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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

クラシックミステリ未訳短編夜話① C・ブランド ”No Face”

先日から、ツイッタースペースにてクラシックミステリ未訳短編のお話を細々とさせていただいております。生声配信がそもそもどうなのか、またネタバレ有り無しなど色々と試行錯誤しておりますが、第二・第四火曜日の夜九時から実施していく予定です。こちらのブログでは連動企画として、スペースでお話した内容を簡単にまとめていきたいと考えています。以下、お付き合いいただければ幸いです。

第1回(2022/3/15)は、クリスチアナ・ブランドの”No Face”という短編についてお話いたしました。この短編は、Bodies from the Library 2 (2019) というアンソロジーに収められた「未発表作品」です。このアンソロジーシリーズについては、本ブログでも過去に第1巻の全レビューを書いたことがありますし、ご存じの方も少なくないと思いますが、念のため。イギリス最大の、同名のミステリイベントに合わせて刊行される「単著未収録/未発表」の作品を集めたレアもの満載のアンソロジーで、2018年から年一冊刊行され、2022年8月には第五巻が発売される予定です。

 

作者のクリスチアナ・ブランドについて簡単にまとめますと、以下の通りです。

・1907年生まれのイギリスの女性作家。
・1941年に『ハイヒールの死』でデビュー。映画化した『緑は危険』(1944)、また日本では『ジェゼベルの死』(1948)が高評価。1957年の『ゆがんだ光輪』(1957)まで十作ほどを発表したが、家庭の事情により長編ミステリの執筆を止め、以降は色々な名義でロマンス長編を中心に執筆した。
・短編ミステリ作家としては、1950年代末からアメリカのミステリ雑誌「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」への寄稿を始め、編集者クイーンから絶賛された。「婚姻飛翔」「カップの中の毒」「ジェミニイ・クリケット事件」といった中短編の代表作は、邦訳された傑作集『招かれざる客たちのビュッフェ』で読むことができる。
・1970年代後半から作風をミステリに戻して、『薔薇の輪』(1977)と『暗闇の薔薇』(1979)、またゴシックロマンス×ミステリの『領主館の花嫁たち』(1982)といった作品を執筆、1988年に80歳で亡くなった。

さて、クリスチアナ・ブランドには四冊の短編集があります(うち一冊は傑作選)。傑作選『招かれざる客たちのビュッフェ』の巻末には「全作品リスト」が付されていますが、近年、ここに含まれていない作品が次々に発掘されていることをご存じでしょうか。これらは、「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」以外のイギリスの雑誌に寄稿されたもの、また発表される機会がなかったものです。未発表作品の執筆年代は不明ですが、上で上げた代表作に勝るとも劣らない良作がいくつもあります。これらをまとめた新短編集が2020年に刊行される予定でした。コロナの関係もあって作業が遅れているようですが、刊行が待ち遠しい一冊ですね。

前説が長くなりましたが、いよいよ"No Face"の内容に踏み込んでいきます。
先ほども書いた通り、この作品も未発表作です。仔細な執筆年代は不明ですが、恐らく50年代末以降でしょう。理由は後述します。
本編の主たる登場人物はインチキ霊媒師のジョセフ・ホーク、その助手のデルフィーネ、そして地元警察のトム本部長の三名。物語は、ホークがトム本部長に電話を掛けるシーンからはじまります。ホークは、水晶玉を見ている時に、自分は最近街で次々に人を刺し殺している連続殺人鬼の正体を目撃したと主張するのでした。中背のサラリーマン、膝丈のコートを纏っていて、しかし顔の部分は塗りつぶされたように見えない……本部長はホークが並べた「誰にでもあてはまる特徴」を一笑に付し、もう電話してくるなと言って電話を切ります。しかし、ホークが仕入れてくる「顔のない殺人者」についての情報は不思議と、現場に残された警察しか知らないはずの証拠と合致するため、警察は彼への疑いを深めていくのでした。その頃にはデルフィーネの助けもあってメディアの寵児となっていたホークは、デルフィーネが「顔なし」に襲われるという夢を見て警察に助けを求めようとするも、上手く信じてもらうことができず……

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敢えてカテゴライズすれば、「信頼できない語り手」ものの短編です。ホーク自身の言葉をまともに信じる人間はどこにもおらず、読者も話の前提をどこに求めていいのか分からなくなる……という仕掛けで意外な真犯人を隠しています。容疑者の数自体は極小なので、「こいつじゃなければこいつだろう」と消去法で犯人を当てること非常に容易ですが、ブランド短編で頻出する「豹変した真犯人」の述懐の不気味さ、怖さは本編でも楽しめます。冒頭で提示される「意味不明な叫び」が腑に落ちる最終段のツイスト、また読者の顔に自然と皮肉な笑みを浮かべさせる展開の妙は、読者がブランドに期待する短編巧者ぶりを裏切りません。良作と言っていいでしょう。

なお、本文中にサイコパスという言葉が登場するのですが、この言葉が「人を殺すことをなんとも思っていない狂人」という意味で使われるのが一般化するのは、どうもロバート・ブロックの『サイコ』(1957)、そしてその映画(1958)以降のようです。ブランドもこのヒッチコックの映画を見て、この犯人像を思いついたのかも……しれません。それこそ、本編が50年代後半、あるいは60年代初頭に書かれたのではないかと考える理由でした。また、ホークの「猟奇殺人鬼以上にサイコパス」的な、ありとあらゆるものを自分を宣伝するために利用しようとする感覚は非常に現代的で、古びないキャラクター像となっていると思います。