深海通信 はてなブログ版

三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

本を読んだら書く日記20181204|マージェリー・アリンガム『殺人者の街角』

文学フリマ以降本を鞄に突っ込んでも読めない日が続いていたが(主にソシャゲが原因なので言い訳の余地がない)、ようやく指針が立ってきた印象。

ということで諸事打ち合わせをしに表仕事は半休を取って神保町へ。はい、Re-ClaM Vol.2の特集関連です。企画は通りましたので、執筆者が集まれば何とか出せそうです。

2時間ほど話をして疲れたので、適当に古本を眺めてから帰る。以下購入本。

ヴィクター・カニング『隼のゆくえ』(新潮社)\200

石沢英太郎『ブルー・フィルム殺人事件』講談社文庫)\400

『隼のゆくえ』は探すともなく探している児童書シリーズの最終作。一冊目のチーターの草原』もそのうち見つけたいものだ。カニングは『溶ける男』『QE2を盗め』しかまだ読んでいないが、なかなかいいスリラー作家なのでもっと読まれてほしい。石沢英太郎はボチボチ収集中。

---

マージェリー・アリンガム『殺人者の街角』(論創海外ミステリ)を読んだ。

検屍官の領分』(1945)、『葬儀人の次の仕事』(1949)、『霧の中の虎』(1952)、『殺人者の街角』(1958)と作者の戦後の作品を読んでいくと、そこには一種の「郷愁」というか、今はもう遠くなってしまった「戦前」の世界を振り返るような作者の姿勢が見て取れる。ただそれは「昔は良かった」「それに比べて今は~」という「感傷」とはまた違うものかもしれない。(『霧の中の虎』と『殺人者の街角』の間の未訳作 The Beckoning Lady は、キャンピオンが小さな村で起こった殺人事件の謎に挑む話だそうだが、これもまた一つの「郷愁」と読める)

さてこの作品では、例えば当座のちょっとした借金を返すためにいとも気軽に強盗殺人を行う「殺人者」(他にも明らかになっていない複数の殺人事件の犯人である)ジェリーの肖像が物語の中心に据えられている。小綺麗にしていて金離れのいい彼はロンドンの様々な立場の人々に知られているが、彼らは実は用心深い彼のことをほとんど知らない(彼は名前さえ、状況に応じて微妙に異なる偽名を使い分けている)。この物語では、ジェリーの正体を知らないまま、お人よしにも世話をしている老女ポリーのところに、田舎から親類の女の子がやってきた「ある一日」の出来事が描かれる。ポリーは、一歩間違えばゴミ箱送りの骨董品を集めた「博物館を経営している」(ごみ屋敷に暮らしている)女性で、彼女の古き良き善良さとジェリーの「サイコパス的な悪」(それは「戦後」に特有のものかもしれない)は対比的に描かれている

本作のハイライトは、大詰めの場面で訪れる「対面」のシーンである。『霧の中の虎』を読んだ人は、恐るべき犯罪者「虎」と神父とが対面するシーンを思い出すかもしれない。アリンガムは「対極の立場にある者を闇の中で対峙させる」手癖があり、そこでその人間たちの感情を、そして本性を迸らせる。己の欲を満たすため他人を利用して憚らない、罪の意識など欠片もないジェリーは、どこかパトリシア・ハイスミスの「ヒーロー」トム・リプリーを思い出させる(シリーズ第一作リプリーは1955年の作品であり、アリンガムが読んでいた可能性ももちろんある)が、本作はアリンガムの目指す地点がハイスミスのそれとはまた違うことをまざまざと見せつけてくれる。それがどう違うかは、ぜひご一読いただき判断してほしい。

本作は1958年のCWAゴールドダガー次点(受賞作はマーゴット・ベネット『過去からの声』(論創海外ミステリ))だが、その高評価も納得の良作である。

殺人者の街角 (論創海外ミステリ)

殺人者の街角 (論創海外ミステリ)

 
霧の中の虎 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

霧の中の虎 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 
太陽がいっぱい (河出文庫)

太陽がいっぱい (河出文庫)

 

Re-ClaM Vol.1 サンプル③『マーティン・エドワーズ氏への10の質問』

最近本がまったく読めていなくて日記も停滞気味ですが、取り急ぎ同人誌の方の状況をお知らせします。

11月25日の第27回文学フリマ東京にお越しいただいた方、ありがとうございました。おかげさまで、新刊のRe-ClaM Vol.1 および委託販売のROM s-002 とも、オリジナル評論としてはかなり多くの部数を頒布することができました。Twitterなどでも、既に多くの方の感想を拝見しております。伏して感謝。

25日の17時以降、書肆盛林堂様にてRe-ClaM Vol.1 の通販が開始されています。一時的に品切れになることもありましたが、現時点でも購入することが可能です。まだお買い上げになっていない方がいらっしゃいましたら、ぜひご利用ください(ROM s-002 は元の部数が少なかったこともあり、既に完売となっております)。

seirindousyobou.cart.fc2.com

今回は、「マーティン・エドワーズとは一体誰か?」というところから分からない、という方のために、エドワーズが本誌のために応えてくれたインタビューの内容をご紹介します。氏がイギリスのクラシックミステリに精通している編集者であるのはもちろんですが、現代日本のミステリも含めて多くの本格ミステリに興味を持ち、広く紹介している書評家でもあります。我々日本の読者にとってもシンパシーを感じさせる彼の魅力をぜひ知って下さい。なお、「※」は、今回の記事用に追記した内容となります。

---

マーティン・エドワーズ メールインタビュー(2018年7月26日実施)

 

Q.01:あなたはいつ頃ミステリを読み始めましたか。また、最初に読んだミステリは何でしたか?

A.01:私が初めてミステリを読んだのは、9歳の誕生日を迎える少し前でした。その時読んだのがアガサ・クリスティー『牧師館の殺人』です。それ以来、私はこのジャンルに「ハマって」しまいました。

 

Q.02:逆に、あなたが最近読んだ作品のうち、印象に残っているものはどれですか?

A.02:アンソニーホロヴィッツThe Word is Murder です。非常にスマートな作品でした。

ホロヴィッツは本年カササギ殺人事件』創元推理文庫)が紹介された作家。その最新作が The Word Is Murder です

 

Q.03:あなたが今一番興味を持っている古典作家を教えてください。また、それはなぜですか?

A.03:注目している作家は多いですが、一人挙げるならリチャード・ハルでしょう。多様かつ高度に独自性の高い作品を書いた作家ですね。

※ハルについては『探偵小説の黄金時代』でも、『善意の殺人』や未訳の My Own Murderer などに言及していました。『伯母殺人事件』だけの作家ではありません。

 

Q.04:あなたが過去に編纂したアンソロジーのうち、気に入っているものを教えてください。

A.04:おやおや、随分と変わった質問をするのですね。私はこれまで、「ブリティッシュ・ライブラリー・クライム・クラシックス」に収録したものも含めて37冊のアンソロジーを編纂しました。その中でも英米以外の国で書かれた、他で読むのが難しい短編を集めた Foreign Bodies が気に入っています。

Foreign Bodies には、大阪圭吉「寒の夜晴れ」や甲賀三郎「蜘蛛」などが収録されています。

 

Q.05:「ブリティッシュ・ライブラリー・クライム・クラシックス」の中で、気に入っている作家・作品を教えてください。

A.05:アントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』です。素晴らしい作品ですし、今回の叢書に加えるに当たって私の方で新しい解決を書き下ろしたのも印象的でした。

 

Q.06:『探偵小説の黄金時代』を読んだ読者が次に読むべき、クラシックミステリの研究書は何だと思いますか?

A.06:私の The Story of Classic Crime in 100 Books を除くと(笑)、私が編集したドロシー・L・セイヤーズの書評集 Taking Detective Stories Seriously 、それからジュリアン・シモンズの『ブラッディ・マーダー』(新潮社)が優れています。

The Story of Classic Crime in 100 Books については、先日序文のサンプルをアップしました。ぜひ翻訳されてほしい本ですね。

 

Q.07:『探偵小説の黄金時代』で取り上げた作家のうち、特に思い入れの強い作家は誰ですか?

A.07:アントニイ・バークリーは、私にとって非常に重要な作家です。彼は精力的かつミステリアスな人物であり、本名/フランシス・アイルズ名義の両方でいくつもの素晴らしい作品を生み出しました。

 

Q.08:あなたは日本のミステリを読んだことはありますか。そのうち印象に残っている作品を教えてください。

A.08:日本のミステリにはいい作品がたくさんありますね。たとえば有栖川有栖『孤島パズル』や、夏樹静子『第三の女』などが思い出されます。その中でのベストは東野圭吾容疑者Xの献身かもしれません。ただ、一冊に絞るのは非常に難しいです。

 

Q.09:あなたの長編作品は残念ながらまだ日本語に翻訳されていませんが(短編はいくつか翻訳されており、雑誌で読むことができます)、読み始めるならばこの一冊というおすすめの作品を教えてください。

A.09:ハリー・デヴリンが主人公のシリーズは、古典的なフーダニットに近いスタイルなので楽しめると思います。特に、 Yesterday’s Papers などはその傾向が強いです。また、1930年を舞台にした単発のスリラー小説 Gallows Court が近日刊行の予定ですが、私自身も出版を心待ちにしています。

※この二作について、本誌でレビューを掲載しました。

 

Q.10:日本のクラシックミステリファンに一言お願いします。

A.10:私は、かねてよりディテクション・クラブの会長として、本格ミステリ作家クラブの皆さんと連絡を取り合うことを楽しんできました。いつの日か日本を訪れたいとも考えています。

私は日本語を読むことができませんが、密室の謎に関する素晴らしいイラストの本を持っています(訳者注:有栖川有栖の密室大図鑑』)。残念ながら文章の意味は分からないのですが、それでもなおとても楽しむことができました。

私は世界中のミステリ作家、ミステリファンが繋がりを持つことができれば素晴らしいと考えており、日本の皆さんとお話しする機会を持つことにも大変興味を持っています。私はこれからも日本のミステリを楽しく読み続けることでしょう。そしていつか、私の作品が日本語に翻訳されることを祈念して已みません。

エドワーズと、本格ミステリ作家クラブの関係については、芦辺拓「マーティン・エドワーズ氏の印象」を参照のこと。

カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)

カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)

 
善意の殺人 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

善意の殺人 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

 
Foreign Bodies (English Edition)

Foreign Bodies (English Edition)

 
The Poisoned Chocolates Case (British Library Crime Classics) (English Edition)

The Poisoned Chocolates Case (British Library Crime Classics) (English Edition)

 
ブラッディ・マーダー―探偵小説から犯罪小説への歴史

ブラッディ・マーダー―探偵小説から犯罪小説への歴史

 
孤島パズル (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

孤島パズル (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

 
有栖川有栖の密室大図鑑 (新潮文庫)

有栖川有栖の密室大図鑑 (新潮文庫)

 

第27回文学フリマ東京 ミステリ評論島の脅威

第27回文学フリマ東京も明後日に迫る今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

2階キ-27にてお待ちする予定の「Re-ClaM編集部」ではございますが、なんというか「これもう全然売れないんじゃないか」というマタニティブルーに悩まされているのが現状でございます。なにしろ両隣は「花嫁と仮髪 大阪圭吉単行本未収録作品集1」という超絶キラーコンテンツを有する「書肆盛林堂」様と、「季刊 島田商事」の目次が明らかにされても何がやりたいのかよく分からないが、なんとなく売れそうな感じがする雰囲気ミステリ評論(はやってない)サークル「シマダ商事」様な訳で……

「今回の文学フリマはミステリ評論島が熱い!」ともっぱらの評判ですが、実際チェックしてみると翻訳絡みだけでも既に二大巨頭が立ち上がっています。

ひえ~、1904年から05年にかけて雑誌に連載された「インドのホームズ」の短篇集が出るだって?!(もちろん本邦未紹介)ワッザ!

 モーリス・ルヴェルのオリジナル短編集が出るだって?!しかも「敢えて」田中早苗訳にテイストを近づけるように翻訳を調整しただって?!ワッザ!

各大学サークルさんも新刊を出すみたいだし、今回が初参加というサークル(いずれもワセダミステリ・クラブ出身だそうです)も二つ。(KSDは宣伝ツイートがない)

ジャンルは「文芸批評」ですが、見逃せないのが「二松学舎大学山口ゼミナール」(キ-17)さん。目次の充実度は圧巻の一言ですが、ツイートにサークル位置を載せないのは商売気がなさすぎやしませんかね。

今回の『新青年』研究会さんは増刊号ということで控えめ(来春が楽しみ)。

エディション・プヒプヒさんがキャンセルしてしまわれたのは大変残念。まあ、12月にレオ・ペルッツ『どこに転がってくの、林檎ちゃん』がちくま文庫で出ますから、そちらを楽しみにすることにしましょう。

他、「ウ」方面のミステリ創作島では大学サークル他が多数出店していますし、今回の文学フリマが大いに賑わうことは疑いなしでしょう。

これらの中で気に入った本があれば、ぜひ文学フリマに御参加下さい。そして、ついでに私の本も買っていってください。こちらの宣伝については、また明日。

 

本を読んだら書く日記20181117|松本清張『花実のない森』

ついに本を買っていない日の日記を書く……と言いたいところだが、また買ってしまっている。自重したい。

土曜日と日曜日は朝一からの仕事で、しかも途中の休みも全然ないので、まったく本を読めなかった。唯一本を読んだのは土曜の朝一くらいだった。今日の本はそれですね。延々仕事仕事、しかも肉体労働頭脳労働というより足でウロウロするのが仕事(もうちょっとましな言い方はないのか)なので、疲労感が半端ではなかった。

土曜は少しましだったので、ブックオフへ。この日程のこの時間では(ある事情につき)何もないだろうと思っていたが、大きなネタにぶち当たってしまった。

イーサン・ケイニン『宮殿泥棒』(文春文庫)

カール・ハイアセン『顔を返せ 上下』(角川文庫)d

カール・ハイアセン『ストリップ・ティーズ 上下』(扶桑社ミステリー)d

カール・ハイアセン『虚しき楽園 上下』(扶桑社ミステリー)d

ということで、ハイアセンラッシュである。まとめてみることの少ない作家なので、驚いて108円の本は一通りダブりで拾ってしまった。この中だと『虚しき楽園』は何年か前に読んだような……ハイアセンは好きだが、初期作はあまり手を付けていないので、そのうち読もうと思う。フロリダ半島のトンデモない連中がトンデモない大騒ぎを巻き起こす痛快コメディだが、作品の軸になっているのは、元新聞記者の作者の怒り。愛するフロリダ半島とそこの人々を食い物にする「ネズミー・ワールド」(僕はまだ命が惜しい)や悪い奴らを笑いのめしながらボッコボコにしてしまう作風は、癖はものすごく強いが個人的には大好物。

 

---

松本清張『花実のない森』(光文社文庫を読んだ。

去年新本格30周年」に対抗して新本格60周年」と題し松本清張の読書会をやったのだが、その際に参考図書として買いまくった100円の松本清張が収納の一大勢力になっているので、少しずつでも処分したいと手を付けた次第。代表作と言われることはない本だろうが、なかなか面白く読めた。

主人公の梅木隆介は変わりない日々の生活に倦んでいた。買ったばかりの車でのドライブ帰りに中年の冴えない男と美女の妙なカップルを乗せたことで彼は事件に巻き込まれていく。名も知らぬ美女の行方を追ううちに、彼は彼女が上流階級に連なる存在であることを知る。関係者を探る彼は、箱根の旅館近くで中年男が謎の怪死を遂げたことを知らされ驚愕する。

ストーカー男梅木の執念の追跡行を描く物語である。普通のサラリーマンである梅木が、「自分でも判然としない理由で」会社帰りに一軒一軒高級マンションを巡って彼女が出てこないか探ったり、恋人である女給の真弓に命じてホテルのメイドとして張込みをさせたりする(彼女は翻訳ミステリのファンだという設定がある)のは完全に異常だが、とりあえず作中それが問題になることは(あまり)ない。主人公が刑事や探偵ではないという倫理的に重要な点を除けば非常に丁寧な捜査小説で、「岩」という切符の切れ端を見て「これは岩国だ!」と瞬時に看破する以外は論理の不用意な飛躍もなく、お行儀のいい小品である。主人公がストーカーであるという点に目をつぶれば……

いや、目を背けてはいけない。本作はなかなか優れたストーカー小説なのだ。名前も知らない、妖しげな雰囲気を漂わせた美女を追うストーカーの、内面を彫り込むことなく行動のみでその異常さを匂わせていく清張の上手さには舌を巻く。それにしても、この作品は「婦人画報」に連載していたそうなのだが……問題にならなかったんですかね。

本作が映画やドラマになっていることは知らなかった(梅木は東山紀之だったそうな)。確かによく「松本清張ドラマ」ってやっているイメージだが、うちにはテレビを置いていないので特に最近のものについては詳しくは知らない。

 

本を読んだら書く日記20181116|島田荘司『切り裂きジャック・百年の孤独』

昨日twitterなどでも書いた通り、「Re-ClaM Vol.1」の印刷が仕上がったので盛林堂書房に取りに行った。ほぼ同時に到着したという大阪圭吉『花嫁と仮髪』(いかに大阪圭吉が人気作家とは言え、商業ではとても出来ない領域を商業並の規模でやってるド偉い仕事……まあ商業(論創社・戎光祥あたりか、万が一やるとしたら)がそこまでの極小規模でやっているという意味でもあるのだが)を献本いただく。ありがたい限り。文フリ前に感想を上げて宣伝しようかな。さらに、「ROM s-002」も届いていたので受け取ってしまう(実は昨日の昼時点で自宅に一冊届いていたという罠が)。こちらも文フリのブースで委託販売を行いますので、ROM会員ではないが欲しいという人は是非お求めください。

 

---

島田荘司切り裂きジャック百年の孤独』(集英社文庫を読んだ。あらすじは表4を引用する。

初秋のベルリンを恐怖のどん底に叩きこんだ娼婦連続猟奇殺人・喉笛を掻き切り、腹を裂き、内臓を手掴みで引き出す陰惨な手口は、19世紀末ロンドンを震撼させた高名な迷宮入り事件――切り裂きジャック事件と酷似していた。市民の異様な関心と興奮がつのる一方で、捜査は難航をきわめた。やがて奇妙な人物が捜査線上に現れた…。百年の時を隔てた二つの事件を完全解明する長編ミステリー。

19世紀末のロンドンと、百年後の西ベルリンとを対比させながら都市の姿を描きつつ、その中で流行する病理としての切り裂きジャック熱狂<フィーバー>」を明らかにしていく、社会学的実験の要素も併せ持つ短い長編。「皮膚」である都市の表層を切り裂いて、「内臓」である本質を凌辱する「ジャック」の所業が島荘の脳髄を刺激したものだろうか。いささか説明的な描写が多く、怪しげな「ミステリ・クリーン氏」が現在と過去の「切り裂きジャック」の謎をファンタジックな切り口から解き明かすシークエンスに移った瞬間の違和感はかなり大きい。

本作で描かれる異様な動機については、正直議論の余地がある(特に過去の「ジャック」については「何の根拠もないことをよくもまあ「当然の事実」のように手玉に取れるもんだ」と呆れる部分もある、それがまた島田荘司の魅力ではある訳だが)。しかし、深町眞理子の解説(の末尾)に辿りついた瞬間、すべての「ファンタジック」という感想がぶっ飛んでしまう。なるほど、これが島田荘司のやりたかったことか、と。この作品はある意味で、「×××× vs. ××××××・××××」だったのだ、と理解できた瞬間に、すべての不満は意味を為さなくなる。やられたね。そのためこの本は、深町解説アリの版でお読みになることをオススメします。(文春文庫がどうなのかは調べてないです)

 

切リ裂きジャック・百年の孤独 (集英社文庫)

切リ裂きジャック・百年の孤独 (集英社文庫)

 

Re-ClaM Vol.1 サンプル② [翻訳] Martin Edwards "Introduction"

deep-place.hatenablog.com

11/25の第27回文学フリマ東京で頒布予定の翻訳ミステリ評論誌「Re-ClaM Vol.1」について、第二回目の本文サンプル紹介を行いたいと思います。今回は、マーティン・エドワーズが『探偵小説の黄金時代』(2015)に続いて世に問うたミステリ評論本 The Story of Classic Crime in 100 Books (2017) の "Introduction" より、前半3分の1を公開いたします。エドワーズの熱烈なクラシック・ミステリ愛を、しかし静かに語りだす名序文であると思います。こちらもぜひ翻訳が出ることを期待しています。

 

---

序文

 

本書において私は、20世紀の前半に刊行された犯罪小説についてお話ししたいと考えている。犯罪小説とは、読者の意表を突く物語である。この広く愛されたジャンルの多様性は息をのむほどで、それは多くの評者が示してきたものよりもさらに深い。このことを提示するため、私は100冊の本を事例として選び出した。それらの本は、あの時代に最も人気があったジャンル・フィクションの到達点であり、時に限界をも示すだろう。探偵小説の第一義は読者を楽しませることだが、それは同時に人間の在り様に光を投げかけ、文学的な野心や完成度をも表現し得る。また、現代の数多くの読者が古典的な犯罪小説を受容し続けている理由についても考える必要があるだろう。経済的な理由で書かれたと率直に言われている気取りのない探偵小説でさえも、現代の読者に過去を知るための手がかりを、そしてその不完全さゆえに未だに魅力的であり続けている、既に消え去ってしまった世界への洞察を与えてくれる。

本書は、国際的に評価を受けている「ブリティッシュ・ライブラリー・クライム・クラシックス」の副読本として読者に供されることを企図している。このシリーズで復刻された長く忘れられていた作品群は新たな読者層を獲得した。いくつかの作品はベストセラーランキングにも登場し、高い評価を受けている現代のスリラー小説にも匹敵する売り上げを叩き出している。過ぎ去った時代へのノスタルジーはその売り上げの一因かもしれない。しかし、これらの作品が、イギリスのみならずアメリカ合衆国、そして世界中で受け入れられたその主因をこの点に求めるのは正しいことではないように思える。この成功の理由は、ツイストの利いたプロットを軸に描かれるこれらの読んで楽しい小説が読者を驚かせ満足させたことに求めるべきだろう。

ところで、「クラシック・クライム」という用語を我々はどのように定義するべきなのだろうか。この用語は、古いミステリに再び命を与えようとした版元によって、長年の間繰り返し用いられてきた。しかし現代までに、これらの取り組みのほとんどが潰え、注目を集めることは少なくなった。しかし、出版における流行もまた、他の物事と同じように移り変わる。「ブリティッシュ・ライブラリー・クライム・クラシックス」、そしてそれに続く版元の出版活動によって、読者は以前には見つけ出すことが難しく、またついに見つけたとしても手の届かない値段であった、古めかしい探偵小説を何十冊でも容易に手に入れることができるようになった。

本当のところ、「クライム・クラシック」とは、「ヴィンテージ・クライム」と同じように、広範な意味を許容する用語である。この簡易なラベリングは作品の文学的な質を保証するものではないし、物語の中にパズルが含まれていることはこのジャンルの際立った特徴という訳でもない。しかし、ある本を「クライム・クラシック」の名で呼ぶ利点としては、遠い昔に書かれたという事実以上の価値を読者に確かに提供してくれること、そして何十年もの間に積み上がった曖昧さを削り取ってくれるかもしれないということである。この特別な何かとは、筋立て、登場人物、舞台設定、ユーモア、社会的または歴史的な特性、あるいはそれらを混ぜ合わせた物を指すことだろう。犯罪小説とは門戸が広く開かれた教会であり、その広さは世界に対してもアピールし得るものなのだ。

さてこの本において、私は「クラシックな」犯罪小説という用語を1901年から1950年までの間に刊行された長編小説、また短編小説集―何らかの理由で現代の探偵小説愛好者にとって特別な興味を惹き付け得ると思えるような作品―を指す物として定義する。「ブリティッシュ・ライブラリー・クライム・クラシックス」は、実際にはもう少し広いスパンでこの用語を捉えているが、上記の目的を果たす上では20世紀の上半期に視線を据えるというのは意味のあることだろう。ブリティッシュ・ライブラリーは古典的なスリラーのシリーズも刊行しているが、今回は特に犯罪小説(この中には多くの推理小説が含まれるが、いくつかの作品では推理を物語の中心に据えることをしていない)に注力したい。「推理小説」と「犯罪小説」、あるいは「犯罪小説」と「スリラー」の違いについての議論を始めるときっと永遠に終わらないだろうが、この本においてはこういった厳密な用語の定義には拘らないつもりだ。純粋主義者のいくらかは苦い顔をするかもしれないが、「ミステリ」という用語を必要に応じて「犯罪小説」の代わりに用いることにする。犯罪小説作家としての変名が良く知られているならば、本名の代わりにこれらを優先的に用いる。「クライム・クラシック」の中には複数のタイトルで刊行されたものもあるが、より状況に適したものを私の方で選んで用いることにした。こういった些細な点を重んじ過ぎることによって、全体を概観する目的から外れてしまっては元も子もない。

本を選定するにあたっては、ジャンルの発展の歴史を表現しようという私の目的に適う作品を優先的に取り上げた。また、謎の解明に直結するようなネタバレは可能な範囲で避けるようにしている。推理小説作家としてもよく知られたアカデミシャン、マイケル・イネスはロンドン・レビュー・オブ・ブックスの1983年5月号でこう書いている。「(推理小説を表しようと思うならば)構造的に、物語の核心を暴き立てることでしか批判的な議論をすることはできない。」 しかし、私はこの考え方には与しない。私と同様多くの読者もまた、驚きの機会を損失することを好まないであろうから。

この項目について私が強調したいのは、「昔の探偵小説」にもっと気軽に興味を持ってもらいたい、そのために広報活動をしていきたいと考えているということだ。私がこの本を書き始めた時に考えていたのは、このジャンルの作品を手広く読んでいるマニアの方々だけではなく、むしろこのジャンルに不案内な人にこれらの本のこと(そしていくつかのトリビア)を知ってもらうことでその入り口を提供したいということだった。古典的な犯罪小説を楽しむ人は新しい発見をこそ好むものだし、そういう人たちがこの本をきっかけに新たな作品に巡り合えたなら、それは個人的にも好ましい。

---

 

続きはぜひ、本書をお買い上げの上お読みください。もちろん、原書をお買い上げいただき、序文から本文へと進まれるのはさらに望ましいことです。ぜひどうぞ。

 

The Story of Classic Crime in 100 Books

The Story of Classic Crime in 100 Books

 

本を読んだら書く日記20181114|マーティン・エドワーズ『探偵小説の黄金時代』途中

次第に「本を買ったら書く日記」になっているような……

振替休日のため、朝からだらだらと過ごしてしまう。マーティン・エドワーズ『探偵小説の黄金時代』を読んでいたはずだが、うとうととして寝落ち。気が付くと12時という体たらく。早稲田の青空古本市に行くつもりだったような気がしたが、思うところあって上石神井へ。先日行った時にはチキンカレーが品切れだった「analog.」さんで、チキンカレーとジャパンカレーのあいがけをいただく(主目的)。もちろん美味しいのだが、チキンよりもジャパンの方が好みでしたね。。。

ついでにブックオフ。とはいえ、特に買うものも見つけられず。何も買わずに出るのは業腹なので、取り急ぎこんな本を確保。なぜ新刊時に買わなかったのか……

ジョン・コリア『予期せぬ結末1 ミッドナイト・ブルー』(扶桑社ミステリー)

それにしても、ブックオフで「将太の寿司」を見かけなくなった。twitter上のブームは一過性のものでなく本物なのかもしれんぞぉ?(いや、どう考えても一過性だが)

帰りはテクテク歩いていくことにする。徒歩1時間ほど。帰り道にまったく古本屋がない(知らない)ので、上井草でサンライズのビルを眺めたりする虚無的な徒歩旅行となったが、たまには悪くない。気になる寿司屋など見かけたので、次はこの店に行ってみたい。

古本ツアー・イン・ジャパンのサイトで知っていた鷺宮の古本屋「うつぎ書房」が開いていたので、初めて入店。「開いていた」といっても、16時過ぎの既に薄暗い時間にもかかわらず明かりはついておらず、店頭の均一が出ていたので判断できたレベルだが。「お前入ってくるなよ」オーラを露骨に醸す店主のお爺さんに「すいません、見るだけ見たら出ていきますから……」とテレパシーを飛ばしつつパッと見ていく。う~~~~ん、買うものがない。翻訳ミステリは絶無でした。

くさくさしたので、近場の町の古本屋さんで均一をピックアップ。網羅的な蔵書リストを作ったことで、ダブり本を引く可能性が激減したので、気楽に本が買えますね。(え?)

天藤真『鈍い球音』(創元推理文庫

北森鴻『緋友禅』(文春文庫)

天藤真は実家にあるはずだけど、今読む用のつもりです。つもり貯本。

 

---

昨日twitterで書いた『探偵小説の黄金時代』の二箇所の誤訳について。間違いの内容と想定される経緯、その他諸々を以下に書き留めておく。なお、邦訳書では、140ページ前後が該当箇所となる。

1. Martin Edwards, The Golden Age of Murder, 2015 の第11章 Wistful Plans for Killing off Wives で、エドワーズはバークリーの中編のタイトルを "The Mystery of Horne's Corpse" と記した。これは正しくは "The Mystery of Horne's Copse" である。(典拠は、ロビンソンのビブリオおよび「補足2」で示したアンソロジー収録の実作の2点)

訳者は上記の誤植に気づかなかったようで、正しくは「ホーンの森の謎」と訳すべきであった箇所を「ホーンの死体の謎」と誤訳してしまった。(copse は、「雑木林」程度の小さな森を指す)

2. エドワーズは同中編にピーターズという detective が登場することを指摘。この名前は、A・D・ピーターズという彼の文芸エージェントにして、二番目の妻ヘレンの前夫から取ったものであるとエドワーズは書いている。

訳者はこの detective という単語を「探偵」と訳したが、本作はシェリンガムが探偵役を務める作品で、ピーターズは結末付近で紹介される「刑事」の一人にすぎない。これは実作を確認していれば防げた誤訳である。

補足1:ちなみに本作は、ロンドン近郊の領地に小さな屋敷を構える小貴族ヒュー・チャペルが、森の中で何度も「同一人の死体」を発見したと報告して正気を疑われるという物語であり、シェリンガムはチャペル家をめぐる邪悪なトリックを打破する。件のピーターズは、無実にもかかわらず殺人の容疑者となったチャペルが、シェリンガムの依頼で許嫁とともにイタリアに渡って証拠を探す際の護衛兼見張りとして、密かに尾行していた人物である。

1931年に地方新聞に連載され、近年再発見されたこの中編は、「自分の私生活を小説に仮託する男」というエドワーズが提示したバークリー像が非常によく表れた作品とも読める。シェリンガムの学友の一人だというチャペルは自身の理想の姿かもしれない。若く美しく勝気な許嫁シルヴィアはA・D・ピーターズの妻ヘレンかもしれない。二人の秘密旅行を尾行する刑事はピーターズかもしれない。大学でも軍隊でも不品行により落ちこぼれるいとこのフランクは、「フランシス」という名前からするとこちらも自分自身かもしれない(あるいは「優秀な」弟を貶める目的か?)。とすると、男を食い物にするフランクの妻ジョアンナは前妻マギーかもしれない(ジョアンナは「身持ちの悪い一族の出」と説明される、これは復讐か?)。うへぇ、バークリー本当に気持ち悪いな……

ここまでエドワーズが仔細に説明してくれていれば「誤った解釈」をする可能性もなかったと思うのだが、そこまでの紙幅はなかったらしい、という話。

補足2:なお、 "The Mystery of Horne's Copse" は、エドワーズが編纂した大英図書館のアンソロジー Murder at the Manor (2016) に収録されたので、簡単に読めるようになっている。訳者がこれを読んでくれていれば良かったのだが……是非もないネ?

蛇足:どうでもいいことだが、三門はこの中編を翻訳して「私訳:アントニイ・バークリー短編集」に収録しておりましてね……で、実は訳者の一人である森英俊氏にこの同人誌を進呈したんですよ、今年の春に……まあ、読んでないよなぁ。世界に100人といない入手者の皆様は、ぜひお読みいただければと思いました。

 

探偵小説の黄金時代

探偵小説の黄金時代

 

本を読んだら書く日記20181112|戸川昌子『緋の堕胎』

特に日記に書くことがなくなりそうだったので、古本を買いに行った。

新橋のSL広場の古本市が初日だったので、終業後に参戦。18時に到着して、18時5分に雨に降られるトラブルはあったものの、古本屋さんたちの粘り強い対応で、なんとかチェックを続けることができた。黒っぽい本の名残のようなものを感じさせるものの、大した本はなかった(ちょっと興味を持って調べ始めた日影丈吉『恐怖博物誌』(東都書房の実物が見られたのはよかった。壊れた匣付きで3,000円はネタで買うほどでもないが)。交通費の元くらいは取りたいとポケミスを中心に抜いてみる。

松本清張『誤差』(光文社文庫\100

日影丈吉『非常階段』(徳間文庫)\300

ウインストン・グレアム『幕が下りてから』(ハヤカワ・ミステリ、箱あり)\300

シャルル・エクスブラヤ『死体をどうぞ』(ハヤカワ・ミステリ)\200

『死体をどうぞ』200円は隙だらけ。ハリイ・ケメルマン『木曜日ラビは外出した』(ハヤカワ・ミステリ)\1500は買えばよかったかも。まあそのうちもっと安く見かけそうな気もするが。

 

---

戸川昌子『緋の堕胎』ちくま文庫)を読んだ。

中年女の(自覚的に)薄汚したセックス妄想が塗り重ねられた非常に悪趣味な本。みるみるエスカレートしていく妄念が一線を越えた瞬間に奇跡的な輝きを放ち始めることがあり、それはこの作家にしか書きえないものかもしれない。ベストは「塩の羊」、「蜘蛛の巣の中で」、「降霊のとき」。以下各作品紹介。

・「緋の堕胎」:妊娠7か月を超える妊婦の堕胎を生業にする医師が、どこまで追い詰められても自分の評判を気にしているみっともなさ、生き汚さが凄い。ある種の尊さを感じる。

・「嗤う衝立」:衝立の向こうで宗教団体の女たちからセックス奉仕を受ける重傷者を見て悶絶するオッサンの話。意外な目的が明らかになるオチがなければもっとよかったのだが。

・「黄色い吸血鬼」:精神薄弱の青年が「吸血鬼」に囚われ、定期的に血を吸われる話。寓話的な世界観がある瞬間に現実に戻る。戻し方があっさりしすぎていて、カタルシスもくそもないのは残念。

「降霊のとき」霊媒の助手をしている女が、乞われて霊媒の真似をしたら出来てしまった、というところから始まる奇譚。オッサンの霊に取り憑かれた(という体で)主人公がレズセックスを繰り返してしまうという物語の壊れっぷりがすごい。なぜか上手い具合にオチがつくが、若干取ってつけた感が否めない。

・「誘惑者」:吸血鬼ネタ②。これといった美点が見当たらない。

「塩の羊」モン・サン・ミッシェルを思わせる海辺の修道院で展開される美しくも歪み切った物語。現実と妄想の区別がゆるやかに溶けていき、どこからどこまでを信じて良いのか分からなくなる。羊の皮を被った女が海に消えていくシークエンスは不気味さと美しさを兼ね備えた凄まじい代物。

・「人魚姦図」:青年が水の中で人魚を追いかける描写など、筆の冴えを感じさせるシーンが多い。「意外さを感じろ」と押しつけられる結末は好きになれないが……

「蜘蛛の巣の中で」:子守を仕事にする中年女のセックス妄想が炸裂。ベタベタとした一人語りの不愉快さは特筆もの。蜘蛛の巣に絡めとられるように堕ちていくのは、女かあるいは読み手の我々か。

・「ブラック・ハネムーン」:東南アジアの島で現地人に輪姦される女の話。もう何が何やらだが、オチまで来て「勝手にしてください」という気持ちになってしまった。

 

緋の堕胎 (ちくま文庫)

緋の堕胎 (ちくま文庫)

 

本を読んだら書く日記20181110|パット・マガー『不条理な殺人』

翻訳ミステリー大賞シンジケートの千葉読書会(課題本:キャロル・オコンネル『氷の天使』)に参加した……が、時をしばし巻き戻す。

起きたのは午前3時(え?)。到底朝とは言えない時間だが起きてしまったものはしょうがないので、(読書会の本も読まずに)創元推理文庫の新刊であるパット・マガー『不条理な殺人』を読み進める。300ページくらいの本なのにいつまで経っても読み終わらないことに不条理を感じつつ、朝を迎える。

午前中は、今日封切りの映画「ビリオネア・ボーイズ・クラブ」を観に行った。もちろん読書会の本はほとんど読んでいない。タイミングを逸して朝ごはんを食べ損ねたので、映画館の近くのコンビニでおにぎりを買って食べる。一緒に映画館で飲む酒を調達。朝9時にコンビニでビールとつまみを買い込んでいるオッサンはきっと悲しく映ったことと思う。

「ビリオネア・ボーイズ・クラブ」について。シナリオは並だが、音楽は素晴らしかった。アンセル・エルゴートは(「クリミナル・タウン」は未見だが)「ベイビー・ドライバー」出演時と同様、ヘナチョコな犯罪者をやらせると妙に似合ってしまっている。彼が演じるジョー・ハントの綺麗な乳首が二回ほど見られるが、ヒロインは全力で隠されていた。ヒロインよりも語り手(ジョーの親友を名乗る軽薄男)よりもストーリーを食っているのが、ケヴィン・スペイシー演じるロン・ケヴィン。「詐欺師(ハスラー)」を自称する彼が、ジョーの計画を支援するように見えていつ腹を喰い破るか、ジョーがいかなる間抜け面を晒すかが本作の見どころとなっている。「実話に寄せた話」という枠をブッチ切れなかったのは残念だが、劇場で見ても損はないと思う。

さて、映画が終わって12時15分。昼飯を食べた後、新宿を出たのが13時。読書会は16時開始。それまでに100ページ読んだ課題本を読み切れるか……が問題だったが、結論から言うと、タイムアウト。まあ、千葉で「ビア・オクロック」に行き、二杯ビールを飲んだのが敗因だったような気がしなくもないが……

読書会自体はそのうちレポが上がるだろうから、多くは語らず。翻訳者の柿沼瑛子先生から、「早く『ウィンター家の少女』を読みなさいね。きっとあなた好きだから」とガッツリ推されてしまった。うーんそのうち読みます。少しでも還元しようと担いでいった不要新刊は半分くらい貰ってもらえた。私は猟奇の鉄人氏のダブり本コーナーから何冊かいただく。

エラリー・クイーン編『完全犯罪大百科 上下』創元推理文庫

エラリー・クイーン編『犯罪の中のレディたち 上下』創元推理文庫

コーネル・ウールリッチ『恐怖の冥路』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

その後、二次会でチーズ専門店に移動。お洒落な店だったが微妙に食い足りず……チーズって妙にお腹いっぱいになった気になってしまうのだよな。パット・マガー『七人のおば』の布教をしたら貰ってくれた大学生がいて、よかったなあという気持ちになりました。

---

パット・マガー『不条理な殺人』創元推理文庫)を読んだ。

義理の息子ケニーが書いた劇のタイトルが『ハムレット』を思わせる物であったため、10数年前に起こった実の父親レックスの死が本当は殺人事件で、彼はそれを目撃したのではないか(当時は自殺か事故と考えられていた)という疑いを抱いた義理の父親マークがそれを確かめるべく明らかに不慣れな現代劇に出演するという話。

ミステリとしてのポイントが絞り込まれるまでが非常に長いのはストレスフル。といっても、そのポイントを絞らせないことが作者の狙いだろうが。読み返してみると、実はこの作品は1930年代の某作に始まるあるジャンルに属していたことが分かるが、作者はそれを何とか隠そうとしていて、後半のある意外な展開(作中人物にとっての、だが)によって初めて、前半から播かれてきた疑惑の種が芽を吹き始めるように仕向けている。とはいえ、ジャンル的な挑戦が必ずしも良作を生み出してきた訳ではないことは、御承知の通り。本作のプロットは、残念ながら300ページの長編を支えられるものではない。

作中展開される不条理劇は「息子と父親の世代的/感情的断絶」を表しつつ、同時にそれに対して父親が働きかけることで絆が新たに生まれることを表現しようとしたもの(それは成長しない母親サヴァンナとの本来あると思われていた絆の断絶をも表している)だが、晩年のマガーが筆先をそういった方向に展開したのは意外だった(マガーの資質は明らかに、マークとサヴァンナが出演し続けてきた室内で展開されるユーモラスなロマンス(とそこに生じるサスペンス)だったのではないか)。

正直、これを読むなら論創で出た『死の実況放送をお茶の間へ』の方が楽しめるのではないか、と思ってしまった。

 

不条理な殺人 (創元推理文庫)

不条理な殺人 (創元推理文庫)

 
死の実況放送をお茶の間へ (論創海外ミステリ215)

死の実況放送をお茶の間へ (論創海外ミステリ215)

 

Re-ClaM Vol.1 サンプル① [Review] Martin Edwards Gallows Court (2018)

11/25の第27回文学フリマ東京で頒布予定の「Re-ClaM Vol.1」について、今日から毎週金曜日にサンプルを掲出していきたいと思います。

第一回の今回は、エドワーズの作家としての実力についてまずみなさんに知ってもらいたいということで、最新作 Gallows Court (2018) の魅力を語ったレビューを掲載いたします。ここから興味を持って、この作家の読者が増えるといいのですが。

 

---

1930年、ロンドン。

それは煤で薄汚れた、地獄の街。こんな夜に外に出かける女はいない。口にするのも躊躇われる凄惨な殺人事件が人々を、霧に包まれた大都会の街路から追い払ってしまったのだ。しかし麗しきレイチェル・セイヴァーネイク―悪名高き「首つり判事」の謎めいた令嬢―は尋常の女性ではない。スコットランドヤードを出し抜き「コーラスガール殺人事件」の犯人を告発した彼女は、新たな殺人者の痕跡を追って闇夜を駆ける。

スクープを求めるクラリオン紙の若き犯罪記者ジェイコブ・フリントは、素人探偵のセイヴァーネイク嬢を追っていた。彼の前にレイチェルを取材しようとした上司のベッツは交通事故に遭い、今も意識が戻らない。故意の殺人未遂かもしれないこの事件があっても、しかしがむしゃらなジェイコブは敢えて危地に飛び込もうとする。

レイチェルの目的や過去を探り出そうとする彼は、いつしか深い混沌の迷宮へと巻きこまれてしまう。殺人に次ぐ殺人の中で物語は、全ての始まりにして全ての終わりである古の処刑場、ギャロウズ・コートへと辿り着く。

 

戦間期のロンドンを舞台にした、ジェフリー・ディーヴァー張りのハイスピードスリラー小説で、マーティン・エドワーズの2015年以来3年ぶりの長編です。「黄金時代風の謎解き長編」を得意としてきた作者にとって新たなジャンルへの挑戦となった本作ですが、読者の予測を常に裏切る意外な展開を連発しつつも伝統的なミステリの味付けもしっかり利かせた、いわばハイブリッド型の作品として極めて高い完成度に到達していました。

読者の視点に近いジェイコブは、盤面の向こう側の見えざる敵とレイチェルとが戦うチェスの駒の一つであるかのように振り回され、度々奇禍に見舞われます。残酷な殺人犯たちを次々に破滅させていく(それも密室での不可解な自殺や公衆の面前での火刑といったド派手な形で)レイチェル自身もまた、ジェイコブの視点からすると冷酷なプレイヤー。一つ一つ拾い集めたパズルのピースを元に、最後にジェイコブが目にする「真実」は……とこれ以上は語るに及ばず、でしょうか。

さて、1930年の物語が進行するのと同時に、1919年の冬に、スコットランドのゴーント島という離れ小島に建てられたセイヴァーネイク判事の邸宅で起こった事件をジュリエット・ブレンターノという少女の視点から綴る日誌が少しずつ差し挿まれていくのも本書の構成の工夫の一つ。そこで描かれる恐るべき事実は終盤に現在の物語と合流するのですが、そこまで読み進めた時、この作品の懐かしさの理由が腑に落ちたような気がしました。2018年に出版され読まれる1930年の物語は、さらにその何十年も前、19世紀フランスのある大ベストセラーに根を持つものだったのです。これはね、カーですよ。カー。

著者が自信作として紹介するのも納得の娯楽作にして大傑作。英語は平易で非常に読みやすく、原書読みが不得手の私も400ページを一週間ほどで読めました。強くお勧めする次第です。

 

使用テキスト:Head of Zeus, 2018. (Kindle版)

---

 

次回はエドワーズの書評家としての実力を紹介するレビューを掲載予定です。お楽しみに。

 

Gallows Court

Gallows Court