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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

デレク・B・ミラー『砂漠の空から冷凍チキン』(2016)

2013年、『白夜の爺スナイパー』集英社文庫、2016年)でデビューした作家の第二作です。前作を大絶賛した身としてはかなり期待して読み始めたのですが、正直よく分からない部分が多々ありました。

砂漠の空から冷凍チキン (集英社文庫)

砂漠の空から冷凍チキン (集英社文庫)

 

第一部「初春」は、1991年、湾岸戦争が始まったばかりのイラクが舞台です。

物語は、アメリカ陸軍の新兵で19歳のアーウッドがイギリス人の新聞記者で39歳のベントンと出逢うところから始まります。名だたるタイム紙の記者でありながら、同僚と比べてまるでうだつのあがらないベントンは最後の一発逆転を賭けて軍事緊張地点の一つズールー検問所にやってきたのです。果てしない見張りに飽き飽きしたアーウッドは軽い気持ちでベントンを軍事境界線の内側に入れてしまいますが、折悪しくイラク軍の攻撃ヘリコプターが街に襲来。女子供も老人も容赦なく意味なく殺される最悪の状況で、ベントンは一人の少女を救い軍事境界線まで連れ帰ることに成功しますが、しかし、ベントンとアーウッドの目の前で彼女はイラク軍の大佐に射殺されてしまいました。

結果、アーウッドは不服従により軍隊を「非名誉除隊」され、ベントンは得る物なくイラクを去ることになります。その二人の22年後の新たな「冒険」を描くのが、第二部以降の物語です。

その第二部「長く、冷たく、厳しく、そして暗かった」は、2013年、妻の不倫がきっかけで家族が崩壊寸前にあるベントンの元にアーウッドから電話が掛かってくるところから始まります。実に22年ぶりに連絡を寄こしたアーウッドは、「ビデオを見た」「イラクでテロ組織の攻撃を受けた人々の中に「彼女」がいた」「「彼女」を救うために俺もお前もイラクに行かなければならない」と断言。61歳のベントンを、半ば強引にイラクへと連れて行ってしまいます。22年前に死んだはずの少女と瓜二つの女の子を救うべく二人はミッションに取り組むことになるのですが……

 

正直なところ、物語という意味では本書は第一部だけで成立しています。救えなかった少女の姿はタイトルにも取られている「砂漠の空から冷凍チキン」というフレーズからも滲む米軍の酷過ぎる体制(「天才が考えだし無能が運営している」)をまざまざと思い知らせる代物で、現実にそのようなことがあったかもしれない、と読者の脳裏に刻み込むに充分な威力がありました。では、作者はなぜわざわざ第二部以降を書いたのか。

 

本書において、ベントンというキャラクターは非常に分かりやすい立ち位置にあります。一発逆転を賭けた体当たり取材は失敗に終わり、結局うだつは上がらぬまま20年を無為に過ごした彼は、妻に浮気され、娘とは心が離れ、仕事はクビ寸前。もはや新聞も読まずニュースも見ず、下らないテレビ映画を見ることで無聊を託つ在り様です。そんな彼がアーウッドに引き摺り回されるままイラクで死線を潜り、一種の英雄となって家に帰るまでの物語……と第二部を捉えてもあながち間違いではないでしょう(実際、本書の帯や裏表紙のあらすじは概ねその線で本書を紹介しています)。

でも私はそんな「分かり切った物語」ではとても満足できませんでした。もう一人の主人公、アーウッドはいかなる人物かという疑問に納得のいく答えを見いだせない限り、私にとってこの本は読み終わったことになりません。

以下、再読精読が不足しているため必ずしも正鵠を射た読みとは言えない部分もあるかと思いますが、自分なりの考えをまとめ、この本を読み終わりたいと思います。ということで、これ以降はいささか妄想的になり、また未読者の方にとって興を殺ぐような内容となるかもしれません。ご容赦を。

 

さて、アーウッドとはいかなる人物なのか。1991年の戦争、また非名誉除隊での彼の行動を見る限り、彼は「非常に空虚な人物」であるかのように外面上描かれています。なぜそのように見えるかというと、本書において彼の思考や感情を慮るような描写が限りなく排除されているからです。彼は、読者にとってもベントンにとっても「何を考えているか良く分からない人物」なのです。ここで特に大きな問題なのが、本書を読み進める動機(感情移入)の核となるだろう、「なぜ縁も所縁もない少女にそこまで拘るのか」という行動原理を、彼が説明してくれないことです。命がけであることも含めて、彼の行動の外見はほとんど狂人のそれ。巻き込まれてしまった以上、ベントンは意味不明でもついていくしかありませんが、少なからぬ読者が「意味が分からない」と本書のページを閉じてしまうことでしょう。

反面、彼は理性的でかつ打算的な人間です。武器商人として成功するには当然そういった素養は必須ですし、ベントンや協力者である人々には説明していませんが、無事脱出するための数々の「伏線」を用意した上で今回のミッションに臨んでいます。目的を達するためには手段を選ばない強引さはあっても、それはあくまでも合理的なもの。彼は決して狂人ではありません。「狂人のように見える」が狂人ではない。本書を読み解くカギは、この矛盾を説明する「目的意識」、すなわち「Why?」がアーウッドの具体的には描かれない内面にあったかどうか、です。

アーウッドが今回イランにやってきたいくつかの目的のうち、最も明確なのは「大佐を殺すこと」です。「あの瞬間」自分の取れなかった行動を完遂し、救えなかった少女の仇を討つ。少女を探す旅路の途中、補給を言い訳にふらりと消え、ふらりと戻ってきた彼の口からポツリと語られたこの行動は、彼の言う「少女の救出」が、必ずしも彼にとって最優先の目的ではないことを物語っています。

では、彼の真の目的とは何か。ここからは完全に妄想(というかもっとしっかり書いておいてくれ……)になりますが、それは「ベントンに借りを返すこと」ではなかったか? 彼が行かせなければ、少なくともベントンは一人の少女の死に直面することはなかったし、もしかしたら空虚な人生を送ることはなかったかもしれない。すべてのしがらみを捨てて放浪し、武器商人になったアーウッドがベントンには執着していた(教えてもいない連絡先を22年後でも把握している、あるいは「調べればすぐに分かる」と言いきれるのは正直怖い)というのは示唆的です。アーウッドがベントンに、多少歪んではいるかもしれないが友情と、同時に引け目を感じていたのではないか。それを清算する、ベントンが「命を救い英雄になる」最後のチャンスとして、アーウッドが用意したのが今回のミッションだったのではないか、というのが私の読解です。

アーウッドの言動をもう少しきちんと読み返すと、この辺りの根拠が取れそうなのですが、金の出る仕事でもないのでちょっと無理ですね。本質的には退屈な作品なので。

 

悪い酒を飲み過ぎた後、吐くと少し気分が良くなる物ですが、正直今そんな気持ちです。最後まで読んだ方、私の吐瀉物を見せつけて申し訳ない。ではさらば。