深海通信 はてなブログ版

三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

トマス・H・クック『サンドリーヌ裁判』〜愛のままにわがままにぼくは君だけを傷つけ、ない?〜

ということで新コーナーを発足します。本コーナーは「翻訳ミステリの新刊レビュー」を雑にやって行こうと思います。エドガー賞もそのうち更新したいとは思ってますよ? 地味に。

第一回は、2015年1月刊のハヤカワ・ミステリであるトマス・H・クック『サンドリーヌ裁判』を取り上げます。

実は私、何かを語り得るほどクック作品を読んでいません。「記憶シリーズ」四部作、『沼地の記憶』、それに版元が早川書房に移って以降の作品だけ。初期の私立探偵小説や『夜の記憶』以降の文春文庫の作品は抜けています。なので、作家の成長とか劣化とかそういう話については、今回は黙していこうかなと考えています。


サンドリーヌ裁判 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

サンドリーヌ裁判 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

「わたしが彼女を傷つけることはありえないと信じて、私の犯罪の本質を垣間見ることもなく、彼女は死に向かったのだろうか?」(本書p.90)

あらすじは単純明快、以下の通りです。

田舎町コバーンの大学に勤める英文学教授サム・マディソンは、同大学に勤める古代史教授で、妻のサンドリーヌを殺害した容疑で裁判にかけられることになった。睡眠薬の大量服用による死は、果たして自殺か、他殺か。時ならぬスキャンダルに沸き立つコバーンの街の人々をよそに、サムはサンドリーヌとの人生、己の来し方を静かに回想し始める。

今回の主人公、サムは近年のクック作品にありがちな、インテリだが人間的には薄っぺらい、そして語りがとにかく煩わしい中年後期のおっさんです。果たして彼が殺したのか、はたまた冤罪で本当に自殺なのか。それはサム自身がまったく語ろうとしないため、物語終盤まで読者には確信を持てない部分です。
田舎町の住民たちはもちろん、学生も同僚の大学教員たちも、自分(とサンドリーヌ)以外は「知的でない」と無意識にバカにしている節があります。その価値基準自体がすでに問題ではありますが、裁判においても、自分が死刑になるかもしれないのに「まるで予習用に読んだ下らないミステリ小説の筋書き通りだな」と感じてしまうほど。
周囲に対して怖ろしく無関心でかつ冷笑的、達観しているというよりも、単に防壁を廻らせているだけという感じです。

彼が如何に己の「失敗した」人生を呪っているか、そしてそれによって周囲を無意識に如何に貶しめているかは、たとえば主任弁護士のモーティと交わした以下の問答で分かります。色々意味深にするために、重要な部分は略しておきますが。「細い隙間から洩れる灯油」という譬えがまた、静かに醸成された悪意の存在を示しているように見えませんか?

「わたしは罠にかかったような気がしていた」とわたしは穏やかに言った。それは細い隙間から洩れる灯油みたいににじみ出た言葉だった。
モーティの目がさっとわたしに向けられた。「罠にかかった?」
「わたしの人生のことさ」とわたしは説明した。「それが結局どうなったかということだ。コバーン大学で教えながら、ここに住んでいるということだよ。(中略)だからあんなことをしたんだろうと思う、モーティ」
(中略)「何をやったというんだね、サム?」
(中略)「わたしはこの小さな町に閉じ込められていると感じていたんだ。だから――」
「そういうことは陪審員には悟らせないようにすることだな」とモーティがさえぎった。(中略)「彼らはこの町で暮らしているんだし、彼らの大部分は、サム、あんたみたいにこの町を軽蔑しているわけではないんだから」
軽蔑というのは乱暴すぎるような気がしたが(中略)実際、わたしは軽蔑心を抱いていたのかもしれない。
(pp.154-5)

証言者が登壇する度に、サムは(裁判そっちのけで)様々なことをぼんやりと回想していきます。そのエゴイスティックな回想の中心にあるのは、自分が「犯してしまった罪=不倫」に至る記憶とサンドリーヌとの過去。一枚ずつ薄皮を剥いでいくように「物語の核心」に迫っていくなか、サムはこの「状況証拠しかない死亡事件」の違和感に気付き始めます。
リチャード・ハルの名作『伯母殺人事件』が、単に「伯母を殺そうとする甥」の事件ではないのと同じように、この作品、Sandrine's Caseもまた、単に「サンドリーヌ(が殺された事件の)裁判」ではない訳ですヨ。その辺は、中盤以降の焦点になっていきます。

サムが「裁判で」有罪になるか無罪になるか、また彼の人生がこの裁判によって如何に変わるのかが物語の結末で語られますが、はっきり言ってそこは「最近のクックらしく」微温的なものに落ち着いており、個人的には評価を下げる一因にしかなりませんでした。
むしろ、その一歩手前、「サンドリーヌが死ぬ直前に何を考えていたか」というその一点が、この作品からシニカルな微苦笑をはぎ取り、読者に「ある戦慄」を与えうる部分です。傲慢な人間たちの互いへの無理解、すれ違いが生むほとんど滑稽とも言える悲劇を楽しめる作品でした。

評価は★★★☆☆です。

なお、このコーナーでの星取りは、以下の基準で選定しています。

★☆☆☆☆:駄作(読むには値しない)
★★☆☆☆:標準作(好きな作家なら読んでもいい)
★★★☆☆:佳作(ミステリ好きなら読むべき)
★★★★☆:秀作(定価で買って損なし)
★★★★★:必読の傑作(書店に走れ!)