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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

クラシックミステリ未訳短編夜話② D・L・セイヤーズ ”The Locked Room”

第一回のご好評に気をよくして第二回(2022/3/28)も無事放送できました。曜日がずれているのは、当初予定日の29日に用事が入ったため。急遽の変更でしたが、それでも聞きに来てくださった方、ありがとうございます。

前回同様、スペースでお話した内容を簡単にまとめましたので、当日来られなかったという方も、お楽しみいただければ幸いです。なお、前回同様のため放送内では触れていませんが、今回の短編もアンソロジー Bodies from the Library 2 (2019) 収録の「未発表短編」です。

ドロシー・L・セイヤーズについては、特段の前説も必要ないかもしれないが念のため。
1893年生まれ。オックスフォード大学のサマヴィル・カレッジ(1879年、オックスフォード大学に初めて設置された二つの女性用カレッジの一つ)を1915年に卒業した後、教師や広告会社のコピーライター(~1931)として働く。
・1923年、『誰の死体?』で探偵小説作家としてデビュー。貴族探偵ピーター・ウィムジイ卿を主人公に、11の長編を著す。
・初期は、ユーモア作家P・Gウッドハウスの「ご主人様バーティと執事ジーヴス」シリーズの設定を援用したお気楽で朗らか(ただし時折不気味)な探偵小説を発表していたが、その作風を徐々に重厚なものへ変化させていった。第五作『毒を食らわば』から登場する女性探偵小説家ハリエット・ヴェインとピーター卿の恋愛関係がその変化の軸の一つであったのは間違いない。
・日本では戦前からいくつかの作品が紹介されていたが、より多くの読者に知られるようになったのは、1993年から創元推理文庫浅羽莢子訳でシリーズが系統的に収録されたことによる。浅羽が早逝したことで、最終作『大忙しの蜜月旅行』の翻訳は遅れたが、2020年、創元推理文庫の一冊としてついに刊行された。

次に、セイヤーズの短編について。

日本で刊行されたセイヤーズの短編集は、日本オリジナル編集の『ピーター卿の事件簿』『ピーター卿の事件簿Ⅱ』の二冊が主でした(正確には日本出版協同から出た『アリ・ババの呪文』(異色探偵小説選集、1954)があるが、入手困難ということもあり、放送時は触れませんでした)。2020年に論創社から単行本未収録短編を軸にした『モンタギュー・エッグ氏の事件簿』が、翌2021年には第一短編集 Lord Peter Views the Body を完訳した(ただし「アリババの呪文」は『モンタギュー・エッグ氏~』収録)『ピーター卿の遺体検分記』が刊行されたことで、ようやく全体像が見えてきた感があります。論創社では、短編集第三弾も企画検討しているとのことですので、楽しみに待ちましょう。

セイヤーズの(特にピーター卿物の)短編は、謎とその論理的解決を軸にした、いわゆる本格ミステリには該当しないことが多いです(というよりセイヤーズの作品のほとんどが実はそうかもしれない)。殊に短編については、「クラブ奇譚」(社交クラブで語られるホラ話すれすれの奇譚)的な不思議なお話に名探偵が登場し、ズバリ解決!という話がよく見られます。「クラブ奇譚」の例としては、ウッドハウス、またR・L・スティーヴンスン『新アラビア夜話』を参照のこと。特に『新アラビア夜話』のフロリゼル王子はピーター卿の祖型に当たるのかもしれません。スティーヴンスンの短編は、論創海外ミステリから出た『眺海の館』、あるいは光文社古典新訳文庫で出た『新アラビア夜話』『臨海楼綺譚』を参考にしてください。
・謎解きものということでは、セールスマン探偵モンタギュー・エッグ氏が登場する作品の方が面白いので、『事件簿』は一読の価値ありです(kindle版あり)。

最後に今回の本題、"The Locked Room"についてです。既に述べたように本編は未発表作品で、タイプ原稿がアメリカのアーカイヴにあることはかなり前から分かっていました。単行本に収録されたのは今回が初めてです。創元推理文庫『ピーター卿の事件簿Ⅲ』が企画された時に収録が検討されたことがあった(もしされていれば世界初!)が、結局出なかったという話を聞いたことがあります。

田舎のお屋敷の図書室の本の鑑定にやってきたピーター卿が、その図書室で起こった謎めいた自殺事件の謎に挑む、という作品です。窓もドアも内側から掛け金が掛かっている明快な密室なので、その解体が端的なものになるのは必然かもしれません。拍子抜けするほど単純で捻りのないトリックで逆に驚かされました。

この作品のキモは「屋敷に住む一族の人々がそれぞれの"superstition"に殉じている」という構造的設定。「狂った信念」とでも呼ぶべきこの言葉が被害者の、そして犯人の行動を縛っています。そんな犯人に対してピーター卿が取った行動は……

未発表作ゆえか、全体の完成度は低いです。最大の弱点はピーター卿が説明する犯人と被害者の行動が、実際の現場の状況と合わないこと。被害者が本当にそんなことをしていたら、そんな風にはなりません。「ピーター卿は、とある理由でとある行動を取った」という結末から作った作品だと思われますが、詰めが甘いのは残念(とはいえ、完成原稿ではあったようです)。あと田舎の警察が無能すぎます。

翻訳されることはないと思うが、ピーター卿が屋敷のお嬢さんと軽い恋の鞘当てをするシーン(彼女には婚約者がいるけれど)があって、シリーズファンには楽しめるかもしれません。ハリエット・ヴェイン登場前、『遺体検分記』収録作品と同時期に執筆されたとみるのが妥当でしょうか。