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深海通信 はてなブログ版

三門優祐のつれづれ翻訳ミステリ。主に新刊の話をしています。そういえば、「アントニイ・バークリー書評集製作委員会」公式ホームページ。

翻訳ミステリ新刊お蔵出しレビュー 第一回

翻訳ミステリ 新刊レビュー

ジョン・コラピント『無実』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

ブラッドフォード・モロー『古書贋作師』創元推理文庫

ザーシャ・アランゴ『悪徳小説家』創元推理文庫

 

 唐突ではありますが、自分のモチベーションアップのために、定期的に書評を上げていく所存。可能な範囲で、最新刊+2冊をまとめてレビューします。続くかどうかは神の味噌汁。

 

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 コラピント『無実』は、デビュー作『著者略歴』(ハヤカワ・ミステリ文庫、未読)以来14年ぶりの新作だそうです。内容の過激さからどこの版元にも受け入れられず、結局カナダの小出版社から刊行されるやたちまち話題になったというこの作品(初版の古書価高くなりそう(書痴並感))は、倫理観がどこまで人間を律することができるかという点を掘り下げた作品です。

無実 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

無実 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

 車椅子生活の妻と幼い娘との生活を描いたノンフィクションでベストセラー作家の仲間入りを果たした地味なミステリ作家ジャスパー・ウルリクソンが主人公。一躍時の人となった彼の元に、「娘」を名乗る少女クロエからの連絡が入る。18年前の浅はかな恋愛ごっこ、最初で最後のセックス、その結果彼女が生まれたとしたら……果たして彼女は「本物」なのか?

 読み終わって思ったのは、色々な意味で毀誉褒貶も納得の作品だ、ということでした。妻とのセックスレスな生活を「道徳によって律する」と明言しながらも、「実娘」を名乗る少女のわざとらしすぎるほどの媚態に心乱され、「近親相姦・少女趣味」の二重の罪悪感に苛まれつつ、少女との性的な妄想を抑えられない40男をここまで克明に掘り下げたのは、(内容はさておき)確かにすごい。文章力の勝利と言っていいでしょう。

 先ほど「なのか?」と問いかける形を残しましたが、実際のところクロエは本物ではありません。主人公を社会的に陥めるためにデズという人物によって仕立て上げられた道具、それが「彼女」の存在意義でした。本作について気に入らない点があるとすれば、それは彼女の描き方です。悪意そのものであるデズにあっさり操られ、しかしジャスパーの善意に触れ、彼を騙すことに罪悪感を覚えるようになった彼女……男性にとって都合のいい「ヤれる若い女」以上の何者にもなれないクロエ。作者の無神経さの一端がここに表れているのでは?

 読者の感情の様々な側面を逆撫でしようと仕掛けられた、作者からの悪意の贈り物、それが本作です。原題Undone(『それでも俺はやってない(ヤってないとは言ってない)』と訳したい)にも、考えさせられますね。完成度の高い作品だと思います。

 

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さて、続くモロー『古書贋作師』は、自ら芸術家を称する凄腕の贋作者である主人公ウィルの一人語りを軸に進行する、奇妙な物語です。

古書贋作師 (創元推理文庫)

古書贋作師 (創元推理文庫)

 

 

 彼は、コナン・ドイルチャーチルなどの筆跡を自由自在に真似ることができる自らの能力を生かし、古書に偽の署名を入れたり、書簡を贋作したりしながらそれを売買するのを生業にしていました(父親の遺産で金はうなるほど持っているので、それほど働く必要はない)。ところがあることがきっかけで罪を暴かれて刑務所に入れられ、古本仲間たちの信頼を失ってしまいました。

 物語は、そのウィルの義理の兄にあたる人物がなぜか両手を切断された状態で殺され、発見されるシーンから始まります。果たして、犯人は誰なのか。その謎を解くカギは、やはり贋作の中にありました。殺されたアダムもまた、どうやら贋作商売に関わっていたようなのですが……。

 ウィルの語りはあっちへ行ったりこっちへ行ったりを繰り返します。捜査のパートを途中まで書いては読者を煙に巻き、姿なき稀覯本ディーラー、スレイダーとの不毛な追いかけっこに淫し、カリグラフィーの専門家であった母親との過去を彷徨い、妻ミーガンとの浮世離れした生活を描き、果たして物語はどこに辿りつくのでしょうか。

 彼が終盤まで隠し通す物語の本質は、やや唐突の感が否めないものの、そこも含めて「変な話」として珍重する人も現れるかもしれません。時折差し挟まれる美文調の文章まで含めて、この本そのものがウィルという歪んだ人物をまるごと封じ込めているように思えるのも面白い。

 

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 最後、アランゴ『悪徳小説家』は、ドイツからの刺客。2016年のCWAインターナショナルダガー候補に、ピエール・ルメートル『天国でまた会おう』(ハヤカワ・ミステリ文庫)や横山秀夫『64』(文春文庫)とともに上がっている、既にして世評の高い作品です。

悪徳小説家 (創元推理文庫)

悪徳小説家 (創元推理文庫)

 

 

 世界的ベストセラー作家ヘンリー・ハイデンの秘密、それは(公式で書いてないのでやめとくか)……まあ、適当にセックスフレンドとして付き合えそうだった編集者が「妊娠した」「産むから」「奥さんと別れて」と言い始めて大変面倒なことになるというのが発端です。

 本書の魅力はハイデンという「一貫した破綻」を感じさせる人物の造形に尽きると言っても過言ではありません。彼の犯行計画はどこまでも行き当たりばったりというか、その瞬間は成り行きに任せ、あとで若干修正するという大概雑なもの。後悔しつつもあっさり切り替え、他人を気遣いながらあくまでも自分本位に生きて行かれる自由度の高さが、パトリシア・ハイスミスが愛した主人公「トム・リプリーと比較されるのも無理のないところでしょう。

 ヘンリーとその妻マルタ、出版社の社長クラウスと件の編集者ベティ、二組の男女の嘘まみれの関係が、ヘンリーがただ一つ裏切らないたった一つの真実を守るために利用し尽くされるという、「圧倒的に面白い物語」への作者の奉仕心に心打たれる良作です。今回の三作のうち、個人的ベストは本作でした。

 

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 書物を物語を生み出す人々の真実と虚構の狭間に楔を打ち込む三冊。暑い夏に一筋の清涼を送り込んでくれることは請け合い、ぜひお試しください。(三門

皆川博子全短編を読む 番外編①「フェイク世界史小説」『碧玉紀』を読む

国内小説 皆川博子全短編を読む

第四回はどうした?という疑問もあるかと思いますが、うっかり番外編をやってみました。

 

皆川博子には未収録の短編が数多くありますが、長編作品にも単行本化されていない作品が一つあります。それが今回ご紹介する『碧玉紀(エメラルド)』です。

この作品は、小学館が季刊で発行していた文藝誌「文藝ポスト」に、1999年夏号から2000年秋号まで全六回に渡って連載されました。執筆順では『死の泉』(1997)の次に当たります。『結ぶ』所収の短編「火蟻」(オール讀物1998年7月号発表)などは、本作を書くための取材旅行で南米を訪れたことがきっかけに書かれた、という話を何かで読んだのですが、どこに書かれたものだったかは、残念ながら思い出せませんでした。

同時期に連載されていた作品には、火坂雅志蒼き海狼』、貫井徳郎空白の叫び』、池井戸潤最終退行』などがあります。これらの作品は連載後ほどなくして単行本化されているのですが、『碧玉紀』はなぜか単行本化されないまま埋もれてしまいました。最終回には「『碧玉紀』は本紙連載を大幅な増補の上で単行本として皆様の前に姿を現します。しばしのお待ちを!!」とあり、単行本化の予定はあったようですが……ちなみにこれも同じく連載されていた作品に山田正紀ハムレットの密室』があります。山田ファンの方はご存知かと思いますが、実はこれも単行本化されないままになっている作品として有名です。

この作品を今読もうと考えると、「文藝ポスト」を古本屋で一冊ずつ買い求めるか、あるいは国会図書館に収蔵されているものを読むか、のいずれかになります。前者は正直現実的ではないので、今回は国会図書館で全ページをコピーし、それをスキャンしたデータをひたすら読みました。分量は、A5サイズの1ページに三段組で印刷されたものが400枚。1ページ1000文字くらい、挿絵のページもありますので、一概には言えませんが、400字詰め原稿用紙で1200枚くらいでしょうか。

 

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さて本筋。

最初の「罌粟」の物語は、1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦がまさに決行されている当日、ドーバー海峡を見下ろせる丘が舞台となっています。このシーンではPK(ナチスドイツの宣伝中隊)の服をまとった隻眼の男が、重傷を負ったヒトラー・ユーゲントの少年兵と出会い、元映画館と思われる廃屋で治療を施しながら、フランス映画やアメリカ映画について語りあうという内容です。

ところが次の章は「」。「罌粟」の物語とは遠く離れた地南米の「神聖ゲルマニア帝国」、その中にある「ヴァチカン公国」を舞台に進行します。この「帝国」は20世紀末から21世紀にかけて、イスラム勢力がヨーロッパへの進出を果たし、英国(「大英共和国」)を除くほぼすべての国を支配した時に、それに対抗する形で南米に成立したナチスドイツを精神的基盤とする国家、という設定になっています。まさかの遠未来、まさかのSF。

「砂」の物語は、①「ヴァチカン公国」の教皇の視点と、②「大英共和国」からやってきたフリージャーナリスト、ジョン・マッキンタイアの手記の二つから主に描かれていきます。神の意志の元抹殺しなければならないと伝えられている「少年」が旧大陸で確保されたこと、ジャングルの奥地に住むという「タマゴ女」が下流に流れ着いたこと、宮殿内部に秘された牢獄に捕えられた「隻眼の男」の存在、またマッキンタイアが出会う奇妙な人々など、物語のキーになるものは、第一回で次々に提示されていきます。

罌粟」「砂」、この二つの物語が交互に語られていくなかで、「薔薇」「百合」「葡萄」の物語が次々に始まっていきます。「薔薇」は、ペスト禍に苦しむ14世紀のドイツのゲットーで展開され、「百合」は、アルビジョア十字軍をはじめとする異端狩りが猛威を振るった12世紀ヨーロッパを縦断し、そして「葡萄」は、1930年代と70年代のドイツでの映画製作が描かれます。いずれの時代にも現れ、子供を助け、護り、そして時には殺す「ヘル・シュトゥルム(嵐)」こと隻眼の男の存在は、最大の謎として残り続けます。時を超え大陸を超え登場する彼はいったい何者なのか?

 

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『碧玉紀』の物語の本線はここまでも書いてきたように、隻眼の男と彼の傍らに常にある少年の秘密を描き出すことをテーマにしています。しかし、本作は「フェイク世界史小説」(第一回の煽り)を自任する作品であり、単なる「歴史奇想伝奇小説」として受け取ることはできません。

本作を特異たらしめている最大の要素が「映画」です。

歳月は、捕えようもなく消える」/「ニュース映画は、<時>をフィルムに定着する。<時>は一方向に流れるのを強制的に中止させられ、停滞し、逆行する。フィルムに定着するということは、<時>を手に入れるということだ。従順に飼い馴らし、自由にあやつることだ。映画というものが発明されるまでは、<時>は、失われるものであり、私の眼底にあるものは、私ひとりの所有物であり、他に伝達することは不可能だった」(第3回、「葡萄Ⅰ」より)

そう語る「ヘル・シュトゥルム」は、作者の本作にかける哲学の代弁者と言えるでしょう。

冒頭「罌粟」に登場する「エメラルド」というフィルムが登場しますが、これは「葡萄Ⅱ」(70年代ドイツ)で作成されていた(が謎の失踪を遂げた)「はず」の映画の一部です。対して「砂」では、「隻眼の男」が所有していたというフィルムの断片が「抹殺すべき少年」を指し示す証拠として利用されますが、しかしこれまた「葡萄Ⅱ」の物語で焼失した「はず」のスナッフ・ムービーの一片と思われます。

なぜこのようなことが起こるのか、あるいは「なぜこのようなことを作劇上起こさなければならない」のか? それは、ぜひ本作を読んで確かめていただきたいと思います。

 

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と、ここまで非常に理屈っぽく書いてきましたが、本作はもちろん皆川博子ファンにとって最高に楽しめるものに仕上がっています。折々に繰り広げられる「少年たち」と隻眼の男の掛け合い、死を賭して闘う男たち、そしてまた別次元の戦いを繰り広げる女たちの美しさ、熱帯幻想と薬物による幻視が入り乱れる描写の数々……皆川博子だけが書き得る世界の濃密なエッセンスを、しかも大量に摂取させられ、酩酊させられることは間違いありません。各話それなり以上の分量があるとはいえ、オムニバス形式に近いので飽きることもありません(その点、個人的に高く評価している『伯林蠟人形館』に近いともいえます)。

 

ごく個人的な感想ですが、皆川博子の最良作にも伍す非常に先鋭的な作品だと思いました。15年間寝かされたままの作品が、本当に増補されて刊行されることがありうるのか。それは誰にも分かりませんが、より多くの皆川ファンに読まれる時が来ることを祈りつつ、本稿を閉じたいと思います。

もしこの文章を読んで本作に興味を持った人がいれば、ぜひ国会図書館に読みに行ってみてください。ただし、コピーをしようと思うと、それだけで一日がかりの仕事になるかもしれません。ご覚悟を。

皆川博子全短編を読む 第3回

国内小説 皆川博子全短編を読む

 3回目にして、早くも二か月ほどスパンが空いてしまいましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか(テンプレ)。

 さて前回は、『水底の祭り』『薔薇の血を流して』の二短編集を中心に、皆川博子のさらに深く、濃い「行きてのち戻れぬ世界」を紹介させていただきました。

 さて、第3回の内容に入っていく前に、まず見ていただきたいのが、皆川博子初期短編集の出版のタイミングです。

 

○『トマト・ゲーム』: 1974年3月刊(講談社

○『水底の祭り』:1976年6月刊(文藝春秋

○『祝婚歌』:1977年5月刊(立風書房

○『薔薇の血を流して』:1977年12月刊(講談社

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○『愛と髑髏と』:1985年1月刊(光風社出版)

 

 4年間で4冊短編集を出した作家が、7年間短編集を出さない(しかもその間70編近くの短編を雑誌に掲載していたにもかかわらず)ということがまかり通ってしまったのは驚くべきことです。しかしその間も、皆川博子の秘めたる闇は深く静かに広がっていたのでした。その契機となる時期について、今回見ていきたいと思います。

 

  1. アイデースの館」 初出:小説現代1976年2月号 『トマト・ゲーム』収録

 前回取りあげた「遠い炎」同様、後に『トマト・ゲーム』文庫版に増補された作品です。人間の死をそのままに写し取った「デスマスク」を巡る旅の果てに辿りついた事実、30年前から消えることなく燻った情熱と怒り、そして蔓延する欺瞞を描いた作品です。とはいえ、個人的にはそのテーマそのものよりもむしろ、デスマスクに魅せられた男が抱く、デスマスクを被っては自分の顔がそれに似ていくという、もはやどこにも向かわない虚無的な妄想が、実は最初からその燠火ににじり寄るものであったという因果話にこそ面白さを感じました。

 

  1. 祝婚歌」 初出:別冊問題小説1976年4月号 『祝婚歌』収録

  前回絶賛した「魔術師の指」と後に『トマト・ゲーム』文庫版に収録された「遠い炎」を含めて5編を収録した『祝婚歌』は、その入手困難さにも関わらず、皆川博子の初期短編の中でも美味しいところを集成した高品質の短編集です。現在では『皆川博子コレクション3』に『冬の雅歌』(これまた超入手困難ながら初期を代表する傑作長編です)とカップリングで収められているので、ごく容易に読むことができます(「疫病船」は『悦楽園』などの短編集で読めます)。

 さて、本作の主人公の女性は、週六日大物劇画作家の背景書きをしてサラリーを稼ぎつつ、自宅でのエッチング制作を趣味としています。突然訪ねてきた若い情人と彼女が会話するうちに心を行き交ったことを描いたのが本作です。交わされる浅く適当な会話と裏腹に描かれる彼女の荒廃した虚無的な精神は、前回紹介した「黒と白の遺書」のエダが成長(?)したものであるかのよう。愛ゆえに人を傷つけることを厭わないエゴイズムに吐き気を催さざるを得ない、またも非常にアモラルな作品です。

 

  1. まどろみの檻」 初出:小説現代1976年4月号 『悦楽園』収録

  何を見るでもないのに、ただこちらに目を向ける女。ある意味では無関係、ある意味では不気味な存在である彼女についての、体育教師の妄想を延々と綴った作品です。彼女を見、彼女を知ったことによってまるで妄念の檻に閉じ込められたかのように、彼女の身の上を想像し、いつしか彼女を殺人者として規定していく男。その歪んだ論理によって組み上げられた「真実」をどこまで信じるか? 読み込むうちに読者もまた檻に閉じ込められたような閉塞感を覚えてしまう作品です。

 

  1. 疫病船」 初出:問題小説1976年6月号 『祝婚歌』→『悦楽園』収録

  自分の母親を殺そうとした女。なぜそんなことをしなければならなかったのか。その動機に肉薄する弁護士が辿りついたのは、戦後間もない時期に起こった痛ましい事件でした。しかし彼女たちの物語を解きほぐすうちに、いつしか彼は自分を主人公とした、憂鬱で一種苦痛でさえある現実の物語に直面し……「疫病船」というモチーフに見える怒り・哀しみ・そして保身の入り混じった感情によってまず読者を打ちのめし、しかるのち主人公のぽつりと漏らした言葉によって何もかもの終わりを予感させる。極めて緊密に構成された傑作短編です。なお、『皆川博子作品精華 迷宮』にも収録されています。

 

  1. 風狩り人」 初出:小説現代1976年6月号 『悦楽園』収録

  「少女は風を撃った」という末尾の文が極めて印象的な作品です。父親のありやなしやの愛の所在を巡るある意味で子供じみた憎悪が、不気味に作品全体の通奏低音となっています。

 個人的に気になったのは、松戸の精神病院で働いているという「江馬章吾」という主要登場人物でした。精神病院と江馬という姓にアンダーラインを引いておくと、その延長線上に現出するのは長編『冬の雅歌』です。78年11月刊の長編と76年6月発表の短編に、いかなる関係が見出し得るか……江馬とその親類である女性の再会が物語の引き鉄になっていく部分? そうかも知れません。「精神病院」というモチーフは皆川の初期短編に頻出しますが、この「江馬」という姓と精神病院の繋がりになんらか意味があったのか?と、とりあえず一つ解けないかもしれない謎々を提示しておきます。

 

  1. 黄泉の女」 初出:別冊小説新潮1976年夏号 『ペガサスの挽歌』収録

  浮気相手に夫を奪われた女が抱く被害妄想と加害妄想とで全編が占められた、もう徹底的に妄想した作品です。

 さて、この物語には二度の転調があります。一度目は、女が浮気相手の子供を誘拐するシーンです。もはや自分の手の届かない物を当然のように享受している相手への憎悪がいたいけな子供に向けられる、というだけでその行為のむごさに慄然としますが、重要なのは主人公が原則何もしないということ。彼女は、誘拐してきた子供を持て余すままにひたすら憎悪の妄想を研いでいきます。その虚しい憎悪を昇華して、醜悪で冷たいものへと転化させる第二の転調……中盤ややダレるのが残念ですが、テーマ的に已む無しか。

 

  1. 花冠と氷の剣」 初出:小説現代1976年8月号 『トマト・ゲーム』収録

  文庫版『トマト・ゲーム』に収録された作品では、これが最も新しい短編になります。それにしても「風狩り人」からの「子供の残酷さ」を描く内容はここに頂点を迎えてしまいました(これまで書かなかった隠しテーマ)。なお、後年多くの作品で実験されていくことになる、「渦巻く妄念が主人公を引きずり込んでいくという内容」を、「冒頭と末尾を、因と果とを接続して読者を物語の檻に閉じ込めるという文学的トリック」によって描くという手法を、より意識的に使い始めたのはこの作品かもしれません。

 

  1. 幻獄」 初出:週刊文春1976年8月号 『巫子』収録

  「始めから終わりまでベッドを一度も降りない官能小説」というテーマで競作を行った時の作品です。ところが、濃厚なポルノを期待した編集の意図からはおそらく外れ、「ドラッグによって引き起こされた妄想」をテーマにした作品へと生まれ変わってしまいました。どこまでが現実で、どこからが妄想なのかは分かりやすいですが、しかしどこまで行っても現実と妄想を隔てる檻からは出られない主人公、いや読者を、静かに描出した結末が秀逸です。

 

  1. 」 初出:カッパまがじん1976年9月号 『ペガサスの挽歌』収録

  電話越しに身をよじりながらの大爆笑をぶつけられたならいかに不愉快か……という、著者自身の思いを乗せたかのような作品。妻を人とも思わぬ、ただ「いるだけ」と感じている夫の思う「不愉快」を煮詰めて、しかしそれを逆にぶちまけられたなら……という結末を超自然的なものとしても読めるように締めるのは、比較的珍しい?

 

  1. 海の耀き」 初出:問題小説1976年11月号 『祝婚歌』収録

  クルージングに出た男と夫婦の三角関係が軋みを上げていく、というストーリーはよくあるものですが、本作を興味深いものにしているポイントが二点あります。一つは、女が趣味とし、後には商売としてしまう「人形作り」。そして、まるで醜い人形を操るかのように人間模様をかき乱す「悪意ともつかぬ悪意」……操る者をなおも操る作者の手際は実に鮮やか。傑作短編集『祝婚歌』の末尾を飾るのにふさわしい良作です。

 

  1. 火の宴」 初出:小説現代1976年11月号 『皆川博子コレクション1』収録

  工芸ガラスの職人の世界を描いた作品です。美しく傲慢な、「紅」のガラスを巧みに使うヒロインの玻津子とガラス工場の跡取り息子の出会い、結婚、そしてそのあとの不毛な生活を描きつつ、そのいずれにも惹かれてしまう素朴な男の呟きによって紡がれた物語は、最終的に悲劇へと転がり落ちていきます。血潮を紅ガラスに譬える描写に、マーガレット・ミラー『狙った獣』の最終段を密かに思い起こしました。

 

  1. スペシャル・メニュー」 初出:小説現代1977年4月号 (単行本未収録)

  さて、今企画初の「単行本未収録短編」となります。ことミステリーで「スペシャル・メニュー」と言えば……つまりアレを指すのは自明ですが、「人口が極端に減少した未来というディストピア」を舞台にすることでもうひとひねりいれています。ディストピア社会を成立させるためのある「工夫」にニヤリとさせられた次の瞬間、ギョッとするような一刺しを入れて即物語を終わらせる。その果断にヒヤリとさせられる掌編です。

 

  1. 花婚式」 初出:カッパまがじん1977年5月号 『皆川博子コレクション1』収録

  失踪した妻を探して夫が辿りついたのは、彼女の兄で現在は寺の住職をしている男だった。妻の抱え込んだ死に向かう衝動は、もつれ切った一族の因果の糸を抱え込んだもので……。「私の影を、魚が食いちぎっていくのよ。白い骨があらわれて……髑髏にぽっかりあいた二つの黒い眼窩が、空の高みを見上げているの……」という妻の独白が本作のすべてかもしれません。虚空へと連なる虚無の絶望、泥中に咲いた一輪の蓮の花を踏み躙るがごとき暴挙……いや、それにしても美坊主ホモとは実にいい物ですね。傑作。

 

  1. 湖畔」 初出:週刊小説1977年5月27日号 『皆川博子コレクション1』収録

  エルサレムガリラヤ湖畔に舞台を設定した作品です。日本ではとても成立しそうもない、でも砂漠地帯ならば、かつてイエスが蘇ったというエルサレムならば起こってしまいそうな殺人事件を描いています。ガリラヤ湖畔と言えば、どうしても1978年の長編『光の廃墟』を思い出します。不正確な記憶では、取材でエルサレムを訪れたというエッセイを読んだような気がするのですが、だとすればまず短編という形でその際の印象を書き留め、さらに別の物語を長編の形にまとめて行ったのでは……と妄想してしまいます。

 

 ということで、短編14編でした。冒頭にも書いたとおり、この時期の皆川博子はオリジナル短編集刊行の機に恵まれず、短編を雑誌に書いたらそれっきりという状態にあったようです。それを90年代以降、日下三蔵氏や東雅夫氏が、『悦楽園』『鳥少年』『巫子』『皆川博子作品精華』『皆川博子コレクション』などの形でまとめ直してくださったおかげで今読める。そのことに感謝しつつ、本稿を閉じたいと思います。

 次回は今回と同じく、まとめ直し短編集の収録作品(特に『鳥少年』)を中心に読んでいきたいと思います。具体的には「火焔樹の下で」(1977年8月)から「滝姫」(1979年1月)までとなる予定です。それほど時間を開けずにお届けできればと考えていますがどうなることやら。期待せずお待ちください。

公式ブログは死なぬ、何度でも蘇るさ

アントニイ・バークリー書評集

直前になっての告知も何もあったものではありませんが、アントニイ・バークリー書評集製作委員会は、来る5/1(日)の第22回文学フリマ東京に新刊を手に参加いたします。

そう、『アントニイ・バークリー書評集 第4巻』です。

 

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赤い、マジ赤い。

 

第4巻は、第3巻の「英国女性ミステリ作家」編に続く「英国男性ミステリ作家」編の第一弾となっております。第二弾は……きっと秋に出ると信じてください。

上巻には、1956年末から1962年末までの約6年分を収録しました。数えると作品数的には140を超え、第3巻と比べても遜色のない内容になっています。英国男性ミステリと言っても、そのジャンルは様々。ガチガチの謎解きミステリからユーモアミステリ、犯罪心理小説に警察小説。いわば「スパイスリラー以外全部入り」の巻となっております。

クロフツジョン・ロードなどの巨匠たちが次々消えていく中、次から次へと登場する新人作家たちに目が離せない。60年代英国ミステリはD・M・ディヴァインだけじゃないんだ、こんなにも未訳の作品があるんだということがひしひしと伝わってくる内容に、私も思わず何冊かkindle版を購入してしまいました。いや~便利な世の中だ。きっとみなさんも、amazonでポチリまくること間違いなし。期待してください。

 

サイズは変わらずA5判。ページはやや減の80ページ。値段は据え置き500円、ということで頒布をさせていただきます。

スペースはチ-18だそうで、探偵小説研究会とオカルトグッズ制作サークルに挟まれております。うちの本も、バークリーの降霊をやっているようなものだから、ある意味においてはオカルトグッズと言えるのかもしれませんねえ。

 

最後に、少しだけサンプルを置いておきます。

先日、東京創元社から突如刊行されたコリン・ワトスン『愚者たちの棺』。それをバークリーがいかに評したかを読みとれる部分です。

 

http://bit.ly/1rfp73Z

 

バークリーはワトスンを大変贔屓にしており、それほど数が多い訳ではないとはいえ、1970年までに出た全作品を紹介するに至りました。

その情熱の一欠けらでも、本稿から感じ取っていただければ幸いです。

 

5/1は、東京流通センターのチ-18でお待ちしています。

(Webカタログはこちら https://c.bunfree.net/my/circle/1761/exhibit/5007 )

 

遠くて行かれない、Comic1の方がよほど大事で文フリに行く暇が無い、など様々な事情があるかとは思いますが、当日買えなかった方は、盛林堂書房さんの通販利用がおすすめです。よほどのことが無い限り、ゴールデンウィーク期間中に、お取扱いを始めていただける手はずになっておりますので……

詳細は決まり次第本ブログやtwitterでお知らせいたします!

 

どうぞよろしく、チ-18!

皆川博子全短編を読む 第2回

国内小説 皆川博子全短編を読む

 2回目にして、早くも二週間ほどスパンが空いてしまいましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 前回は、『トマト・ゲーム』単行本に収録された作品についての解説で終了しました。今回はそれに引き続き、皆川博子の初期短編集収録作品を中心に読んでいきたいと思います。

 なお、『水底の祭り』はなぜかkindle版が発売されているため、入手は非常に容易です。『トマト・ゲーム』に続く皆川博子を味わいたい人にとっては格好の作品集といえるでしょう。

 

  1. 鎖と罠」 初出:別冊文藝春秋1974年3月号 『水底の祭り』収録

 皆川博子講談社以外の出版社の媒体に初めて発表した作品です。これ以前の作品のほとんどでは、中高生(ないしそれを見つめるかつて若者だった「私」)が主人公でしたが、この作品では、旅行ガイドとしてロンドンにやってきた「弟」と、駐在員としてロンドンに住んでいる「兄」、二人のもう若くはない男性同士の確執と駆け引きとが物語の中心に据えられています。エリートの兄と落ちこぼれの弟、ロンドンで出会った二人の対立の根は小学生の頃に遡り……タイトル通りに物語に仕掛けられた「罠」は、兄弟のいずれを殺すのか。最後まで予断を許さぬ作品。

 

  1. 魔術師の指」 初出:別冊小説現代1974年7月号 『皆川博子コレクション3』収録

 魔術師トミー中浦こと中浦富夫と梢恵の関係は、学生時代に入り浸ったジャズ喫茶にまで遡る。喫茶店のマスターに導かれるままに急速に奇術の世界にのめり込んでいった富夫と、シナリオ作家を志望しながらその才能と情熱を燻らせる佐原、対極的な二人の間で梢恵は……そして十数年後の今、再会した彼らは何を思うのか。

 二人の男と一人の女を中心に、女は男の一人と関係を持つ、という設定を作者は繰り返して用いていくことになりますが、その嚆矢と言える作品。田舎の安キャバレーでトミーが奇跡的な一場を演ずるシーンが図抜けて優れています。奇跡を奇跡のままに、魔法を魔法のままに魅せることの難しさは当然ですが、作者はその難行を巧みにこなしています。

 

  1. 試罪の冠」 初出:小説現代1974年8月号 『ペガサスの挽歌』収録

 集合住宅に隣接する公園でその儀式は始まった。少年たちは、教祖的な青年ジャッコを中心に神託を交わし合う。その一方、専業主婦で同時に超現実的な絵画を描く早穂子は、初めての個展を訪れた「少女」律子との観念的、また同性愛的な触れ合いに溺れていく。そしてある日、律子の「夫」を名乗る人物からの電話は律子の死を告げた。

 理解者賛同者を持たぬ「芸術家」早穂子の嘆きに作者本人の懊悩を読みとることも出来そうな作品ですが、むしろ本作の恐怖の核は、律子という登場人物を特徴づける「少女趣味」という言葉にありました。律子はなぜ死ななければならなかったのか、試されるべき罪とは何だったのか。律子の告発が示す狂気は戦慄の一言。『ペガサスの挽歌』に収録されるまで未収録のまま残されていたことに意外を感じざるを得ない傑作です。

 

  1. 巫子」 初出:別冊文藝春秋1974年9月号 『巫子』収録

 後年『巫女の棲む家』(1983)として長編化された作品です。新興宗教のお筆先となって、神託を告げる役割を引き受けさせられた少女の引き裂かれてゆく運命を描いたこの長編と短編は実はかなり大きく違っています。長編版ではいかさま霊媒師の男「倉田」が「私」として語り手を務め、彼の「戦争への復讐」を中心に物語を展開しています。それに対して短編版では霊媒のお筆先「チマ」や医師の娘で新たにお筆先として「覚醒」する「黎子」の関係性や、大人の欲望に歪められていく少女性が物語を駆動しています。物語の密度や完成度、生々しさという点においては、実際には短編版に軍配が上がるのではないかというのが個人的感想です。

 

  1. 紅い弔旗」 初出:小説現代1974年10月号 『水底の祭り』収録

 ロック・ミュージカルをバックグラウンドに、ミュージシャンでまた劇団「海賊船」の中心的なパフォーマーでもある滝田、シナリオライター寒河江、マネージャーの奈々、三人の最早歪み軋みを上げ始めた10年越しの人間関係を物語の中心に据えた作品です。そこに突如登場する中性的な影のある美しさを備えた青年弓雄が、悪意ある人間の歪んだ欲望の捌け口として破壊され、また道具として利用される様は凄絶の一言でした。『悦楽園』や『皆川博子作品精華 迷宮』にも収録された、世評の高い一作です。

 

  1. 鳩の塔」 初出:別冊小説現代1974年10月号 『薔薇の血を流して』収録

 『薔薇の血を流して』という短編集が、ヨーロッパという「非日常」の世界、しかし登場人物たちの過去に不思議と結びついていく世界を舞台にした作品三編を収録していることを、今回初めて読んで知りました。たとえばこの作品では、イエイツの生まれ死んだ国アイルランドの幻想的な風景の中にあっても、主人公の文月がかつて関わった学生闘争と、作中の現在まさに起こっているIRAによる爆弾テロ事件が、「失われた恋人」という結節点で絡まり合っています。狂気の中心に踏み込むまでにやや枚数が多すぎるためか、だぶついている印象が残るのが残念。

 

  1. 地獄の猟犬」 初出:別冊小説宝石1974年12月号 『皆川博子コレクション1』収録

 ロック・バンド「ヘル・ハウンド」を率いるテツとバード、そして「わたし」を中心にバンドが生まれ成長し、そして死の危機に瀕するまでを熱っぽい文体で描いたパートと、死の気配を濃厚に漂わせる沈鬱な文体のパート、この二つをまるでマリファナによる躁鬱のように巧みに描き分けた作品です。いわば「紅い弔旗」をネガポジ逆にしたようなこの短編は、(発表順に作品を並べた)『皆川博子作品精華 迷宮』にはまるで双生児のように寄り添って収録されています。

 

  1. 黒と白の遺書」 初出:野生時代1974年12月号 『皆川博子コレクション3』収録

 かつて学生闘争の一幕を切りだした鮮やかな写真で世間の注目を集めた報道写真家十河明里。彼女に憧れ、アシスタントとしてスタジオにもぐりこんだ宏は、ハーフの美少女エダと出会う。9歳のエダの本質に潜む淫蕩さ、血と傷への傾斜を見出した十河は、エダを被写体に、美しくもおぞましい写真を次々と撮影していく。そんなエダの肉体に、宏は罪の意識を抱えながらも惹かれていき……

 よくもこんな作品を商業誌に発表できたものだ、と驚かざるを得ないアモラルな美意識に貫かれた作品です(それゆえに単行本化を避けられてきたのかもしれません)。欲望の究極を追求するために、人を壊すことを厭わない十河明里の壊れ方、また彼女に壊された(あるいは壊されかけた)人々の苦悩と快楽を、むしろ恬淡とした筆致で見事に捉えた秀作。

 

  1. 牡鹿の首」 初出:別冊小説新潮1975年1月号 『水底の祭り』収録

 動物ないし鳥の剥製を作るという、一瞬の生と死の交錯を永続させようとする冒涜行為に皆川博子はひどく惹かれているように見えます(「天使」「」など)。あるいは、この作品においては「生を永続させる」行為かもしれません。女性剥製師の麻緒と男娼の少年廉の密やかな交歓を描いた本作のハイライトは、大鹿が散弾銃に斃れる死の瞬間よりもむしろ、完成した剥製に義眼を入れる瞬間、鹿の首がまるで再び生を得たかのように、いや死骸に再び生を与えてしまったかのように、剥製の眼に光を見てしまう廉の狂気にあるからです。

 

  1. 遠い炎」 初出:別冊小説現代1975年4月号 『トマト・ゲーム』収録

 戦後三十年近くを経て、良江は「私」の近くに帰ってきた。無気力でろくに家事も出来ない私とテキパキとした家政婦の彼女。ひどく遠い、それゆえに妙に生々しい戦時中の記憶が今の私の、どこか虚ろな夢とシンクロして、ここに炎を呼び起こす。

 「なぜ私は火をつけたのか」という謎を核に、30年前の記憶を揺り動かす現代の悪夢を描いた作品です。「文体と主題の幸せな(しかし不幸せな)結婚」を「地獄の猟犬」や「黒と白の遺書」の中で実践してきた皆川にとって、睡眠薬に溺れ、朦朧とした「私」の意識をゆるやかな筆致で描くことで、読者の妄想的世界への導入を自然と済ませてしまう技法は、もはや自家薬籠中のものと言えます。『祝婚歌』から唯一『トマト・ゲーム』講談社文庫版に再録されたのも納得の良作です。

 

  1. 薔薇の血を流して」 初出:小説現代1975年7月号 『薔薇の血を流して』収録

 「マン島のバイクレース」と「父と娘の確執と歪んだ愛」という二つの主題をひとつにまとめ上げた、皆川博子の「異国もの」第二弾です。かつて日本に暮らしていた時に現地妻に産ませた女の子を、実の妻が生んだ息子が乗るサイドカーの備品としてしか見ていない父親の異常性(娘を霊媒の道具としてしか顧みなくなった「巫子」の父親のそれと瓜二つ)はもちろんおぞましい代物ですが、作者はここにもうひとひねりを加えています。終盤の説明がややくどいですが、父と娘の血の紐帯が導く結末の意外性は抜群です。

 

  1. 鏡の国への招待」 初出:別冊小説現代1975年10月号 『水底の祭り』収録

 今度はクラシック・バレエを主題に取った作品です。とはいえその中心にあるのは「鏡に写った」私の姿であり、師匠の影になりきるために、全てを犠牲にしてきた中年女の悪夢なのですが……殺人者と恐喝者の、擬似的な愛情にも似た感情を掬い取っているところが面白いですが、短い枚数に詰め込み過ぎた感もあります。テーマを絞ってシンプルに仕上げた方が良かった作品かもしれません。

 

  1. モンマルトルの浮彫」 初出:別冊問題小説1975年10月号 『薔薇の血を流して』収録

 「異国もの」第三弾。なぜかこの後、皆川博子はしばらく外国を舞台にした作品を書いていません。フランスで自殺未遂を起こして日本に強制送還され、療養所に閉じ込められた身元不明の女性が、なぜ再び自殺を試み、ついには死に遂げてしまったのかという人の心の闇に閉ざされた謎に「愛渓院」の医師伊倉が挑む、ニューロティック・サスペンスめいた作品です。

 この伊倉医師は、前回紹介した「暗い扉」(『皆川博子コレクション5』収録)の探偵役であり、皆川作品には極めて珍しいシリーズ探偵といえるキャラクターであるようです。とはいえ、本作でむしろフィーチャされているのは、女性の弟で狂える天才画家田浦と、前衛映画監督のブリュアンでしょう。彼らの狂気に当てられたように、死が物語に蔓延していく様はおぞましくもそれゆえに魅せられてしまいます。

 

  1. 水底の祭り」 初出:小説現代1975年12月 『水底の祭り』収録

 東北のM**湖では、水底に沈んで浮かび上がって来ない屍蝋がゆらゆらと揺れるのだという……というおぞましくも凄絶で美しいイメージを読者に完璧に植え付ける、初期皆川博子を代表する傑作短編です。この物語の背後に、戦後日本に確実に存在しながら、しかし語られることもないまま秘された事実があることを、今回再読するまで完全に失念しておりました。

 

 ということで、第2回は終了です。今回は『水底の祭り』と『薔薇の血を流して』の二短編集の収録作品を中心に読みましたが、いかがだったでしょうか。先に説明したとおり、前者は簡単に入手できますし、後者も二度文庫化されている(徳間文庫→講談社文庫)だけあって、比較的入手容易な部類に入る短編集ですので、興味の向きは手に取ってみることをオススメします。なお、今回の個人的ベストは「試罪の冠」「黒と白の遺書」でした。こちらも是非!

 

 さて次回ですが、3月中の更新を目標に進めていきたいと思います。「アイデースの館」(1976年2月)から「湖畔」(1977年5月)までの14編を対象にする予定です。いよいよ未収録短編も登場する次回を、よろしければお楽しみに。