○ギデオン警視のリアルライフ
咲: 始めます。
姫: また出し損ねて二回一気に進める展開に……中の人が忙しいのかしらね。
咲: 主に農業が忙しいんだとさ。なぜ買ったし。
姫: ま、それはさておき進めましょう。一冊目は『ギデオンと放火魔』(1961)ね。この作品はギデオン警視シリーズの第七作目。初期の『ギデオンの一日』、『ギデオン警視の一週間』、『ギデオンの夜』あたりは古書価がそれなり以上に高いことでも有名。
ギデオンと放火魔 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
- 作者: J.J.マリック,井上一夫
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1978/03
- メディア: 文庫
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咲: 図書館で探せばあったかもしれないけれど、気力がなかったので結局読みませんでした。あとに書く理由で、せめて続編の『ギデオン警視と暗殺者』は読んでも良かったかもしれない。
姫: あらすじは以下の通り、といってもものすごく短くなってしまうそうな。
咲: ロンドン警視庁を統括する警視の一人、ジョージ・ギデオンに安息の日はない。いつもどこかで事件は起こっているからだ。ギデオンのデスクに積まれた書類を見ていくと、町の人間模様がほの見えてくる。貧民街のぼろアパートを狙った放火事件、幼女誘拐殺人事件、巧みな信用詐欺など、次々に起こる事件に部下を派遣し、あるいは自らも出向くギデオン。街の一角で見つかった複数の女性の遺体に端を発する殺人事件捜査も佳境を迎える中、ギデオンの家庭でも大きな問題が起ころうとしていた。
姫: と言う感じです。短い!
咲: この作品は、いわゆる警察捜査小説(Police Procedural)という奴で、その特徴とも言える「モジュラー形式」を取り入れている。横文字ばかりでよく分からんので、簡単に説明すると、「警察のリアル」を描いた作品といえる。一般的なミステリ小説において、探偵役は一人だし、そいつが捜査/推理しなくちゃいけない事件は一つ、というのが普通だ。だが、実際の警察官は、複数の事件をかけもちで捜査し、仲間たちと協力し、日々報告書を提出し、町中を駆け廻らなければならない。
姫: そうやって複数の事件が発生し、捜査し、解決していく(あるいは捜査が打ち切られる)様子を描いて行くのが「モジュラー形式」。ただ、それぞれの事件はもちろんバラバラのものなので、一個に収斂したりする訳じゃない。世の中、悪魔的な狡猾さを備えた犯人なんて、そんなにいないものよ。なにしろ、ここで描かれるのはリアルな警察の捜査なのだから。
咲: 一つ一つの事件は投げ捨てのように使われては消えていくので、さほど面白くはない。むしろ重要なのは、それらの事件を捜査する警察官たちのキャラ立ちということになる。一冊だけしか読んでないので、そこのとことは何とも分からないのだけど。それゆえ、過去作品も読んでおくべきだったかな、と一抹の不安はある。
姫: 管理職として、部下のことを気遣ったり、あるいは気遣われたりするギデオンは面白かったと思うけれど、ただ、周りの部下たちはやはり薄い。その理由はギデオンの家庭内で起こった事件に起因するのではないかしら。
○ギデオン警視の家庭事情
咲: ギデオンは男3人女3人子どもがいるのだけど、今回その末の息子(来年大学進学予定)が、幼馴染の女の子をうっかり孕ませちゃった、というのがその事件。ただでさえ事件が頻発して死ぬほど忙しいのに、息子に説教して妻に取りなされたり、大学進学なんて止めて、急いで結婚しろ責任を取れ、と怒鳴りこんできた相手方の親父と話し合ったりと大忙し。むしろそっちの方に分量が割かれている感じ。
姫: ギデオンって「僕は外で働くので、子育て含め家のことは妻に任せる」タイプの人なのよね、もちろんいざと言う時は動くのだけど。この作品を通して、彼は自分がいかに息子のことを知らなかったか、彼の周囲に無関心だったかということに気づかされるはずなのだけれど。
咲: 息子が妊娠させてしまった女の子が結局どうなったのか、息子は果たして大学に進学できるのかという問題については、この作品の中では言及されない。だからこそ、次の作品は気になる訳だが……。
姫:これは勘だけど、言及されないのではないかしら。女の子がどうなったかについては一応仄めかしがあるわね。彼女と、それぞれの母親が話し合って、「二、三日は辛いだろうけれど、誰もが納得する結末を選んだ」らしいことが妻から伝えられている。ようするに中絶手術を受けたということでしょう。
咲: 相手の父親は、長老会派の結構堅い信仰者っぽかったけど、それで本当に大丈夫なのか? ギデオン自身がその点について心配している風はない、というよりもむしろ「君のいいようにやってくれ」と言う風に、流してしまっている。
姫: 結局無関心、というか忙しすぎて気にとめている余裕がない。そこも含めて、警察上層部のリアルを描いているのかもしれないけれど、なんだかなあと言う感じも残るわね。
咲: 次々起こる事件そのものについてはどうだろう。正直、小粒だが。
姫: この作品には原型中編があるらしいわ。古いミステリマガジンに載ったものなので、もちろん現物未確認だけど、この「間違った社会正義」を振り回すメイン犯人はおそらく当初からのものでしょう。その周りに息子の問題含め、小さな事件をくっつけていく感じで作ったのではないかしら。
咲: モノとしては悪くないんだけど、いかんせん小粒。微妙に入手困難だし、別に無理して読むまでもない、と言う感じはするな。
姫: 多分、未読の初期作はもっと面白いんじゃないかしらね……シリーズ通読しないと面白さが見えてこない、と言う可能性は大いにあるわ。
咲: だったら無理して読む必要はないな。いまなら、もっと面白いモジュラー形式の作品があるんだからさ。ウィングフィールドのフロスト警視ものとか。翻ってマクベインの87分署シリーズとか。
姫: 87分署シリーズは、みんなで一つの事件に迫って行く感じの作品が多いから、モジュラー形式ではないような気もするけれど、でもキャラ立ちは遙かに優れているわねえ。
咲: 詳しくは108式でも見直すといいんじゃないですかね。途絶したけど。
姫: と言う訳で、簡略ながら一旦締めます。
○歴史ミステリの名手の初期作
咲: 二冊目は『死と陽気な女』(1961)。フェルス部長刑事シリーズの第二作だ。ピーターズは後年著した修道士カドフェルシリーズで世界的に有名な作家で、日本でもむしろこちらのシリーズの方で知られている。ウェールズではカドフェルシリーズ巡礼ツアーが組まれていて、大変好評を受けているらしい。あ、ちなみにそっちの第三作『修道士の頭巾』は、CWAのシルヴァー・ダガー受賞作です。
死と陽気な女 (Hayakawa pocket mystery books (856))
- 作者: エリス・ピーターズ,高橋豊
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1987/02
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姫: イギリスって、結構こういう文学ツアーとか怪談ツアーみたいなの多いわよね。昔ロンドンに旅行で行った時、友だちに引っ張られるままロンドン塔怪奇ツアーに参加したけれど、アレは怖かった。ほんとうに。
咲: 姫川さんは怪奇に弱かったのか。短からぬ付き合いで初めて知ったよ。
姫: いや、違うし……高いところがダメなだけだし。
咲: どうでもいい小ネタをはさみつつ、あらすじにかかりたいと思います。
姫: 彼女が落とした靴を、彼が拾った―フェルス部長刑事の息子ドミニックと、うら若き美女キティ・ノリスの関係は一瞬のすれ違いで、出会った瞬間に終わったはずだった。ところが、フェルス部長刑事が捜査に当たる殺人事件にキティが巻き込まれたことで、物語の歯車は音を立てて動き始める。
咲: 被害者はビール製造業の大建者アーマイジャー。残虐にもシャンパンのボトルで何度も頭を殴られたのだ。アーマイジャーは遺言でキティに全財産を残していたが、彼女自身は金に困らぬ立場であり、犯人の可能性は薄かった。ところがある日、彼女は突然自白を始める。そう、アーマイジャーを殺したのは自分だと。彼女が、警察か犯人かしか知りえない事実を語ったため、その容疑は急速に黒に近づく。
姫: しかし、その告白は嘘のものだった。彼女にその事実をうっかり伝えたのは、彼女に恋をしたドミニックだったのだ。家族とは言え、捜査上の秘密を漏らした自分の迂闊さを悔やむフェルス。フェルスにお説教されたドミニックは逆上、自分が彼女の無実を証明して、真犯人を捕まえて見せると言い放ち、町に飛び出して行くのであった。
咲: ものすごーくオーソドックスな本格ミステリです。逆にこの作品がエドガー賞を受賞しちゃっていいの?と言う気分になる。これまでの傾向を考えると、受賞作は私立探偵ものか、心理サスペンスかという感じだしね。犯人指摘に至る消去法ロジックは比較的単純で、むしろ先読み出来るかもしれない。でも、心理的な伏線を序盤から配置して、それを漏れなく拾っている丁寧さが可視化されているから気にならない。
○ドミニック君激萌え
姫: という咲口君のジャンル解説はさておいて。この作品は16歳、いままさに青い感情噴出しまくりというドミニック君の萌え萌え少年小説です。最初からヤバいわ。ダンスパーティに退屈して人目をついて抜けだし、靴を脱いで手すりの上で踊るという、よく言えば妖精さんみたいな、悪く言えばあっぱっぱーな行動に走るキティ・ノリスに、一目ぼれしてしまうドミニック君。この年頃、同年代女子よりも訳分からんお姉さんに憧れるものよね……。
咲: 姫川さんが変な語りに入った。怖い。
姫: ようするに、自分のことを好きになってくれる見込みが万に一つもない女性に無償の愛を捧げる騎士道精神の話なのよ。捜査に掛ける真剣さの度合いが、そんじょそこらの警察官とは段違いなので、「絶対にどこかに残っているはずの証拠」をいくつも見つけ出し、警察の捜査に貢献して見せるドミニック君可愛い。
咲: その辺は、一応フェルス部長刑事の方からフォロー入ってるね。警察側もその路線を検討していたけれど、証拠が見つからなくてどうしようもなかった、と言う部分を恋する少年パワーでなんとかしてしまう。
姫: ここで重要なのは、キティの容疑はもともと存在しなかった、ということなのよね。ドミニック君から手に入れた証拠を使って嘘の自白までした彼女は誰かを庇っている。彼女が庇っている奴が真犯人なのか? あるいは別に犯人が存在するのか? という謎を解き明かすために、ドミニック君は思いもよらぬ手段を用いるが……と言うところはぜひ読んで確認してください。
咲: 実際この作品も、前半はそれほど面白くない。ところが、ドミニックが逆切れして、「分かったよ俺が犯人を見つけてやる!」と啖呵を切ったところから抜群に面白くなる。これはなんでなんだろう。
姫: 一つには、父であるフェルス部長刑事の役割が、単純に息子を教導するというところに留まっていないためではないか、と思うの。普通子どもがそんなことを言い出したら、厳と止めるでしょ。でもフェルスはそうはしない。自分の誤りを認めつつ、息子の誤りも指摘する。立場を対等に持って行った上で、共同戦線を提案する。そこに息子の精神的成長を見越しての判断ね。息子に家族にさっぱり関心がないギデオンと比べて、えらい違いでは。
咲: そこは単純に比較できないと思うけれど。この作品でのフェルスは、「お母さん」の考える理想の父親像じゃないかなあ。ピーターズが女性であるからこそ、こういう風に書いたとは考えられないだろうか。
姫: うーんそうかも。この作品で、お母さんってあまり表に出てこないのよね。父と息子の関係性が強い。「少年が成長して大人になる」過程を、手助けする理想的な父親像としてのフェルスか……。この二人の関係性が、この後どういう風に変わって行くのか、割と気になる。
咲: 第四作『納骨堂の多すぎた死体』(1965)は翻訳があるので、読んでみてもいいかも。それ以降の作品についてはすべて未訳だけどな。
姫: ジャンル的にはコージーミステリの祖形の近縁、といったところかしら。こういう作品の翻訳がもっと進むといいと思いました。
咲: それにしても、ラストシーンがいいよね。
姫: 真犯人逮捕を見届けた後、キティに「こんなことで傷つくなんてあなたらしくない。海外にでも行っちゃいなさいよ、きっとあなたの目の前には数多のいい男が現れるはずですよ(キリッ」とかほざいちゃうドミニック君が一番いい男よ!
咲: そして数ヵ月後。キティの結婚通知が新聞に載り、それを父親に見せられたドミニックが一言。「ああ、そんな女性もいましたね」……心で泣けばいいよ!
姫: 「イギリスの男の子小説」最高ですぅ。
咲: 本が入手困難なことを除けば、文句無しで必読の一冊なんだが……。早川書房復刊せよ(ビビビー
姫: 出たー、咲口君の復刊要望毒電波……かなわないことで有名なアレ。
咲: もういっそディヴァインの後釜でピーターズを創元に出してもらおう(ビビビー
姫: ということで、二作目も終了!
咲: 次回はエリック・アンブラー『真昼の翳』とのこと。
姫: スパイ小説ね。面白いかどうかは例によって未知数だけど。
咲: とりあえず読むしかないな。乞うご期待。
(第八回:終了)
- 作者: R.D ウィングフィールド,R.D. Wingfield,芹澤恵
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1994/09
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- 作者: エリスピーターズ,Ellis Peters,武藤崇恵
- 出版社/メーカー: 原書房
- 発売日: 2000/02
- メディア: 単行本
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