深海通信 はてなブログ版

三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

だらだら雑記20130828【kindleストア徘徊編】

ここもと、仕事の合間に amazonkindleストアを徘徊している。
日本語の新刊書やコミックには目もくれずひたすら洋書の一覧を眺めているのだが、最近気づいたことがある。

kindleストアって、けっこうクラシックミステリを置いているんじゃないか?」
=「英米の出版社はクラシックミステリを比較的熱心に電書化しているのではないか?」

この現象によって、ことによれば未訳本絶版本が1000円程度で買える(ただし英語で読まなければならんのだが……)。これはなんとも画期的である。
10年15年前に中古の洋書を買いあさるのがどれだけ大変だったか、当時の人のweb日記を読むと感慨深いものがありますしね。
さらに、個人的には、「速さ」と「確実性の高さ」。これも嬉しい。何度かペーパーバックを買った経験はあるが、なかなか配送されない上に、「注文を受けたあとで配送不可になってキャンセル」という事態も少なくないのだ。だが、kindleならとにかく一瞬で買える。絶版が原則ない(配信停止はあるっぽいが)ので、欲しいものリストに放り込んでおいてしばらくしたら買う、というのもOK。いや、便利な世の中になったものだ(嘆息

今回は、個人的な備忘も兼ねて、実際どういう本が電書化されているのか、簡単に紹介したいと思う。

まずは超有名な出版社から。

Mysterious Press

ミステリー専門出版社ミステリアス・プレスは90年代に早川とタッグを組んだりしたこともあって、日本での知名度もまあまあという感じですが、ここ数年で電書ビジネスにも乗り出しています。どういう系列で繋がっているのかよく分からないけれど、OPEN ROAD というサイト(http://www.openroadmedia.com/)で、ミステリアス・プレスの本を売っています。
今月の新刊にメアリ・ロバーツ・ラインハートが13冊も入っている! 感動モノです。ジェイムズ・M・ケインとかウィリアム・G・タプリー(これはクラシックじゃないけど)とかもどかどか復刻している。
やや遡って、今年に入ってからの刊行物を見ていくと、ドナルド・E・ウェストレイク(タッカー・コウ名義含む)、スチュアート・パーマー(!)、スチュアート・M・カミンスキー、エラリー・クイーン、シャーロット・アームストロングなどなど、色々出してます。パーマーがほぼ全作入っているのに比べるとクイーンはまだまだ少ない(そもそもクイーンは現役本がほとんどない)のはアレですが、今後も頑張って欲しいですね。
ちなみに個人的要注目はクリスチアナ・ブランドが別名義で発表したロマンス小説。ミステリ色あるのかなあ。気になるなあ。

Harper/Collins

こちらもなんとなく名前だけは知っている有名出版社。特設サイトとかはないので、適当検索の結果だけお知らせすると……おおすごい。ナイオ・マーシュが全作品(自伝、死後編集の短編集含む)が電子化されています。値段を抑えた三冊組セット(kindleだと置き場所をとらないので単純に値下げだけ)も順次刊行されています。論創社や新樹社が予告しながらまだ出していない本はここから読みましょう。Death and the Dancing Footmanとかね。

Random House

そしてランダムハウス。武田ランダムハウスが無くなっちゃったのは残念でしたが、御本家は元気。主流文学もありながら、amazon新着にアーナルデュル・インドリダソンの英訳版やピンチョンの新作が上がってたりするのが、さすがという感じです。クラシックミステリもそこそこ入っていますよ。
まず、(まだ近刊未定扱いですが)グラディス・ミッチェルが今年の12月に一挙に電子化されますね……うちの書棚で、ランダムハウス版で何冊か待機してるんですけど。マージョリー・アリンガムも全作入ってますね……うちの書棚で(ry。あ、クリスピンもほぼすべてあります。


と、ここまで大出版社を三つ紹介したが、この電書化の波はむしろミステリ専門の小出版社にも有利に働いているのかもしれません。適当に拾っただけで結構ありますよ。

The Murder Room(http://www.themurderroom.com/)

専門出版社の中でも、サイトを見た限りでは割に手広くやっているようなのがこちら。青が捜査もの、紫がノワール、緑がスリラーという種類分けらしい。
最近出たものを見ていくと、ジョーン・フレミング(CWAのダガーを何度か獲っている作家)の長編が一通り復刻されているらしい(緑)。ドロシー・ユーナックも復刻した(青)。ハドリー・チェイスも順次進行中(紫)。マイケル・アンダーウッドとかジェフリー・ハウスホールドとか渋いな。
クラシックミステリに限って言うと、ジョナサン・ラティマー(紫)、アントニイ・ギルバート(青)、ロナルド・A・ノックス(青)などなど。退屈派(Humdrum)の巨匠、JJコニントンも数作復刻。カー(クイーン同様現役本はほとんどない)も数作出てるけど『死時計』やら『死人を起こす』やら『雷鳴の中でも』やら、どうにも冴えないタイトルが多い。

Langtail Press(http://www.langtailpress.com/)

電書版とは言えそっけないにもほどがある表紙の会社。アントニイ・バークリー(未訳作あります!)、エリザベス・フェラーズ辺りが狙いどころか。種類はそれほど多くなく、また最近は追加されている形跡がないため、これはもしかすると夜逃げか……まあ、電書データは残るようなのでだいたい大丈夫なんだけれど。

House of Stratus(http://www.houseofstratus.com/)

個人的には非常にお世話になっている出版社。マイクル・イネス全作品電書化とは半端じゃありません。ジョン・クリ―シーを山ほど抱え込んでいたり、オースティン・フリーマンを未訳作含め全作品揃えていたりして侮れない。マイケル・ギルバートほぼ全長編とか、懐かしの『トレント最後の事件』(E・Cベントリー)とか、結構いろいろあります。

Crippen & Landru(http://www.crippenlandru.com/)

クラシックファン垂涎の激レア短編集を復刻し続けている地方の小出版社。どうしても欲しいけど、生年から出遅れた悲しさで、買えない翻通です。kindle化はしないのかなあと思っていた矢先、今度の新刊はkindle版のみ! エリザベス・フェラーズの短編集らしいです。みんなでkindle版を買って、古い本も電子化してもらえるように祈りましょう。

Prologue Books(http://www.prologuebooks.com/)

今回紹介する中で、個人的にはもっとも戦慄すべきと考える出版社。
50年代から60年代の「安っぽいクライムノベル」をすべて300円以下で販売しています。ハリー・スティーヴン・キーラーが一冊300円で読み捨てられる世界……それって最高じゃね? ほか、いくらでもありますので、興味のある向きは一度検索を。

ということで大3小5で計8つの出版社を紹介いたしました。各社今度とも頑張って欲しいですねー。

ちなみに探すときは、amazon検索エンジンに「作者名」を放り込めばだいたい大丈夫です。
それではみなさん、良い積読を!

三門優祐

第二十二回:バーバラ・ヴァイン『死との抱擁』(角川文庫)

○遅れてやってきた作家

咲: 遅れてやってきたのは誰だって感じがするね。

姫: なにしろ二カ月ぶりの更新ですものね。「いや本は読んでいる、単純に出力する精神的余裕がないだけだ」という言い訳が聞こえます。

咲: まあ、それはいい。いい加減頑張らないと2013年中に終わらないので、ガンガン出力していただかないと。

姫: 今回はバーバラ・ヴァイン『死との抱擁』(1986)です。ヴァイン=レンデルというとサイコサスペンス系なので、咲口くんの手持ちジャンルという認識でいいのかしら。

死との抱擁 (角川文庫)

死との抱擁 (角川文庫)

咲: そのぶっちゃけた分類もひどいな。瀬戸川猛資も「お前ら狂気しか言うことないのか」と泉下でご立腹だよ。ともあれ、初登場の作家なので少し詳しくご紹介を。

姫: まともな作家紹介って初めてのような。バーバラ・ヴァインはルース・レンデルの別名義です。レンデルのデビューはかなり早くて『薔薇の殺意』(1964)。1930年生まれだから御年83歳だけど、「現在も」年一作以上のペースで長編を発表し続けている、ほとんど化け物じみた作家ね。

咲: 普通の謎解き小説の結構に近いウェクスフォード警部シリーズと、ときにサイコがかった心理サスペンスのノンシリーズを並行して書いているのが特徴かな。ちなみに「ウェクスフォード警部シリーズはお金儲け、本当に書きたいのは心理サスペンスで、理想の小説は『カラマーゾフの兄弟』」とインタビューで答えていたとか、そういう話を聞いたことがある。まあ出典不明なので、これ以上つっこまない。

姫: 『カラマーゾフ』未読なので下手なことは言えないけれど、心理を突き詰めて文学趣味、という感じなのかしら。そんなレンデルが「より文学的な」方向へと舵を切るために用意したペンネームがバーバラ・ヴァインで、『死との抱擁』は別名義の第一作に当たる作品。それがいきなり評価されたと言うのは、レンデルにとっても嬉しいことだったでしょうね。

咲: まったくだ。ちなみに、その他の受賞歴も華々しい限りだよ。『身代わりの樹』(1984)でシルヴァーダガー、『わが目の悪魔』(1976)『引き攣る肉』(1986)『運命の倒置法』(1987)『ソロモン王の絨毯』(1992)の四作でゴールドダガーと、本作含め六作品で英米のミステリ賞を受賞している。今気がついたけど『死との抱擁』と『引き攣る肉』は同年の発表。一人の作家が同じ年に発表した作品が英米それぞれの最高作に選ばれたエドガー賞受賞は一年遅れだけど)というのは空前にして絶後だろう。

姫: 日本での紹介はやや遅れて1980年から。1985年くらいからレンデル翻訳ブームが来て、多い年は9冊も翻訳されたとか。異常ね。その異常過ぎる熱は数年で冷めて、2000年以降の作品は一作も翻訳されていない。また、そのほとんどが角川書店から刊行されたのがレンデルの不幸で、今ではほとんどの作品が出版社品切れ、再発予定なしの状態。古本屋とかではわりに見かけるけれど、どれから読んでいいのか分からないから、誰も買わない誰も読まないで人気は微妙。

咲: 翻訳権が高過ぎるのとか、(どことは言わないけど)某出版社が決定的に仲違いをしてしまったとか、イヤな噂は聞くね。で、レンデルをどこから読むか、という話なのだけど……。

姫: 咲口くんの好きな作品とか聞いてもいいんだけど、正直紹介文だけでだいぶ逼迫し始めているので、割愛して先に進むわね。

咲: えー、まあ仕方がないか。さて、そんな文学味溢れる本作のあらすじは以下の通り。


○ずっしり重いパンケーキ、不幸の蜜がけ

 ヴェラ・ヒリヤードは殺人罪によって絞首刑に処せられた。そのことを私は知っている。私が知らないのは、「なぜ」だ。平凡な中流家庭に生まれ、幸福な結婚をしたはずの彼女がなぜ殺人を犯すに至ったのか。仲睦まじかった妹、イーディンと彼女の間の諍いはなぜ起こったのか。渦巻く謎の中心にあるのは、ヴェラの息子、フランシスの出生の秘密。30年前に死に絶えたはずの謎が、いま、再び蠢きだす。

姫: ダニエル・スチュアートというノンフィクション作家が、英国人女性の死刑囚ヴェラに興味を持ち、当時の関係者に話を聞いて回り、彼女の真実に迫る本の原稿を執筆する。その内容確認を頼まれたヴェラの姪、フェイス・セヴァーンが本作の語り手です。

咲: それを読んで行くうちにフェイス自身もおばさんの殺人の謎の深みにはまって行く良くある展開やね。当時の人々の感情をこれでもかと練り込みつつ、ヴェラという女性の本質に外堀から埋めて書こうとするレンデル節炸裂のゴシック小説だ。

姫: ただねー、これってレンデルにとって目新しいことだったのかしら、という感じはするのよね。私も数読んでいる訳ではないけれど、例えば『ロウフィールド館の惨劇』(1977)なんて言うのはまさにこの作品のプロトタイプよね。使用人の女性の感情が爆発して邸の人たちを皆殺しにする、まさにその瞬間の「人間の本質」を描いた作品なのだから。

咲: それを言ったらレンデル作品(のノンシリーズ)はほとんどそんな感じだけどね。実際、『死との抱擁』は(以前の作品と比較して)それほど優れた作品とは思えない。致命的なのは、それこそ「文学性」を強調し過ぎて、エンタメとしての面白さを度外視してしまったことにある。この作品、どんでん返しとか一切なく、ほんとに「ヴェラが殺人に至る経過」を書きまくっただけで終始してしまっているんですわ。読むの、結構辛いんよ。

姫: で、その文学性も幕を開ければ大したことなかったりして。方向性だけ先行して、不完全燃焼になってしまった感はあるのよね。

咲: この手のゴシック小説なら、もっともっと面白て上手い同時代の作品がいくらもあるしなあ。

姫: ゴダードとかでしょ。最近いろいろ読んでたものね。

咲: うむ。あとはヒルの『甦った女』とかね。その辺諸々の不満点を解消するのがヴァイン名義第二作の『運命の倒置法』かな。言ってしまうとアレなのでこれ以上は読んで欲しいけど、作品としてのクオリティはかなりあがっている。これまた十数年前の隠された犯罪がたまたま発掘されて関係者に激震が走るというストーリーだけど、群像劇チックな物語を巧みに統御しているね。

姫: 去年だかの新刊で、ダイアン・ジェーンズ『月に歪む夜』(創元推理文庫ってあったじゃない。アレは完全に『運命の倒置法』オマージュよね。舞台設定から物語の転がし方までよく似てたもの。

咲: デビューして50年も経つと、フォロワーが出てくるものなんだなあ、としみじみしてしまうね。


○まとめ

姫: さてまとめです。まあ、出来は悪くなかったわね。志は高かった。

咲: ただ、その志に読者をつき合わせようっていうなら、もっと段差を低くしてくれないと。その辺ユーザーにやさしくないのがお文学っていうなら、馬鹿馬鹿しい限りだ

姫: ユーザーフレンドリーな第二作が即座に刊行されたのだから許してあげてもいいと思うけれど。

咲: という感じが今回の感想かな。さっきも言いかけたけど、レンデルは文学性とかさておいてももっと読まれていい面白作家だと思いますので、そのうち全体総括レビューとかやりたいですね。

姫: 最近の作品は原書で読むの? 志高いわね〜。

咲: いや、そこまではやらんでもいいだろ……

(第二十二回:了)


引き攣る肉 (角川文庫)

引き攣る肉 (角川文庫)

ごく普通の人間の精神を偶然と狂気によって壊す、レンデルらしさが炸裂した名品。

月に歪む夜 (創元推理文庫)

月に歪む夜 (創元推理文庫)

クオリティは高かったので、是非翻訳が続いて欲しい。

「殺しにいたるメモ」に関するメモ

執筆:TSATO

I

 代表作『野獣死すべし』で、前半を殺人を企てている男の手記、後半をナイジェル・ストレンジウェイズによる捜査と二つに分けた斬新な構成としていることからもわかる通り、犯人の心理描写へのこだわりは、ニコラス・ブレイクの作品では重要な要素の一つだ。彼の作品全体を見るとオーソドックスなフーダニットの作品が多く、『野獣死すべし』ほど凝った構成の作品は少ないが、その心理重視の姿勢は健在である。それをあえて本格ミステリの技巧という観点から見れば、都筑道夫『猫の下に釘を打て』で言及されているような、「犯行計画の変更や心情の変化をプロットに持ち込んだ」作家という評価になるのだろう。
 さらに、(『野獣死すべし』の段階ですでにその萌芽が見られるが)中期の作品では、脇役たちの造詣が深まり、プロットへの絡ませ方が巧みになっている。

 さて、今回取り上げる中期の作品『殺しにいたるメモ』もその系列に連なる作品である。本作は1947年に発表された作品で、素人探偵ナイジェル・ストレンジウェイズシリーズの、番外編も含めた8作目にあたる。1941年の『雪だるまの殺人』以来、大戦をはさんで久々のミステリ作品で、いわばカムバックの一作だ。

殺しにいたるメモ

殺しにいたるメモ

 ストーリーは以下の通り。

 ナイジェル・ストレンジウェイズは第二次世界大戦の間、「戦意高揚省情報宣伝局」で編集部長として働いてきた。連合国が勝利を収め、局員たちの緊張が緩みつつある最近、ナイジェルは鬱積していた人間関係がいずれ爆発するのではと危機感を募らせていた。そんな折、戦死していたものと思われていた元同僚のケニントン少佐が帰還する。戦死したと見せかけ、密かにスパイとしてドイツに潜入、敵国の高官シュトゥルツを捕らえる功績を立てたのだという。内輪の歓迎パーティーは、ケニントンがシュトゥルツから取り上げた戦利品の青酸入りカプセルが開陳されるなど大いに盛り上がるが、その最中、コーヒーを飲んだ局長秘書のニタ・プリンスが急死する。
 その場に居合わせたのは、局でも随一の美貌を誇るニタ、ニタの元婚約者のケニントン、現在の愛人である局長のジミー、ジミーの妻でケニントンの双子の妹アリス、ニタに思いを寄せるキャプションライターのブライアン・イングル、デザイン部職員のメリオン・スクワイアーズ、副局長ハーカー・フォーテスキュー、上級職員エドガー・ビルソン、それにナイジェルの僅かに9人。果たして誰がニタのコーヒーに毒を入れたのか?

 あらすじをよんでわかる通り、本作は「容疑者が限定されたフーダニット」で、特段先鋭的なことをやっているわけではない。しかし、作品としての出来栄えは『野獣死すべし』に比べて勝るとも劣らない。この作品の美点は大きく分けて二点ある。一つ目は、犯行が単純であること、二つ目は、動機が陳腐だということ。いや、これはほめているのですよ。
 まず犯行について。シンプルな犯行は、物語にリアリティを与え、推理小説にありがちなわざとらしさを排除する。犯人はかなりの知能犯だが、それゆえか、その犯行は現実的な範囲に留まっている。思い出してみると、『野獣死すべし』にせよ『死の殻』にせよ、話のキモは黒幕がターゲットをある行動に誘導するというもので少しわざとらしい。もっというと「そんなうまくいくの?」と思わなくもないものだ(被害者の性格を描いたものだし、意欲的ではあるのだが)。実際、前作『雪だるまの殺人』は、「思い通りに行かないこと」が話のキモだった。

 では『殺しにいたるメモ』ではどうか? この犯人は余計な偽装工作は何もしない。そして、それゆえになかなか尻尾をつかませない。例えばこんな一節が印象深い。

 かわうそを巣穴から引きずり出すように、殺人犯を沈黙と無行動と黙認という安全圏から白日のもとにさらけ出すという一大目的に、自分のすべての言葉を向けなければならない。彼(ナイジェル・ストレンジウェイズ)は自分の相手が、素晴らしく知的で鋭敏な感性の持ち主であるのを痛感していた。

 むろんこの作品にも、ある人に罠に仕掛けるシーンはある。しかし、それは人を単純に操るような戦前の作品と比べると、よりシンプルな、手品師が観客の注意をそらすようなものとなっており、その分実行可能性が高い。プロットの構築が良い意味でこなれてきたのを感じる。

 もう一つの美点、動機の陳腐さ。これは本当にすばらしい。この事件の犯人の動機は、ありきたりで、「しょうもない」ものだ。にもかかわらず、被害者の心情、周囲に追い詰められて殺人へと走る犯人の心理を探偵ナイジェルの視点を通してじっくり描くことでドラマを盛り上げている。作者が初期に多用した「悲劇の復讐者としての犯人像」も決して悪くはないが、一見ありふれた動機で人間心理の複雑さを描く本作は、作家としての成熟を感じさせる。

    • -

II

 シンプルな素材で優れた小説を作る、その上で重要な役割を果たしているのが作品の舞台である「広報宣伝局」だ。「広報宣伝局」、正式名称は「戦意高揚省広報宣伝局」。この組織自体は架空のものだが、ブレイクは第二次大戦中、情報省に勤務しており、その体験が基になっているとされる。ひとつの職場を舞台に人間模様を描くやり方は、古くはドロシー・L・セイヤーズ『殺人は広告する』あたりから始まり、クリスチアナ・ブランド『ハイヒールの死』『緑は危険』D・M・ディヴァイン『悪魔はすぐそこに』P・D・ジェイムズ『わが職業は死』『欲望と策謀』『ナイチンゲールの屍衣』など作例は多い。この小説も、そういった作品の中のひとつである。
 この作品で、業務の様子自体を描いているシーンは物語の序盤、殺人事件発生までにほぼ限られる。だが、「戦意高揚省広報宣伝局」という職場やそこで働く人々の姿は強く印象に残る。それは、視点人物のナイジェルがここで数年間働いてきたという設定に負うところが大きい。彼は捜査の過程で、「広報宣伝局」における過去のエピソードをその都度少しずつ「思い出す」。このような形で読者に過去の出来事を紹介していくことによって、架空の部署である情報宣伝局に重みを持たせることに成功している(ついでに、伏線を自在に張ることもできる)。

 また、舞台の演出には脇役たちの存在も欠かせない。「爆弾が炸裂したかの勢いで」ドアを開け、電話をかけながら「定評のある、同時に二人を相手にした会話」をし、ナイジェルに対し、「かすかな母性愛を抱いて接してくれているらしい」アシスタントのパメラ・フィンレイ、「腹の出た、陽気だがぼうっとした元警官で」「失せものやちゃちなこそ泥といった類のもの以上に重大な事件は手がけたことがない」調査部のアドコック氏。
 もっと重要なのは、一、二度しか登場しないエキストラたちだ。一章と二章の冒頭(だけ)に出てくるやたらキャラが立った掃除婦、不吉な予言をする郵便配達夫。事件当時、現場である局長室の控え室にいたタイピストはミス・グレインジリーという名で、局の印刷費用はミスター・オディーという人物が責任者らしい。彼らは読者にとってはただの脇役だが、ナイジェルにとっては、詳しく知っている同僚たちだ。「小説内での描写が少ない」のではなく、「わざわざ描写するまでもなく、よく知っている」の人物たちなのである。そして、そういう人間が大量に登場することによって、基本的に容疑者が限られた謎解き小説であるにもかかわらず、閉鎖的で内輪だけの話に終始している印象を与えない。

    • -

III

 ナイジェルは、1940年からつい最近まで「他省からまわされてくる際限のない仕事に遅れまいと」「一日十時間から十四時間ほども」働く生活を同僚たちとともに5年間続けてきた。ナイジェルにとって彼らは苦労を分かち合った友人であり、「自分の腕時計の文字盤のように見慣れたもの」だ。だが、腕時計の仕組みがよくわからないように、彼らの私生活もまた、よくわからないものである。職員たちは正規の公務員ではなく、いわば臨時雇いの存在(「動員公務員」と作中では呼ばれる)。彼らには元の職業があり、互いの過去や私生活のことはよく知らない。誰もが二つの仮面を持っているのだ。この事件のキーパーソンであるケニントン少佐にいたっては、さらに諜報員としての人格をも有している。いや、そもそも、事件を調査する名探偵であり、同時に局の編集部長でもあるというナイジェル・ストレンジウェイズの立場自体も二重性をもったものだ。「警察にコネがあるんでしょう?」ミス・フィンレイは、無邪気にそう尋ねる。
 もちろん彼らは別に二重生活を送っている訳ではない。捜査の過程で明らかになるのも、「ちょっと意外な一面」程度のものだ。だが、これが積み重なっているうちに、気がつけば事件全体の様相ががらりと変わってしまっている。
 たとえば副局長のハーカー・フォーテスキュー。「管理職者然とした態度、無愛想さ」で、「感情のない物言い」をする彼は、元写真屋で、趣味として有名人の情けない隠し撮り的なスナップ写真を集めている。「作り笑いをしている妻が差し出した花束をぶっきらぼうに払いのけるトルストイ」、「禁欲主義についての力強い説教で知られる大司教が、フォークに山盛りのキャビアを口に入れる瞬間」等々。彼がやくみつるのような趣味を持っていることが事件にどんな影響をあたえるというのか? 実はフォーテスキューの「趣味」は中盤で非常に重要な意味を持ってくるので、ぜひご確認いただきたい。

 また、私生活での人格と「戦意高揚省情広報宣伝局」という公的な場での人格は微妙に異なっているが、それぞれ密接に関連しあっている。編集部長ナイジェル・ストレンジウェイズの優れた記憶力、難しい会議の内容を「録音機のような過不足ない正確さで」復唱できる能力は、名探偵ナイジェル・ストレンジウェイズの最大の武器でもある。彼はその能力を使って登場人物の些細な言動の矛盾を指摘していく。事件前夜のニタ・プリンスの言動、チャールズ・ケニントンの奇妙な沈黙。ナイジェルによって提示される小さな謎の数々は、容疑者たちの多面性を明らかにし、作中の人間関係を謎に満ちたものにする。彼らはお互いをどう思っていたのか?
 物語の中で容疑者は最初の七人から、さらに絞られていく。だが、犯人の特定は難しく、クライマックスでは容疑者同士の告発合戦まで繰り広げられる。最後の最後までなかなか真相を特定させないのは、容疑者たちと被害者の人間関係が判然としないからだ。これは、読者が真の関係を読み取れないというだけにとどまらない。犯人自身、自分の感情、自身のおかれた人間関係をどう処理するべきかわかっておらず、この葛藤は逮捕されるその瞬間まで続き、そのことが、犯人の人間的弱さを印象付ける。
 だが、動機から見える性格の弱さとは裏腹に、犯行そのものは非常に知的だ。この動機と犯行の違いに見える犯人の二面性は、そのまま公私の生活での二面性に置き換えられる。ナイジェルの探偵としての優秀さが、編集部長としての優秀さ(優れた記憶力)によって裏付けられているように、これまで描写されてきた「広報宣伝局」での優秀さが、性格的に弱い犯人が、同時に警察をてこずらせるほどの犯行を行い得る人間であることに説得力を与える。これまでの捜査によって明らかになった人物像と、ナイジェルが5年間を通してみてきた人物像が重なり、一人の犯罪者の姿を明らかにする。この二面性は最後まで解消されることはないが、それゆえの真実らしさを担保するとも言える。
 物語の結末で、ナイジェルの協力者でスコットランド・ヤードのブラント警部は「ひどい偽善と言った方がふさわしい」「わたしはちっとも哀れだと思わないね」と犯人に対して怒りを露わにする。かように犯人を手厳しく非難するブラントに対して、ナイジェルはどこか犯人に同情的だ。犯人の偽装工作を名演技と評し、犯人に対し「好意と賞賛を捨てきれない」。まったく部外者であるブラントと、5年間犯人とともに働いたナイジェルでは、犯人に対する見方がおのずから異なるのだろう。戦意高揚省広報宣伝局という舞台を最大限に活用し、そこに働く人々を描く。それは登場人物の実像に公私の両面から迫るということでもある。作者はそれによって、陰影と奥行きのある一人の犯罪者を描き出すことに成功した。


猫の舌に釘をうて (光文社文庫)

猫の舌に釘をうて (光文社文庫)

第二十一回:ロス・トーマス『女刑事の死』(ハヤカワ・ミステリ文庫)+L・R・ライト『容疑者』(二見文庫)

○よく売れた作品は代表作?


咲: 放置したまま時が流れてしまいました喃。

姫: 原稿が入ったりしたのだけど、掲載待ちのままになっているわね。可及的速やかな対応が要求されているはずだわ。

咲: 最近は感想を書くよりも本を買う方にご執心らしいのでどうしようもない。まあ、今回はリハビリ回ということで軽く流して行きましょー。

姫: 今回は二作同時に。一作目はロス・トーマス『女刑事の死』(1984)ね。

女刑事の死 (ハヤカワ文庫 HM (309-1))

女刑事の死 (ハヤカワ文庫 HM (309-1))

あらすじはこんな感じです。

上院の調査監視分科委員会で顧問、もとい便利屋のようなことをやっている主人公ベンジャミンは、刑事だった妹が車に仕掛けられた爆発物によって命を落としたことを知らされる。熱心で優秀な刑事だったはずの彼女がなぜ死ななければならなかったのか。彼は、委員会から与えられた使命を果たしつつ、妹の死の真実に迫っていく。

咲: ロス・トーマスの小説では、登場人物全員が互いに騙しあっている。単純に嘘をつくというだけに留まらず、真実を言わずに隠したり、あるいは無意識のうちにミスリードを掛けたりしている。誰もがプロフェッショナルで、すこぶるつきに悪賢い。そしてそれは主人公ですらも例外ではない。

姫: 自分が欲している物を手に入れるために何でもする悪党たちの振る舞いを、「陰謀」というファクタの中で、冒険小説ともエスピオナージュともつかない(スパイが出たりすることはあるけれど)物語に落とし込む達人、と呼べば分かりやすいかしら。安易な分類を許さない、とらえどころの難しい作家ね。あ、乱打されるワイズクラック(意味はないけどカッコ良い台詞のこと!)も素敵。

咲: と、かくも通好みの渋作家、ロス・トーマス作品の中で、唯一と言っていいほど滅茶売れしたのがこの『女刑事の死』、なんだけど個人的には……賞を取れば何でもいいのか、と思う。これならエドガー賞の処女長編賞を受賞した『冷戦交換ゲーム』(1966)の方がなんぼも面白いですよ。

姫: 咲口君の意見は正しいように思うけれど、言葉足らずであまり参考にならないので簡単に補足を。さっきも述べたけれど、ロス・トーマスの作品はその性質上、物語の中盤で悪党どもが互いに互いの利益のために騙し合い、物語の筋をわやくちゃにしていく、その過程が一番面白いの。その中で、読者のサスペンスを釣り上げていく訳。おいおい、どうやって落とすんだよ、とね。

咲: で、その『女刑事の死』は普通のミステリー仕立てになっているだけに風呂敷をきちんと畳むことを作者が端から志向しているのが、割と分かりやすく見えてしまうんだな。それゆえにある程度は綺麗にまとまっているんだけど、読者が元々求めていたような、ロス・トーマスらしい面白さのようなものはあまり見えてこない。

姫: もちろんつまらない作品という訳ではない。でも、はっきり言ってこの作品はロス・トーマスの代表作なのかな、と疑問に思う部分がある、ということを言いたかったんでしょうね、多分。

咲: ですね。まあ、俺にせよ姫川さんにせよ、ロス・トーマスはこれと『冷戦』と『暗殺のジャムセッション』(1967)の三作しか読んでいないので、とうとうと語っちゃうのは、やや問題アリのような気がしないでもないけれど。入手困難な作品が多すぎてどうしようもないんで、誰か詳しい人、後のことお願いします。

姫: ということで次行きましょ、次。


○変態の名産地、カナダの生んだ……?


咲: 二冊目はL・R・ライト『容疑者』(1985)だ。この人カナダ人の女性作家だそうだね。その割にはごく真っ当な作品だったので驚いたよ。

姫: カナダ人が読んだら起こりそうな発言ね。まあ、カナダと言えば我らがマイケル・スレイド御大(最近kindleで未訳作買いました)を生んだ変態ミステリ作家の名産地と言ってもいい場所だし、無理もないけれど。

咲: ジスラン・タシュローとかな。悪魔と契約した警察官が……

姫: その話やめで。まあ、カナダ人にも真っ当なミステリ作家はいたわよ、ピーター・ロビンスンとか、ルイーズ・ペニー(翻訳どうなっちゃうの?)とか、ハワード・エンゲルとか。

咲: いい感じに狂った作家を探そうとウィキペディアを眺めていたが、正直ロバート・J・ソウヤー(こっちも翻訳どうなっちゃってるの?)くらいしか思いつかなかった。あれを変態と呼んだらSF畑の人が怒るかもしらんけど。

姫: カナダ人の狂気の話はさておいて。

容疑者 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

容疑者 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

あらすじに入るわよ。

旧知の男を撲り殺した老人ジョージは、しみじみと感じていた。これは報いだ、と。やつは死ななければならなかった、と……。殺人事件を手がける中年刑事アルバーグは、当初からジョージに疑いの目を向けていた。一歩一歩と謎の犯行動機に迫る中で、しかし彼はジョージと、自分が心を寄せる女性カッサンドラが結んだ心の絆に気づかずにいた。

咲: この物語には、事実上謎はない。読者の目にははじめからジョージが犯人であることは分かっているし、彼自身そのことをそれほど強く隠し通そうとはしていないからだ。この作品の中でフィーチャされるのは、まさにあらすじで書いた、三人の間の微妙な三角関係なんですな。

姫: ジョージは80歳のお爺さんで、図書館で司書として勤めているカッサンドラ(35歳くらい)のことが……好きというかなんというか、枯れてしみじみとした愛情を抱いているのよね。アルバーグ(40歳くらい)も彼を犯人と目しつつも決定的な証拠がある訳でなし、問い詰め切れずにいて、互いに微妙に居心地が悪い状態。カッサンドラは、アルバーグといちゃいちゃしつつ、やはり歳を気にして困惑している……というもやもや感。

咲: いやー、複雑だなあ。さておきミステリとしてみた場合、ジョージが、憎み続けてきた被害者をなぜいま衝動的に殺さなければならなかったのか、という動機面がまったく弱いのが残念でならない。そこをがっつり掘り下げてくれれば面白くなったかもしれないのに。その辺りは、それほど強くミステリを志向しては書いていない雰囲気もある。

姫: そうなのよね。そこへの補完が曖昧だから、読者としてもジョージへの感情を決めかねてしまう。中盤たっぷりとサスペンドされたわりに、終盤ではあっさりと処理されてしまったのでがっかりした面は大きいわ。

咲: 描かれている部分については、細かい内面描写を丁寧にやっていて好感が持てたので、今後の作品に期待、という感じではないかな。あ、今気がついたけど、この作品処女作だったみたい。シリーズは翻訳も何冊か出ているみたいだ。

姫: ふーん、そういうことなら今度読んでみようかしらね。


○終わりのご挨拶

咲: という感じで、今回はこれでお終いです。

姫: それほどビリっとくる作品はなかったわね。次回はレンデルの別名義、バーバラ・ヴァインの第一作『死との抱擁』(1986)の予定。私たちの誕生年の発表作なので、色々な意味で頑張っていきましょう。

咲: なにをどうだよw まあレンデルだし、大分期待で!

(第二十一回:了)


冷戦交換ゲーム (Hayakawa pocket mystery books (1044))

冷戦交換ゲーム (Hayakawa pocket mystery books (1044))

言わずと知れた名作。これは読め!

スリー・パインズ村と警部の苦い夏 (RHブックス・プラス)

スリー・パインズ村と警部の苦い夏 (RHブックス・プラス)

翻訳最新作。嵐の山荘で起こった不可能犯罪を扱った佳品。(嘘じゃない)

第二十回:リック・ボイヤー『ケープ・コッド危険水域』(ハヤカワ・ミステリ文庫)+エルモア・レナード『ラブラバ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

○にちようびのだいぼうけん


咲: また微妙に間が空いてしまいましたが元気です。

姫: 私たちを置いて旅行に行ったりしてたしね。サイコロを振って出た目に従って進むような、ランダム要素の極めて強い旅だったようだけど。

咲: さておき、今回は久々の二本立て。たまにやると冊数が捌けていいやね。

姫: 一つ目のリック・ボイヤー『ケープ・コッド危険水域』(1982)は、1976年に発表されたシャーロック・ホームズパスティーシュ(「スマトラの巨大ネズミ」という書かれざる事件をモチーフにしたもの)を含めると、作者の第二作に当たる作品ね。発表当時は大分持て囃されたみたいだけど……。

ケープ・コッド危険水域 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ケープ・コッド危険水域 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

咲: まずはあらすじから入ろうか。

わたしは口腔外科医のアダムズ。ドクと呼んでもらおう。ケープ・コッドの沖に不審な座礁船を目撃したわたしは、友人のダイバーに偵察を頼むが、翌日、彼は溺死体となって発見された。わたしの余計な好奇心がこんな事態を招いたのか。自責の念に駆られ、わたしは自ら謎の座礁船と友人の死の真相を調べはじめる。(文庫裏表紙あらすじより抜粋)

姫: いわゆる冒険小説なんだけど、米国風というよりむしろ古式ゆかしき英国風でずぶの素人が巻き込まれます。でも、事件そのものが大陰謀とかではなく全然普通の犯罪計画だったりするあたり、非常に「お手軽」な感じの漂う作品ね。

咲: その「お手軽」感の最たる部分は、事件に対するドクの態度にあるんじゃないか。上記あらすじでは「好奇心から友人を死なせた自責」が彼を動かしていることになっているけれど、実際のところ彼は、「持て余した余暇」を潰すために、自ら冒険の渦に身をゆだねている傾向がある。

姫: 手を怪我してしまい、しばらく仕事が出来ないとなったときに暇すぎて逆に体を壊す、というほどワーカホリックのおじさんが、日曜大工みたいなノリで事件に取り組んでいくのはどうかと思う。

咲: まーしかも、カネはあるコネはある妻の理解はあるで、ほとんどお遊び感覚なんだよね。しかも合間には奥さんとヤリまくり仲間たちと飲みまくりで人生をエンジョイしていやがる訳で。

姫: 殴られて気を失うなどテンプレートはきちんとなぞって、最後は友だち勢揃いの大団円。誰がこんなの楽しめるのかしら。アホクサ。

咲: 解説は超絶賛している分だけこちらのテンションも下がるよなあ。まあこの人が面白いと言った作品は大抵つまらないので。あと、この人の訳した作品は面白くても……

姫: 泡沫場末ブログでも危険なものは危険だから止めて。(キッパリ

咲: アイマム。結論としては「ハッスルおじさんのなつやすみのだいぼうけん」を読みたい人以外にはオススメしません。悪しからず、といったところ。


○「宿命の女」はテンプレートから逃れられないのか?


姫: 二つ目のエルモア・レナード『ラブラバ』(1983)はわたしにはいまひとつ良さの分からない作品でした。

咲: そう言いなさんな。結論を出すのは、もう少しこの作品の内容を検討してからでも遅くはない。ちなみに「ラ・ブラバ La Brava」であって、決して「ラブ・ラバ Love Lover」ではないので、注意が必要。まあ、愛についての物語ではあるんですが。

ラブラバ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ラブラバ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

姫: いいわ。あらすじ行きましょ。

ジョー・ラブラバは元シークレット・サービスの捜査官。退職した今は、マイアミビーチでカメラマンをしている。その彼が、年上の友人の引き合わせで、元女優のジーン・ショーと知り合う。彼女は、かつてラブラバが銀幕で出会い、初めての恋情を覚えてしまった相手なのだ。彼女は現在身辺に問題を抱えていた。大男のガードマン、リチャード・ノーブルズとキューバの刑務所を脱獄してやってきた犯罪者・クンドー・レイ。この二人が彼女の背景につきまとい、何事かを企んでいたからだ。ジーンと恋におち、陰謀の影に気付いたラブラバは、昔とった杵柄で彼女を守り、悪に対抗する決意を固める。

咲: 30代半ばの男が50代の元映画女優に抱いた恋情をどういう風に描くか、そして悪党たちの騙し騙されのコンゲームがどういう形で着地するのか、という二点が密接に結びついた作品だ……と書くと大ネタが割れちゃうかな。

姫: と言ってもかなり早い段階で分かる内容だからいいんじゃないかしら。お話そのものは他愛のない作品だけど、とにかくスピード感のある描写とポンポン飛び交う会話で読ませる。いかにもレナードらしい作品というイメージ。

咲: レナードの作品を大きく二つに分けると……といったのは瀬戸川猛資。彼は「レナード・タッチ」の作品西部劇風の作品という風な分類を提示している。まあこれって、結局保安官が出てくるかそうじゃないかの差しかないんだけど。そういう意味では、ジョー・ラブラバという「保安官」(正義の味方として読者が感情移入できる人物)が登場する本作は後者かな。

姫: そのイメージも込みで騙しの要素な訳だけど……そこは面白いんだけどね。

咲: 姫川さんが気にいらないのは、結局映画女優ジーン・ショーでしょう。

姫: クレイグ・ライス『こびと殺人事件』をお読みなさいよ。若き日のマローンが憧れた、でも今は尾羽打ち枯らした老女優と彼が出会った時、いかに愛が尽くされていくか。短いシーンの積み重ねで、表裏一体の愛と哀しさを巧みに表現していく手筋! あの作品そのものは喜劇的な要素が強いから全体像がぼやけがちなのだけど、そこで逆にペーソスを利かせて締める天才的技巧!

咲: どうどう。『こびと殺人事件』を愛してやまないのは知ってるよ。復刊リクエストでは票を入れようね

姫: ジーン・ショーは、関わった男を破滅に導く典型的「宿命の女」なのだけど、その枠から一歩も出ていない。あくまでもテンプレートな書き割りに過ぎないのがね、辛くて。

咲: 女性キャラクターがあくまでもテンプレ、というのはこの作品の弱みなのか、あるいはレナード全体の弱みなのか、真面目に読んでみないと判定が難しいところだけれど。なんにせよ、この作品の基調を成すべき人物の造形が弱いというのは致命的な欠点のようにも思える


○波乱の次回予告

咲: やれやれ、今回で「去年読み終わった分」はようやくお終いだ。2013年バージョンへの移行もすぐそこ……なのか?

姫: さあどうかしら。なにしろ更新が不定期なんだからどうしようもないわね。次がすぐ来ることを期待しましょう。もしあれば、次回はロス・トーマス『女刑事の死』のはず。しばしお待ちくださいな。

(第二十回:了)


ケープコッドの悲劇 (論創海外ミステリ)

ケープコッドの悲劇 (論創海外ミステリ)

『ケープ・コッド危険水域』と舞台を同じくする作品。有閑紳士の集うエリアらしい。
こびと殺人事件 (創元推理文庫)

こびと殺人事件 (創元推理文庫)

絶賛品切れ中の良作。みなさんの力で是非復刊を!

第十九回:ウィリアム・ベイヤー『キラーバード、急襲』(ハヤカワ・ノヴェルズ)

○空から襲い来る影の恐怖


咲: 今回も始まりましたフリーバトル。

姫: 一定年齢層以外に分かりにくいネタは飛ばします。今回はウィリアム・ベイヤー『キラーバード、急襲』(1981)です。それにしても、まさか本当に殺人鳥(キラーバード)=ハヤブサが急襲してくる話だったとは。読み始めるまで、飛行機の機密にかかわる冒険スパイ小説、具体的にはクレイグ・トーマス『ファイアフォックス』的ななにかかと思っていたわ。

キラーバード、急襲 (ハヤカワ・ノヴェルズ)

キラーバード、急襲 (ハヤカワ・ノヴェルズ)

咲: 詳しい話はあとに回して、まずはあらすじから行くよ。

秋の日差しが眩しいマンハッタン島、「ハヤブサ」は獲物を探していた。彼がミラーグラスをずらしたその刹那、超高空から一閃、巨大な殺人鳥が舞い降りるのだ。そして、地元テレビ局のニュースリポーターであるパムの目前で少女が惨殺された時、恐るべき連続殺人が始まった……警察の捜査をあざ笑うかのようにハヤブサを操り人を殺す犯人の目的は?

姫: 警察による捜査小説とサイコパスシリアルキラーものを融合させた作品ね。ジェフリー・ディーヴァー的なアレ、と言えば首肯する人も多いのではないかしら。あ、そう言えば、本筋とは無関係なんだけどひとつだけ。リンカーン・ライムのタウンハウスにハヤブサのつがいが住み続けているのを覚えている? ディーヴァーはこの『キラーバード、急襲』を読んでいるのかしら。ちょっと気になるわ。

咲: 閑話休題。こういうジャンル越境的な作品のはしり、と目されるのはローレンス・サンダーズ『魔性の殺人』(1973)あたりのようだ。分厚い文庫本で二分冊という重厚な作品だけど、ニューヨークという都市を徹底的に描いた都市小説としても出色。

姫: 今回の『キラーバード、急襲』も、やはりマンハッタン島を舞台にして、この場所でしか起こり得ないだろうあまりにも異常な事件を描きだす……と真面目な話を進めて行く流れっぽいのだけど、一旦断ち切るわ。さて、私がこの作品について一言感想を呈するなら、ズバリ「バカっぽい」なのよね。

咲: そもそも殺人の凶器としてハヤブサを使おうという時点で、既に頭悪すぎるわい。おまけにそのハヤブサは、悪の鳥類学者によって血統を操作され、人を殺せるサイズまで巨大化されたという設定が提示された辺りで笑ってしまった。

姫: あらすじでも出てきたけれど、ヒロインはニュースリポーターのパム。犯人は彼女を狙っているらしいのだけれど、その真の目的はいまひとつ分からないまま進むわ。そこで彼女を守ろうとする二人の男が出てくる。一人はイケメン金持ち性格良しと三拍子そろったハーレクインヒーローで、犯人の鷹匠ハヤブサ」に対抗するために、捜査側に協力している鷹匠、ジェイ・ホランダー。もう一人は捜査主任であるしょぼくれ警部のジャネック。好意を寄せてくる二人に対して、パムは(当然)ジェイに惹かれて行く……。

咲: その辺のお約束感も含めて、エンタメに徹した作品ですね。あ、そう言えば巨大ハヤブサを倒すために、テレビ局が日本からナカムラという名前の鷹匠を呼んできて自前のクマタカを戦わせるシーン(爆笑)があった。これまたなぜかサムライのような爺さんで、アメリカ人は、こういうの読んだら間違いなく大喜びするんだろうな、という偏見。

姫: 「彼女を俺のハヤブサにする」「ただ一人を殺すために調教する」と、意味不明かつ不穏当な発言を繰り返す犯人を描写したパートは、なかなか迫力あるわね。捜査やパムの視点を描いたパートと犯人パートは交互に描かれていくのだけれど、なんと作者は真犯人の正体を半分も行かないうちに書いてしまう。もちろんこれを知るのは読者だけよ。それにしても、これはなかなか度胸がいることだわ。読者がそこで読むのを止められない、と確信していなかったら、とてもそんなことは出来ないでしょうし。

咲: 犯人から次々に送られてくるパム宛ての手紙、そして繰り返される凶行。時には殺人に失敗して見せるなど、単調に陥らないように色々考えられているのはえらい。そうこうしているうちに、物語は一気呵成に最終局面に突入する。短い話だしね。

姫: パムが誘拐されるに及んで、ジャネックは真犯人を突き止めることに成功。やつの隠れ家の扉をぶち破った先で見たものは……!

咲: いや、正直驚きました。前もって気づいてもおかしくはなかったけれど、何故か盲点に入っていたみたいなんだ。この狂気に満ちた大オチを書くために、この作品は書かれたのかもな。あまりの衝撃にほとんど笑うしかない戦慄の結末、ぜひお試しあれ。

姫: 途中下車を許してくれない安定した面白さ、犯人が醸すほど良く変態じみた狂気の数々、そして咲口君も絶賛する衝撃の結末まで、なかなかよく出来た佳品ね。若干地味な部分はあるけれど、でも楽しい作品だったわ。

咲: 文庫化はされていないので、読むならハードカバー版を古本屋で探すか、図書館に入っているかというところだろう。ディーヴァーなら何出しても受ける現在だからこそ、是非文庫化してほしい。「アタック・オブ・ザ・キラートマト」的なB級C級感が堪らない作品だ、というと勘違いして読んでくれる人が出るかも?

姫: という感じです。

咲: うーむ、では次回予告。次回はリック・ボイヤー『ケープコッド危険水域』。まだまだ冒険小説の時代は終わりませんよ!

姫: お楽しみに!

(第19回:了)


第十八回:ディック・フランシス『利腕』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

○弱虫泣き虫意地っ張り

咲: はじめますか。しかし、短編読んでたとかインフルエンザとか中の人が忙しいとか、ひと月も開いてしまうと単なる言い訳にしか聞こえないので……毎週更新に戻せるように頑張ろう。

姫: 今回取り上げるのはディック・フランシス『利腕』(1979)です。フランシスは『罰金』に続く二度目の登場ですね。ちなみに『利腕』は、1979年のCWAゴールドダガー賞も受賞しているわ。英米両方で高く評価された、まさしくフランシスの代表作と言って差し支えない作品よね。


利腕 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 12‐18))

利腕 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 12‐18))

咲: フランシスは原則的にシリーズキャラクターを持たない作家だけど、本作『利腕』で主役を張るシッド・ハレーは例外的存在。シリーズ第一作『大穴』(1965)以来14年ぶりに登板した彼は、のち『敵手』(1995)『再起』(2006)と、四作品に登場することになる。

姫: 『敵手』はエドガー賞受賞作なので、またいずれ扱うことになるわね。あ、あと「例外的存在」とは言ったけれど、他にもチャンピオン騎手のキット・フィールディングが登場する連作『侵入』『連闘』もあるので、シッド・ハレーが唯一のシリーズキャラクターという訳ではありません。念のため。

咲: えーまあ、そちらは出来が微妙なので……(ごにょごにょ)。

姫: 咲口君、以前攻略で『罰金』を取り上げた時のこと(http://d.hatena.ne.jp/deep_place/20120918/1347987785)を覚えている? あの時は、かなり酷評してしまったけれど、今回はどうだったかしら。

咲: これまで何冊かフランシス作品を読んできて、正直自分はこの作家の面白さが分からない人間だと思っていたんだよね。で、今回まったく期待せずに『利腕』を読んで、はたとひざを打ちましたよ。なるほど、そういう作家か、と。

姫: 咲口君の感想も聞きたいところだけれど、まずは規定通りあらすじから入りましょうか。以下〜

厩舎に仕掛けられた陰謀か、それとも単なる不運なのか? 絶対ともいえる本命馬が次々とレースで惨敗を喫し、そのレース生命を断たれていく。馬体は万全、薬物などの痕跡もなく、不正の行なわれた形跡は全くないのだが……片手の敏腕調査員シッド・ハレーは昔なじみの厩舎から調査を依頼された。大規模な不正行為や巧妙な詐欺事件の調査を抱えながら行動を開始するハレーだが、その行手には彼を恐怖のどん底に叩きこむ、恐るべき脅迫が待ち受けていた!(文庫裏表紙あらすじより抜粋)

咲: という風にあらすじではまとめているのだけれど、本当のところ筋はもう少し複雑。前作で別れたシッドの奥さんの実家の持ち馬が狙われているらしいという点は無視できない重要なファクターだ。関係が近すぎて無碍に断ることのは容易じゃないし、逆に相手に捜査を止められても、「はいそうですか」と言ってしまうこともできない。この時点で既に複雑な葛藤が発生してくる。

姫: シッド・ハレーの魅力の一つはその「葛藤」にあるのかもしれないわね。シッドは四六時中葛藤している、とても「ヒーロー」とは言い難い普通のおじさんだわ。上記あらすじの「脅迫」(詳述は避ける)を受けた彼は「逃げ出しちゃダメだ……でもそんなことになるのは嫌だ。」と散々悩んだ末、依頼をほっぽり出して誰にも言わずにフランスの観光地に逃亡してしまったりする(笑)

咲: いやー、でも実際そんなことになってしまうのは嫌でしょう。彼の内面では、なにもかもに目を閉ざして逃げ出してしまいたいという感情が「責任感」という言葉の周りでグルグル渦巻いていて、その混乱は読者にもヴィヴィッドに伝わってくる。

姫: そこで、シッドが無口で感情を表に現わさないキャラクターという設定が生きてくる訳ね。作中人物は、シッドがそんな風に悩んでいることが見えていない。「恐れ知らずのタフガイ」と思われている男の弱さを、誰一人知らない。「ごく普通の男」シッド・ハレーは、「ごく普通の男」に見えないために色々なものを失ってしまう。

咲: その時、読者にだけそのギャップが見えているという構造を持ちだして来るフランシスはあざといまでに巧い。読者は誰もが彼に感情移入できるし、無理解な作中人物への怒り、悲しみ、そして虚しさをハレーと共有できる。だからこそ、勇気を振り絞って最悪の敵に再び立ち向かったラストシーンで敵が放つ一言が、痺れるほどの感動を揺り動かすんだ。

「この世になにかないのか」彼は苦々しげにいった、「お前が恐れるようなものは?」

姫: ハレーが心の底から恐れるただ一つのもの、それ以外の恐れをすべて振り払ってでも陥ってはならぬもの、その正体はあなた自身でこの本を読んでたしかめてくださいな。

咲: フランシスのキャラクターって本質的に弱虫なんだよね。情けないくらい卑屈になってしまう時もあるけれど、絶対譲れぬ「矜持」に関してだけはいじっぱり。実にガキっぽいキャラクター造形だけど、ストーリーの中でそれを上手く活かせた作品は本当に素晴らしい。今から考えると、『罰金』の主人公もそうだったのかな。ま、ラストシーンのひどさについては、まったく評価変わらんけどさ。ま、今回こそは傑作!で文句ありません。

姫: それにしても、今後シリーズが続くなら、泣き虫弱虫意地っ張りなシッド君の本質を理解してくれる友人を創造してあげて欲しいものね。その辺りは、続編『敵手』レビューの際にぜひ検討しましょう。

咲: さて次回は、ウィリアム・ベイヤー『キラーバード、急襲』で、また会おう。

姫: 胡散臭げなタイトルが実にそそる一品ね。お楽しみに。

(第18回:了)

大穴 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 12-2))

大穴 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 12-2))

泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 (文春文庫)

泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 (文春文庫)

「東西ミステリーベスト100」投票10作品紹介・後編

飽きもせず懲りもせず、深夜に更新。本日の更新は5位から1位まで逆順に。

5. ドン・ウィンズロウ『高く孤独な道を行け』(創元推理文庫

高く孤独な道を行け (創元推理文庫)

高く孤独な道を行け (創元推理文庫)

ニール・ケアリーシリーズ第三作。合衆国からの独立を目論む極右グループに誘拐された赤ん坊を救い出すため、ニールはグループへの危険極まる潜入捜査を敢行する。エンタメとしての完成度では前作『仏陀の鏡への道』の方が上だが、個人的にはこちらを高く評価する。これまでの作品でニールは、未成熟で形が定まっていない「少年」だった。「誰でもなく、誰にでもなれる」からこそ「潜入捜査の達人」と呼ばれたのだ。そんな彼が、この荒野の物語を通して「他の誰でもない自分」になる瞬間を、わたしたちは目撃する。極上の成長小説。


4. トマス・H・クック『夜の記憶』(文春文庫)

夜の記憶 (文春文庫)

夜の記憶 (文春文庫)

クックの紛れもなく代表作である「記憶四部作」(と呼ぶのは日本人だけだが)の悼尾を飾る大傑作。『死』、『夏草』、『緋色』という三作すべてを踏まえながら、さらにその上を行く極度に洗練された物語に感嘆するほかない。余りにも陰惨な「己の中の闇」、そしてそこに巣食う「闇のしもべ」との対決の果てに、扉を開けた主人公が提示する未来への希望は、すべての読者の心に深く刻まれるだろう。ゼロ年代を代表する翻訳本格ミステリのひとつにも選ばれた珠玉の名品。


3. マイクル・Z・リューイン『沈黙のセールスマン』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

沈黙のセールスマン (ハヤカワ・ミステリ文庫)

沈黙のセールスマン (ハヤカワ・ミステリ文庫)

アルバート・サムスンシリーズ第四作。病院に働きかけ、面会謝絶患者への面会を許可してもらう、という些細な依頼を受けたことが発端。しかし、サムスンの捜査が進むにつれて、すべての事実が最悪の方向に向かって転がっていたことが徐々に分かってくる。酒を飲まず銃を持ち歩かないナイーヴな私立探偵サムスンは、「正しい人に正しい質問をすること」で、この事件の謎を解き明かしていくが、しかしこの事件にかかわった結果様々なものを失ってしまう。ただ「沈黙のセールスマン」だけを残して。詳しくは読んでもらうしかないです。オススメ。


2. マーガレット・ミラー『殺す風』(創元推理文庫

殺す風 (創元推理文庫)

殺す風 (創元推理文庫)

『殺す風』は「続いて行く日常の中で、既に登場人物たちの世界は決定的に崩壊していて、元には戻れない」というイメージをミニマルにまとめた作品で、非常に好きだ。「わたしの心に、殺す風が遠くの国から吹いてくる。なんだろう、あの思い出の青い丘、あの塔は、あの農園は? あれは失したやすらぎの国、それがくっきりと光って見える。倖せな街道を歩いて行った。わたしは二度と帰れない。」 本作のエピグラムにも使われた A・E・ハウスマンの詩句である。「殺す風」が人間を狂気や死に追いやった後の物語、それこそがミラーの描くものなのだろう。


1. パトリシア・ハイスミス『プードルの身代金』(扶桑社ミステリー)

プードルの身代金 (扶桑社ミステリー)

プードルの身代金 (扶桑社ミステリー)

ハイスミスに捧げる愛の言葉については以前縷々連ねたので、ここであえて繰り返す必要はあまり感じない(【第11便】「略称孤独の本読み第三回 パトリシア・ハイスミス」(http://d.hatena.ne.jp/deep_place/20120313/1331656751))。一点付け加えるならば、ハイスミスは「殺す風が遠くの国から吹いてくる」とは考えなかっただろうということ。彼女は、人の善意を受けながら、いざとなればその実在を無視することが出来る「悪意なき隣人」たちを描き続けた。善も悪もないただ醜悪さの中に「殺す風」の吹き出し口は隠れている。怒りや悲しみといったバイアスを一切退け「その事実をただ書いた」、その集大成とでも言うべき作品が本作だ。

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ということで、実際のベスト100には登場しない作品ばかりの全10作になってしまいましたがいかがだったでしょうか。
誰もが楽しめるような作品はそれほど多くありませんが、面白そうだという作品があれば、ぜひチャレンジしていただければ、幸いです。
国内ミステリもやろうかなとは思いますが、まず自分が何を読んでいるか良く覚えていない上に特に記録も取っていないので、時間がかかりそうです。

さて、深海通信では、寄る辺ないオールタイムベストを募集しています。
ま、例によって一切反応は得られないと思うのですが、僕の私のATB10紹介記事を掲載してもいいですよという人は、本ブログコメント欄、あるいは三門ツイッターアカウント(@m_youyou)までご連絡ください。
紹介記事では、一言コメントを追記いただければなお嬉しいですが、本のタイトルを並べるだけでも無問題です。

ご応募、特に期待せずお待ちしております。

三門優祐

「東西ミステリーベスト100」投票10作品紹介・前編

プロの評論家もすなる「東西ミステリーベスト100」投票10作品紹介というものをやってみたいと思ふ。とはいえ、実際投票した訳ではないので、「もし投票権があったらこれを入れた」程度の参考資料として見て頂きたい。

今日の更新では10位から逆順に6位まで。それぞれ簡単なコメントも付けていきます。


10. ミネット・ウォルターズ『昏い部屋』(創元推理文庫

昏(くら)い部屋 (創元推理文庫)

昏(くら)い部屋 (創元推理文庫)

今回のベスト100では一作も入らなかったが、ウォルターズが現代のイギリスミステリを牽引する作家の一人であることに疑いはない。話題作には事欠かない作家だが、個人的には第四作『昏い部屋』を偏愛する。自殺未遂で記憶喪失に陥った女が、「なぜ自分は自殺を図らなければならなかったのか」という疑問の答えを求めて、断片的な記憶と事実のピースを継ぎ合わせていく。なぜか噛み合わないパズルの果てに垣間見える妄執が形をとって姿を見せる時、全ての謎が解き明かされる。ニューロティックサスペンスとパズラーが、ウォルターズ印の物語の中で結婚を果たす、稀有な秀作。


9. ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫)

グルーム (文春文庫)

グルーム (文春文庫)

一般的にはまったく評価されなくても、俺が好きだから入れた作品。現実世界に直面できず自宅に閉じこもり妄想の世界に没入する青年アイム。思いがけず人を殺してしまったことで、安全な(しかし薄っぺらな)妄想世界が現実世界と繋がってしまい、彼の人生と妄想は破滅への道を歩み始めてしまう。『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない』『鏡の中のブラッディ・マリー』と「団地ノワール」で続けて傑作をものしたヴォートランの、奇妙に歪んだ、痛切で残酷で醜悪な寓話。「アイム」はどこか「僕」なんだ。


8. S・J・ローザン『どこよりも冷たいところ』(創元推理文庫

どこよりも冷たいところ (創元推理文庫)

どこよりも冷たいところ (創元推理文庫)

リディア・チン&ビル・スミスシリーズの第四作。シリーズ最高傑作は、エドガー賞受賞作『冬そして夜』でほぼ異論がない出ないと思われるが、忘れ難い印象を残すこちらを推す。大柄で荒事担当とも見えるが、根は繊細なビルが日々の練習の中で少しずつ完成させていくスクリャービンのピアノ練習曲の進捗と事件とが呼応し、二つのストーリーラインが鮮やかに溶け合うラストまで繋がっていく。「レンガ積み職人」という潜入捜査用の職業から得られる教訓も含めて、「謎を解く」ということがどういうことなのかを考えさせられる。


7. マイクル・コナリー『わが心臓の痛み 上下』(扶桑社ミステリー)

わが心臓の痛み〈上〉 (扶桑社ミステリー)

わが心臓の痛み〈上〉 (扶桑社ミステリー)

ハリー・ボッシュシリーズで有名な作者のノンシリーズ長編。強盗殺人事件の被害者の心臓を移植することで生きながらえた元FBI捜査官のテリー・マッケイレブは、自分と事件の関係に悩みながらも懸命の捜査を続けて行く。職業的私立探偵小説の主人公が、報酬以外の意味で「なぜ事件と関わらなければならないのか」という問題の極北を行く傑作だ。マッケイレブはのちにボッシュシリーズの『夜より暗き闇』や『天使と罪の街』(以上二作は講談社文庫)で非常に重要な役割を果たすので、シリーズファンも必読の一作。


6. ジェイムズ・エルロイLAコンフィデンシャル 上下』(文春文庫)

LAコンフィデンシャル〈上〉 (文春文庫)

LAコンフィデンシャル〈上〉 (文春文庫)

ジェイムズ・エルロイの出世作『ブラック・ダリア』に始まる「暗黒のLA四部作」の第三作にして、エンターテインメント性では群を抜く傑作。世の中では超絶文体冴える『ホワイト・ジャズ』や、計算しつくされたショッキング展開が極まった『ビッグ・ノーウェア』が評価されているのは知っているけれど、次々に起こる出来事を縦糸に、輻輳する登場人物たちの想いを横糸に、50年代アメリカという大陰謀を繊細かつ強引な筆力で紡ぎあげて行くLACこそ、俺の中では至極。チョイ悪になりきれないエリートくずれのエド・エクスリーに強く感情移入しているってのは、捨てきれないけれど。

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明日は5位から1位まで公開の予定です。


週刊文春臨時増刊 東西ミステリー ベスト100 2013年 1/4号 [雑誌]

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第十七回:ウィリアム・H・ハラハン『亡命詩人、雨に消ゆ』(ハヤカワ文庫NV)+ケン・フォレット『針の眼』(創元推理文庫)+アーサー・メイリング『ラインゴルト特急の男』(ハヤカワ文庫NV)

○寂れて古めかしい遊園地

咲: イントロを入れるのももったいないほどに遅延しているので、サクサク進めますぞ。

姫: 不人気ブログの唯一にして最高に不人気なコンテンツですものね。せめて安定した更新くらいは守っていきたいものですが。

咲: まあ、色々あるのだよな。さて、今回は予定を変えて一挙に三冊やります。一冊目のウィリアム・H・ハラハン『亡命詩人、雨に消ゆ』(1977)は、こんな話。


亡命詩人、雨に消ゆ (ハヤカワ文庫 NV 304)

亡命詩人、雨に消ゆ (ハヤカワ文庫 NV 304)

強い雨が降りしきる四月のある日、ソ連から亡命した一人の詩人が誘拐された。連れ去ったのはソ連当局のエージェントだという。亡命してすでに二年、政治とは無縁の存在である彼がなぜ? ふとした偶然からその謎を解く鍵を発見した移民帰化局のリアリィは、独力で秘かに調査を開始する。一方、任務の失敗からCIAを追われ、失意の日々を送っていたブルーワーも、元上司の依頼で詩人の救出に乗り出した。(文庫裏表紙あらすじより)

姫: 詩人として全世界的に高い評価を得ているボリス・コトリコフの失踪事件を二つの立場から描く作品です。「なぜコトリコフは誘拐されなければならなかったのか」という謎に迫るリアリィのパートと、「いかにしてコトリコフを救出するか」という問題に取り組むブルーワーのパートが交互に描かれていきます。

咲: リアリィはコトリコフが接触していたある組織を末端から手繰っていく。捜査局の人間も気づかなかった些細な点から一歩ずつ捜査するあたりは、その独断専行も含めて私立探偵小説風の趣だ。とはいえ、誰が攫ったのかは分かっているし、(リアリィは「何故か」分からなくても)読者にはコトリコフ誘拐の動機はすぐ分かる。おまけに捜査したからって、リアリィに出来ることって本当になにもないんだよな。理解しただけ。自己満足。

姫: 現役捜査官のリアリィに対して、ブルーワーはCIAを馘首になって酒浸りになっている、見事に尾羽打ち枯らした引退スパイです。今回与えられたコトリコフを救助する任務を、上手くやればCIAに戻れるかもと期待している。救助任務とは言っても、コトリコフが閉じ込められている場所や、実際に救助する方法はCIAが用意してくれて、それを成し遂げるのが彼のお仕事なのね。だから、筋トレや器具の操作法の練習ばかりしてます。不安になっては、やっぱり俺はロートルだと愚痴をこぼすのがチャームポイント。

咲: リアリィとブルーワーは、まったく違う次元で動いているし、二人の動きが重なり合うことはない。両方を知っている読者ゆえに気づく事実とか、そういうのも一切ないんだよね。ホント、なんのために物語に二つの軸を導入したのか分からない。

姫: うーん、思考担当と実働担当を分けた方が、話が複雑になり過ぎなくて済むって考えたんじゃないかしら。実際、物語の進行は非常に分かりやすいし。向き不向きをきちんと考えて、適材適所でキャラクターを動かして行くのがスマートなやり方、というアメリカ的手法が作品に生きているのでは?

咲: それはあるかもね。正直、一つの事件から派生したそれぞれのパートはまあまあ面白いんだけど、一個の作品としてはまったく不完全だ。あえて今読む必要はないと思う

姫: 同感ね。いまやジェフリー・ディーヴァーとかが、こういう物語の作り方を完成させてしまったから、古めかしい作品はどうしても厳しい。ディーヴァー作品はジェットコースターにも例えられる強烈なサスペンスが売りだけれど、『亡命詩人〜』は、あまりにもぬるすぎるわ。


○作者の趣味が溢れる小説

咲: お次はケン・フォレット『針の眼』(1978)。冒険小説のオールタイム級名作と呼ばれている作品だ。ハヤカワ文庫NV→新潮文庫創元推理文庫と版元を移動し、翻訳を新しくしながら三度も文庫化されている辺りに、その人気のほどがうかがえるね。

姫: あらすじは以下のとおりよ。


針の眼 (創元推理文庫)

針の眼 (創元推理文庫)

連合軍の上陸地点がカレーかノルマンディかを突き止めよ! 連合軍の最重要機密を入手した、ドイツの情報将校ヘンリー、通称「針(ディー・ナーデル)」は、その情報を一刻も早くアドルフ・ヒトラーに直接報告するため祖国を目指す。英国陸軍情報部の追跡を振りきった彼はU=ボートの待つ嵐の海へ船を出すがあえなく遭難してしまう。

咲: ようするに第二次世界大戦版『ジャッカルの日です、と言ってしまうと身も蓋もないけれど。英国軍の渾身のブラフを看破して、ノルマンディ上陸作戦の秘密を突き止めた「針」(スティレットと呼ばれる短い刺突剣を使うことからついたあだ名)が、英国諜報部の眼をすり抜け裏を掻きながら味方との合流を目論む前半はまさにそれ。

姫: ノルマンディ上陸作戦は史実では成功しているので、ようするに「針」はなんらかの理由で真実をヒトラーに伝えられなかったハズ。臨時に諜報部顧問になった中世史学者ゴドリマンや警視庁のブロッグス警部らの手によって脱出を阻まれたのだろうなあ、と思って読み進めていくと……

咲: 残念ながら、「針」は諜報部の手から逃げおおせてしまう。そして一時の不運から、スコットランド北部の孤島に漂着するんだ。ゴドリマンたちにとってみれば、「針」の生死が確認できない以上、不安は残る。その孤島に人を送って確認させようとするが、嵐と霧のために実行は不可能。結局、「針」とU=ボートの接触を防ぐ者がいるとすれば、それは孤島に住む羊飼いの青年とその妻しかいないということになってしまう。なにも知らない彼らに、英国軍の作戦の成否が、そして英国の未来が掛かっていく!

姫: 羊飼いの青年といっても、そこらの純朴な青年という訳ではない。彼は数年前に徴兵され、飛行機乗りとして前線に赴く直前に事故に遭い、今では車椅子生活を余儀なくされている、という設定。物語の序盤から語られていく彼とその妻の人生の物語は悲しく残酷だわ。ぜひとも国のために働きたいのに、不具者となったために孤島で引き籠った生活を余儀なくされる怒りと悲しみに焦れる男。ずっと彼の傍にいて、彼を支え続けなければならないと考えつつも、数年来夫とベッドを共にすることのない生活に、微かな不満を募らせていく女。二人の間に積もるすれ違いは作中、戦争の状況以上に微細に克明に描かれていく

咲: そこに「針」が現れる。それが触媒になって起こる歪みの暴発、鬱屈する憎悪。男女間の心理をこれでもかと描き、心理小説としての側面を際立たせているのは、冒険小説としては珍しいよね。

姫: 最終的に打ち出される「戦う人妻」のイメージって、フォレットの他の小説にも出てくるのよね。『大聖堂』とか。ブロンド美女で気丈で大切な人を守るために立ち上がる女、っていうのが作者の趣味なんでしょうね。わっかりやすーい。

咲: そこは許してあげようよ。

姫: ということで、単純なスパイを追う/追われるという構図だけではなくて、そこに緻密な(でも卑俗な)心理模様が散らされているという点で、やや新しいと言えるのではないかしら。

咲: 結末はやや弱いかな。「針」も作者と同じく人妻好きだった(っぽい)ので、この作品は「欲求不満のエロ人妻最強伝説」の一書として読まれていくといいと思います。

姫: ひどいまとめだけど、間違ってもいないのが辛い。


○「ラインゴルト特急の男」って誰のこと?

咲: 最後はアーサー・メイリング『ラインゴルト特急の男』(1979)です。さてあらすじは以下の通り。


ラインゴルト特急の男 (ハヤカワ文庫NV)

ラインゴルト特急の男 (ハヤカワ文庫NV)

イギリスで現金密輸を請負う一匹狼、コクラン。今回の仕事は、35万ポンドをスイスに運ぶというものだった。いつもの依頼人ではなく、しかも大陸縦断特急<ラインゴルト>を使えという。コクランは疑惑を抱くが、密輸業を公にすると脅され、仕事を引き受けるだが彼は知らなかった。夢想だにしない罠に自分が落ちてしまったことを。(文庫裏表紙あらすじより)

姫: あらすじには「男の戦い」とか書いてあるんだけど、この「戦い」が始まるまでがえらい長いのよね。その話をする前に、まずはもう少しキャラクター設定を補充しましょ。主人公の一人コクランはアメリカ人ながら、ロンドンに暮らす男。過去の誤ちから労働許可証が取れなくて、生きるために仕方なく、ある男の手先になって現金の密輸に手を染めている。そんな彼が突然、別の男から呼び出しを受けて35万ポンドを運べと強要されるのが発端よ。

咲: この作品の中で、もう一人異彩を放つのが常習的犯罪者のオローク。彼は、コクランに現金輸送を依頼した男の依頼で、コクランから現金を奪おうとする(そう、こういう複雑なプロットを背負ったクライム・ノベルです。冒険小説じゃないのよ)。自分の目的のためなら、邪魔な人間はごく自然に殺し、必要なものはごく自然に奪う、情動に相当の歪みを抱えた男なんだ。このオロークが張り巡らして待つ罠に、何も知らないコクランが飛び込んで行く、という話のはずなんだけど……。

姫: 一つ一つ準備を整えていくオロークとは対極的に、コクランはアメリカからやってきた中世史家で美人の人妻に惚れてしまうのよね。なんとか仲良くなりたい、でも俺のようなカルマを背負った人間の屑に彼女を幸せにすることなんて無理だ、とモジモジしまくりのコクランに対して、読者はいい加減現金を持って移動を開始しろよ、と焦れていく。

咲: ロンドンを出発するまでが長いし、出発してからも彼女のことと自分の過去のことばかり語り続ける。ラインゴルトの出発点であるオランダについても、彼女に会いに行ったりしているうちに乗り遅れてしまう……おい、いつ<ラインゴルト特急>に乗るんだよ!

姫: コクランの惑溺と対照的に、なぜか計画が上手くいかないオロークも焦っていく。<ラインゴルト特急>に乗る前に決着をつけるという彼のプランは、コクランの思いつきによって完全崩壊。二人のすれ違う意志は、ついに二枚舌の依頼人と現金の正規の持ち主をアムステルダムに導くに至り……と8割がた話してしまったわね。

咲: 二つのストーリーラインの、時間的・感情的な噛み合わなさはテクニカルでなかなか面白いんだけど、肝心のお話の中身は薄っぺらなんでね。この作品最大の問題点は、二人の犯罪者を操る黒幕のキャラが弱すぎて、あまりにもあっさり退場してしまうところか。

姫: 作品としてはまったく見るところがないのよね。コクランの過去も完全にお涙ちょうだいで、異常者異常者連呼されるオロークも、サイコ殺人者を読み慣れた目には、せいぜいリプリーくらいのダメ人間に過ぎない。リプリーには可愛げがあったけれど、オロークにその方面は期待できないし。

咲: ちょっと良く出来ている作品だけど、読む必要はないと。


○まとめ

姫: なんか、今回はいまいちテンションが上がらなかったな。『針の眼』くらい?

咲: 人妻好きなら。あとの二作品は、正直読む価値なしという結論だね。

姫: ロシア人詩人が出てきて、作中フランスやイタリアに行くとか、オランダでの衝突がクライマックスで、大陸縦断特急がモチーフになっているとか、エドガー賞はどうもそういうエキゾチック」な雰囲気を醸す作品に弱すぎる気がする。

咲: アメリカ人の読者がそういう作品を求めているということなのだろうなあ。内容的には正直たいしたことがなくても、諸々の要素だけで下駄が入る。

姫: わがまま言う訳じゃないけど、真っ当に面白い作品読みたかったわ。まあ、その辺は次回に期待しましょうか。

咲: 次回は、ディック・フランシス『利腕』ウィリアム・ベイヤー『キラーバード、急襲』の二作品。いざとなればもう一冊増やす気持ちで行こう。

姫: フランシスの超傑作キマシタワー。

咲: はあ、ま、特段期待せずに読みますよ。

(第17回:了)

オリエント急行戦線異状なし

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