深海通信 はてなブログ版

三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

リサ・バランタイン『その罪のゆくえ』

単巻新刊レビュー復帰第一回はリサ・バランタイン『その罪のゆくえ』です。

2013年のエドガー賞(オリジナルペーパーバック部門)の候補作ではありますが、前情報が少ないこともあって、あまり読まれていないようなのは残念です。

その罪のゆくえ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

その罪のゆくえ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

さて、あらすじは以下の通り。

事務弁護士のダニエル・ハンターは、ロンドンの公園で起こった少年殺しの容疑者、セバスチャン・クロール(11)の弁護を依頼された。彼は、少年の年に似合わぬ落ち着き払った態度と高い知性に戸惑いを感じつつも調査を勧めて行く。そして時を同じくして起った義母ミニーの死が、ダニエルの精神を大きく揺り動かす。ヤク中の母の元から引き離されて辿りついた、ミニーとの生活。そこに渦巻く愛情、悲嘆、恐怖、憤怒、後悔。ダニエルと彼女の人生を引き裂いた「裏切り」は、今も消えない。

ダニエルの物語はセバスチャンの物語と絡み合い、そして、裁判が始まる。

 

11歳の少年が8歳の少年を殺した容疑で逮捕される、という極めてショッキングなシーンから、物語の幕は開きます。あらすじにも書いたとおり、セバスチャンの「適切にすぎる」受け答えや周囲をじっと観察し、自分に都合のいい展開に持ち込もうとする態度は極めて疑わしいもので、警察サイドばかりでなくダニエルも(当然読者も)、この少年はどこまで信頼できるのか、と混乱させられることになります。

それでも弁護側にあるダニエルは少年を信じて戦わねばなりません。法廷ものではよく指摘される点ではありますが、「容疑者を」信じるか、「容疑者の無罪を」信じるかという問いは同じようで実際には異なるもの。作者はこの違いを際立たせ、ダニエルを悩ませていきます。

また、この作品で扱われる事件が実際に起こった事件の再演であるというのは興味深いところですね。訳者解説に詳しいですが、作者は相当に資料を読みこみ、重たいものを読者にも載せてきています。

 

裁判と同時進行で進むのが、ダニエル自身の過去の回想です。このパートでは、先日亡くなった、もう20年ばかり没交渉の義母ミニーとの出会いから、関係断絶のきっかけとなった「裏切り」までが描かれます。過去に何があったのか、というのはもちろん興味深い点ではありますが、むしろこのパートではダニエルというキャラクターの本質の部分が掘り下げられ、それが現在の彼の立ち居振る舞いに反映されている、その点に注目すべきかと思います。

その中でも、特に着目したいのが過去パート冒頭のこのフレーズ。

「この子は”ランナー”なんですよ」ソーシャルワーカーがミニーに言った。(本書 p.29)

”ランナー”=「走る者/逃げる者」のあだ名通り、ダニエルはミニーの家を何度も立ち去り、生みの母親の元に帰ろうとします。そして、現在のパートでも、まるでその言葉を刻印されたかのように、ダニエルは執拗に「朝のランニング」を繰り返しています。

また、現在のダニエルが実年齢よりも若く見えるというのも注目すべきポイントでしょう。彼は大学を出て15年以上刑事裁判の仕事に携わっているプロフェッショナルですが、セバスチャンの両親それぞれから別個に「若すぎるように見える」「キャリアがあるように見えない」と侮りの言葉をかけられています。これはダニエルの容姿を表すと同時に、彼の「(肉体的/精神的)成長の無さ」を端的に表示している部分ではないでしょうか。「三つ子の魂百まで」の言葉通り、ダニエルは現在でも色々な意味で”ランナー”であり続けているのです。

 

ダニエルが、セバスチャンの裁判と、そして自らの在り様といかに向かい合うか、というのが本書の最大のテーマです。結末はほとんど必然的なものですが、それゆえに試されるものは大きい。

個人的には、年間ベスト級の作品だと思います。内容分量ともにずっしりと重たい作品ですが、強くオススメする次第です。

7月(上旬)読書記録

週単位くらいで読書記録のまとめをつけて行きたいと思います。(更新促進策)

とりあえず期間は7月1日~14日です。

 

・買った新刊

グスタボ・マラホビッチ『ブエノスアイレスに消えた』(ハヤカワ・ミステリ)

サイモン・ベケット出口のない農場』(ハヤカワ・ミステリ)

リサ・バランタインその罪のゆくえ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

ベリンダ・バウアー『生と死にまつわるいくつかの現実』(小学館文庫)

ボリス・アクーニン『トルコ捨駒スパイ事件』(岩波書店

エミリー・セントジョン・マンデル『ステーション・イレヴン』(小学館文庫) 

 

そういえばまだ『ユダの窓』を買っていません。復刊なので、別に読まなくてもいいような気はしますが、自分が翻訳ミステリにハマったきっかけの一つと言える作品なので、やはり外せません。

他、今月出る作品で要注目の物としては、ジョー・ネスボ『ネメシス』(16)、アン・クリーヴス『水の葬送』(21)、アーナルデュル・インドリダソン『声』(29)あたりでしょうか。リンジー・フェイは買わないと思います。

 

・読んだ新刊(超主観的判定による採点、10点満点)

⑧ クリスチアナ・ブランド『薔薇の輪』(創元推理文庫

⑦ ハラルト・ギルバース『ゲルマニア』(集英社文庫)

⑦ ベン・H・ウィンタース『カウントダウン・シティ』(ハヤカワ・ミステリ)

⑥ ブレイク・クラウチウェイワード-背反者たち-』(ハヤカワNV文庫)

⑦ サイモン・ベケット出口のない農場』(ハヤカワ・ミステリ)

⑥ エミリー・ブライトウェル『家政婦は名探偵』(創元推理文庫

⑨ リサ・バランタインその罪のゆくえ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

平均点高めでありがたいことです。

『薔薇の輪』は、ブランド作品の水準としてはそこそこ(『緑は危険』『ジェゼベルの死』『疑惑の霧』あたりと比較するとさすがに可哀そう)ですが、嘘と欺瞞と虚栄と傲慢がぐちゃぐちゃに入り混じった中で生まれた異形の「謎」とまともに組み合って苦労するチャッキー警部にひとつ「いいね!」を進呈したいところ。(ふと、コックリルだったらこの異形をどう捌くか、見てみたくなりました)

ゲルマニア』は、刊行前に某所のビブリオバトルを勝ち抜いたので、話題になっています。ベルリン空襲下でゲシュタポの大尉とユダヤ人の元殺人課刑事が協力して(裏に色々な思惑が働いている、一筋縄ではいかない関係ですが)猟奇殺人に挑む歴史小説ですね。戦後生まれの作家だそうですが、歴史考証に力を入れているのが良く分かります。とはいえ、謎解き部分はやや腰砕けで残念。

『出口のない農場』は、法医学探偵が活躍するシリーズの作者による初の単独作品。ツイッターでも書きました通り、大変こうエロゲ的お約束に則って書かれており、こういうのって全世界共通のボンクラ妄想なのかな、と。ほっこりしつつも「これ何か絶対おかしいだろ」という思いを消しきれない読者にきっちり最後の一撃を決めてから終える辺りは実に分かっていると思いますが、出来は普通。

 

なお、『その罪のゆくえ』については、久々に⑨判定が出ましたので、別個に項を立てて書きたいと思います。

 

 

薔薇の輪 (創元推理文庫)

薔薇の輪 (創元推理文庫)

 

 

 

ゲルマニア (集英社文庫)

ゲルマニア (集英社文庫)

 

 

 

出口のない農場 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

出口のない農場 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 

 

2015年上半期とは何だったのか(その2)

ということで昨日に引き続いて上半期回顧です。

 

街の薬剤師、グレゴワール・デュバルは順調な人生を送っていた。やや口うるさいが貞淑な妻との間に、二人の子供が生まれ、また自分で開発した薬も売れ行き好調。そう、あの女を勢いで殺してしまうまでは。
慌てて逃げ帰ったものの、街のチンピラが疑われ逮捕されるに至ってグレゴワールの不安は頂点に……無実の人間を死刑にするか、あるいは真犯人を見つけるか、すべては七人目の陪審員に託された。

 本年度間違いなく上位に来る大傑作ですね。これまで翻訳がなかったのがおかしかった。これ以上の作品となると生半なことでは見つけられそうもありません。
 アントニイ・バークリーがその新聞書評で絶賛したことでも知られるこの作品は、グレゴワール・デュバルというどこまでも真っ当でエゴイスティックな平凡人が、自己正当化の果てに「どうでもいい他人への思いやり」という究極の自己愛に至るまでを描いた爆笑必至のグロテスク、ブラックユーモアの極北です。あっけらかんとしたパトリシア・ハイスミス、あるいは小説として完成したフランシス・アイルズ、と呼びたい。
 残酷を求めて街全体が裁判を中心に異様に狭い渦巻きとなっていく中盤の「フランスド田舎ぶり」も素晴らしい。繰り返しますが、必読の傑作です。

 

  • ケン・リュウ『紙の動物園』(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 中国系アメリカ人のSF作家による傑作短編集です。意外にも、一部SFでもなんでもない作品もありますが、全体的にクオリティは高い。以下、私の気に入った数編を紹介。

もののあはれ」:中国系アメリカ人の作者が抉る日本人の本質とは? 私自身、この結論に必ずしも頷く訳ではありませんが、これが本作のSF的テーマと漢字と囲碁と混然一体に溶け合って、ある「たった一つの冴えたやり方」へと主人公が到達する結末は、論理的かつ情動的で好きでした。
「月へ」:人気投票でもそれほど票を集めなかったそうですが、この作品はケン・リュウの核心に近い部分であると、今も私は信じています。「あの子がそれを信じたなら、お前の話は真実になる」。騙り/語りの極点に感傷の余地などないことを、この情動的な作家がクールな眼で見据えているのは熱い。
「良い狩りを」:巻末作。狐耳の少女ハスハスからまさかの激熱展開を経て、いつも通りのケン・リュウ作品へ。幻想郷はここにありました。

 ということで、古沢嘉通氏のまたまたいい仕事でした。SFだから読まないとか偏狭な事言ってると損しますよ?

 

  • V・M・ジャンバンコ『闇からの贈り物』(集英社文庫

シアトル郊外の高級住宅地で発生した一家惨殺事件を、上司のブラウンとともに担当することになった新人刑事アリス・マディスン。捜査の過程で浮かび上がったキャメロンという男は、被害者のシンクレア、そして弁護士のクインとある悲惨な過去を共有する「生き残り」だった。マディスンは懸命にキャメロンを追跡するが、そこには恐るべき「闇」がぽっかりと口を開けていた。

 非常にクオリティの高い警察捜査小説です。謎→捜査→事実、これを積み重ねていく過程が丁寧に描かれていて、場面転換を優先した意義の薄い飛躍がほとんどありません(誉め言葉)。

 マディスンのパート以外にクインやキャメロンのパートも時折挿入されますが、ここも変に謎めかすばかりではなく、逆にマディスンが探り出した事実をさらに補完することで、次の謎を提示する役割を果たさせたりしているのも良い。結末も意外で、なおかつ地に足のついたものでした。ドラマ作りをしっかり心得た、実力派の新人のデビューを応援したいところです。

 

と、まあこんなところでしょうか。

下半期もぜひ良作にめぐり合いたいものです、と言った矢先に上半期の読み残しにがっかりしている私、残念すぎます。

 

七人目の陪審員 (論創海外ミステリ)

七人目の陪審員 (論創海外ミステリ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

闇からの贈り物 上 (集英社文庫)

闇からの贈り物 上 (集英社文庫)

2015年上半期とは何だったのか(その1)

数か月ぶりに浮上いたしました。ううむ、新刊レビューを順次書いていくという目標はいったいどこへやら。

復帰第一回ということで、昨年11月からの8カ月で読んだ新刊からこれは、というのを紹介しましょう。多分この辺から年度末ランキング投票で使う弾を選んでいくことに、ならざるを得ないのでは?という悲観的な読者。なお、順序は出版順です。

 

  • ウィリアム・ケント・クルーガー『ありふれた祈り』(ハヤカワ・ミステリ)

「あの夏は、ひとりの子供の死で始まった。」

40年前の夏、少年の人生は確かに変わった。嘘、裏切りを知った、成長の苦さと痛みを知った、そして一筋の奇跡と「ありふれた、一心の祈り」を知った。

2014年アメリカ探偵作家クラブ賞受賞。 

 数十年前に自分がかかわった事件の記憶を呼び戻しつつ、それを悔いたり嘆いたりするミステリはトマス・H・クック『緋色の記憶』以降爆発的に増えました(クック自身同趣向をそれ以前の『死の記憶』『夏草の記憶』で用いていますが。なお、『緋色の記憶』もアメリカ探偵作家クラブ賞(以降エドガー賞)受賞作です)。同じくエドガー賞を取ったジョー・R・ランズデール『ボトムス』もまたそうです。これらの作品は「少年と父」「少年と女性」他、多くのテーマを共有しています。

 『ありふれた祈り』がこれらの作品に対して卓越している点の一つは、「少年の成長」がしっかりと描かれている事だと思います。その契機としての奇跡、祈りまで含めて。とはいえ、本書は神の物語ではありません。あくまでも「神(あるいは現実)と向き合う人間」の物語として、これまでの作品で書いてきたテーマを延長した先に作者が辿りついた、圧倒的傑作です。

 

前作の事件を経て、再び捜査チームから放り出されてしまった迷惑傲慢男セバスチャン。だが、彼が以前逮捕した連続殺人犯ヒンデの犯行手口と酷似した殺人事件が発生する。自分は絶対役に立つと売り込みをかけるセバスチャンだったが、そこにはある理由があった。そして真犯人のおぞましい意図とは一体?

 ということで「犯罪心理捜査官セバスチャン」シリーズ第二作でした。第一作もなかなか面白かったのですが、この第二作ではセバスチャンの過去(と言っても彼の場合、対人関係に興味がなさ過ぎて、どんな人間といつどの程度交際をもったか、という点すら限りなく曖昧という体たらくなのですが)をしっかり掘り返しつつ、彼の問題行動をさらに深化させています。セバスチャンのある人物への執着は第一作の衝撃の結末によるものなので、必ずシリーズ順に読むことをオススメします。

 キャラクター的に面白いのはセバスチャンばかりではありません。捜査チームの面々は、前作同様セバスチャンを憎んだり鬱陶しがったり、あるいは重宝したり、尊敬したりとその対応はてんでバラバラですが、そのあり方もさらに掘り下げられています。そして、恐るべき連続殺人者ヒンデ、彼の特殊なパーソナリティは、ここ数年で登場した「ありがちサイコ殺人鬼」の中でも、かなり際立ったもの。

 上下合わせて800ページ超と分厚い作品ですが、愉快なキャラクター小説として読み進むうちに、作者チームの仕掛けたトラップにまんまとはめられてしまうことは間違いなし。オススメの良作です。

 

今日は疲れたのでこの辺で。

 

 

ありふれた祈り (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

ありふれた祈り (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 

 

 

犯罪心理捜査官セバスチャン 模倣犯 上 (創元推理文庫)

犯罪心理捜査官セバスチャン 模倣犯 上 (創元推理文庫)

 

 

 

模倣犯〈下〉 (犯罪心理捜査官セバスチャン) (創元推理文庫)

模倣犯〈下〉 (犯罪心理捜査官セバスチャン) (創元推理文庫)

 

 

マイクル・Z・リューイン『神さまがぼやく夜』

うっかりすると時間が空いてしまうので、思い立ったら書くのが吉ですな。今回はマイクル・Z・リューイン『神さまがぼやく夜』を取り上げます。
私立探偵アルバート・サムスンや夜勤専門の刑事リーロイ・パウダー、一家総出の探偵家族ルンギ家の冒険を描いてきた名手リューインが、すべての創造主である「神」を語り手に現代社会の諸相を切り出していく本作はユーモアたっぷりの滑稽譚ですが、しかし皮一枚めくるとそこにあるのは……いや、もう少しあとで書くことにします。


神さまがぼやく夜 (ヴィレッジブックス)

神さまがぼやく夜 (ヴィレッジブックス)

「悪魔というのは苛立たしいほど何でもよく知っているのだ。しかし、今夜はそんな悪魔にも我慢するつもりだった。こっちは悪魔の知識が必要なのだ(p.99)」

あらすじはあってなきがごとしですがこんな感じ。

地上管理の仕事をペテロと天使たちに任せたまま、創造部屋にこもって幾百年。21世紀を迎えた地球の文明は神の想像を超えてとてつもない方向へと向かっていた。人間を理解し、そしてできれば自分を神と崇めない、天界にいるようなのとは全然違ういい女と一発ヤリたいものだ、と今宵も神は街に降り立つのだった。

上記あらすじに見られるように、当初「神」の目的は地上のいい女と自由意思に基づくセックスをすることに限られています。しかし、知識はあってもそれを利用したコミュニケーション能力に著しく欠ける彼にとって、現代人と対話し、あまつさえ一夜の恋人になるなんて大変な難事業時には悪魔の知恵も借りつつ(えー?)、色々試していきます。失敗しては天界に帰り、ペテロやマリア、イエスを相手に癇癪を起すたびに地上で災害が巻き起こるのはギャグの域といっていいでしょう。
この作品が単なる艶笑譚で終わらないのは、様々な体験を重ねることで「神」が変わり(神自身、この変化には戸惑いを隠せずにいますが)、地上にやってくる理由も変わっていくことによります。人間が「神」をどうとらえているか、難病に侵された子供との出会い、野球の魅力を知ったこと……当初はただのアホキャラでしかなかった「神」に人格が付与され、興味深い人物になっていく過程の描き方はさすが名手といえます。そして神が辿りつく究極の結論とは……地上はどうなってしまうのか。これについてはお楽しみに。
もともとkindle書き下ろしという極めて特殊な形で書かれただけあって、肩の凝らない目の疲れないあっさり気味の作品ではありますが、リューインの人間観がしっかり出ていて、そこは面白い(宗教心はどうなんでしょうねw)。

だいぶ昔にリューインが書いた『のら犬ローヴァー町を行く』という作品のことを覚えている人もいるかもしれません。弱きを助け強きを挫く(といいなあ)、媚びず怯まず町を行くのら犬の目線から、犬の社会(当然これは人間社会のメタファーですね)や愚かしい人間の姿を描いた、まあ一冊の本としては散漫な作品ですが、ところどころ面白い。田口俊樹氏の訳は勿論、挿絵も抜群に素晴らしいと思いますがw
本書を気に入った人は、この作品にも手を伸ばしてみるといいかもしれませんね。

なお、本作の評価は★★★☆☆です。
いい加減微温的な評価をつけるのをやめなければ、とは思っているのですがなかなかね。

のら犬ローヴァー町を行く (Hayakawa novels)

のら犬ローヴァー町を行く (Hayakawa novels)

ジャック・ケッチャム&ラッキー・マッキー『わたしはサムじゃない』

書くのは楽しい新刊レビュー、第二回は鬼畜大帝ジャック・ケッチャムとその愛弟子(?)ラッキー・マッキー『わたしはサムじゃない』をお届けします。この本には表題作とその後日談「リリーってだれ?」、そして単発短編「イカレ頭のシャーリー」の三作品が収録されています。


「願いごとをするときは、兄弟、気をつけたほうがいい(p.34)」

とりあえず表題作のあらすじをドン。

アメコミ作家のパトリックと法病理学医のサムの夫妻は結婚後8年が経とうというのに未だにアツアツのラブラブ。子どもはいないけれど、老いぼれ猫のゾーイと一緒に、お互いの仕事を尊重し合いながら暮らしてきた。ところがある日の真夜中、サムは「変わってしまった」。彼女は見た目はそのままにその心だけ6歳児のものになってしまったのだ。リリーと名乗る彼女を世話しつつ、サムを元に戻すためにパトリックは奮闘するが……

ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』若島正新訳で読んだ時も思ったんですが、やっぱり子どもってどんなに可愛くても散らかすし汚いしうるさいし面倒くさいんですよ、天使のような子どもなどいない(子育て経験絶無の語り)。たとえば……ちゃんとお尻拭けてないんですね、下着にうんちついてたりするんだなあ。それをそのまま30代半ばの女性でやると見えてくる醜さ、えげつなさがこの作品の最大の魅力と言えます(しかし、子育て経験ないはずのパトリックもよくやってるなあと今さら感心したりして)。

問題は、この「幼児還り」がサムにとって意識的なものなのかという点です。余りにも自然すぎる振る舞いから、コレは演技ではなく、何らかの理由でサムが自我をブロックしリリーという女の子に切り替わっているようだ、と医師は説明しますが、その理由が分からない。どうやったら元に戻ってくれるのか、分からないままにリリーの我儘を聞き続けるパトリック。通販で買ったおさるのジョージパジャマとかね。ホントママ向けのがあって良かったですよ。

この状況はパトリックの仕事にも問題を与えていきます。彼が書いていた「殺されたサマンサ(奥さんの名前使うなよ趣味悪いな)が異常な科学者の手によって甦る」コミックは、少しずつ構図がずれていき、しまいには全部書き直しになってしまいます。この重ね合わせは上手いですね。

困窮したパトリックは、二人の結婚式のビデオを見せることでリリーをサムに揺り戻そうとするが……というところでこの物語は終わっています。そしてその翌朝から始まるのが続編「リリーってだれ?」です。まあ、この作品については、一切の予断なく読むべきだと思うので、何も書かないでおきましょう。

ただし、ケッチャムが前文で書いた内容だけは(ちょっと長いですが)転記しておきます。このお願いを守って、健やかなケッチャムライフを送られますことを、私としては祈ってやみません。

ラッキーとわたしにはあなたにお願いがある。余計なお世話だと思われないといいのだが。わたしたちがお願いをするのは、そうしたほうがあなたの読書体験がより豊かになっていっそう楽しめるはずだし、わたしたちもあなたがそのとおりにしてくれると考えるとうれしいからにほかならない。
もしもあなたが「わたしはサムじゃない」を気に入ったなら、そのまま続けて「リリーってだれ?」を読みたくなるだろう。続いている物語のたんなる一章であるかのように。たがいに溶け込んでいるかのように。フィクションではなく、ほとんど実人生であるかのように。そんなふうには考えないでほしいというのがわたしたちのお願いだ。
わたしたちはあなたにペースをゆるめてほしいのだ。発端と結末をじっくり味わってほしいのだ。
しばしのあいだ「サム」をおちつかせてほしいのだ。
数分のあいだ。あるいは二時間。場合によっては一日。長さは問わない。
最初の物語の静寂に少しのあいだ耳を傾けてから、第二の物語の幕を開けてほしいのだ。それぞれまったく別の曲を奏でていることは保証する。
地獄へ堕ちろ、とわたしたちを遠慮なく罵ってくれてかまわない。
金を出したのはあなただ。あなたにはそうする権利がある。
だが、そう、わたしたちはここでささやかな音楽を奏でようとしているのだ
耳を傾けてもいいのではなかろうか。(pp.13-14)

その通りだ地獄へ堕ちろ、JK&LM。

評価は★★★☆☆です。

トマス・H・クック『サンドリーヌ裁判』〜愛のままにわがままにぼくは君だけを傷つけ、ない?〜

ということで新コーナーを発足します。本コーナーは「翻訳ミステリの新刊レビュー」を雑にやって行こうと思います。エドガー賞もそのうち更新したいとは思ってますよ? 地味に。

第一回は、2015年1月刊のハヤカワ・ミステリであるトマス・H・クック『サンドリーヌ裁判』を取り上げます。

実は私、何かを語り得るほどクック作品を読んでいません。「記憶シリーズ」四部作、『沼地の記憶』、それに版元が早川書房に移って以降の作品だけ。初期の私立探偵小説や『夜の記憶』以降の文春文庫の作品は抜けています。なので、作家の成長とか劣化とかそういう話については、今回は黙していこうかなと考えています。


サンドリーヌ裁判 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

サンドリーヌ裁判 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

「わたしが彼女を傷つけることはありえないと信じて、私の犯罪の本質を垣間見ることもなく、彼女は死に向かったのだろうか?」(本書p.90)

あらすじは単純明快、以下の通りです。

田舎町コバーンの大学に勤める英文学教授サム・マディソンは、同大学に勤める古代史教授で、妻のサンドリーヌを殺害した容疑で裁判にかけられることになった。睡眠薬の大量服用による死は、果たして自殺か、他殺か。時ならぬスキャンダルに沸き立つコバーンの街の人々をよそに、サムはサンドリーヌとの人生、己の来し方を静かに回想し始める。

今回の主人公、サムは近年のクック作品にありがちな、インテリだが人間的には薄っぺらい、そして語りがとにかく煩わしい中年後期のおっさんです。果たして彼が殺したのか、はたまた冤罪で本当に自殺なのか。それはサム自身がまったく語ろうとしないため、物語終盤まで読者には確信を持てない部分です。
田舎町の住民たちはもちろん、学生も同僚の大学教員たちも、自分(とサンドリーヌ)以外は「知的でない」と無意識にバカにしている節があります。その価値基準自体がすでに問題ではありますが、裁判においても、自分が死刑になるかもしれないのに「まるで予習用に読んだ下らないミステリ小説の筋書き通りだな」と感じてしまうほど。
周囲に対して怖ろしく無関心でかつ冷笑的、達観しているというよりも、単に防壁を廻らせているだけという感じです。

彼が如何に己の「失敗した」人生を呪っているか、そしてそれによって周囲を無意識に如何に貶しめているかは、たとえば主任弁護士のモーティと交わした以下の問答で分かります。色々意味深にするために、重要な部分は略しておきますが。「細い隙間から洩れる灯油」という譬えがまた、静かに醸成された悪意の存在を示しているように見えませんか?

「わたしは罠にかかったような気がしていた」とわたしは穏やかに言った。それは細い隙間から洩れる灯油みたいににじみ出た言葉だった。
モーティの目がさっとわたしに向けられた。「罠にかかった?」
「わたしの人生のことさ」とわたしは説明した。「それが結局どうなったかということだ。コバーン大学で教えながら、ここに住んでいるということだよ。(中略)だからあんなことをしたんだろうと思う、モーティ」
(中略)「何をやったというんだね、サム?」
(中略)「わたしはこの小さな町に閉じ込められていると感じていたんだ。だから――」
「そういうことは陪審員には悟らせないようにすることだな」とモーティがさえぎった。(中略)「彼らはこの町で暮らしているんだし、彼らの大部分は、サム、あんたみたいにこの町を軽蔑しているわけではないんだから」
軽蔑というのは乱暴すぎるような気がしたが(中略)実際、わたしは軽蔑心を抱いていたのかもしれない。
(pp.154-5)

証言者が登壇する度に、サムは(裁判そっちのけで)様々なことをぼんやりと回想していきます。そのエゴイスティックな回想の中心にあるのは、自分が「犯してしまった罪=不倫」に至る記憶とサンドリーヌとの過去。一枚ずつ薄皮を剥いでいくように「物語の核心」に迫っていくなか、サムはこの「状況証拠しかない死亡事件」の違和感に気付き始めます。
リチャード・ハルの名作『伯母殺人事件』が、単に「伯母を殺そうとする甥」の事件ではないのと同じように、この作品、Sandrine's Caseもまた、単に「サンドリーヌ(が殺された事件の)裁判」ではない訳ですヨ。その辺は、中盤以降の焦点になっていきます。

サムが「裁判で」有罪になるか無罪になるか、また彼の人生がこの裁判によって如何に変わるのかが物語の結末で語られますが、はっきり言ってそこは「最近のクックらしく」微温的なものに落ち着いており、個人的には評価を下げる一因にしかなりませんでした。
むしろ、その一歩手前、「サンドリーヌが死ぬ直前に何を考えていたか」というその一点が、この作品からシニカルな微苦笑をはぎ取り、読者に「ある戦慄」を与えうる部分です。傲慢な人間たちの互いへの無理解、すれ違いが生むほとんど滑稽とも言える悲劇を楽しめる作品でした。

評価は★★★☆☆です。

なお、このコーナーでの星取りは、以下の基準で選定しています。

★☆☆☆☆:駄作(読むには値しない)
★★☆☆☆:標準作(好きな作家なら読んでもいい)
★★★☆☆:佳作(ミステリ好きなら読むべき)
★★★★☆:秀作(定価で買って損なし)
★★★★★:必読の傑作(書店に走れ!)

第二十六回:ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』(創元推理文庫)+メアリー・W・ウォーカー『処刑前夜』(講談社文庫)

○怪物を「理解」するために

咲: 『長いブランクの後、続きを一週間でお届け出来て、正直ほっとしています。』

姫: 『まあまた半年寝かせたら、ほとんどジョークの域ですものね。そんな大御所連載形式では忘れられてしまうもの。』


……ざざ、ざざざ……ちゃかぽこちゃかぽこ……ぶーんぶーん……


咲: さて、今回取り上げるのは二作品ですが、いずれも「女性ジャーナリストが主人公で、凶悪殺人犯(として拘留されている人物)にインタビューをし、手記をまとめようとしている」と設定が非常に似通っています。

姫: それぞれでやってもいいけど、どうせなら二つをぶつけて、より直接的に両者の違いを見ていこうというのが今回の狙いです。

咲: なーんて。一冊でも多く消化したいっていう思惑はバレバレなんですけどねw まあ内輪話はいいです。では早速一冊目『女彫刻家』(1993)に行きましょうか。


女彫刻家 (創元推理文庫)

女彫刻家 (創元推理文庫)

母と妹を惨殺し、その後死体のパーツを並べ替えて人型の血まみれオブジェを作った凶悪殺人犯、オリーヴ・マーティン。「彫刻家」の異名で知られる彼女は、その犯罪の異常さにも関わらず精神的にはまったく正常で、自ら罪を認め一切の弁護を拒んできた。フリーライターのロズはオリーヴのドキュメントを書くことを計画し、ついには彼女との直接インタビューにまでこぎつける。しかしその中で、ロズの心に疑惑が生じる。果たしてオリーヴは、本当に「彫刻家」なのだろうか?

姫: ウォルターズって最近はとても人気がある作家よね。去年刊行された『遮断地区』だったかしら、翻訳ミステリ界隈(という最高に気持ち悪い表現)で話題作になったし、「このミステリーがすごい!」とかの年度末ランキング本でもかなり上位に来てた覚えが。

咲: 去年の春に出た『養鶏場の殺人/火口箱』も結構読んでいる人が多いみたいだね。出版社の売り方が上手いからだと思うけど、一気に人口に膾炙したな。

姫: 咲口君は古参の狂信者として、にわかに湧きあがった評価の流れに思うところがあるのでしょうね……

咲: 別に古参でも狂信者でもないよ! まあ、ようやく正当な評価を得るようになったなとは思うけど。この吹きあがりは、ここ数年で「翻訳ミステリの一般的読者層(←なんという上から目線)」の意見が読書メーターしかりツイッターしかりネット上でキャッチしやすくなったのに起因するのだろうね。お互いに読んでいる本が分かることで、影響されあってブームが生まれて……という仕掛けが打ちやすくなっているのは確実だ。

姫: そんなのはどうでもいいけどね。

咲: (ならなんでそんな話振った……)その前にウォルターズがどういう作家か、というのをまとめよう。現時点で12作の長編を書いていて、(順序は前後したけど)第9作まで翻訳されている。第1作の『氷の家』(1992)でCWAのデビュー・ダガー(処女長編賞)、第2作『女彫刻家』でエドガー賞、第3作『鉄の枷』(1994)と第9作『病める狐』(2002)でCWAのゴールド・ダガー(最優秀長編賞)、ときらびやかな受賞歴を誇っている。

姫: 「シリーズキャラクターを作らない」という商業的にはありえない縛りをかけつつ、これだけ評価されているというのはスゴイと思う。ただ、ここ数年長編の刊行がないのが気になるけれど。

咲: 彼女の作品傾向を分類しようとしても一筋縄ではいかない。『氷の家』は伝統的なイギリスの謎解きミステリを現代風にリファインした物だったけど、『女彫刻家』は上で見たように『羊たちの沈黙』を思わせるサイコサスペンス、『鉄の枷』は一転バーバラ・ヴァイン風に転じている。

姫: 要するにルース・レンデルのジャンル感覚に一番近いのかしら。

咲: 端的にして直截的だなあ。まあレンデルはまだ生きているし、年一作以上書いているから次世代のレンデルという表現はやや不適切だけれどね。そういえば「英国ミステリの新女王」と呼ばれていた時期もあった。

姫: で! 『女彫刻家』は彼女の作品としてはどうなのかしら。

咲: 個人的には評価高くないんだよなあ。ただ、この初期作品の時点で、ウォルターズ作品における重要なテーマに既に踏み込んでいる、という事実はやはり評価されるべき。それは「相手を理解する」ということだ。『鉄の枷』や『蛇の形』では「被害者」の、『昏い部屋』では「記憶を失った自分自身」の「一面的でない本当の意味での理解を求める行動」が物語の真相へと繋がっていく。

姫: この作品においては、「容疑者」オリーヴ・マーティンをどう理解するか、ね。大柄で肥満体で不細工、思わせぶりな態度……彼女に対する一面的な見方は、「彼女が殺人者である」という仮定にぴったりとはまる。でもそれだけじゃない、かもしれない。安易な理解によって零れ落ちたいくつかのピースは、まったく異なる事実に繋がっているかもしれない……

咲: そういうこと。ウォルターズの作品が謎解きミステリとしても評価され得るのは、この点による。実際『蛇の形』は、「2000年以降の10年間の作品の中から選ぶ「海外優秀本格ミステリ顕彰」」にノミネートされてもいるくらいだ。ただ、この「取り零されたピース」は「必要な分だけ撒かれる」伏線というにはあまりにも多すぎる。不要なものも多いのだよ。それは伏線隠しのレッドヘリング、というよりも単なる天然のようにも思える。それくらい無造作なんだ。どこまで計算しているのかよく分からない。

姫: この作品はほぼ全編に渡ってロズの三人称単一視点で描かれるから、彼女の気づきを追って行くのは分かりやすかったけど。むしろ彼女がオリーヴの事件にのめり込んでいく理由の方がよく分からなかったな。ジャーナリストとしての正義感? オリーヴの話に違和を覚えたから? でもそれは彼女が泥沼に足を踏み込む理由には足りない。この歪みは理解し難い……歪みのその一部が、ロズ自身の過去に由来するものであるのはほぼ確実なのだろうけれど、あんまり直接的には書かないようにしているみたい。

咲: 自分が美人だから、不細工な相手に対する優越感/逆に卑下する感じ……みたいのを切り口に、オリーヴに誘導されてという風に読んでいたよ。

姫: 大雑把ね。

咲: そんなこと言ってもなあ。三人称小説だから、脳内ダダ漏れという風にはいかないし限界はあるだろう。その分からなさが読者を物語世界に引っ張っていくという要素もあるから、完全理解は難しい。

姫: そもそも結末はどうなの? どっちが真実なの? この小説割り切れない部分があまりにも多すぎて気持ちが悪い。

咲: おっと、ネタバレの臨界点を超えるからその話題は中止だぞ。最後に一つだけ。この作品を読み返して、俺のなかで、ひとつ思いもよらない作品とリンクが繋がった。飛浩隆「ラギッド・ガール」だ。オリーヴとロズ、阿形渓とアンナ・カスキ。美女と怪物的女性というカップルは文学作品においては決して珍しくないけれど、この対の間にある不気味な歪みは、個人的には近しいものを感じる。

姫: 確かに、どちらも「理解する」話ね。

咲: 根拠はないけどね。それこそよくある組み合わせ、よくあるネタだから。


○ここもと変則が多かったので、直球のエンタメに対応できない二人

姫: 『女彫刻家』に全力投球しすぎた。もう『処刑前夜』(1994)にコメントする気力がない。

咲: うーん、その点否定はしないけど、やるって言った以上はやりぬくショゾンだ。


処刑前夜 (講談社文庫)

処刑前夜 (講談社文庫)

多くの女性をその毒牙に掛けた連続殺人鬼ルイ・ブロンクに死刑執行の日が迫っていた。かつてブロンクの事件を一冊の本にまとめ、高い評価を得ていた犯罪ライターのモリー・ケイツは、新聞社の要請で彼の処刑について記事を書くことになった。ところが当時の資料を読み返し、ブロンク自身とも話をする中で、彼が起こしたとされる事件の一つが実は冤罪だったのではないかという疑惑が浮かび上がる。その疑惑を裏付けるように、被害者の親族たちの間で、謎の死亡事件が相次いで……

姫: すっごく手堅い捜査小説だな、っていう感じでした。小学生並の感想だけど。

咲: 作品の骨組みがしっかりしているので、ストーリーの流れに乗っていけば、深いことを考えなくてもごく自然に楽しめる、というエンターテインメントのお手本のような小説ですね。死刑と冤罪についても考えさせられる社会は要素も面白いし。犯人もきっちり意外だし。自分がかつて書いた本のせいで……というモリーの悔恨も分かりやすいし。

姫: ある意味『女彫刻家』が書かなかったことをド直球でやっているよね。互いに互いを補完し合う、ナイスコンビネーションと言えなくもないか。そういえば、これの続編でモリー・ケイツが再登場する『神の名のもとで』も傑作らしいのだけど、取り紛れて結局読めてない。

咲: モリーのプロ根性と正義感が気持ちいいんだよな。『女彫刻家』読んだ直後に読むと。何にせよブロンクは、冤罪かもしれない一件以外は有罪なので、とにもかくにも凶悪犯罪者なのは変わらないんだけど、それでも真実を追求せずにいられない彼女のことは、これほどまでに感情移入できるのに。

姫: これをアメリカとイギリスの違い、って言ってしまうと嘘八百になっちゃうわねw 死刑制度のありなしも関係あるかしらん。


……ざざ、ざざざ……ちゃかぽこちゃかぽこ……ぶーんぶーん……


○まとめ

咲: ということで、ジャーナリズム系小説二冊を片付けた訳だが……なんだこの違和感は。

姫: (ペロッ)この原稿、半年くらいフォルダの中で眠っていた味がする。どうやら書き上げた後に投稿するのを忘れていたようね。

咲: 全く役に立たないうp主だな。まあこの先の作品をまとめて買い込んだようだし、今度こそ完結に向かって走り始められるのかな? あと20冊あるけど。

姫: 次回は1995年の受賞作、ディック・フランシス『敵手』です。おお、三度目のフランシス。咲口君は、今度こそフランシス愛に目覚めることができるのか。乞うご期待ください。

咲: なんだよフランシス愛って……短めにまとめよっと。

(第二十六回:了)

蛇の形 (創元推理文庫)

蛇の形 (創元推理文庫)

ラギッド・ガール―廃園の天使〈2〉 (ハヤカワ文庫JA)

ラギッド・ガール―廃園の天使〈2〉 (ハヤカワ文庫JA)

だらだら雑記20140628【マストリード100編】

kindleストア徘徊は未だに止まない今日この頃。ノワールの帝王、ジム・トンプスンのペーパーバックが八月に一斉復刊とかで、未訳の入手困難作品がついでにkindle化されないかなあ、とか祈っています。

昨年末から「マストリード100」って奴が熱い。杉江松恋さんの『海外ミステリーマストリード100』、千街晶之さんの『国内ミステリーマストリード100』(いずれも日本経済新聞出版社・日経文芸文庫刊)、ともに読書意欲をビンビン高ぶらせる好セレクトで面白い、というのは衆目の一致するところであろう。

英米にはこういう紹介本ないのかなー、と深く静かに潜航したところ……おおありましたありました。Nick Rennison & Richard Shephard 100 Must-read Crime Novels。巻頭言曰く、"buff"(「マニア」の謂い)になりたい初心者、ジャンル読書の幅を広げたい人向けのセレクトってことらしい。第二次大戦前後までのミステリの歴史を大まかに辿った序文も熱い。なかなか面白いですよ。


100 Must-read Crime Novels (Bloomsbury Good Reading Guides)

100 Must-read Crime Novels (Bloomsbury Good Reading Guides)

具体的にどんな本取り上げてるのよ、というのは気になるところだと思うので、ざっと列挙しちゃいます。とはいえ、目次も索引もないので、結構面倒だけど……あと、原書では作家名順なんだけど、ちと分かりにくいので、年代順に並べ替えちゃいます。

エドガー・アラン・ポー『謎と想像力の物語』
ウィルキー・コリンズ『月長石』創元推理文庫
ファーガス・ヒューム『二輪馬車の秘密』扶桑社文庫
アーサー・コナン・ドイル『四つの署名』河出文庫
アーサー・コナン・ドイルシャーロック・ホームズの思い出』河出文庫
ガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』創元推理文庫
G・K・チェスタトン『ブラウン神父の無心』ちくま文庫
E・C・ベントリー『トレント最後の事件』創元推理文庫
アガサ・クリスティーアクロイド殺し』ハヤカワ・ミステリ文庫
ダシール・ハメット『ガラスの鍵』光文社古典新訳文庫
フランシス・アイルズ『殺意』創元推理文庫
ポール・ケイン『裏切りの街』河出文庫
ドロシー・L・セイヤーズ『ナイン・テイラーズ』創元推理文庫
ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』ハヤカワ・ミステリ文庫
レックス・スタウト『腰ぬけ連盟』ハヤカワ・ミステリ文庫
ジェイムズ・M・ケイン『殺人保険』新潮文庫
マイクル・イネス『ハムレット、復讐せよ』国書刊行会
キャメロン・マケイブ『編集室の床に落ちた顔』国書刊行会
グラディス・ミッチェル『Come Away, Death(未訳)』
ニコラス・ブレイク『野獣死すべし』ハヤカワ・ミステリ文庫
エリック・アンブラー『ディミトリオスの棺』創元推理文庫
レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』ハヤカワ・ミステリ文庫
ジェイムズ・ハドリー・チェイス『ミス・ブランディッシの蘭』創元推理文庫
レイモンド・チャンドラー『さようなら、愛しい人』ハヤカワ・ミステリ文庫
コーネル・ウールリッチ黒衣の花嫁』ハヤカワ・ミステリ文庫
ヴェラ・キャスパリ『ローラ殺人事件』ハヤカワ・ミステリ
ジョン・フランクリン・バーディン『死を呼ぶペルシュロン』晶文社ミステリ
エドマンド・クリスピン『消えた玩具屋』ハヤカワ・ミステリ文庫
デイヴィッド・グーディス『Dark Passage(未訳)』
フレドリック・ブラウン『シカゴ・ブルース』創元推理文庫
ジョセフィン・テイ『フランチャイズ事件』ハヤカワ・ミステリ
シリル・ヘアー『風の吹く時』ハヤカワ・ミステリ
ロス・マクドナルド『動く標的』創元推理文庫
アガサ・クリスティー『予告殺人』ハヤカワ・ミステリ文庫
マイクル・ギルバート『スモールボーン氏は不在』小学館ミステリー
マージェリー・アリンガム『霧の中の虎』ハヤカワ・ミステリ
ミッキー・スピレーン『燃える接吻』ハヤカワ・ミステリ文庫
ジム・トンプスン『俺のなかの殺し屋』扶桑社ミステリー
パトリシア・ハイスミスリプリー河出文庫
マーガレット・ミラー『狙った獣』創元推理文庫
E・S・ガードナー『怯えるタイピスト』ハヤカワ・ミステリ文庫
チェスター・ハイムズ『イマベルへの愛』ハヤカワ・ミステリ
ナイオ・マーシュ『道化の死』国書刊行会
ディック・フランシス『大穴』ハヤカワ・ミステリ文庫
リチャード・スターク『悪党パーカー/人狩り』ハヤカワ・ミステリ文庫
チャールズ・ウィリアムズ『絶海の訪問者』扶桑社ミステリー
ジョン・D・マクドナルド『濃紺のさよなら』ハヤカワ・ミステリ文庫
ジョルジュ・シムノン『メグレ罠を掛ける』ハヤカワ・ミステリ文庫
ジョゼフ・ハンセン『闇に消える』ハヤカワ・ミステリ
ロス・トーマス『The Fools in Town Are On Our Side(未訳)』
ジョージ・V・ヒギンズ『エディ・コイルの友人たち』ハヤカワ文庫NV
エド・マクベイン『サディーが死んだ時』ハヤカワ・ミステリ文庫
K・C・コンスタンティン『The Man Who Liked to Look at Himself(未訳)』
ロバート・B・パーカー『誘拐』ハヤカワ・ミステリ文庫
エリザベス・ピーターズ『砂州にひそむワニ』原書房
ジュリアン・シモンズ『A Three Pipe Problem(未訳)』
ジョセフ・ウォンボー『クワイヤボーイズ』ハヤカワ・ノヴェルズ
スチュアート・M・カミンスキー『虹の彼方の殺人』文春文庫
ジェイムズ・クラムリー『さらば甘き口づけ』ハヤカワ・ミステリ文庫
ジョー・ゴアズ『目撃者失踪』角川文庫
エリス・ピーターズ『死体が多すぎる』光文社文庫
コリン・デクスター『ジェリコ街の女』ハヤカワ・ミステリ文庫
トマス・ハリスレッド・ドラゴン』ハヤカワ文庫NV
サラ・パレツキーサマータイム・ブルース』ハヤカワ・ミステリ文庫
エルモア・レナード『ラブラバ』ハヤカワ・ミステリ文庫
マイケル・マローン『無慈悲な季節』ハヤカワ・ノヴェルズ
デレク・レイモンド『The Devil's Home on Leave(未訳)』
チャールズ・ウィルフォード『マイアミ・ブルース』扶桑社ミステリー
ルース・レンデル『無慈悲な鴉』ハヤカワ・ミステリ
ローレンス・ブロック『聖なる酒場への挽歌』二見文庫
スー・グラフトン『アリバイのA』ハヤカワ・ミステリ文庫
カール・ハイアセン『殺意のシーズン』扶桑社ミステリー
P・D・ジェイムズ『死の味』ハヤカワ・ミステリ文庫
ダニエル・ウッドレル『白昼の抗争』ハヤカワ・ミステリ文庫
ジェイムズ・リー・バーク『ネオン・レイン』角川文庫
ロバート・クレイス『モンキーズ・レインコート』新潮文庫
ジェイムズ・エルロイブラック・ダリア』文春文庫
ジェイムズ・W・ホール『まぶしい陽の下で』ハヤカワ・ミステリ文庫
バーバラ・ヴァイン『運命の倒置法』角川文庫
ローレン・D・エスルマン『ダウンリヴァー』ハヤカワ・ミステリ
トニイ・ヒラーマン『時を盗む者』ミステリアス・プレス文庫
マヌエル・バスケス・モンタルバン『中央委員会殺人事件』西和書林
ウォルター・モズリー『ブルー・ドレスの女』ハヤカワ・ミステリ文庫
パトリシア・コーンウェル『検死官』講談社文庫
スティーヴン・セイラー『Roman Blood(未訳)』
マイクル・コナリー『ナイト・ホークス』扶桑社ミステリー
ジョージ・P・ペレケーノス『硝煙に消える』ハヤカワ・ミステリ文庫
ミネット・ウォルターズ『氷の家』創元推理文庫
ドナ・レオン『異国に死す』文春文庫
マイクル・ディブディン『水都に消ゆ』ミステリアス・プレス文庫
G・M・フォード『手負いの森』ハヤカワ・ミステリ文庫
イアン・ランキン『青と黒』ハヤカワ・ミステリ文庫
クレイグ・ホールデン『夜が終わる場所』扶桑社ミステリー
ヘニング・マンケル『目くらましの道』創元推理文庫
ピーター・ロビンスン『渇いた季節』講談社文庫
ジョー・R・ランズデール『ボトムズ』ハヤカワ・ミステリ文庫
ハーラン・コーベン『唇を閉ざせ』講談社文庫
ロバート・フェリーニョ『Flinch(未訳)』
デニス・レヘインミスティック・リバー』ハヤカワ・ミステリ文庫
レジナルド・ヒル『死者との対話』ハヤカワ・ミステリ

未訳の作品もいくつもありますが、9割がた翻訳されているのは翻訳大国の面目躍如、と言っていいでしょう。
古典中の古典から30年代の謎解き重視型、そしてハードボイルド、サイコサスペンス、クライムノベルとバランスよく収録されているのが特徴。作家はいいけど作品はなんでこれが?というのがいくつか散見されます(ロスマクで『動く標的』とか)が、レビューまで読むと一応ロジックを通しているので納得できます。シリーズ第一作を入れるか、ざっくり外してノンシリーズにするか、あるいはこねくり回して良作をブチ込むかという感じですね。個人的には70年代以降がしっかりしているのも嬉しい。

あちらはPBで入手できなくてもkindleなんかの電書がしっかりしていますから、この辺の大御所クラスだと品切れが少ない(言うて揃ってきたのはここ数年ですが)というのも大きいのかな。ヒラーマンとかディブディンとか、日本だとあからさまに「玄人好み」になってしまっている作家が、きちんと「一つ上の読者」用の階梯の一段になっているのはいいなあ、と思います。

ふと思ったことですが、作者はイギリス人かなという気がします。英題と米題が違う時に英題を優先的に入れている気がするのですよね。まあ、原題重視主義なのかもしれませんが。その割には翻訳ものは訳題を入れている優柔不断な感じ、嫌いじゃありません。

この辺を読んで、みなさんも「一つ上の読者」を目指してみてはいかがでしょうか。
……と、そういえばこのシリーズ、SFもあるんですよ。興味のある向きはぜひ検索してみてください。


第二十五回:ローレンス・ブロック『倒錯の舞踏』(二見文庫)

○「誰が見張りを見張るのか?(Quis custodiet ipsos custodes?)」承前

咲: ふと眼を覚ますと、ぼくたちは6月中旬、熱気と雨が同居する空を茫然と見上げていたんだ。

姫: あれだけ気を持たせる感じで「続く」したのに……大失敗。

咲: 座談の投稿はンか月前、その間更新もしてないから、ある意味、読者的には困らんだろうとは思う。

姫: 誰も前回の内容を覚えてない、という話でしょ。読みなおしてもらうのもアレなので簡単に趣旨の説明を。

咲: へいへい。極めて単純に言うと、「正義とは何か」って話。前回取り上げたジェイムズ・リー・バーク『ブラック・チェリー・ブルース』の主人公、ロビショーは自分や家族、大切なものに危害を加えようとする「悪」に制裁を加えてはばからない。その「悪」と関わるきっかけが、彼自身の勇み足によるものだったとしても。

姫: 彼の「暴走」は少なくとも私たち二人の眼には理解し難いものとして映った。でも本国では非常に人気があって、シリーズは今でも続いている。ロビショーがその後どうなったかは、翻訳が途切れてしまったこともあってよく分からない。

咲: という感じでしたね。そしてその謎を解くカギが80年代アメリカの歪んだ雰囲気の中にあるのではないか、と検討をつけて締めくくった訳でした。さて、そして話は今回のローレンス・ブロック『倒錯の舞踏』(1991)に移ってくる。

姫: ローレンス・ブロックについては、いまさらここで語るようなことはなにもないのだけど、簡単に紹介します。1938年ニューヨーク州生まれだから、御年76歳になるわ。20歳前後から雑誌に短編小説を発表。1961年に作家デビュー。ペーパーバックライターとしてしばらく活動した後、1970年代後半、現在まで書き継いでいる<私立探偵マット・スカダー・シリーズ>と<泥棒バーニイ・ローデンバー・シリーズ>の二枚看板を立ち上げる。ハヤカワ文庫に入っている『八百万の死にざま』が、日本では一番読まれているのではないかしら。

咲: 短編の名手としても知られていて、エドガー賞の最優秀短編部門を二回受賞している。1994年にはMWAのグランド・マスターとしても表彰されている、名実ともに現代アメリカを代表するミステリ作家だ。

姫: 前作『墓場への切符』(1990)、今回の『倒錯の舞踏』、そして次作『獣たちの墓』(1992)の三作をまとめて、「倒錯三部作」と日本では呼称しているわ。アメリカではどうだか知らないけれど。三作とも、私立探偵であるマット・スカダーとシリアルキラーが対決するのだけど、少しずつスカダーの立ち位置が違い、それゆえに物語の全体像もまた変わってきている。実験的な作品群と言えるでしょうね。


墓場への切符―マット・スカダー・シリーズ (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

墓場への切符―マット・スカダー・シリーズ (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

倒錯の舞踏 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

倒錯の舞踏 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

獣たちの墓―マット・スカダー・シリーズ (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)

獣たちの墓―マット・スカダー・シリーズ (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)

咲: 『墓場への切符』では、警官時代にスカダーが逮捕した犯罪者モットリーが、スカダーと彼がこれまで関わってきた(とモットリーが妄想する)女たちすべてを殺そうと目論み、それをスカダーが阻止しようとする。詳しい話は是非読んで確認してほしいけれど、スカダーの犯した罪が巡り巡って彼を刺す、という因縁話としては出色の出来だった。

姫:『倒錯の舞踏』は以下のような内容。たまたまレンタルショップで借りたビデオにダビングされていた小児ポルノ/スナッフムービーを見てしまったスカダー。彼はビデオに映っていた男と女、そして子どもの正体を突き止め、殺人者に償いをさせるべく立ち上がる。前作では巻き込まれ役(因縁的にはスカダーが主とはいえ)だったスカダーが、偶然の渦に引き寄せられるように、それでも物語に主体的に関わっていく話だったわね。

咲: それによって「犯人との対峙」の形も変わっていく訳だ。『〜切符』では、あくまでも「犯罪に巻き込まれた」関係者の一人であり、「正当防衛」が通用した。だが『〜舞踏』では、きっかけは偶然とはいえ、「無関係なところから主体的に事件に関わり」「許し難い犯罪者を裁きたい」一人の「正義の徒」でしかない。犯人は当然スカダーのことなんて知らない。でも、スカダーは許せない。

姫: そして『獣たちの墓』で、「連続殺人鬼」の物語は再び姿を変える。スカダーは、今度は「依頼を受けて」、ある女性を殺した犯人を追うことになる。スカダーにとって今回の事件は報酬を受け取る「仕事」になっているのね。

咲: 「巻き込まれ」「ボランティア」(日本語だと語弊ありか)「依頼仕事」、三つの形で「究極の悪=快楽殺人者」と戦うスカダー。いずれの作品にも面白いところがあるのだけど、三作それぞれの結末で提示される、「法によって裁けない犯罪者と(権力の側にない)私立探偵はどう向かい合うべきか」という問題は非常に重たい。

姫: ネタバレになってしまうので、詳しく書けないのは残念ね。ただそこにあるのは正義の味方が悪人を殴り倒してハッピーエンド、という単純な「正義」じゃないのは確か。スカダーは超人じゃなくてごく普通のおじさんでもある、その彼が最後に何をするか、ぜひ見届けて欲しいです。敢えてニーチェ風に言えば、「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 」と言ったところかしら。

咲: 「見張りが罪を犯すならば」「誰が見張りを見張るのか?」だよ。

姫: そうそれね、『ウォッチメン』とかニクソンの話をするつもりもあったようだけど?

咲: ベトナム戦争とアメリカ人のメンタリティーの話はあまりにも深すぎるのでここではサケマス。あえて超単純化/偏見化すれば「アメリカ的正義」が「(負けたかどうかはともかく)勝てなかった」という話にできなくもないけど……そこから「正義と悪」の二元論が崩壊した話に持って行くのは無理筋すぎるし、そんな腕力もない。

姫: もっとお勉強しなくちゃ、ね。


○まとめ

咲: ということでまとめます。

姫: 個別の作品の話をほとんどしてないけど、まあ仕方がないか。

咲: 僕個人としては『墓場への切符』が一番面白い?かな。なんにせよ三作とも状況設定は強引に過ぎるけれど。

姫: それでも読ませるのはすごい。個人的にはやっぱり『倒錯の舞踏』のラストが一番怖かったかしらね。

咲: 「怖い」というのは重要なファクタかもしれない。先にも述べたけど、スカダーはスーパーヒーローじゃない。彼の「決断」は正直僕たちの決断であるかもしれないんだ。そこのひりつくようなリアリティと物語のシュールさが生み出す「倒錯」ぶりは至極だ。

姫: 悪党だけど憎めない相方、ミック・バル−が多めに登場して、ナイスコンビネーションを見せてくれるところも見どころ。ぜひ三作まとめて読んで欲しいわね。


咲: さて次回は……『密造人の娘』は先にやったから、ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』です。ウォルターズは好きだけど、あの作品はいまひとつ苦手なんだよね。

姫: テーマが似てる、というかほぼ同じなので、メアリー・W・ウォーカー『処刑前夜』も一緒にやることにしましょう。英米の処理の違いが見えて面白いかも。

咲: ではそれで。早めにアップできるように諸々頑張ります。

姫: ではでは〜

(第二十五回:了)