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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

Re-ClaM Vol.1 サンプル② [翻訳] Martin Edwards "Introduction"

deep-place.hatenablog.com

11/25の第27回文学フリマ東京で頒布予定の翻訳ミステリ評論誌「Re-ClaM Vol.1」について、第二回目の本文サンプル紹介を行いたいと思います。今回は、マーティン・エドワーズが『探偵小説の黄金時代』(2015)に続いて世に問うたミステリ評論本 The Story of Classic Crime in 100 Books (2017) の "Introduction" より、前半3分の1を公開いたします。エドワーズの熱烈なクラシック・ミステリ愛を、しかし静かに語りだす名序文であると思います。こちらもぜひ翻訳が出ることを期待しています。

 

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序文

 

本書において私は、20世紀の前半に刊行された犯罪小説についてお話ししたいと考えている。犯罪小説とは、読者の意表を突く物語である。この広く愛されたジャンルの多様性は息をのむほどで、それは多くの評者が示してきたものよりもさらに深い。このことを提示するため、私は100冊の本を事例として選び出した。それらの本は、あの時代に最も人気があったジャンル・フィクションの到達点であり、時に限界をも示すだろう。探偵小説の第一義は読者を楽しませることだが、それは同時に人間の在り様に光を投げかけ、文学的な野心や完成度をも表現し得る。また、現代の数多くの読者が古典的な犯罪小説を受容し続けている理由についても考える必要があるだろう。経済的な理由で書かれたと率直に言われている気取りのない探偵小説でさえも、現代の読者に過去を知るための手がかりを、そしてその不完全さゆえに未だに魅力的であり続けている、既に消え去ってしまった世界への洞察を与えてくれる。

本書は、国際的に評価を受けている「ブリティッシュ・ライブラリー・クライム・クラシックス」の副読本として読者に供されることを企図している。このシリーズで復刻された長く忘れられていた作品群は新たな読者層を獲得した。いくつかの作品はベストセラーランキングにも登場し、高い評価を受けている現代のスリラー小説にも匹敵する売り上げを叩き出している。過ぎ去った時代へのノスタルジーはその売り上げの一因かもしれない。しかし、これらの作品が、イギリスのみならずアメリカ合衆国、そして世界中で受け入れられたその主因をこの点に求めるのは正しいことではないように思える。この成功の理由は、ツイストの利いたプロットを軸に描かれるこれらの読んで楽しい小説が読者を驚かせ満足させたことに求めるべきだろう。

ところで、「クラシック・クライム」という用語を我々はどのように定義するべきなのだろうか。この用語は、古いミステリに再び命を与えようとした版元によって、長年の間繰り返し用いられてきた。しかし現代までに、これらの取り組みのほとんどが潰え、注目を集めることは少なくなった。しかし、出版における流行もまた、他の物事と同じように移り変わる。「ブリティッシュ・ライブラリー・クライム・クラシックス」、そしてそれに続く版元の出版活動によって、読者は以前には見つけ出すことが難しく、またついに見つけたとしても手の届かない値段であった、古めかしい探偵小説を何十冊でも容易に手に入れることができるようになった。

本当のところ、「クライム・クラシック」とは、「ヴィンテージ・クライム」と同じように、広範な意味を許容する用語である。この簡易なラベリングは作品の文学的な質を保証するものではないし、物語の中にパズルが含まれていることはこのジャンルの際立った特徴という訳でもない。しかし、ある本を「クライム・クラシック」の名で呼ぶ利点としては、遠い昔に書かれたという事実以上の価値を読者に確かに提供してくれること、そして何十年もの間に積み上がった曖昧さを削り取ってくれるかもしれないということである。この特別な何かとは、筋立て、登場人物、舞台設定、ユーモア、社会的または歴史的な特性、あるいはそれらを混ぜ合わせた物を指すことだろう。犯罪小説とは門戸が広く開かれた教会であり、その広さは世界に対してもアピールし得るものなのだ。

さてこの本において、私は「クラシックな」犯罪小説という用語を1901年から1950年までの間に刊行された長編小説、また短編小説集―何らかの理由で現代の探偵小説愛好者にとって特別な興味を惹き付け得ると思えるような作品―を指す物として定義する。「ブリティッシュ・ライブラリー・クライム・クラシックス」は、実際にはもう少し広いスパンでこの用語を捉えているが、上記の目的を果たす上では20世紀の上半期に視線を据えるというのは意味のあることだろう。ブリティッシュ・ライブラリーは古典的なスリラーのシリーズも刊行しているが、今回は特に犯罪小説(この中には多くの推理小説が含まれるが、いくつかの作品では推理を物語の中心に据えることをしていない)に注力したい。「推理小説」と「犯罪小説」、あるいは「犯罪小説」と「スリラー」の違いについての議論を始めるときっと永遠に終わらないだろうが、この本においてはこういった厳密な用語の定義には拘らないつもりだ。純粋主義者のいくらかは苦い顔をするかもしれないが、「ミステリ」という用語を必要に応じて「犯罪小説」の代わりに用いることにする。犯罪小説作家としての変名が良く知られているならば、本名の代わりにこれらを優先的に用いる。「クライム・クラシック」の中には複数のタイトルで刊行されたものもあるが、より状況に適したものを私の方で選んで用いることにした。こういった些細な点を重んじ過ぎることによって、全体を概観する目的から外れてしまっては元も子もない。

本を選定するにあたっては、ジャンルの発展の歴史を表現しようという私の目的に適う作品を優先的に取り上げた。また、謎の解明に直結するようなネタバレは可能な範囲で避けるようにしている。推理小説作家としてもよく知られたアカデミシャン、マイケル・イネスはロンドン・レビュー・オブ・ブックスの1983年5月号でこう書いている。「(推理小説を表しようと思うならば)構造的に、物語の核心を暴き立てることでしか批判的な議論をすることはできない。」 しかし、私はこの考え方には与しない。私と同様多くの読者もまた、驚きの機会を損失することを好まないであろうから。

この項目について私が強調したいのは、「昔の探偵小説」にもっと気軽に興味を持ってもらいたい、そのために広報活動をしていきたいと考えているということだ。私がこの本を書き始めた時に考えていたのは、このジャンルの作品を手広く読んでいるマニアの方々だけではなく、むしろこのジャンルに不案内な人にこれらの本のこと(そしていくつかのトリビア)を知ってもらうことでその入り口を提供したいということだった。古典的な犯罪小説を楽しむ人は新しい発見をこそ好むものだし、そういう人たちがこの本をきっかけに新たな作品に巡り合えたなら、それは個人的にも好ましい。

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続きはぜひ、本書をお買い上げの上お読みください。もちろん、原書をお買い上げいただき、序文から本文へと進まれるのはさらに望ましいことです。ぜひどうぞ。

 

The Story of Classic Crime in 100 Books

The Story of Classic Crime in 100 Books