マージェリー・アリンガム『検屍官の領分』(1945)
論創海外ミステリ、2005年刊
原題: Coroner’s Pidgin
第二次世界大戦末期(1944年前後?)が舞台。大陸での数年間の秘密任務から解放され久々に英国の土を踏んだキャンピオンがロンドンのフラットでのんびり風呂に入っていると、従僕にして友人のラッグが、カラドス夫人とともに女性の死体をかついでやってきた。邸宅に侵入して自殺した女の死体をしばらく隠したいと説明する夫人に不審を抱きつつも、予定通り休暇に入りたいキャンピオンは敢えてこの事態を看過する。ところが彼は駅に向かうタクシーの中で不可解な誘拐に遭い、結果的に事件に巻き込まれてしまう。
本作は『反逆者の財布』(1941、原題: Traitor’s Purse)以来4年ぶりとなる長編である(『反逆者の財布』は創元推理文庫で1962年に刊行されたが、現在は入手困難)。『財布』のラストで秘密任務に旅立ったキャンピオンが数年ぶりにロンドンに帰って来たところから物語は始まる。「キャンピオンやオーツが記憶を失う」という前作の衝撃的な展開は、本作の中でも印象的に語られている。
『検屍官の領分』の構造は単純なようで複雑だ。キャンピオンが取り組むべき謎は二つ提示される。一つは「自殺した女」モペット・ルイスの死の謎、もう一つはここ数年ロンドンで起きている、空襲から疎開させた荷物(特に美術品)の組織的な盗難事件である。両者は複雑に絡み合い、最終的にその責任の所在はある一人の「犯人」へと収斂されることになる。
ところが、キャンピオンはこれらの謎を解き明かすための「捜査活動」、たとえば聞き込みなどを積極的に行わない。なぜならキャンピオンは警察官でも私立探偵でもないからだ。観察力・推理力といった、それらの職業に必要な能力は十分以上に持ち合わせているが、あくまでも一介の私人、今回の場合はカラドス家の友人として事件に行き合わせることになる。結果的に「巻き込まれ型の素人探偵」と呼ぶほかないその立ち位置は、キャンピオンの不思議な存在感の薄さとも相俟ってミステリ史上においても独特の存在となっている。
本作におけるキャンピオンの行動の一例をあげれば、それらを行う十分に有能な刑事に同行する、あるいは刑事たちの入り込めない「家族の団欒の場」に居合わせ、そこでの会話に耳を傾けるといった程度だ。彼はあくまでも「無色の傍観者」である。その点で、ドロシー・L・セイヤーズの描くピーター・ウィムジイ卿とはかなり立ち位置が違う。彼は常々違和感を漏らしつつ、すべてのピースがピタリとはまる全体像を探し求めていく。残念ながらサスペンスの濃淡の盛り方にやや難があり、結末も鮮やかな解決と言いかねるので、不満を持つ人もいるかもしれない。
さて、警察の捜査は、「大戦の英雄」ジョニー・カラドスへと絞り込まれて行く。ジョニーの存在は本作の要である。「ぼくは二つの世界に住んでるんだ」と語る彼の内面はほとんど描かれないが、その根源にあるのは「戸惑い」ではないかと思う。戦争を機に失われてしまった「美しい理想」。それはエドワード朝風の「上流階級意識」であり、「伝統」であった。戦前までは「理想の世界」の住人でいられたジョニーは、いまや現実との間で真っ二つに引き裂かれた。この「理想と現実の乖離」こそが本作のテーマだ(それを、ゲーム性と虚構性に支えられた「ミステリ黄金時代」の終焉へと敷衍するのは牽強付会だろうか?)。さらに言うならば、作中人物たちがジョニーを「未だ理想の世界の住人である」かのように扱う/あるいはそう思っているかのように見せかけるという点もまた、この作品のトリッキーさを際立たせている。
ところで、第一次世界大戦で失われず、第二次世界大戦で失われた(と人々が捉えた理想的な)ものとはなんだったのか……「芸術や美酒」(それは伝統であり、理想的な世界に無くてはならないもの)を守るためにあえて犯罪に身を染めた真犯人、あるいは戦争という「現実」に向かい合うため(あるいはそれは理想が失われたことからの逃避ではなかったか)に終盤再び戦場へと旅立つジョニー。アリンガムの鋭い筆先はこういった世界への向き合い方を「ありうるもの」として読者に認識させる。キャンピオンが結末で妻と子が待つ田舎(『甘美なる危険』(1933)のあの水車小屋の近くのコテージだ)へと向かい、飛行場を見張る歩哨に呼び止められるのは示唆的である。それはキャンピオンにとっての「理想と現実」の境目だったのかもしれない。
本書の米版が出たのは1945年3月ということだが、おそらく英版はそれに先立って出ていたと思われる。つまりアリンガムがこの本を書いていたのはそれ以前のはずだが、「目下の重要な問題は、戦争ではない」「もっと大きな危害を社会に及ぼす、たちの悪い犯罪がほかにある。裏切りだ。(中略)ある一つの世界でうまく立ち回っているかと思うと、また別の世界でも幅を利かせている。真に重要なものが何か分かっていないんだ」というオーツの発言は異様なリアリティで響く。カーが、あるいはクリスティがこの時期に何を書いていたか、そこで何を描いていたかを考えるとアリンガムの「現実」を見る眼の確かさに身が震える。
- 作者: マージェリーアリンガム,Margery Allingham,佐々木愛
- 出版社/メーカー: 論創社
- 発売日: 2005/01
- メディア: 単行本
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