深海通信 はてなブログ版

三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

Re-ClaM Vol.1 サンプル② [翻訳] Martin Edwards "Introduction"

deep-place.hatenablog.com

11/25の第27回文学フリマ東京で頒布予定の翻訳ミステリ評論誌「Re-ClaM Vol.1」について、第二回目の本文サンプル紹介を行いたいと思います。今回は、マーティン・エドワーズが『探偵小説の黄金時代』(2015)に続いて世に問うたミステリ評論本 The Story of Classic Crime in 100 Books (2017) の "Introduction" より、前半3分の1を公開いたします。エドワーズの熱烈なクラシック・ミステリ愛を、しかし静かに語りだす名序文であると思います。こちらもぜひ翻訳が出ることを期待しています。

 

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序文

 

本書において私は、20世紀の前半に刊行された犯罪小説についてお話ししたいと考えている。犯罪小説とは、読者の意表を突く物語である。この広く愛されたジャンルの多様性は息をのむほどで、それは多くの評者が示してきたものよりもさらに深い。このことを提示するため、私は100冊の本を事例として選び出した。それらの本は、あの時代に最も人気があったジャンル・フィクションの到達点であり、時に限界をも示すだろう。探偵小説の第一義は読者を楽しませることだが、それは同時に人間の在り様に光を投げかけ、文学的な野心や完成度をも表現し得る。また、現代の数多くの読者が古典的な犯罪小説を受容し続けている理由についても考える必要があるだろう。経済的な理由で書かれたと率直に言われている気取りのない探偵小説でさえも、現代の読者に過去を知るための手がかりを、そしてその不完全さゆえに未だに魅力的であり続けている、既に消え去ってしまった世界への洞察を与えてくれる。

本書は、国際的に評価を受けている「ブリティッシュ・ライブラリー・クライム・クラシックス」の副読本として読者に供されることを企図している。このシリーズで復刻された長く忘れられていた作品群は新たな読者層を獲得した。いくつかの作品はベストセラーランキングにも登場し、高い評価を受けている現代のスリラー小説にも匹敵する売り上げを叩き出している。過ぎ去った時代へのノスタルジーはその売り上げの一因かもしれない。しかし、これらの作品が、イギリスのみならずアメリカ合衆国、そして世界中で受け入れられたその主因をこの点に求めるのは正しいことではないように思える。この成功の理由は、ツイストの利いたプロットを軸に描かれるこれらの読んで楽しい小説が読者を驚かせ満足させたことに求めるべきだろう。

ところで、「クラシック・クライム」という用語を我々はどのように定義するべきなのだろうか。この用語は、古いミステリに再び命を与えようとした版元によって、長年の間繰り返し用いられてきた。しかし現代までに、これらの取り組みのほとんどが潰え、注目を集めることは少なくなった。しかし、出版における流行もまた、他の物事と同じように移り変わる。「ブリティッシュ・ライブラリー・クライム・クラシックス」、そしてそれに続く版元の出版活動によって、読者は以前には見つけ出すことが難しく、またついに見つけたとしても手の届かない値段であった、古めかしい探偵小説を何十冊でも容易に手に入れることができるようになった。

本当のところ、「クライム・クラシック」とは、「ヴィンテージ・クライム」と同じように、広範な意味を許容する用語である。この簡易なラベリングは作品の文学的な質を保証するものではないし、物語の中にパズルが含まれていることはこのジャンルの際立った特徴という訳でもない。しかし、ある本を「クライム・クラシック」の名で呼ぶ利点としては、遠い昔に書かれたという事実以上の価値を読者に確かに提供してくれること、そして何十年もの間に積み上がった曖昧さを削り取ってくれるかもしれないということである。この特別な何かとは、筋立て、登場人物、舞台設定、ユーモア、社会的または歴史的な特性、あるいはそれらを混ぜ合わせた物を指すことだろう。犯罪小説とは門戸が広く開かれた教会であり、その広さは世界に対してもアピールし得るものなのだ。

さてこの本において、私は「クラシックな」犯罪小説という用語を1901年から1950年までの間に刊行された長編小説、また短編小説集―何らかの理由で現代の探偵小説愛好者にとって特別な興味を惹き付け得ると思えるような作品―を指す物として定義する。「ブリティッシュ・ライブラリー・クライム・クラシックス」は、実際にはもう少し広いスパンでこの用語を捉えているが、上記の目的を果たす上では20世紀の上半期に視線を据えるというのは意味のあることだろう。ブリティッシュ・ライブラリーは古典的なスリラーのシリーズも刊行しているが、今回は特に犯罪小説(この中には多くの推理小説が含まれるが、いくつかの作品では推理を物語の中心に据えることをしていない)に注力したい。「推理小説」と「犯罪小説」、あるいは「犯罪小説」と「スリラー」の違いについての議論を始めるときっと永遠に終わらないだろうが、この本においてはこういった厳密な用語の定義には拘らないつもりだ。純粋主義者のいくらかは苦い顔をするかもしれないが、「ミステリ」という用語を必要に応じて「犯罪小説」の代わりに用いることにする。犯罪小説作家としての変名が良く知られているならば、本名の代わりにこれらを優先的に用いる。「クライム・クラシック」の中には複数のタイトルで刊行されたものもあるが、より状況に適したものを私の方で選んで用いることにした。こういった些細な点を重んじ過ぎることによって、全体を概観する目的から外れてしまっては元も子もない。

本を選定するにあたっては、ジャンルの発展の歴史を表現しようという私の目的に適う作品を優先的に取り上げた。また、謎の解明に直結するようなネタバレは可能な範囲で避けるようにしている。推理小説作家としてもよく知られたアカデミシャン、マイケル・イネスはロンドン・レビュー・オブ・ブックスの1983年5月号でこう書いている。「(推理小説を表しようと思うならば)構造的に、物語の核心を暴き立てることでしか批判的な議論をすることはできない。」 しかし、私はこの考え方には与しない。私と同様多くの読者もまた、驚きの機会を損失することを好まないであろうから。

この項目について私が強調したいのは、「昔の探偵小説」にもっと気軽に興味を持ってもらいたい、そのために広報活動をしていきたいと考えているということだ。私がこの本を書き始めた時に考えていたのは、このジャンルの作品を手広く読んでいるマニアの方々だけではなく、むしろこのジャンルに不案内な人にこれらの本のこと(そしていくつかのトリビア)を知ってもらうことでその入り口を提供したいということだった。古典的な犯罪小説を楽しむ人は新しい発見をこそ好むものだし、そういう人たちがこの本をきっかけに新たな作品に巡り合えたなら、それは個人的にも好ましい。

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続きはぜひ、本書をお買い上げの上お読みください。もちろん、原書をお買い上げいただき、序文から本文へと進まれるのはさらに望ましいことです。ぜひどうぞ。

 

The Story of Classic Crime in 100 Books

The Story of Classic Crime in 100 Books

 

本を読んだら書く日記20181114|マーティン・エドワーズ『探偵小説の黄金時代』途中

次第に「本を買ったら書く日記」になっているような……

振替休日のため、朝からだらだらと過ごしてしまう。マーティン・エドワーズ『探偵小説の黄金時代』を読んでいたはずだが、うとうととして寝落ち。気が付くと12時という体たらく。早稲田の青空古本市に行くつもりだったような気がしたが、思うところあって上石神井へ。先日行った時にはチキンカレーが品切れだった「analog.」さんで、チキンカレーとジャパンカレーのあいがけをいただく(主目的)。もちろん美味しいのだが、チキンよりもジャパンの方が好みでしたね。。。

ついでにブックオフ。とはいえ、特に買うものも見つけられず。何も買わずに出るのは業腹なので、取り急ぎこんな本を確保。なぜ新刊時に買わなかったのか……

ジョン・コリア『予期せぬ結末1 ミッドナイト・ブルー』(扶桑社ミステリー)

それにしても、ブックオフで「将太の寿司」を見かけなくなった。twitter上のブームは一過性のものでなく本物なのかもしれんぞぉ?(いや、どう考えても一過性だが)

帰りはテクテク歩いていくことにする。徒歩1時間ほど。帰り道にまったく古本屋がない(知らない)ので、上井草でサンライズのビルを眺めたりする虚無的な徒歩旅行となったが、たまには悪くない。気になる寿司屋など見かけたので、次はこの店に行ってみたい。

古本ツアー・イン・ジャパンのサイトで知っていた鷺宮の古本屋「うつぎ書房」が開いていたので、初めて入店。「開いていた」といっても、16時過ぎの既に薄暗い時間にもかかわらず明かりはついておらず、店頭の均一が出ていたので判断できたレベルだが。「お前入ってくるなよ」オーラを露骨に醸す店主のお爺さんに「すいません、見るだけ見たら出ていきますから……」とテレパシーを飛ばしつつパッと見ていく。う~~~~ん、買うものがない。翻訳ミステリは絶無でした。

くさくさしたので、近場の町の古本屋さんで均一をピックアップ。網羅的な蔵書リストを作ったことで、ダブり本を引く可能性が激減したので、気楽に本が買えますね。(え?)

天藤真『鈍い球音』(創元推理文庫

北森鴻『緋友禅』(文春文庫)

天藤真は実家にあるはずだけど、今読む用のつもりです。つもり貯本。

 

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昨日twitterで書いた『探偵小説の黄金時代』の二箇所の誤訳について。間違いの内容と想定される経緯、その他諸々を以下に書き留めておく。なお、邦訳書では、140ページ前後が該当箇所となる。

1. Martin Edwards, The Golden Age of Murder, 2015 の第11章 Wistful Plans for Killing off Wives で、エドワーズはバークリーの中編のタイトルを "The Mystery of Horne's Corpse" と記した。これは正しくは "The Mystery of Horne's Copse" である。(典拠は、ロビンソンのビブリオおよび「補足2」で示したアンソロジー収録の実作の2点)

訳者は上記の誤植に気づかなかったようで、正しくは「ホーンの森の謎」と訳すべきであった箇所を「ホーンの死体の謎」と誤訳してしまった。(copse は、「雑木林」程度の小さな森を指す)

2. エドワーズは同中編にピーターズという detective が登場することを指摘。この名前は、A・D・ピーターズという彼の文芸エージェントにして、二番目の妻ヘレンの前夫から取ったものであるとエドワーズは書いている。

訳者はこの detective という単語を「探偵」と訳したが、本作はシェリンガムが探偵役を務める作品で、ピーターズは結末付近で紹介される「刑事」の一人にすぎない。これは実作を確認していれば防げた誤訳である。

補足1:ちなみに本作は、ロンドン近郊の領地に小さな屋敷を構える小貴族ヒュー・チャペルが、森の中で何度も「同一人の死体」を発見したと報告して正気を疑われるという物語であり、シェリンガムはチャペル家をめぐる邪悪なトリックを打破する。件のピーターズは、無実にもかかわらず殺人の容疑者となったチャペルが、シェリンガムの依頼で許嫁とともにイタリアに渡って証拠を探す際の護衛兼見張りとして、密かに尾行していた人物である。

1931年に地方新聞に連載され、近年再発見されたこの中編は、「自分の私生活を小説に仮託する男」というエドワーズが提示したバークリー像が非常によく表れた作品とも読める。シェリンガムの学友の一人だというチャペルは自身の理想の姿かもしれない。若く美しく勝気な許嫁シルヴィアはA・D・ピーターズの妻ヘレンかもしれない。二人の秘密旅行を尾行する刑事はピーターズかもしれない。大学でも軍隊でも不品行により落ちこぼれるいとこのフランクは、「フランシス」という名前からするとこちらも自分自身かもしれない(あるいは「優秀な」弟を貶める目的か?)。とすると、男を食い物にするフランクの妻ジョアンナは前妻マギーかもしれない(ジョアンナは「身持ちの悪い一族の出」と説明される、これは復讐か?)。うへぇ、バークリー本当に気持ち悪いな……

ここまでエドワーズが仔細に説明してくれていれば「誤った解釈」をする可能性もなかったと思うのだが、そこまでの紙幅はなかったらしい、という話。

補足2:なお、 "The Mystery of Horne's Copse" は、エドワーズが編纂した大英図書館のアンソロジー Murder at the Manor (2016) に収録されたので、簡単に読めるようになっている。訳者がこれを読んでくれていれば良かったのだが……是非もないネ?

蛇足:どうでもいいことだが、三門はこの中編を翻訳して「私訳:アントニイ・バークリー短編集」に収録しておりましてね……で、実は訳者の一人である森英俊氏にこの同人誌を進呈したんですよ、今年の春に……まあ、読んでないよなぁ。世界に100人といない入手者の皆様は、ぜひお読みいただければと思いました。

 

探偵小説の黄金時代

探偵小説の黄金時代

 

本を読んだら書く日記20181112|戸川昌子『緋の堕胎』

特に日記に書くことがなくなりそうだったので、古本を買いに行った。

新橋のSL広場の古本市が初日だったので、終業後に参戦。18時に到着して、18時5分に雨に降られるトラブルはあったものの、古本屋さんたちの粘り強い対応で、なんとかチェックを続けることができた。黒っぽい本の名残のようなものを感じさせるものの、大した本はなかった(ちょっと興味を持って調べ始めた日影丈吉『恐怖博物誌』(東都書房の実物が見られたのはよかった。壊れた匣付きで3,000円はネタで買うほどでもないが)。交通費の元くらいは取りたいとポケミスを中心に抜いてみる。

松本清張『誤差』(光文社文庫\100

日影丈吉『非常階段』(徳間文庫)\300

ウインストン・グレアム『幕が下りてから』(ハヤカワ・ミステリ、箱あり)\300

シャルル・エクスブラヤ『死体をどうぞ』(ハヤカワ・ミステリ)\200

『死体をどうぞ』200円は隙だらけ。ハリイ・ケメルマン『木曜日ラビは外出した』(ハヤカワ・ミステリ)\1500は買えばよかったかも。まあそのうちもっと安く見かけそうな気もするが。

 

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戸川昌子『緋の堕胎』ちくま文庫)を読んだ。

中年女の(自覚的に)薄汚したセックス妄想が塗り重ねられた非常に悪趣味な本。みるみるエスカレートしていく妄念が一線を越えた瞬間に奇跡的な輝きを放ち始めることがあり、それはこの作家にしか書きえないものかもしれない。ベストは「塩の羊」、「蜘蛛の巣の中で」、「降霊のとき」。以下各作品紹介。

・「緋の堕胎」:妊娠7か月を超える妊婦の堕胎を生業にする医師が、どこまで追い詰められても自分の評判を気にしているみっともなさ、生き汚さが凄い。ある種の尊さを感じる。

・「嗤う衝立」:衝立の向こうで宗教団体の女たちからセックス奉仕を受ける重傷者を見て悶絶するオッサンの話。意外な目的が明らかになるオチがなければもっとよかったのだが。

・「黄色い吸血鬼」:精神薄弱の青年が「吸血鬼」に囚われ、定期的に血を吸われる話。寓話的な世界観がある瞬間に現実に戻る。戻し方があっさりしすぎていて、カタルシスもくそもないのは残念。

「降霊のとき」霊媒の助手をしている女が、乞われて霊媒の真似をしたら出来てしまった、というところから始まる奇譚。オッサンの霊に取り憑かれた(という体で)主人公がレズセックスを繰り返してしまうという物語の壊れっぷりがすごい。なぜか上手い具合にオチがつくが、若干取ってつけた感が否めない。

・「誘惑者」:吸血鬼ネタ②。これといった美点が見当たらない。

「塩の羊」モン・サン・ミッシェルを思わせる海辺の修道院で展開される美しくも歪み切った物語。現実と妄想の区別がゆるやかに溶けていき、どこからどこまでを信じて良いのか分からなくなる。羊の皮を被った女が海に消えていくシークエンスは不気味さと美しさを兼ね備えた凄まじい代物。

・「人魚姦図」:青年が水の中で人魚を追いかける描写など、筆の冴えを感じさせるシーンが多い。「意外さを感じろ」と押しつけられる結末は好きになれないが……

「蜘蛛の巣の中で」:子守を仕事にする中年女のセックス妄想が炸裂。ベタベタとした一人語りの不愉快さは特筆もの。蜘蛛の巣に絡めとられるように堕ちていくのは、女かあるいは読み手の我々か。

・「ブラック・ハネムーン」:東南アジアの島で現地人に輪姦される女の話。もう何が何やらだが、オチまで来て「勝手にしてください」という気持ちになってしまった。

 

緋の堕胎 (ちくま文庫)

緋の堕胎 (ちくま文庫)

 

本を読んだら書く日記20181110|パット・マガー『不条理な殺人』

翻訳ミステリー大賞シンジケートの千葉読書会(課題本:キャロル・オコンネル『氷の天使』)に参加した……が、時をしばし巻き戻す。

起きたのは午前3時(え?)。到底朝とは言えない時間だが起きてしまったものはしょうがないので、(読書会の本も読まずに)創元推理文庫の新刊であるパット・マガー『不条理な殺人』を読み進める。300ページくらいの本なのにいつまで経っても読み終わらないことに不条理を感じつつ、朝を迎える。

午前中は、今日封切りの映画「ビリオネア・ボーイズ・クラブ」を観に行った。もちろん読書会の本はほとんど読んでいない。タイミングを逸して朝ごはんを食べ損ねたので、映画館の近くのコンビニでおにぎりを買って食べる。一緒に映画館で飲む酒を調達。朝9時にコンビニでビールとつまみを買い込んでいるオッサンはきっと悲しく映ったことと思う。

「ビリオネア・ボーイズ・クラブ」について。シナリオは並だが、音楽は素晴らしかった。アンセル・エルゴートは(「クリミナル・タウン」は未見だが)「ベイビー・ドライバー」出演時と同様、ヘナチョコな犯罪者をやらせると妙に似合ってしまっている。彼が演じるジョー・ハントの綺麗な乳首が二回ほど見られるが、ヒロインは全力で隠されていた。ヒロインよりも語り手(ジョーの親友を名乗る軽薄男)よりもストーリーを食っているのが、ケヴィン・スペイシー演じるロン・ケヴィン。「詐欺師(ハスラー)」を自称する彼が、ジョーの計画を支援するように見えていつ腹を喰い破るか、ジョーがいかなる間抜け面を晒すかが本作の見どころとなっている。「実話に寄せた話」という枠をブッチ切れなかったのは残念だが、劇場で見ても損はないと思う。

さて、映画が終わって12時15分。昼飯を食べた後、新宿を出たのが13時。読書会は16時開始。それまでに100ページ読んだ課題本を読み切れるか……が問題だったが、結論から言うと、タイムアウト。まあ、千葉で「ビア・オクロック」に行き、二杯ビールを飲んだのが敗因だったような気がしなくもないが……

読書会自体はそのうちレポが上がるだろうから、多くは語らず。翻訳者の柿沼瑛子先生から、「早く『ウィンター家の少女』を読みなさいね。きっとあなた好きだから」とガッツリ推されてしまった。うーんそのうち読みます。少しでも還元しようと担いでいった不要新刊は半分くらい貰ってもらえた。私は猟奇の鉄人氏のダブり本コーナーから何冊かいただく。

エラリー・クイーン編『完全犯罪大百科 上下』創元推理文庫

エラリー・クイーン編『犯罪の中のレディたち 上下』創元推理文庫

コーネル・ウールリッチ『恐怖の冥路』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

その後、二次会でチーズ専門店に移動。お洒落な店だったが微妙に食い足りず……チーズって妙にお腹いっぱいになった気になってしまうのだよな。パット・マガー『七人のおば』の布教をしたら貰ってくれた大学生がいて、よかったなあという気持ちになりました。

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パット・マガー『不条理な殺人』創元推理文庫)を読んだ。

義理の息子ケニーが書いた劇のタイトルが『ハムレット』を思わせる物であったため、10数年前に起こった実の父親レックスの死が本当は殺人事件で、彼はそれを目撃したのではないか(当時は自殺か事故と考えられていた)という疑いを抱いた義理の父親マークがそれを確かめるべく明らかに不慣れな現代劇に出演するという話。

ミステリとしてのポイントが絞り込まれるまでが非常に長いのはストレスフル。といっても、そのポイントを絞らせないことが作者の狙いだろうが。読み返してみると、実はこの作品は1930年代の某作に始まるあるジャンルに属していたことが分かるが、作者はそれを何とか隠そうとしていて、後半のある意外な展開(作中人物にとっての、だが)によって初めて、前半から播かれてきた疑惑の種が芽を吹き始めるように仕向けている。とはいえ、ジャンル的な挑戦が必ずしも良作を生み出してきた訳ではないことは、御承知の通り。本作のプロットは、残念ながら300ページの長編を支えられるものではない。

作中展開される不条理劇は「息子と父親の世代的/感情的断絶」を表しつつ、同時にそれに対して父親が働きかけることで絆が新たに生まれることを表現しようとしたもの(それは成長しない母親サヴァンナとの本来あると思われていた絆の断絶をも表している)だが、晩年のマガーが筆先をそういった方向に展開したのは意外だった(マガーの資質は明らかに、マークとサヴァンナが出演し続けてきた室内で展開されるユーモラスなロマンス(とそこに生じるサスペンス)だったのではないか)。

正直、これを読むなら論創で出た『死の実況放送をお茶の間へ』の方が楽しめるのではないか、と思ってしまった。

 

不条理な殺人 (創元推理文庫)

不条理な殺人 (創元推理文庫)

 
死の実況放送をお茶の間へ (論創海外ミステリ215)

死の実況放送をお茶の間へ (論創海外ミステリ215)

 

Re-ClaM Vol.1 サンプル① [Review] Martin Edwards Gallows Court (2018)

11/25の第27回文学フリマ東京で頒布予定の「Re-ClaM Vol.1」について、今日から毎週金曜日にサンプルを掲出していきたいと思います。

第一回の今回は、エドワーズの作家としての実力についてまずみなさんに知ってもらいたいということで、最新作 Gallows Court (2018) の魅力を語ったレビューを掲載いたします。ここから興味を持って、この作家の読者が増えるといいのですが。

 

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1930年、ロンドン。

それは煤で薄汚れた、地獄の街。こんな夜に外に出かける女はいない。口にするのも躊躇われる凄惨な殺人事件が人々を、霧に包まれた大都会の街路から追い払ってしまったのだ。しかし麗しきレイチェル・セイヴァーネイク―悪名高き「首つり判事」の謎めいた令嬢―は尋常の女性ではない。スコットランドヤードを出し抜き「コーラスガール殺人事件」の犯人を告発した彼女は、新たな殺人者の痕跡を追って闇夜を駆ける。

スクープを求めるクラリオン紙の若き犯罪記者ジェイコブ・フリントは、素人探偵のセイヴァーネイク嬢を追っていた。彼の前にレイチェルを取材しようとした上司のベッツは交通事故に遭い、今も意識が戻らない。故意の殺人未遂かもしれないこの事件があっても、しかしがむしゃらなジェイコブは敢えて危地に飛び込もうとする。

レイチェルの目的や過去を探り出そうとする彼は、いつしか深い混沌の迷宮へと巻きこまれてしまう。殺人に次ぐ殺人の中で物語は、全ての始まりにして全ての終わりである古の処刑場、ギャロウズ・コートへと辿り着く。

 

戦間期のロンドンを舞台にした、ジェフリー・ディーヴァー張りのハイスピードスリラー小説で、マーティン・エドワーズの2015年以来3年ぶりの長編です。「黄金時代風の謎解き長編」を得意としてきた作者にとって新たなジャンルへの挑戦となった本作ですが、読者の予測を常に裏切る意外な展開を連発しつつも伝統的なミステリの味付けもしっかり利かせた、いわばハイブリッド型の作品として極めて高い完成度に到達していました。

読者の視点に近いジェイコブは、盤面の向こう側の見えざる敵とレイチェルとが戦うチェスの駒の一つであるかのように振り回され、度々奇禍に見舞われます。残酷な殺人犯たちを次々に破滅させていく(それも密室での不可解な自殺や公衆の面前での火刑といったド派手な形で)レイチェル自身もまた、ジェイコブの視点からすると冷酷なプレイヤー。一つ一つ拾い集めたパズルのピースを元に、最後にジェイコブが目にする「真実」は……とこれ以上は語るに及ばず、でしょうか。

さて、1930年の物語が進行するのと同時に、1919年の冬に、スコットランドのゴーント島という離れ小島に建てられたセイヴァーネイク判事の邸宅で起こった事件をジュリエット・ブレンターノという少女の視点から綴る日誌が少しずつ差し挿まれていくのも本書の構成の工夫の一つ。そこで描かれる恐るべき事実は終盤に現在の物語と合流するのですが、そこまで読み進めた時、この作品の懐かしさの理由が腑に落ちたような気がしました。2018年に出版され読まれる1930年の物語は、さらにその何十年も前、19世紀フランスのある大ベストセラーに根を持つものだったのです。これはね、カーですよ。カー。

著者が自信作として紹介するのも納得の娯楽作にして大傑作。英語は平易で非常に読みやすく、原書読みが不得手の私も400ページを一週間ほどで読めました。強くお勧めする次第です。

 

使用テキスト:Head of Zeus, 2018. (Kindle版)

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次回はエドワーズの書評家としての実力を紹介するレビューを掲載予定です。お楽しみに。

 

Gallows Court

Gallows Court

 

本を読んだら書く日記20181108|フリン・ベリー『レイチェルが死んでから』

そう毎日、猟奇の鉄人師父のような面白古本日記が書ける訳ではないのである。

体調不良につき定時で上がる。にも拘わらず、一応古本屋はチェックせずにいられない悲しきSAGA(丁度今ネトフリでBAKIのSAGA編やってますね、ノッブ熱演)。

フレドリック・ブラウン『宇宙の一匹狼』(創元SF文庫)\108

ブラウンはあんまり読んでない。SF、しかも長編に至ってはまったくのゼロなので、とりあえず押さえておく。オススメあったら教えてください。

古本は買ったものの、体調不良は変わらず。結局9時半過ぎには寝落ちするも、5時間後(2時半)に目が覚めてしまい体力のなさを自覚(普段2時に寝て7時に起きるスケジュール通りともいえる)。もう一回寝て5時に目が覚めたので、ちょいちょい本を読んだ。ある意味、こういう超朝型生活もいいものかもしらん。早く出て一駅歩いたりとか、夕ご飯を作って冷蔵庫に入れてから出かけるとか……

 

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フリン・ベリー『レイチェルが死んでから』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読んだ。

おお、2019年の新刊期間は既に始まっているのである。「本が出てすぐ読めば、9月10月に積み残しで絶望することもない」と毎年言いっているが、計画的に読めたためしがない。今年は何とかしたいところだが如何に。

おおまかなあらすじはこんな感じ。看護師をしている姉レイチェルの家にやってきたガーデンデザイナーのノーラは、喉を掻き切られて殺された姉の死体を発見する。警察が捜査を進めていく中で、レイチェルは自分を15年前に襲った男を追い続けていたことが明らかになる。果たして殺人犯は「この男」なのか、あるいは……

といっても、あらすじを説明することに意味はあまりない。この小説は、ノーラの捉えどころのない語りにそのほとんどを拠っている。彼女の内面が現実に(それさえも彼女の認知の歪みが見られる)、あるいは過去が現在に、シームレスに喰いつかれる不安定なナラティヴは読者にも不愉快な読書体験を約束する。「レイチェルならこうした」「レイチェルが生きていればああだった」と、一人語り続けるノーラは、陰惨な暴力事件の新聞記事を集めてはレイチェルに語り聞かせるのが習慣で、また二人はよく法廷に出かけては、暴力事件の審理を傍聴していたとか……こういった(同情の余地はあるが正直悪趣味な)点も含めて、正直読み進めるのはかなりきつい。終盤、ある人物と話をしたことをきっかけに物語は大きく動き始める。一応伏線回収らしきものが行われ、そして彼女は終幕へと転落していくのであった。ちゃんちゃん。

アメリカの作家がイギリスを舞台に展開した物語だが、50年代・60年代のドメスティックでニューロティックなサスペンス小説の香りを濃厚に漂わせている(例を挙げれば、マーガレット・ミラー、あるいはシーリア・フレムリンなど)。ギリアン・フリンポーラ・ホーキンズなど最近流行りの「ガールもの」と似ているようで、笑いのない陰鬱な作風は興味深い(個人的にはゴーン・ガールはギャグ)。評価については、今後の作品を読んでみないと何とも。

さて、書いた通り本作はアメリカの作家がイギリス、しかもオックスフォード州の少し田舎を舞台に展開した作品だが、「テムズ・ヴァレー署」「ジェリコ街」「ルイス部長刑事(ただし若くて黒人)」などなど、コリン・デクスターの「モース主任警部」シリーズを思わせるフレーズがぎっしり詰め込まれている。これはあからさまに意図的な仕込みだと思う。ドラマファンなのかな。一気に親近感が湧きました。

2017年度エドガー賞処女長編賞受賞作とのことだが、個人的には候補作のビル・ビバリー『東の果て、夜へ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の方が好きかな。まあ、この辺は好みです。

 

レイチェルが死んでから (ハヤカワ・ミステリ文庫)

レイチェルが死んでから (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

東の果て、夜へ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

東の果て、夜へ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

本を読んだら書く日記20181107|連城三紀彦『もうひとつの恋文』

本を読んだ日には日記を書くことにしようと思った。

今日は休みだったので、先日自宅の一部を整理(整頓はまだできてない)した時に出た本をブックオフに売りに行くことにした。120冊となると移動するだけでもなかなか骨である。先日「買取10%アップクーポン」を貰ったので、電車とバスを乗り継いで普段あまり行かない荻窪ブックオフに行った。店頭でクーポンを出した瞬間、ある致命的な勘違いに気が付く。「CD・DVD・ゲームソフト買取10%アップ」……今日は本しか持ってきてないです……一回休み。結果、5冊は買取不可だったが、8000円程度になった。買取方式がバーコード読取式になってから、全体的に金額が上がっているような?という疑惑がまた裏付けられてしまった。その店で、一冊購入。

戸田義長『恋牡丹』創元推理文庫)\460

一週間前に出た本を半額で買うのもなんだなあと思いつつ、まあこういう機会でもなければ買わないだろうということで良しとする。

せっかく荻窪に来たので、南口側の古本屋ゾーンもチェックする。ささまは店内を模様替えしてからあまりそそられるものが出ていなかったのだが、今日はハヤカワ文庫の古い装丁のカーが増えていて微笑ましい気持ちになった。店外の均一から三冊。

S・S・ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』創元推理文庫)\108

パット・マガー『七人のおば』創元推理文庫)\108

石神茉莉『謝肉祭の王』講談社ノベルス)\108

先日神保町の古本まつりで買った野崎六助『北米探偵小説論』をぱら読みしているとヴァン・ダインが読みたくなるのである。多分実家にはあるけど、取りに行くのが面倒なので。マガーは(『不条理な殺人』が新刊で出るので)布教用。今週末の千葉読書会で、未読者がいたら押しつけよう。石神茉莉は誰かが探していたような。マケプレは馬鹿馬鹿しい値段になってますね。kindleがあるのに。

その後、西荻窪に移動して盛林堂書房でRe-ClaMの打ち合わせ。今日は使う紙を選ぶために印刷業者の営業の人と話をした。なるほどこれはネット入稿の印刷会社が相手だと味わえない楽しみだ。

帰りは途中まで電車に乗ったものの、何駅かで降りて結局家まで歩いてしまった。30分くらい歩いたので良しとしよう。家に帰ってから図書館まで本を返しにまた十数分歩く。だんだんお腹がすいてきたので、近くの松屋でチゲ鍋定職を食べてしまった。豆腐が美味しい。

 

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連城三紀彦『もうひとつの恋文』新潮文庫)を読んだ。

連城は積み残しが非常に多いので、機を得ては減らしていく必要がある。今回の本は、連城三紀彦全作品ガイド』でも「ミステリ的趣向は薄まっており、ちょっとひねった恋愛小説と言った方が良いだろう」とある通り、ミステリとして読むという意識はむしろ邪魔になるかもしれない。以下各編感想。

・「手枕下げて」:男女の機微をまるで理解していない間抜けな主人公の周りに浮遊する女性たちの心情を描くような描かないような。正直不出来な作品。

・「僕ンちの兎クン」:突然非行に走った「いい子」の息子の謎に困惑する父親の話。情報を出し入れする順番によってはミステリになったかもしれない。

・「紙の灰皿」:女子大生が50絡みの元作詞家を世話する話。こんな女子大生がいれば人生明るそうである。べたべたした語り口には閉口する。

・「もうひとつの恋文」:突然「お前の妻に惚れた」とラブレターを託される夫の話。「一人の女をめぐる二人の男の話」というテンプレートに一枚カードを増やすことで構図が反転する。動機の「気持ち悪さ」(作られた美しさ)も含めてなるほど連城。

・「タンデムシート」:突然転がり込んできた元夫を三ヶ月間泊めてしまう夫に困惑する妻の話。結末は異なるものの、正直「もうひとつの恋文」と同工異曲で、連続で読むには厳しい。

「もうひとつの恋文」「タンデムシート」の二作からは、二人の男の間にある断ち切るに断ち切れない、友情とも違う何かがほの見えた(ミスリードですらないのだが)。後年の作品の萌芽として考えても面白いかもしれない。

 

もうひとつの恋文 (新潮文庫)

もうひとつの恋文 (新潮文庫)

 

(第27回文学フリマ東京で)何が始まるんです? 第三次大戦だ。

前略

 三門のTwitterをご覧の方はとっくにご存知かと思いますが、11/25(日)に実施される第27回文学フリマ東京に出展します。スペースは2階のキ-27「Re-ClaM編集部」でお待ちしております。

 さて、昨年11月のアントニイ・バークリー書評集」完結以降約一年、「企画に熱がない」「やる気が見受けられない」「お為ごかしでは?」「そもそも同人でやるというのが間違っている」と各方面より熱い励ましのお言葉をいただきつつも、(権利関係が怪しい)短編ミステリの翻訳を行ってまいりましたが、今回久々にガチ企画を引っ提げての参戦となりました。(長編ミステリの翻訳をお待ちの方がいたらごめんなさい、もう少し時間がかかりそうです)

 クラシックミステリ翻訳の歴史についてある程度承知している方であれば、伝説の同人誌「ROM」のことも当然ご存知でしょう。現在のクラシックミステリ業界の論客を多く育み、また様々な企画の出発点となってきたこの同人誌が、144巻+2巻をもってついに40年の歴史に幕を下ろすことになりました(「ROM-s 002」は本年11月に刊行予定です)。

 その精神を受け継ぐ形で創刊されるのが、今回の「Re-ClaM」となります(要出典)。「Re-ClaM」は「Rediscovery of Classic Mystery」の略で、それとなく「ROM」(Revisit Old Mysteries)を感じさせる名称になっています。「原書レビューを中心に」という点は(いまのところ)変わりませんが、よりラディカルによりバイオレンスによりアナーキーに私がやりたいことをやる冊子になっていくことでしょう。

 その第一号では、先日『探偵小説の黄金時代』(2015、森英俊白須清美訳、国書刊行会)が翻訳されて話題沸騰中のマーティン・エドワーズを特集します。

 そもそも、本書が翻訳されるまで(あるいはエドガー賞他各賞を受賞するまで)日本のほとんどのミステリファンがエドワーズのことを知らなかったのがおかしいんです。兼業作家でありながら、毎年一冊ずつ欠かさず長編を出し、アンソロジーを中心に短編を60編ほど発表し、(CWAの委託で)自分でもアンソロジーを編纂し、大英図書館と協力してクラシックミステリを復刻し……と着々と積み重ねた実績により、ついにCWAの会長とディテクション・クラブの会長を兼任するに至った……こんな作家、史上他にいません。なんで誰も彼のことを知らなかったのか?なんで誰も紹介しなかったのか?

 「こんなの絶対おかしいよ」と吠えても過去は覆りません。今ここにいない誰かに責任を問うても意味はありません。ならばせめて今からでもきちんと紹介したい、という趣旨で始まった特集ですが、存外しっかりしたものになってしまいました。当初はペラペラの本になる予定だったのですが、特集パートだけで60ページ越えというね……第二号以降が貧弱に見えないか、今から心配です。

 以下目次。

 創刊の辞(三門優祐)
 海外古典推理小説の愉しみ(須川毅・同人誌「ROM」事務局)
◆【特集】知られざるマーティン・エドワーズ
 マーティン・エドワーズ氏への十の質問
 マーティン・エドワーズ氏ご紹介(三門優祐)
 マーティン・エドワーズ氏の印象(芦辺拓
 『探偵小説の黄金時代』 もう一つの訳者あとがき(白須清美
 いざ、謎解きの旅へ ~『探偵小説の黄金時代』訳者解題(森英俊
 [レビュー] Martin Edwards Yesterday's Papers (1994)(三門優祐)
 [レビュー] Martin Edwards Gallows Court (2018)(三門優祐)
 [翻訳評論] Martin Edwards The Story of Classic Crime in 100 Books 序文(三門優祐 訳)
 [レビュー] Martin Edwards The Story of Classic Crime in 100 Books (2017)(三門優祐)
 マーティン・エドワーズ作品リスト
 [レビュー] Lois Austen-Leigh The Incredible Crime (1931)(小林晋)
 [レビュー] J. Jefferson Farjeon Seven Dead (1939) (小林晋)
 [レビュー] John Bude The Cheltenham Square Murder (1937) (小林晋)
 ブリティッシュ・ライブラリー・クライム・クラシックス 全リスト
 英米クラシックミステリ復刻最新事情(三門優祐)
■連載&寄稿
 小野家由佳のCHEEP BEER
 -第1 回 マックス・アラン・コリンズ Bait Money (1981)(小野家由佳)
 不思議な既視感~M・D・ポースト「神のみわざ」を読んで(井戸本也玄)
 偽・黒後家蜘蛛の会「バークリーとチョコレート講座」(kashiba@猟奇の鉄人)
 「ヒラヤマ探偵文庫」について(平山雄一

 史上初のインタビュー(一問一答のメールインタビューなのが残念)、プロ作家によるエッセイ、『探偵小説の黄金時代』訳者コンビによる「もう一つのあとがき」原書レビュー7本(うち2本がエドワーズの長編)、評論の翻訳(エージェント通して許諾取りました、海外送金が手間でした)、あとあまりの作業量に編集氏が死んだリスト集ともりもりの特集に加えて、ヤングもベテランも入り乱れる寄稿ページの贅沢なこと。ははは、やったもん勝ちですわ。とまれ、『探偵小説の黄金時代』を読んだ読者に向けての副読本的な位置づけで作っておりますので、濃いクラシックミステリファンの方からよく知らないけどなんとなく気になるというフレッシュな方までぜひお求めください。

 最後に頒布について。「Re-ClaM」第一号は、100ページで末端価格1000円となります。お隣の「書肆盛林堂」(キ-25~26)は、180ページの「大阪圭吉単行本未収録短編集1」をなんと1500円(文字通りの価格破壊、買わなきゃ損)で頒布されるとのことですが、そこを見た後お越しいただくくらいが丁度いいのではないかなと。さらに、逆隣のキ-28では、親切にも本誌に寄稿してくれた小野家由佳氏主催のサークル「シマダ商事」「季刊島田商事」という謎の冊子を出すらしい(文フリ東京で出していくなら「隔季刊」になるのではないかというツッコミは野暮なのか?)ので、こちらも併せてぜひお買い求めください。なお、「Re-ClaM」は盛林堂書房/書肆盛林堂での委託を予定しておりますので、当日お越しいただけない方も手軽にゲット可能です。

 本誌見本については、今後少しずつアップロードしていく予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

三門優祐 拝

 

探偵小説の黄金時代

探偵小説の黄金時代

 
毒入りチョコレート事件【新版】 (創元推理文庫)

毒入りチョコレート事件【新版】 (創元推理文庫)

 
The Story of Classic Crime in 100 Books

The Story of Classic Crime in 100 Books

 

デレク・B・ミラー『砂漠の空から冷凍チキン』(2016)

2013年、『白夜の爺スナイパー』集英社文庫、2016年)でデビューした作家の第二作です。前作を大絶賛した身としてはかなり期待して読み始めたのですが、正直よく分からない部分が多々ありました。

砂漠の空から冷凍チキン (集英社文庫)

砂漠の空から冷凍チキン (集英社文庫)

 

第一部「初春」は、1991年、湾岸戦争が始まったばかりのイラクが舞台です。

物語は、アメリカ陸軍の新兵で19歳のアーウッドがイギリス人の新聞記者で39歳のベントンと出逢うところから始まります。名だたるタイム紙の記者でありながら、同僚と比べてまるでうだつのあがらないベントンは最後の一発逆転を賭けて軍事緊張地点の一つズールー検問所にやってきたのです。果てしない見張りに飽き飽きしたアーウッドは軽い気持ちでベントンを軍事境界線の内側に入れてしまいますが、折悪しくイラク軍の攻撃ヘリコプターが街に襲来。女子供も老人も容赦なく意味なく殺される最悪の状況で、ベントンは一人の少女を救い軍事境界線まで連れ帰ることに成功しますが、しかし、ベントンとアーウッドの目の前で彼女はイラク軍の大佐に射殺されてしまいました。

結果、アーウッドは不服従により軍隊を「非名誉除隊」され、ベントンは得る物なくイラクを去ることになります。その二人の22年後の新たな「冒険」を描くのが、第二部以降の物語です。

その第二部「長く、冷たく、厳しく、そして暗かった」は、2013年、妻の不倫がきっかけで家族が崩壊寸前にあるベントンの元にアーウッドから電話が掛かってくるところから始まります。実に22年ぶりに連絡を寄こしたアーウッドは、「ビデオを見た」「イラクでテロ組織の攻撃を受けた人々の中に「彼女」がいた」「「彼女」を救うために俺もお前もイラクに行かなければならない」と断言。61歳のベントンを、半ば強引にイラクへと連れて行ってしまいます。22年前に死んだはずの少女と瓜二つの女の子を救うべく二人はミッションに取り組むことになるのですが……

 

正直なところ、物語という意味では本書は第一部だけで成立しています。救えなかった少女の姿はタイトルにも取られている「砂漠の空から冷凍チキン」というフレーズからも滲む米軍の酷過ぎる体制(「天才が考えだし無能が運営している」)をまざまざと思い知らせる代物で、現実にそのようなことがあったかもしれない、と読者の脳裏に刻み込むに充分な威力がありました。では、作者はなぜわざわざ第二部以降を書いたのか。

 

本書において、ベントンというキャラクターは非常に分かりやすい立ち位置にあります。一発逆転を賭けた体当たり取材は失敗に終わり、結局うだつは上がらぬまま20年を無為に過ごした彼は、妻に浮気され、娘とは心が離れ、仕事はクビ寸前。もはや新聞も読まずニュースも見ず、下らないテレビ映画を見ることで無聊を託つ在り様です。そんな彼がアーウッドに引き摺り回されるままイラクで死線を潜り、一種の英雄となって家に帰るまでの物語……と第二部を捉えてもあながち間違いではないでしょう(実際、本書の帯や裏表紙のあらすじは概ねその線で本書を紹介しています)。

でも私はそんな「分かり切った物語」ではとても満足できませんでした。もう一人の主人公、アーウッドはいかなる人物かという疑問に納得のいく答えを見いだせない限り、私にとってこの本は読み終わったことになりません。

以下、再読精読が不足しているため必ずしも正鵠を射た読みとは言えない部分もあるかと思いますが、自分なりの考えをまとめ、この本を読み終わりたいと思います。ということで、これ以降はいささか妄想的になり、また未読者の方にとって興を殺ぐような内容となるかもしれません。ご容赦を。

 

さて、アーウッドとはいかなる人物なのか。1991年の戦争、また非名誉除隊での彼の行動を見る限り、彼は「非常に空虚な人物」であるかのように外面上描かれています。なぜそのように見えるかというと、本書において彼の思考や感情を慮るような描写が限りなく排除されているからです。彼は、読者にとってもベントンにとっても「何を考えているか良く分からない人物」なのです。ここで特に大きな問題なのが、本書を読み進める動機(感情移入)の核となるだろう、「なぜ縁も所縁もない少女にそこまで拘るのか」という行動原理を、彼が説明してくれないことです。命がけであることも含めて、彼の行動の外見はほとんど狂人のそれ。巻き込まれてしまった以上、ベントンは意味不明でもついていくしかありませんが、少なからぬ読者が「意味が分からない」と本書のページを閉じてしまうことでしょう。

反面、彼は理性的でかつ打算的な人間です。武器商人として成功するには当然そういった素養は必須ですし、ベントンや協力者である人々には説明していませんが、無事脱出するための数々の「伏線」を用意した上で今回のミッションに臨んでいます。目的を達するためには手段を選ばない強引さはあっても、それはあくまでも合理的なもの。彼は決して狂人ではありません。「狂人のように見える」が狂人ではない。本書を読み解くカギは、この矛盾を説明する「目的意識」、すなわち「Why?」がアーウッドの具体的には描かれない内面にあったかどうか、です。

アーウッドが今回イランにやってきたいくつかの目的のうち、最も明確なのは「大佐を殺すこと」です。「あの瞬間」自分の取れなかった行動を完遂し、救えなかった少女の仇を討つ。少女を探す旅路の途中、補給を言い訳にふらりと消え、ふらりと戻ってきた彼の口からポツリと語られたこの行動は、彼の言う「少女の救出」が、必ずしも彼にとって最優先の目的ではないことを物語っています。

では、彼の真の目的とは何か。ここからは完全に妄想(というかもっとしっかり書いておいてくれ……)になりますが、それは「ベントンに借りを返すこと」ではなかったか? 彼が行かせなければ、少なくともベントンは一人の少女の死に直面することはなかったし、もしかしたら空虚な人生を送ることはなかったかもしれない。すべてのしがらみを捨てて放浪し、武器商人になったアーウッドがベントンには執着していた(教えてもいない連絡先を22年後でも把握している、あるいは「調べればすぐに分かる」と言いきれるのは正直怖い)というのは示唆的です。アーウッドがベントンに、多少歪んではいるかもしれないが友情と、同時に引け目を感じていたのではないか。それを清算する、ベントンが「命を救い英雄になる」最後のチャンスとして、アーウッドが用意したのが今回のミッションだったのではないか、というのが私の読解です。

アーウッドの言動をもう少しきちんと読み返すと、この辺りの根拠が取れそうなのですが、金の出る仕事でもないのでちょっと無理ですね。本質的には退屈な作品なので。

 

悪い酒を飲み過ぎた後、吐くと少し気分が良くなる物ですが、正直今そんな気持ちです。最後まで読んだ方、私の吐瀉物を見せつけて申し訳ない。ではさらば。

マージェリー・アリンガム『検屍官の領分』(1945)

論創海外ミステリ、2005年刊
原題: Coroner’s Pidgin
 
 第二次世界大戦末期(1944年前後?)が舞台。大陸での数年間の秘密任務から解放され久々に英国の土を踏んだキャンピオンがロンドンのフラットでのんびり風呂に入っていると、従僕にして友人のラッグが、カラドス夫人とともに女性の死体をかついでやってきた。邸宅に侵入して自殺した女の死体をしばらく隠したいと説明する夫人に不審を抱きつつも、予定通り休暇に入りたいキャンピオンは敢えてこの事態を看過する。ところが彼は駅に向かうタクシーの中で不可解な誘拐に遭い、結果的に事件に巻き込まれてしまう。
 
 本作は『反逆者の財布』(1941、原題: Traitor’s Purse)以来4年ぶりとなる長編である(『反逆者の財布』は創元推理文庫で1962年に刊行されたが、現在は入手困難)。『財布』のラストで秘密任務に旅立ったキャンピオンが数年ぶりにロンドンに帰って来たところから物語は始まる。「キャンピオンやオーツが記憶を失う」という前作の衝撃的な展開は、本作の中でも印象的に語られている。
 
 検屍官の領分』の構造は単純なようで複雑だ。キャンピオンが取り組むべき謎は二つ提示される。一つは「自殺した女」モペット・ルイスの死の謎、もう一つはここ数年ロンドンで起きている、空襲から疎開させた荷物(特に美術品)の組織的な盗難事件である。両者は複雑に絡み合い、最終的にその責任の所在はある一人の「犯人」へと収斂されることになる。
 ところが、キャンピオンはこれらの謎を解き明かすための「捜査活動」、たとえば聞き込みなどを積極的に行わない。なぜならキャンピオンは警察官でも私立探偵でもないからだ。観察力・推理力といった、それらの職業に必要な能力は十分以上に持ち合わせているが、あくまでも一介の私人、今回の場合はカラドス家の友人として事件に行き合わせることになる。結果的に「巻き込まれ型の素人探偵」と呼ぶほかないその立ち位置は、キャンピオンの不思議な存在感の薄さとも相俟ってミステリ史上においても独特の存在となっている。
 本作におけるキャンピオンの行動の一例をあげれば、それらを行う十分に有能な刑事に同行する、あるいは刑事たちの入り込めない「家族の団欒の場」に居合わせ、そこでの会話に耳を傾けるといった程度だ。彼はあくまでも「無色の傍観者」である。その点で、ドロシー・L・セイヤーズの描くピーター・ウィムジイ卿とはかなり立ち位置が違う。彼は常々違和感を漏らしつつ、すべてのピースがピタリとはまる全体像を探し求めていく。残念ながらサスペンスの濃淡の盛り方にやや難があり、結末も鮮やかな解決と言いかねるので、不満を持つ人もいるかもしれない。
 
 さて、警察の捜査は、「大戦の英雄」ジョニー・カラドスへと絞り込まれて行く。ジョニーの存在は本作の要である。「ぼくは二つの世界に住んでるんだ」と語る彼の内面はほとんど描かれないが、その根源にあるのは「戸惑い」ではないかと思う。戦争を機に失われてしまった「美しい理想」。それはエドワード朝風の「上流階級意識」であり、「伝統」であった。戦前までは「理想の世界」の住人でいられたジョニーは、いまや現実との間で真っ二つに引き裂かれた。この「理想と現実の乖離」こそが本作のテーマだ(それを、ゲーム性と虚構性に支えられた「ミステリ黄金時代」の終焉へと敷衍するのは牽強付会だろうか?)。さらに言うならば、作中人物たちがジョニーを「未だ理想の世界の住人である」かのように扱う/あるいはそう思っているかのように見せかけるという点もまた、この作品のトリッキーさを際立たせている。
 ところで、第一次世界大戦で失われず、第二次世界大戦で失われた(と人々が捉えた理想的な)ものとはなんだったのか……「芸術や美酒」(それは伝統であり、理想的な世界に無くてはならないもの)を守るためにあえて犯罪に身を染めた真犯人、あるいは戦争という「現実」に向かい合うため(あるいはそれは理想が失われたことからの逃避ではなかったか)に終盤再び戦場へと旅立つジョニー。アリンガムの鋭い筆先はこういった世界への向き合い方を「ありうるもの」として読者に認識させる。キャンピオンが結末で妻と子が待つ田舎(『甘美なる危険』(1933)のあの水車小屋の近くのコテージだ)へと向かい、飛行場を見張る歩哨に呼び止められるのは示唆的である。それはキャンピオンにとっての「理想と現実」の境目だったのかもしれない。
 本書の米版が出たのは1945年3月ということだが、おそらく英版はそれに先立って出ていたと思われる。つまりアリンガムがこの本を書いていたのはそれ以前のはずだが、「目下の重要な問題は、戦争ではない」「もっと大きな危害を社会に及ぼす、たちの悪い犯罪がほかにある。裏切りだ。(中略)ある一つの世界でうまく立ち回っているかと思うと、また別の世界でも幅を利かせている。真に重要なものが何か分かっていないんだ」というオーツの発言は異様なリアリティで響く。カーが、あるいはクリスティがこの時期に何を書いていたか、そこで何を描いていたかを考えるとアリンガムの「現実」を見る眼の確かさに身が震える。
 
検屍官の領分 (論創海外ミステリ)

検屍官の領分 (論創海外ミステリ)