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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

第七回:ジュリアン・シモンズ『犯罪の進行』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

○タブーワードを言わないで

咲: 引き延ばしも限界なので、そろそろやりたいと思います……。今回はジュリアン・シモンズ『犯罪の進行』(1960)です。

姫: ある単語、あるいはそれに類するキーワードを可能な限り使わない、という方針で対談を行います。

咲: 余計な流れを作ると思わず言いそうなので、即あらすじに移るけど、いいよね?

姫: いいとも〜(棒

犯罪の進行 (ハヤカワ・ミステリ 677)

犯罪の進行 (ハヤカワ・ミステリ 677)

咲: 主人公のヒュー・ベネットは地方新聞『ガゼット』の若手新聞記者だ。華やかなジャーナリズム業界に憧れつつも、都会に打って出るチャンスなどないまま地元にくすぶっている。ところが、ガイ・フォークス・デイのお祭りで取材に行った時に殺人事件に出くわしたことがきっかけとなって、彼の人生は大きく動き始める。

姫: 殺されたのは町の顔役で日ごろから口うるさく青少年の指導に当たっていた男。犯人は彼と確執があった不良の少年たちだったが、現場の暗さから彼らの中の「誰が」殺したのかということが、よく分からない。その中でもとりわけ怪しかったのが、一味のリーダーで「キング」と呼ばれるジョン・ガーニー、そして彼の忠実な部下で純真な少年のレス・ガードナーだった。

咲: ヒューの書いた記事を読んだロンドンの新聞社『バーナム』の編集長は、飲んだくれだが切れ者の記者、フランク・フェアフィールドを送り込み、また『バーナム』全体でレスの弁護を引き受けるとの声明を発する。フェアフィールドと行動を共にするうちに、ヒューの中で何かが変わっていく。何かがおかしいと思いながらも、口に出せぬままに。

○何も語ることがないんじゃないかと不安です

姫: この作品のメインテーマは「新聞報道は、犯罪事件にどのような影響を及ぼすか」という点ね。それを、まだ自分の「報道」に理想を持っている、青臭い事件記者の立場から描いたのが印象的だったと言えるのかも。時代も1960年でしょう。今書かれてもまったくおかしくない、(当時としては)極めて先進的なテーマよね。

咲: はー、上手いこと言うね。そういう観点から言えば、起こる事件は必ずしも「少年犯罪」でなくても良かった。ただしこのサブテーマの持っている、犯人自身の社会的立場だけでなく、親や兄弟姉妹も否応なく巻き込まれていくという特性を考えると、話を違和感なく広げるのにもってこいだったのか。

姫: うううううううううう……もう語ることがありません。

咲: だからこういう頭でっかちな作品はやりたくないんだよなあ。シモンズが、ミステリの歴史を考える上で、まず外せない重要な研究書『ブラッディ・マーダー』(新潮社)を物しているのはご存じの通り。シモンズ先生曰く「『探偵小説』は『犯罪小説』に移り変わっていく」ものらしい。といいつつ、このどちらも明確な定義を避けているのがずるい、と言えばずるい。まあ、分類に意味はないんだろう、多分。

姫: 18世紀に書かれたウィリアム・ゴドウィン『ケイレブ・ウィリアムズ』国書刊行会)を「犯罪小説」の嚆矢として、「探偵小説」の開祖ポーと対置する、という広い視野は面白いけれど。『ケイレブ・ウィリアムズ』については、先日復刊した由良君美『椿説泰西浪漫派文学講義』平凡社ライブラリー)に詳しいので、興味のある向きはご一読を。

咲: 「探偵小説」は社会の秩序を追認するが、「犯罪小説」は社会の矛盾を批判するという大雑把な定義だけど、言いたいことはだいたい分かる。しばらくの間完全に停滞してしまった英国ミステリ界に絶望しつつ、米国ミステリ界の新たな光に目を凝らし続けたシモンズはカッコいい(時評的内容は非常にグッド!)んだけど。

姫: 今回の『犯罪の進行』は、シモンズの定義で言うところのずばり「犯罪小説」だわ。少年犯罪の温床を生み出してしまう街のスラムの問題、「ブル新(ブルジョア新聞?)」を目の敵にし、みるみる矛盾だらけの発言しかしなくなっていく「労働者階級」に凝り固まった父親、売り上げのためにはあらゆる方法で事件を利用しようとする新聞、歪んだ社会の縮図みたいな物語ね。

咲: この作品の最大の弱点は、この「社会の縮図」が単なる社会の醜悪なミニチュアで終わっている点にある。シモンズ自身には、この「いかにもありそうな骨格」に皮や肉を付けて、波乱万丈の物語に仕立て上げるような、そんな技術(も意識)がないんだ。それこそ、宮部みゆきでも呼んでこいという感じ。

姫: そうね。たとえば犯人の一人レスは、ボスの青年ガーニーを一種のカリスマとして崇拝していて、彼の言うことであればどんな命令でも聞いてしまう。レスの心の動きを描く上では、作者にとっても読者にとっても、ガーニーを理解することが必要不可欠なんだけど、シモンズはそこにはほとんど筆を割いていない。むしろ、生意気で小汚い青年だ、みたいなことを書いて、そのカリスマ性をえぐり取っているほどね。

咲: ヒューの身近の人物にしても、例えばフェアフィールドのどこがそこまでヒューの心をひきつけてやまないのかという点については、一切説明がない。シモンズにとってはマクロな視点こそが重要で、一人一人の人物をミクロな視点でじっくり掘り下げるというようなことには関心がないらしい。

姫: むしろ細部、一人一人の人間の心の動きから社会の歪みを彫り出して行くような小説は「書かなかった」と。

咲: いや、「書けなかった」んじゃないかな。それこそ、実力不足って奴で。


○シモンズ先生のハードなユーモア、あるいは社会派小説の雄?

姫: ジュリアン・シモンズの特徴の一つで極めてドライなユーモア精神というのを聞くけれど、この作品においてはその点はどうかしら。

咲: どうせ話すこともないし、ちと検討してみようか。一点、着目すべきは、主人公のヒューが物語の流れを変えられない、受け身のキャラクターであるということだ。彼はあくまでも傍観者。物語がいい方へ悪い方へとゆらゆら動くのを見守ることしかしない。そんな彼が主体的な、しかし恐ろしく曖昧な行動に出る極めて珍しいシーンが、裁判で証人として登壇するシーンである。

姫: ヒューは犯人の姿を目撃したかもしれない証人なのに、突然事前の打ち合わせと違うことを言いだすの。しかも嘘をつくのではなく、むしろ正直に「実はよく分かりませんでした」と述べる。もちろん議場は大騒ぎ。あまりの事態に新聞の売り上げが伸びて、「よくやったじゃねえか、うちの新聞に来る?」とロンドンの新聞社の偉い人からお褒めの言葉をいただくほど。

咲: こういう悪趣味なやり方や、地方新聞のボンクラ記者どもの大新聞社批判、あるいは都会の切れ者記者が見せるシニカルな発言の数々は、当時のジャーナリズムのあり方とかそういうのを考えさせるんじゃないかなあ。いわゆる「社会を描く」って奴で。

姫: でもそれはええと、ユーモア?

咲: ブラックユーモアともいう。

姫: え……あー、なるほど……。

咲: というような感じの、なんとも言えない滑り感がシモンズのユーモア精神(笑)の持ち味なんじゃないかと思う。クリスピンのスラップスティック、イネスのシックジョークくらいは余裕で笑える、英国渋笑いをたしなむ俺でも、口元ひくつくぐらいしか笑えんかった。

姫: ユーモアのつもりで書いてるのかなあ。私には分からない。ブラックというか、普通にイヤな話じゃない。少なくとも面白くはないでしょ。

咲: 少なくともこの作品の中に、これより面白いシーンなかったよ。

姫: 感性が合わないのはさておき、『犯罪の進行』がシリアスでドライな社会派小説なのは間違いないわね。

咲: ア×ホ×ルで無味乾燥な小説だってのは賛成だな。


姫: 今回は短めだけど、こんな感じでいいかしらね。『犯罪の進行』のいいところがまるで見えてこない、迷走レビューだけど。

咲: だって仕方ないじゃないか。 小理屈に走ったつまらない作品で、当時のジャーナリズムの実態に触れられる貴重な資料とか気取ってみたい人を除けば、いまさら読む価値はほとんど見出せない んだから。

姫: 最後で台無しね……。あ、由良先生の『椿説泰西浪漫派文学講義』は本当に面白い評論集なので、『犯罪の進行』を読むくらいなら、こちらを読んで下さい! ガチで。


咲: 次回はJ・J・マリック『ギデオンと放火魔』です。
姫: またもイギリス勢……どこまでこの勢いが続くのか。乞うご期待。

(第七回:了)


椿説泰西浪曼派文学談義 (平凡社ライブラリー)

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ブラッディ・マーダー―探偵小説から犯罪小説への歴史

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