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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

読書日記20230702-0703(『幽霊屋敷 新訳版』【★★★☆☆】)

■20230702

 ダラダラしながら、本を読んだり、文字起こしの仕事をしたりする。この文字起こしは全部終わったら50万字くらいになる想定。

■20230703

 労。日曜日に届くはずだった本が送られてくるが、マンションの宅配ボックスが埋まっていて入れられないとのこと。明日取りに行く。なお、土曜日に届くはずだった本は結局届かずじまい。プリコネのガチャはノー課金ながら天井。フェスでもないのに200連で9枚も星3がすり抜けた。哀しいねえ。

・読んだ本

 ジョン・ディクスン・カー『幽霊屋敷』創元推理文庫、新訳)

#以下、そう思って読むとネタバレに見えるかもしれないのでご注意ください#

 旧創元推理文庫版は所持しているが初読。
 トリックは机上の空論レベル。最後に明かされる「驚愕の真相」(笑)から言って、弾丸が被害者に当たって命を奪う結末になったのは完全に「偶然」の産物だろう。というかそもそもあんな現象は本当に発生するのかいな。化学に絶望的に弱かったカーが物理をきちんと理解しているとは到底思えない。そういえばカーって、別の作品でも拳銃を○○○に○○して不可能犯罪をやっていたなあ……
 と、小馬鹿にして終わっていませんか? いやあ、それはまったくカーの意図を読めていない。大間違いです。本作のミステリとしてのキモは「馬鹿っぽい物理トリック」にはありません。本作のポイントは「神秘(カワイイ)は作れる」ということ。カーはこれまで【黒死荘】だの【赤後家の間】だの【妖女の隠れ家】だのと、「何か奇妙で恐ろしいことが起きる『伝承』を持つ場所」を作品上に量産してきた。それに対して、本作の「お屋敷」は、色々な人たちが様々な意図をもって建物に『怪異』を紐づけようとしたことにより「今しも【幽霊屋敷】として定義されんとしている場所」である。言うなれば「これから本物になろうとしている偽物」なのだ。それがジョン・ディクスン・カーの作品の中に置かれ、後押しされることでブーストが掛かる。まるで本物であるかのように見えてくる……おお、偉大なるカーは、自分の作風そのものをネタに使って読者を騙しにかかっているのだ。なんという思い切りのよさだろう。
 そう考えると、本作にて導入された超即物的トリックは(別にそれしか思いつかなかったわけではなく)「割と最近作られた【都市伝説的神秘】」を完膚なきまでに解体するために投下された「笑っちゃうほど安いネタ」なのだと気づかされる(上等な料理にはちみつをぶちまけるがごとき思想!! しかしその崩壊こそエクスタシー……)。物語の終盤、フェル博士がやらかす大惨事(とんでもない犯罪だよ)も、40年に出た本書の二年前、38年に出たダフネ・デュ・モーリアレベッカ終盤の印象的なシーンを踏まえた「ゴシック屋敷よさようなら」的高踏ギャグなのだと思う(作中の時代が37年なのがまた巧妙)。
 以上をまとめると、本作はとにかくギャグ、ジョーク、ナンセンスなのだということ、これに尽きる。そもそもからし「あ、踏んじゃった~テヘペロ」がお笑いでないわけがないのだ。ただ、初見ではそれが分からない。二度読んで初めて、ありとあらゆるものが究極のジョークに奉仕するために組み立てられていたことが分かる。これが重要である。
 二度読み必至!とは舌が割けても言うまいが、「ひどいトリックだったな」と投げ捨てて終わりにしては、本書の真価は見えてこない。まあ、そのジョークが面白いか、笑えるかはまた別の話なんですけどね。