い直しを行って真のトリックを見破り仮説を再構築、真相を突き止めてガイと再び対峙する。

 正直、事件を構成する上で犯人が使った「人物入れ替わり」と「ケースの中身の入れ替わり」を組み合わせた二重の入れ替えトリックは、分かりやすい各種伏線からあっさり見抜くことができた(むしろダミートリックの方が後出しで想像不可能)。そのため作品の読み味は個人的には倒叙に近く、プリーストリー博士はどのタイミングで真犯人ガイの計画の決定的な瑕疵を見抜いて、その物的証拠を叩きつけるのだろうと楽しみにしながら読み進めたが、その想像は裏切られた。「本命トリックとは別にレッドへリングのダミートリックを走らせることで捜査側の目を欺く。そのためには一度は逮捕され、裁判に掛けられるのさえ耐えてみせる」というあまりに大掛かりな操りの構図はなるほど斬新なアイディアだし、多くの読者を「意外な展開だ」と唸らせたことだろう。

 しかし個人的にはこのアイディアではなく、むしろ「超犯人」ガイの人物造形の方に興味がある。最終章で対峙したプリーストリー博士を前に己の計画を高らかに語ってみせる彼は、数々の綱渡りを見事に切り抜けて、一切の物的証拠をつかませぬまま計画を完遂した(あとで発見されたケースの中にヘクターの死体の痕跡が残っているとかそういう見落としがありそうなものだけれど、博士は一切言及しない)。ヘクター殺害の動機は「社会正義のため」、自分は一切の利益を得ぬまま数か月後には病で死ぬのだと嘯く彼に、博士はもはや反論しない。反論しないのか、できないのかは言及されないので分からない。博士はただ黙るだけである。個人的には、個人的な恨みを「社会のため」という言葉で糊塗しているようにしかみえないが、果たして作者はどう考えていたのやら。

 そういえば、この「底なしの善人が社会悪を抹殺するために死にゆく自分の命を擲つ」という思想は、アントニイ・バークリー後期の傑作『試行錯誤』(1937)を思わせる。しかしあらゆる探偵小説が溢れ返る約10年間を経て、「法の裁きよりも真実の探求を」と謳う名探偵から反論を奪った麗しい題目が、滑稽なお笑い種へと転げ落ちていったというのはなかなか皮肉が利いている。

 本作は、あらゆる意味で20年代の傑作」というべき作品だと私は考える。