深海通信 はてなブログ版

三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

8月読書記録

もう9月か、ということで、隔週刊ですらない月刊読書記録を更新します。

 

・買った新刊

アーナルデュル・インドリダソン『』(東京創元社

カーター・ディクスンユダの窓』(創元推理文庫・新訳)

ジャック・カーリイ『髑髏の檻』(文春文庫)

ボリス・アクーニン『トルコ捨駒スパイ事件』(岩波書店

ルース・レンデル『街への鍵』(ハヤカワ・ミステリ)

ハンナ・ケント『凍れる墓』(集英社文庫)

ミシェル・ビュッシ『彼女のいない飛行機』(集英社文庫)

ネレ・ノイハウス『悪女は自殺しない』(創元推理文庫

ラング・ルイス『友だち殺し』(論創海外ミステリ)

マーガレット・ミラーまるで天使のような』(創元推理文庫・新訳)

トム・ロブ・スミス偽りの楽園(上下)』(新潮文庫

デニス・ルヘインザ・ドロップ』(ハヤカワ・ミステリ)

 

・読んだ新刊

⑦ジャック・カーリイ『髑髏の檻』(文春文庫)

⑧アーナルデュル・インドリダソン『』(東京創元社

ジョー・ネスボネメシス 復讐の女神』(集英社文庫)

⑧ミシェル・ビュッシ『彼女のいない飛行機』(集英社文庫)

カーター・ディクスンユダの窓』(創元推理文庫))

 

8月は驚くほど新刊を読んでいないですね。ネスボの既訳作埋め(『スノーマン』『コマドリの賭け』)に驚くほど時間がかかったというのもありますし、コミックマーケットの戦利品鑑賞に時間を思いのほか割いてしまったり(カタリストさんのノベルゲーム『デイグラシアの羅針盤』は大変な良作)、原稿を書いたり、艦これのイベントで死ぬ思いをしたり……これだけ時間を無駄にして、9月10月であと何十冊新刊を読めばいいのか(絶望)。

 

さておき、今月読んだ本はかなりクオリティが高くて、ホッとしました。

大人気カーリイの第七作『髑髏の檻』(翻訳としては六作品目)は、主人公カーソン・ライダーが休暇で訪れた街で起こった連続殺人を、「支配」という十八番のテーマに乗せて描く、まあいつものカーリイです。ただ、今回はカーソンの相棒で口の悪いおっさん刑事ハリー・ノーチラスが欠場していること(代わりに田舎警察のツンデレお姉ちゃんが相方として活躍しますが)、トリックスターとして、今回初めてフル出場を果たす連続殺人鬼の兄ジェレミーが作劇的にあまりにも有用すぎるために、捜査の粗さが隠れていること(地元じゃないし、誰も協力的じゃないし無理もないが)など、やや不満な点もなきにしも。お兄ちゃん教の人と、マッドマックスで喜んでいる人は少し冷静になってください。

インドリダソン『』は、ガラスの鍵賞を連続受賞した『湿地』『緑衣の女』に続く、シリーズ第五作(翻訳としては三作品目)。クリスマスに沸く高級ホテルの地下室で一人、サンタクロースの衣装を纏って死んだドアマンの人生に秘められた栄光、そして転落を周囲の人々の「声」から浮き彫りにする作品で、明らかにこれまでの二作品よりも出来がいいです。同時に児童虐待や刑事エーレンデュルの孤独(クリスマスに殺人現場のホテルの部屋を取って、一人ポツンと座っている)を掘り下げていくのは、北欧ミステリに限らずよくある手ですが、ディテールが上手いのでじっくり移入できます(エーレンデュルがレコードを聴くシーン、非常によいです)。私の周囲では圧倒的に不評な縦書きイタリックだけは絶対に改めるつもりがないようなのが残念です。

ネスボ『ネメシス』は、ハリー・ホーレシリーズの第四作。連続銀行強盗事件の捜査チームに加わったハリーが優秀な若手刑事ベアーテとともに真犯人の意図に迫っていく物語Aと、かつての恋人との再会、そして彼女の死がハリーを思いもよらない泥沼へと引きずりこむ物語Bが、伝説の銀行強盗の元で縄を綯うように一つに縒り合されていきます。その複雑な構成の割に非常に読みやすいのは、物語が頻繁に整理されるからでしょう。細かい捜査の末に分かったことを整理して一つの結末を描き出すや、前提がぶっ飛んで意外な方向に転がっていく、というのはミステリとしてはあるある展開ですが、一つ一つの結論の作り込みの丹念さが読者の心を掴むもので、それをひっくり返されるとアドレナリンがしっかり出ます。興奮します。なお、本作は前作『コマドリの賭け』に続く「トム・ヴォーレル三部作」の第二作にあたります。残念なことに『コマドリの賭け』は現在版元消滅に伴い品切れになり、アマゾンマーケットプレイスなどで高値で取引されていますが、前作の大きなネタバレがありますので、可能な限り本作の前に読むことをお勧めします。

ビュッシ『彼女のいない飛行機』は、ツイッターでこんな感じに書きました。

ミシェル・ビュッシ『彼女のいない飛行機』読んだ。語られるまま与えられるままに探偵グラン=デュックの手記を読み、マルクやリリーとともに心を震わせ頭をひねり、真っ正直に謎に取り組むことで最大限の衝撃をぶち込まれるという類の本であり、変に歪んだ読み方をしない人にも売れてほしい。

1980年、スイスの山中で航空機の墜落事故があり、200人以上の乗客が犠牲になった。そんな絶望的な状況でたった一人の幼児が無傷で生き残った。しかし、実はその飛行機には二人の幼児が搭乗していた。果たして、「奇跡の子」はそのどちらなのか。

18年間事件を追い続けた探偵の手記に導かれるまま、読者は、そして主人公マルクは物語の迷宮へと迷い込んでいく。まさに解決を宣言した矢先の探偵の死、「奇跡の子」の失踪と続発する謎謎謎……果たして迷宮に出口はあるのか、そして迷宮の深奥で待ちうける怪物の正体とは。

ミステリ的意外なオチを……と考えながら読むと、割と分かってしまうんだよなあ。分かったから愉しめないということはないんだが、そういう裏を裏をと覗き見ようとする読み方とはいささか相容れない、ドストレートなエンタメ小説なんよ。

三門優祐@ラバウル基地 (@m_youyou) 2015, 9月 1

 

 作者に鼻面掴まれて思う様ぐりぐりひっぱりまわされるのが好きな人、つまり本が好きな人にはたまらない傑作ですよ。オススメです。

 

今年はもう集英社が絶対勝利なんじゃないかなあという感じがしますね。

 

さて、9月の新刊について。

ハヤカワ・ミステリのジョナサン・ホルト『カルニヴィア3』は待望の完結編です。『2』であそこまでやってしまった作者が、主人公をどうやって救うのか、はたまたまったく救いはないのか、気になって仕方がない。

藤原編集室からの二冊、マクロイ『あなたは誰?』(ちくま文庫)とロラック『曲がり角の死体』(創元推理文庫)は、古典ファンはマストですね。ロラックはそろそろ大きめのヒットを出してもらわないと(ホームランを打てる作風ではなさそう)。

エラリー・クイーン外典コレクション『チェスプレイヤーの密室』は、ジャック・ヴァンスによる贋作クイーン。こんなモノまで翻訳が出るとは、いよいよ出す本が無くなってきたのかなあ。評価の高い作品ですが、まったく予断を許さない感じですね。

アンネ・ホルト『ホテル1222』は、『そして誰もいなくなった』をオマージュしたという作品。『凍れる街』で高い実力を見せてくれた作者だけに期待したいところです。

新規参入のハーパーBOOKSは、ハーパー・コリンズ社の本を積極的に出して行く雰囲気か?ロマンスメインかと思いきや、結構ミステリエンタ寄りなのが嬉しいですね。ジャック・ソレン『ジョニー&ルー 掟破りの男たち』は泥棒アクション、ケアリー・ボールドウィン『ある男ダンテの告白』はサイコサスペンス。いずれも未紹介の作家で、愉しみです。

 

一月溜めると案外長くなるなあ、と。9月は積極的に読み更新していきましょう、と宣言しても守られなさそうですが……頑張ります。

  

声

 

  

ネメシス (上) 復讐の女神 (集英社文庫)

ネメシス (上) 復讐の女神 (集英社文庫)

 

  

ネメシス (下) 復讐の女神 (集英社文庫)

ネメシス (下) 復讐の女神 (集英社文庫)

 

  

彼女のいない飛行機 (集英社文庫)

彼女のいない飛行機 (集英社文庫)

 

 

7月(下旬)読書記録

あっと言う間に7月が終わってしまいましたね。週刊読書記録とはなんだったのか。隔週刊に改めましょうか。

さて、7月後半の読書記録です。

 

・買った新刊

サラ・グラン『探偵は壊れた街で』(創元推理文庫

クレイグ・ライス『ジョージ・サンダース殺人事件』(原書房

ジョー・ネスボネメシス 復讐の女神』(集英社文庫)

アン・クリーヴス『水の葬送』(創元推理文庫

 

・読んだ新刊(例によって超主観的判定による採点つき、10点満点)

⑥パトリック・デウィット『みんなバーに帰る』(東京創元社

イーデン・フィルポッツだれがコマドリを殺したのか?』(創元推理文庫

⑨ベリンダ・バウアー『生と死にまつわるいくつかの現実』(小学館文庫)

⑥クレイグ・ライス『ジョージ・サンダース殺人事件』(原書房

⑦サラ・グラン『探偵は壊れた街で』(創元推理文庫

⑧アン・クリーヴス『水の葬送』(創元推理文庫

 

それほど買ってないし、それほど読めてもいないですね。読書会に合わせてアルヴテーゲンを拾い読みしたりしたのが原因か。

フィルポッツの『だれがコマドリを殺したのか?』は、論創海外ミステリからイギリス初版を底本にしたバージョン(『だれがダイアナ殺したの?』)が出るそうで、いや~、一体どういうことなんですかね、これは。意外なトリックの演出の上手さもさることながら、底意地の悪い人間関係を書かせると、イギリスの作家は実に生き生きしてくる。

「10歳くらいの少女の視点から父親の、家族の、街の、世界の歪みを描く」というエグイにもほどがある小説『生と死にまつわるいくつかの現実』は、7月の新刊でも上位に来る傑作だと思います。娘がお父さんのことまだまだ大好きで尊敬してて、っていうのがね~悲しすぎます。お母さんのことがライバルだったりね……少女だったことも少女が身近で育つのを見たこともない俺(兄弟三人なんで)としても、キュンとしたというか切なくなりました。(小並感)

「『探偵が壊れた街で』、壊れてるのは探偵やろ!w」という名言をどこぞで聞き込んで読み始めてしまったのですが、意外と面白かったですね。まったく普通でない私立探偵もので、JDCシリーズ(清涼院流水御大のデビュー作から連なる作品群)を連想してしまいました。別に似てはいないんですけど、思想的には近縁の作品だと思います。

そしてアン・クリーヴス『水の葬送』。まず出てよかったというのが正直なところ。前作のあの結末から直接つなげる形でどう作品を作るのか、とおっかなびっくりでしたが、逃げず媚びず、正面からペレスを困難にぶつけているあたりは好感持てます。サブテーマが「人間は変われるのか?」なところも渋いですね。人間の感情のこんがらがりを鮮やかに捌いて読者の眼前に提出して見せる解決編は、ロスマク的、とは言わないまでもなかなか良かった。

 

8月も色々出るみたいですが、書店のポイント付与の関連で来月回しになっているインドリダソン『声』から、ジャック・カーリイ『髑髏の檻』、邦訳一体何年ぶり?のレンデル『街への鍵』へ。ヴィクトリア朝タイムスリップスリラー『ザ・リッパー』は、カーの孫娘の作品と言うことですが、あらすじの時点で既にして妖しいw こんなん欧米でマーケットあるんかい?と疑問はつきません。ブレイク・クラウチ『ラスト・タウン』は完結編ということですが……完結って全滅? 月後半も楽しみな作品が多いですが、それはまた次回ということで。

 

生と死にまつわるいくつかの現実 (小学館文庫)

生と死にまつわるいくつかの現実 (小学館文庫)

 

 

水の葬送 (創元推理文庫)

水の葬送 (創元推理文庫)

 

 

リサ・バランタイン『その罪のゆくえ』

単巻新刊レビュー復帰第一回はリサ・バランタイン『その罪のゆくえ』です。

2013年のエドガー賞(オリジナルペーパーバック部門)の候補作ではありますが、前情報が少ないこともあって、あまり読まれていないようなのは残念です。

その罪のゆくえ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

その罪のゆくえ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

さて、あらすじは以下の通り。

事務弁護士のダニエル・ハンターは、ロンドンの公園で起こった少年殺しの容疑者、セバスチャン・クロール(11)の弁護を依頼された。彼は、少年の年に似合わぬ落ち着き払った態度と高い知性に戸惑いを感じつつも調査を勧めて行く。そして時を同じくして起った義母ミニーの死が、ダニエルの精神を大きく揺り動かす。ヤク中の母の元から引き離されて辿りついた、ミニーとの生活。そこに渦巻く愛情、悲嘆、恐怖、憤怒、後悔。ダニエルと彼女の人生を引き裂いた「裏切り」は、今も消えない。

ダニエルの物語はセバスチャンの物語と絡み合い、そして、裁判が始まる。

 

11歳の少年が8歳の少年を殺した容疑で逮捕される、という極めてショッキングなシーンから、物語の幕は開きます。あらすじにも書いたとおり、セバスチャンの「適切にすぎる」受け答えや周囲をじっと観察し、自分に都合のいい展開に持ち込もうとする態度は極めて疑わしいもので、警察サイドばかりでなくダニエルも(当然読者も)、この少年はどこまで信頼できるのか、と混乱させられることになります。

それでも弁護側にあるダニエルは少年を信じて戦わねばなりません。法廷ものではよく指摘される点ではありますが、「容疑者を」信じるか、「容疑者の無罪を」信じるかという問いは同じようで実際には異なるもの。作者はこの違いを際立たせ、ダニエルを悩ませていきます。

また、この作品で扱われる事件が実際に起こった事件の再演であるというのは興味深いところですね。訳者解説に詳しいですが、作者は相当に資料を読みこみ、重たいものを読者にも載せてきています。

 

裁判と同時進行で進むのが、ダニエル自身の過去の回想です。このパートでは、先日亡くなった、もう20年ばかり没交渉の義母ミニーとの出会いから、関係断絶のきっかけとなった「裏切り」までが描かれます。過去に何があったのか、というのはもちろん興味深い点ではありますが、むしろこのパートではダニエルというキャラクターの本質の部分が掘り下げられ、それが現在の彼の立ち居振る舞いに反映されている、その点に注目すべきかと思います。

その中でも、特に着目したいのが過去パート冒頭のこのフレーズ。

「この子は”ランナー”なんですよ」ソーシャルワーカーがミニーに言った。(本書 p.29)

”ランナー”=「走る者/逃げる者」のあだ名通り、ダニエルはミニーの家を何度も立ち去り、生みの母親の元に帰ろうとします。そして、現在のパートでも、まるでその言葉を刻印されたかのように、ダニエルは執拗に「朝のランニング」を繰り返しています。

また、現在のダニエルが実年齢よりも若く見えるというのも注目すべきポイントでしょう。彼は大学を出て15年以上刑事裁判の仕事に携わっているプロフェッショナルですが、セバスチャンの両親それぞれから別個に「若すぎるように見える」「キャリアがあるように見えない」と侮りの言葉をかけられています。これはダニエルの容姿を表すと同時に、彼の「(肉体的/精神的)成長の無さ」を端的に表示している部分ではないでしょうか。「三つ子の魂百まで」の言葉通り、ダニエルは現在でも色々な意味で”ランナー”であり続けているのです。

 

ダニエルが、セバスチャンの裁判と、そして自らの在り様といかに向かい合うか、というのが本書の最大のテーマです。結末はほとんど必然的なものですが、それゆえに試されるものは大きい。

個人的には、年間ベスト級の作品だと思います。内容分量ともにずっしりと重たい作品ですが、強くオススメする次第です。

7月(上旬)読書記録

週単位くらいで読書記録のまとめをつけて行きたいと思います。(更新促進策)

とりあえず期間は7月1日~14日です。

 

・買った新刊

グスタボ・マラホビッチ『ブエノスアイレスに消えた』(ハヤカワ・ミステリ)

サイモン・ベケット出口のない農場』(ハヤカワ・ミステリ)

リサ・バランタインその罪のゆくえ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

ベリンダ・バウアー『生と死にまつわるいくつかの現実』(小学館文庫)

ボリス・アクーニン『トルコ捨駒スパイ事件』(岩波書店

エミリー・セントジョン・マンデル『ステーション・イレヴン』(小学館文庫) 

 

そういえばまだ『ユダの窓』を買っていません。復刊なので、別に読まなくてもいいような気はしますが、自分が翻訳ミステリにハマったきっかけの一つと言える作品なので、やはり外せません。

他、今月出る作品で要注目の物としては、ジョー・ネスボ『ネメシス』(16)、アン・クリーヴス『水の葬送』(21)、アーナルデュル・インドリダソン『声』(29)あたりでしょうか。リンジー・フェイは買わないと思います。

 

・読んだ新刊(超主観的判定による採点、10点満点)

⑧ クリスチアナ・ブランド『薔薇の輪』(創元推理文庫

⑦ ハラルト・ギルバース『ゲルマニア』(集英社文庫)

⑦ ベン・H・ウィンタース『カウントダウン・シティ』(ハヤカワ・ミステリ)

⑥ ブレイク・クラウチウェイワード-背反者たち-』(ハヤカワNV文庫)

⑦ サイモン・ベケット出口のない農場』(ハヤカワ・ミステリ)

⑥ エミリー・ブライトウェル『家政婦は名探偵』(創元推理文庫

⑨ リサ・バランタインその罪のゆくえ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

平均点高めでありがたいことです。

『薔薇の輪』は、ブランド作品の水準としてはそこそこ(『緑は危険』『ジェゼベルの死』『疑惑の霧』あたりと比較するとさすがに可哀そう)ですが、嘘と欺瞞と虚栄と傲慢がぐちゃぐちゃに入り混じった中で生まれた異形の「謎」とまともに組み合って苦労するチャッキー警部にひとつ「いいね!」を進呈したいところ。(ふと、コックリルだったらこの異形をどう捌くか、見てみたくなりました)

ゲルマニア』は、刊行前に某所のビブリオバトルを勝ち抜いたので、話題になっています。ベルリン空襲下でゲシュタポの大尉とユダヤ人の元殺人課刑事が協力して(裏に色々な思惑が働いている、一筋縄ではいかない関係ですが)猟奇殺人に挑む歴史小説ですね。戦後生まれの作家だそうですが、歴史考証に力を入れているのが良く分かります。とはいえ、謎解き部分はやや腰砕けで残念。

『出口のない農場』は、法医学探偵が活躍するシリーズの作者による初の単独作品。ツイッターでも書きました通り、大変こうエロゲ的お約束に則って書かれており、こういうのって全世界共通のボンクラ妄想なのかな、と。ほっこりしつつも「これ何か絶対おかしいだろ」という思いを消しきれない読者にきっちり最後の一撃を決めてから終える辺りは実に分かっていると思いますが、出来は普通。

 

なお、『その罪のゆくえ』については、久々に⑨判定が出ましたので、別個に項を立てて書きたいと思います。

 

 

薔薇の輪 (創元推理文庫)

薔薇の輪 (創元推理文庫)

 

 

 

ゲルマニア (集英社文庫)

ゲルマニア (集英社文庫)

 

 

 

出口のない農場 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

出口のない農場 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 

 

2015年上半期とは何だったのか(その2)

ということで昨日に引き続いて上半期回顧です。

 

街の薬剤師、グレゴワール・デュバルは順調な人生を送っていた。やや口うるさいが貞淑な妻との間に、二人の子供が生まれ、また自分で開発した薬も売れ行き好調。そう、あの女を勢いで殺してしまうまでは。
慌てて逃げ帰ったものの、街のチンピラが疑われ逮捕されるに至ってグレゴワールの不安は頂点に……無実の人間を死刑にするか、あるいは真犯人を見つけるか、すべては七人目の陪審員に託された。

 本年度間違いなく上位に来る大傑作ですね。これまで翻訳がなかったのがおかしかった。これ以上の作品となると生半なことでは見つけられそうもありません。
 アントニイ・バークリーがその新聞書評で絶賛したことでも知られるこの作品は、グレゴワール・デュバルというどこまでも真っ当でエゴイスティックな平凡人が、自己正当化の果てに「どうでもいい他人への思いやり」という究極の自己愛に至るまでを描いた爆笑必至のグロテスク、ブラックユーモアの極北です。あっけらかんとしたパトリシア・ハイスミス、あるいは小説として完成したフランシス・アイルズ、と呼びたい。
 残酷を求めて街全体が裁判を中心に異様に狭い渦巻きとなっていく中盤の「フランスド田舎ぶり」も素晴らしい。繰り返しますが、必読の傑作です。

 

  • ケン・リュウ『紙の動物園』(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 中国系アメリカ人のSF作家による傑作短編集です。意外にも、一部SFでもなんでもない作品もありますが、全体的にクオリティは高い。以下、私の気に入った数編を紹介。

もののあはれ」:中国系アメリカ人の作者が抉る日本人の本質とは? 私自身、この結論に必ずしも頷く訳ではありませんが、これが本作のSF的テーマと漢字と囲碁と混然一体に溶け合って、ある「たった一つの冴えたやり方」へと主人公が到達する結末は、論理的かつ情動的で好きでした。
「月へ」:人気投票でもそれほど票を集めなかったそうですが、この作品はケン・リュウの核心に近い部分であると、今も私は信じています。「あの子がそれを信じたなら、お前の話は真実になる」。騙り/語りの極点に感傷の余地などないことを、この情動的な作家がクールな眼で見据えているのは熱い。
「良い狩りを」:巻末作。狐耳の少女ハスハスからまさかの激熱展開を経て、いつも通りのケン・リュウ作品へ。幻想郷はここにありました。

 ということで、古沢嘉通氏のまたまたいい仕事でした。SFだから読まないとか偏狭な事言ってると損しますよ?

 

  • V・M・ジャンバンコ『闇からの贈り物』(集英社文庫

シアトル郊外の高級住宅地で発生した一家惨殺事件を、上司のブラウンとともに担当することになった新人刑事アリス・マディスン。捜査の過程で浮かび上がったキャメロンという男は、被害者のシンクレア、そして弁護士のクインとある悲惨な過去を共有する「生き残り」だった。マディスンは懸命にキャメロンを追跡するが、そこには恐るべき「闇」がぽっかりと口を開けていた。

 非常にクオリティの高い警察捜査小説です。謎→捜査→事実、これを積み重ねていく過程が丁寧に描かれていて、場面転換を優先した意義の薄い飛躍がほとんどありません(誉め言葉)。

 マディスンのパート以外にクインやキャメロンのパートも時折挿入されますが、ここも変に謎めかすばかりではなく、逆にマディスンが探り出した事実をさらに補完することで、次の謎を提示する役割を果たさせたりしているのも良い。結末も意外で、なおかつ地に足のついたものでした。ドラマ作りをしっかり心得た、実力派の新人のデビューを応援したいところです。

 

と、まあこんなところでしょうか。

下半期もぜひ良作にめぐり合いたいものです、と言った矢先に上半期の読み残しにがっかりしている私、残念すぎます。

 

七人目の陪審員 (論創海外ミステリ)

七人目の陪審員 (論創海外ミステリ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

闇からの贈り物 上 (集英社文庫)

闇からの贈り物 上 (集英社文庫)

2015年上半期とは何だったのか(その1)

数か月ぶりに浮上いたしました。ううむ、新刊レビューを順次書いていくという目標はいったいどこへやら。

復帰第一回ということで、昨年11月からの8カ月で読んだ新刊からこれは、というのを紹介しましょう。多分この辺から年度末ランキング投票で使う弾を選んでいくことに、ならざるを得ないのでは?という悲観的な読者。なお、順序は出版順です。

 

  • ウィリアム・ケント・クルーガー『ありふれた祈り』(ハヤカワ・ミステリ)

「あの夏は、ひとりの子供の死で始まった。」

40年前の夏、少年の人生は確かに変わった。嘘、裏切りを知った、成長の苦さと痛みを知った、そして一筋の奇跡と「ありふれた、一心の祈り」を知った。

2014年アメリカ探偵作家クラブ賞受賞。 

 数十年前に自分がかかわった事件の記憶を呼び戻しつつ、それを悔いたり嘆いたりするミステリはトマス・H・クック『緋色の記憶』以降爆発的に増えました(クック自身同趣向をそれ以前の『死の記憶』『夏草の記憶』で用いていますが。なお、『緋色の記憶』もアメリカ探偵作家クラブ賞(以降エドガー賞)受賞作です)。同じくエドガー賞を取ったジョー・R・ランズデール『ボトムス』もまたそうです。これらの作品は「少年と父」「少年と女性」他、多くのテーマを共有しています。

 『ありふれた祈り』がこれらの作品に対して卓越している点の一つは、「少年の成長」がしっかりと描かれている事だと思います。その契機としての奇跡、祈りまで含めて。とはいえ、本書は神の物語ではありません。あくまでも「神(あるいは現実)と向き合う人間」の物語として、これまでの作品で書いてきたテーマを延長した先に作者が辿りついた、圧倒的傑作です。

 

前作の事件を経て、再び捜査チームから放り出されてしまった迷惑傲慢男セバスチャン。だが、彼が以前逮捕した連続殺人犯ヒンデの犯行手口と酷似した殺人事件が発生する。自分は絶対役に立つと売り込みをかけるセバスチャンだったが、そこにはある理由があった。そして真犯人のおぞましい意図とは一体?

 ということで「犯罪心理捜査官セバスチャン」シリーズ第二作でした。第一作もなかなか面白かったのですが、この第二作ではセバスチャンの過去(と言っても彼の場合、対人関係に興味がなさ過ぎて、どんな人間といつどの程度交際をもったか、という点すら限りなく曖昧という体たらくなのですが)をしっかり掘り返しつつ、彼の問題行動をさらに深化させています。セバスチャンのある人物への執着は第一作の衝撃の結末によるものなので、必ずシリーズ順に読むことをオススメします。

 キャラクター的に面白いのはセバスチャンばかりではありません。捜査チームの面々は、前作同様セバスチャンを憎んだり鬱陶しがったり、あるいは重宝したり、尊敬したりとその対応はてんでバラバラですが、そのあり方もさらに掘り下げられています。そして、恐るべき連続殺人者ヒンデ、彼の特殊なパーソナリティは、ここ数年で登場した「ありがちサイコ殺人鬼」の中でも、かなり際立ったもの。

 上下合わせて800ページ超と分厚い作品ですが、愉快なキャラクター小説として読み進むうちに、作者チームの仕掛けたトラップにまんまとはめられてしまうことは間違いなし。オススメの良作です。

 

今日は疲れたのでこの辺で。

 

 

ありふれた祈り (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

ありふれた祈り (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 

 

 

犯罪心理捜査官セバスチャン 模倣犯 上 (創元推理文庫)

犯罪心理捜査官セバスチャン 模倣犯 上 (創元推理文庫)

 

 

 

模倣犯〈下〉 (犯罪心理捜査官セバスチャン) (創元推理文庫)

模倣犯〈下〉 (犯罪心理捜査官セバスチャン) (創元推理文庫)

 

 

マイクル・Z・リューイン『神さまがぼやく夜』

うっかりすると時間が空いてしまうので、思い立ったら書くのが吉ですな。今回はマイクル・Z・リューイン『神さまがぼやく夜』を取り上げます。
私立探偵アルバート・サムスンや夜勤専門の刑事リーロイ・パウダー、一家総出の探偵家族ルンギ家の冒険を描いてきた名手リューインが、すべての創造主である「神」を語り手に現代社会の諸相を切り出していく本作はユーモアたっぷりの滑稽譚ですが、しかし皮一枚めくるとそこにあるのは……いや、もう少しあとで書くことにします。


神さまがぼやく夜 (ヴィレッジブックス)

神さまがぼやく夜 (ヴィレッジブックス)

「悪魔というのは苛立たしいほど何でもよく知っているのだ。しかし、今夜はそんな悪魔にも我慢するつもりだった。こっちは悪魔の知識が必要なのだ(p.99)」

あらすじはあってなきがごとしですがこんな感じ。

地上管理の仕事をペテロと天使たちに任せたまま、創造部屋にこもって幾百年。21世紀を迎えた地球の文明は神の想像を超えてとてつもない方向へと向かっていた。人間を理解し、そしてできれば自分を神と崇めない、天界にいるようなのとは全然違ういい女と一発ヤリたいものだ、と今宵も神は街に降り立つのだった。

上記あらすじに見られるように、当初「神」の目的は地上のいい女と自由意思に基づくセックスをすることに限られています。しかし、知識はあってもそれを利用したコミュニケーション能力に著しく欠ける彼にとって、現代人と対話し、あまつさえ一夜の恋人になるなんて大変な難事業時には悪魔の知恵も借りつつ(えー?)、色々試していきます。失敗しては天界に帰り、ペテロやマリア、イエスを相手に癇癪を起すたびに地上で災害が巻き起こるのはギャグの域といっていいでしょう。
この作品が単なる艶笑譚で終わらないのは、様々な体験を重ねることで「神」が変わり(神自身、この変化には戸惑いを隠せずにいますが)、地上にやってくる理由も変わっていくことによります。人間が「神」をどうとらえているか、難病に侵された子供との出会い、野球の魅力を知ったこと……当初はただのアホキャラでしかなかった「神」に人格が付与され、興味深い人物になっていく過程の描き方はさすが名手といえます。そして神が辿りつく究極の結論とは……地上はどうなってしまうのか。これについてはお楽しみに。
もともとkindle書き下ろしという極めて特殊な形で書かれただけあって、肩の凝らない目の疲れないあっさり気味の作品ではありますが、リューインの人間観がしっかり出ていて、そこは面白い(宗教心はどうなんでしょうねw)。

だいぶ昔にリューインが書いた『のら犬ローヴァー町を行く』という作品のことを覚えている人もいるかもしれません。弱きを助け強きを挫く(といいなあ)、媚びず怯まず町を行くのら犬の目線から、犬の社会(当然これは人間社会のメタファーですね)や愚かしい人間の姿を描いた、まあ一冊の本としては散漫な作品ですが、ところどころ面白い。田口俊樹氏の訳は勿論、挿絵も抜群に素晴らしいと思いますがw
本書を気に入った人は、この作品にも手を伸ばしてみるといいかもしれませんね。

なお、本作の評価は★★★☆☆です。
いい加減微温的な評価をつけるのをやめなければ、とは思っているのですがなかなかね。

のら犬ローヴァー町を行く (Hayakawa novels)

のら犬ローヴァー町を行く (Hayakawa novels)

ジャック・ケッチャム&ラッキー・マッキー『わたしはサムじゃない』

書くのは楽しい新刊レビュー、第二回は鬼畜大帝ジャック・ケッチャムとその愛弟子(?)ラッキー・マッキー『わたしはサムじゃない』をお届けします。この本には表題作とその後日談「リリーってだれ?」、そして単発短編「イカレ頭のシャーリー」の三作品が収録されています。


「願いごとをするときは、兄弟、気をつけたほうがいい(p.34)」

とりあえず表題作のあらすじをドン。

アメコミ作家のパトリックと法病理学医のサムの夫妻は結婚後8年が経とうというのに未だにアツアツのラブラブ。子どもはいないけれど、老いぼれ猫のゾーイと一緒に、お互いの仕事を尊重し合いながら暮らしてきた。ところがある日の真夜中、サムは「変わってしまった」。彼女は見た目はそのままにその心だけ6歳児のものになってしまったのだ。リリーと名乗る彼女を世話しつつ、サムを元に戻すためにパトリックは奮闘するが……

ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』若島正新訳で読んだ時も思ったんですが、やっぱり子どもってどんなに可愛くても散らかすし汚いしうるさいし面倒くさいんですよ、天使のような子どもなどいない(子育て経験絶無の語り)。たとえば……ちゃんとお尻拭けてないんですね、下着にうんちついてたりするんだなあ。それをそのまま30代半ばの女性でやると見えてくる醜さ、えげつなさがこの作品の最大の魅力と言えます(しかし、子育て経験ないはずのパトリックもよくやってるなあと今さら感心したりして)。

問題は、この「幼児還り」がサムにとって意識的なものなのかという点です。余りにも自然すぎる振る舞いから、コレは演技ではなく、何らかの理由でサムが自我をブロックしリリーという女の子に切り替わっているようだ、と医師は説明しますが、その理由が分からない。どうやったら元に戻ってくれるのか、分からないままにリリーの我儘を聞き続けるパトリック。通販で買ったおさるのジョージパジャマとかね。ホントママ向けのがあって良かったですよ。

この状況はパトリックの仕事にも問題を与えていきます。彼が書いていた「殺されたサマンサ(奥さんの名前使うなよ趣味悪いな)が異常な科学者の手によって甦る」コミックは、少しずつ構図がずれていき、しまいには全部書き直しになってしまいます。この重ね合わせは上手いですね。

困窮したパトリックは、二人の結婚式のビデオを見せることでリリーをサムに揺り戻そうとするが……というところでこの物語は終わっています。そしてその翌朝から始まるのが続編「リリーってだれ?」です。まあ、この作品については、一切の予断なく読むべきだと思うので、何も書かないでおきましょう。

ただし、ケッチャムが前文で書いた内容だけは(ちょっと長いですが)転記しておきます。このお願いを守って、健やかなケッチャムライフを送られますことを、私としては祈ってやみません。

ラッキーとわたしにはあなたにお願いがある。余計なお世話だと思われないといいのだが。わたしたちがお願いをするのは、そうしたほうがあなたの読書体験がより豊かになっていっそう楽しめるはずだし、わたしたちもあなたがそのとおりにしてくれると考えるとうれしいからにほかならない。
もしもあなたが「わたしはサムじゃない」を気に入ったなら、そのまま続けて「リリーってだれ?」を読みたくなるだろう。続いている物語のたんなる一章であるかのように。たがいに溶け込んでいるかのように。フィクションではなく、ほとんど実人生であるかのように。そんなふうには考えないでほしいというのがわたしたちのお願いだ。
わたしたちはあなたにペースをゆるめてほしいのだ。発端と結末をじっくり味わってほしいのだ。
しばしのあいだ「サム」をおちつかせてほしいのだ。
数分のあいだ。あるいは二時間。場合によっては一日。長さは問わない。
最初の物語の静寂に少しのあいだ耳を傾けてから、第二の物語の幕を開けてほしいのだ。それぞれまったく別の曲を奏でていることは保証する。
地獄へ堕ちろ、とわたしたちを遠慮なく罵ってくれてかまわない。
金を出したのはあなただ。あなたにはそうする権利がある。
だが、そう、わたしたちはここでささやかな音楽を奏でようとしているのだ
耳を傾けてもいいのではなかろうか。(pp.13-14)

その通りだ地獄へ堕ちろ、JK&LM。

評価は★★★☆☆です。

トマス・H・クック『サンドリーヌ裁判』〜愛のままにわがままにぼくは君だけを傷つけ、ない?〜

ということで新コーナーを発足します。本コーナーは「翻訳ミステリの新刊レビュー」を雑にやって行こうと思います。エドガー賞もそのうち更新したいとは思ってますよ? 地味に。

第一回は、2015年1月刊のハヤカワ・ミステリであるトマス・H・クック『サンドリーヌ裁判』を取り上げます。

実は私、何かを語り得るほどクック作品を読んでいません。「記憶シリーズ」四部作、『沼地の記憶』、それに版元が早川書房に移って以降の作品だけ。初期の私立探偵小説や『夜の記憶』以降の文春文庫の作品は抜けています。なので、作家の成長とか劣化とかそういう話については、今回は黙していこうかなと考えています。


サンドリーヌ裁判 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

サンドリーヌ裁判 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

「わたしが彼女を傷つけることはありえないと信じて、私の犯罪の本質を垣間見ることもなく、彼女は死に向かったのだろうか?」(本書p.90)

あらすじは単純明快、以下の通りです。

田舎町コバーンの大学に勤める英文学教授サム・マディソンは、同大学に勤める古代史教授で、妻のサンドリーヌを殺害した容疑で裁判にかけられることになった。睡眠薬の大量服用による死は、果たして自殺か、他殺か。時ならぬスキャンダルに沸き立つコバーンの街の人々をよそに、サムはサンドリーヌとの人生、己の来し方を静かに回想し始める。

今回の主人公、サムは近年のクック作品にありがちな、インテリだが人間的には薄っぺらい、そして語りがとにかく煩わしい中年後期のおっさんです。果たして彼が殺したのか、はたまた冤罪で本当に自殺なのか。それはサム自身がまったく語ろうとしないため、物語終盤まで読者には確信を持てない部分です。
田舎町の住民たちはもちろん、学生も同僚の大学教員たちも、自分(とサンドリーヌ)以外は「知的でない」と無意識にバカにしている節があります。その価値基準自体がすでに問題ではありますが、裁判においても、自分が死刑になるかもしれないのに「まるで予習用に読んだ下らないミステリ小説の筋書き通りだな」と感じてしまうほど。
周囲に対して怖ろしく無関心でかつ冷笑的、達観しているというよりも、単に防壁を廻らせているだけという感じです。

彼が如何に己の「失敗した」人生を呪っているか、そしてそれによって周囲を無意識に如何に貶しめているかは、たとえば主任弁護士のモーティと交わした以下の問答で分かります。色々意味深にするために、重要な部分は略しておきますが。「細い隙間から洩れる灯油」という譬えがまた、静かに醸成された悪意の存在を示しているように見えませんか?

「わたしは罠にかかったような気がしていた」とわたしは穏やかに言った。それは細い隙間から洩れる灯油みたいににじみ出た言葉だった。
モーティの目がさっとわたしに向けられた。「罠にかかった?」
「わたしの人生のことさ」とわたしは説明した。「それが結局どうなったかということだ。コバーン大学で教えながら、ここに住んでいるということだよ。(中略)だからあんなことをしたんだろうと思う、モーティ」
(中略)「何をやったというんだね、サム?」
(中略)「わたしはこの小さな町に閉じ込められていると感じていたんだ。だから――」
「そういうことは陪審員には悟らせないようにすることだな」とモーティがさえぎった。(中略)「彼らはこの町で暮らしているんだし、彼らの大部分は、サム、あんたみたいにこの町を軽蔑しているわけではないんだから」
軽蔑というのは乱暴すぎるような気がしたが(中略)実際、わたしは軽蔑心を抱いていたのかもしれない。
(pp.154-5)

証言者が登壇する度に、サムは(裁判そっちのけで)様々なことをぼんやりと回想していきます。そのエゴイスティックな回想の中心にあるのは、自分が「犯してしまった罪=不倫」に至る記憶とサンドリーヌとの過去。一枚ずつ薄皮を剥いでいくように「物語の核心」に迫っていくなか、サムはこの「状況証拠しかない死亡事件」の違和感に気付き始めます。
リチャード・ハルの名作『伯母殺人事件』が、単に「伯母を殺そうとする甥」の事件ではないのと同じように、この作品、Sandrine's Caseもまた、単に「サンドリーヌ(が殺された事件の)裁判」ではない訳ですヨ。その辺は、中盤以降の焦点になっていきます。

サムが「裁判で」有罪になるか無罪になるか、また彼の人生がこの裁判によって如何に変わるのかが物語の結末で語られますが、はっきり言ってそこは「最近のクックらしく」微温的なものに落ち着いており、個人的には評価を下げる一因にしかなりませんでした。
むしろ、その一歩手前、「サンドリーヌが死ぬ直前に何を考えていたか」というその一点が、この作品からシニカルな微苦笑をはぎ取り、読者に「ある戦慄」を与えうる部分です。傲慢な人間たちの互いへの無理解、すれ違いが生むほとんど滑稽とも言える悲劇を楽しめる作品でした。

評価は★★★☆☆です。

なお、このコーナーでの星取りは、以下の基準で選定しています。

★☆☆☆☆:駄作(読むには値しない)
★★☆☆☆:標準作(好きな作家なら読んでもいい)
★★★☆☆:佳作(ミステリ好きなら読むべき)
★★★★☆:秀作(定価で買って損なし)
★★★★★:必読の傑作(書店に走れ!)

第二十六回:ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』(創元推理文庫)+メアリー・W・ウォーカー『処刑前夜』(講談社文庫)

○怪物を「理解」するために

咲: 『長いブランクの後、続きを一週間でお届け出来て、正直ほっとしています。』

姫: 『まあまた半年寝かせたら、ほとんどジョークの域ですものね。そんな大御所連載形式では忘れられてしまうもの。』


……ざざ、ざざざ……ちゃかぽこちゃかぽこ……ぶーんぶーん……


咲: さて、今回取り上げるのは二作品ですが、いずれも「女性ジャーナリストが主人公で、凶悪殺人犯(として拘留されている人物)にインタビューをし、手記をまとめようとしている」と設定が非常に似通っています。

姫: それぞれでやってもいいけど、どうせなら二つをぶつけて、より直接的に両者の違いを見ていこうというのが今回の狙いです。

咲: なーんて。一冊でも多く消化したいっていう思惑はバレバレなんですけどねw まあ内輪話はいいです。では早速一冊目『女彫刻家』(1993)に行きましょうか。


女彫刻家 (創元推理文庫)

女彫刻家 (創元推理文庫)

母と妹を惨殺し、その後死体のパーツを並べ替えて人型の血まみれオブジェを作った凶悪殺人犯、オリーヴ・マーティン。「彫刻家」の異名で知られる彼女は、その犯罪の異常さにも関わらず精神的にはまったく正常で、自ら罪を認め一切の弁護を拒んできた。フリーライターのロズはオリーヴのドキュメントを書くことを計画し、ついには彼女との直接インタビューにまでこぎつける。しかしその中で、ロズの心に疑惑が生じる。果たしてオリーヴは、本当に「彫刻家」なのだろうか?

姫: ウォルターズって最近はとても人気がある作家よね。去年刊行された『遮断地区』だったかしら、翻訳ミステリ界隈(という最高に気持ち悪い表現)で話題作になったし、「このミステリーがすごい!」とかの年度末ランキング本でもかなり上位に来てた覚えが。

咲: 去年の春に出た『養鶏場の殺人/火口箱』も結構読んでいる人が多いみたいだね。出版社の売り方が上手いからだと思うけど、一気に人口に膾炙したな。

姫: 咲口君は古参の狂信者として、にわかに湧きあがった評価の流れに思うところがあるのでしょうね……

咲: 別に古参でも狂信者でもないよ! まあ、ようやく正当な評価を得るようになったなとは思うけど。この吹きあがりは、ここ数年で「翻訳ミステリの一般的読者層(←なんという上から目線)」の意見が読書メーターしかりツイッターしかりネット上でキャッチしやすくなったのに起因するのだろうね。お互いに読んでいる本が分かることで、影響されあってブームが生まれて……という仕掛けが打ちやすくなっているのは確実だ。

姫: そんなのはどうでもいいけどね。

咲: (ならなんでそんな話振った……)その前にウォルターズがどういう作家か、というのをまとめよう。現時点で12作の長編を書いていて、(順序は前後したけど)第9作まで翻訳されている。第1作の『氷の家』(1992)でCWAのデビュー・ダガー(処女長編賞)、第2作『女彫刻家』でエドガー賞、第3作『鉄の枷』(1994)と第9作『病める狐』(2002)でCWAのゴールド・ダガー(最優秀長編賞)、ときらびやかな受賞歴を誇っている。

姫: 「シリーズキャラクターを作らない」という商業的にはありえない縛りをかけつつ、これだけ評価されているというのはスゴイと思う。ただ、ここ数年長編の刊行がないのが気になるけれど。

咲: 彼女の作品傾向を分類しようとしても一筋縄ではいかない。『氷の家』は伝統的なイギリスの謎解きミステリを現代風にリファインした物だったけど、『女彫刻家』は上で見たように『羊たちの沈黙』を思わせるサイコサスペンス、『鉄の枷』は一転バーバラ・ヴァイン風に転じている。

姫: 要するにルース・レンデルのジャンル感覚に一番近いのかしら。

咲: 端的にして直截的だなあ。まあレンデルはまだ生きているし、年一作以上書いているから次世代のレンデルという表現はやや不適切だけれどね。そういえば「英国ミステリの新女王」と呼ばれていた時期もあった。

姫: で! 『女彫刻家』は彼女の作品としてはどうなのかしら。

咲: 個人的には評価高くないんだよなあ。ただ、この初期作品の時点で、ウォルターズ作品における重要なテーマに既に踏み込んでいる、という事実はやはり評価されるべき。それは「相手を理解する」ということだ。『鉄の枷』や『蛇の形』では「被害者」の、『昏い部屋』では「記憶を失った自分自身」の「一面的でない本当の意味での理解を求める行動」が物語の真相へと繋がっていく。

姫: この作品においては、「容疑者」オリーヴ・マーティンをどう理解するか、ね。大柄で肥満体で不細工、思わせぶりな態度……彼女に対する一面的な見方は、「彼女が殺人者である」という仮定にぴったりとはまる。でもそれだけじゃない、かもしれない。安易な理解によって零れ落ちたいくつかのピースは、まったく異なる事実に繋がっているかもしれない……

咲: そういうこと。ウォルターズの作品が謎解きミステリとしても評価され得るのは、この点による。実際『蛇の形』は、「2000年以降の10年間の作品の中から選ぶ「海外優秀本格ミステリ顕彰」」にノミネートされてもいるくらいだ。ただ、この「取り零されたピース」は「必要な分だけ撒かれる」伏線というにはあまりにも多すぎる。不要なものも多いのだよ。それは伏線隠しのレッドヘリング、というよりも単なる天然のようにも思える。それくらい無造作なんだ。どこまで計算しているのかよく分からない。

姫: この作品はほぼ全編に渡ってロズの三人称単一視点で描かれるから、彼女の気づきを追って行くのは分かりやすかったけど。むしろ彼女がオリーヴの事件にのめり込んでいく理由の方がよく分からなかったな。ジャーナリストとしての正義感? オリーヴの話に違和を覚えたから? でもそれは彼女が泥沼に足を踏み込む理由には足りない。この歪みは理解し難い……歪みのその一部が、ロズ自身の過去に由来するものであるのはほぼ確実なのだろうけれど、あんまり直接的には書かないようにしているみたい。

咲: 自分が美人だから、不細工な相手に対する優越感/逆に卑下する感じ……みたいのを切り口に、オリーヴに誘導されてという風に読んでいたよ。

姫: 大雑把ね。

咲: そんなこと言ってもなあ。三人称小説だから、脳内ダダ漏れという風にはいかないし限界はあるだろう。その分からなさが読者を物語世界に引っ張っていくという要素もあるから、完全理解は難しい。

姫: そもそも結末はどうなの? どっちが真実なの? この小説割り切れない部分があまりにも多すぎて気持ちが悪い。

咲: おっと、ネタバレの臨界点を超えるからその話題は中止だぞ。最後に一つだけ。この作品を読み返して、俺のなかで、ひとつ思いもよらない作品とリンクが繋がった。飛浩隆「ラギッド・ガール」だ。オリーヴとロズ、阿形渓とアンナ・カスキ。美女と怪物的女性というカップルは文学作品においては決して珍しくないけれど、この対の間にある不気味な歪みは、個人的には近しいものを感じる。

姫: 確かに、どちらも「理解する」話ね。

咲: 根拠はないけどね。それこそよくある組み合わせ、よくあるネタだから。


○ここもと変則が多かったので、直球のエンタメに対応できない二人

姫: 『女彫刻家』に全力投球しすぎた。もう『処刑前夜』(1994)にコメントする気力がない。

咲: うーん、その点否定はしないけど、やるって言った以上はやりぬくショゾンだ。


処刑前夜 (講談社文庫)

処刑前夜 (講談社文庫)

多くの女性をその毒牙に掛けた連続殺人鬼ルイ・ブロンクに死刑執行の日が迫っていた。かつてブロンクの事件を一冊の本にまとめ、高い評価を得ていた犯罪ライターのモリー・ケイツは、新聞社の要請で彼の処刑について記事を書くことになった。ところが当時の資料を読み返し、ブロンク自身とも話をする中で、彼が起こしたとされる事件の一つが実は冤罪だったのではないかという疑惑が浮かび上がる。その疑惑を裏付けるように、被害者の親族たちの間で、謎の死亡事件が相次いで……

姫: すっごく手堅い捜査小説だな、っていう感じでした。小学生並の感想だけど。

咲: 作品の骨組みがしっかりしているので、ストーリーの流れに乗っていけば、深いことを考えなくてもごく自然に楽しめる、というエンターテインメントのお手本のような小説ですね。死刑と冤罪についても考えさせられる社会は要素も面白いし。犯人もきっちり意外だし。自分がかつて書いた本のせいで……というモリーの悔恨も分かりやすいし。

姫: ある意味『女彫刻家』が書かなかったことをド直球でやっているよね。互いに互いを補完し合う、ナイスコンビネーションと言えなくもないか。そういえば、これの続編でモリー・ケイツが再登場する『神の名のもとで』も傑作らしいのだけど、取り紛れて結局読めてない。

咲: モリーのプロ根性と正義感が気持ちいいんだよな。『女彫刻家』読んだ直後に読むと。何にせよブロンクは、冤罪かもしれない一件以外は有罪なので、とにもかくにも凶悪犯罪者なのは変わらないんだけど、それでも真実を追求せずにいられない彼女のことは、これほどまでに感情移入できるのに。

姫: これをアメリカとイギリスの違い、って言ってしまうと嘘八百になっちゃうわねw 死刑制度のありなしも関係あるかしらん。


……ざざ、ざざざ……ちゃかぽこちゃかぽこ……ぶーんぶーん……


○まとめ

咲: ということで、ジャーナリズム系小説二冊を片付けた訳だが……なんだこの違和感は。

姫: (ペロッ)この原稿、半年くらいフォルダの中で眠っていた味がする。どうやら書き上げた後に投稿するのを忘れていたようね。

咲: 全く役に立たないうp主だな。まあこの先の作品をまとめて買い込んだようだし、今度こそ完結に向かって走り始められるのかな? あと20冊あるけど。

姫: 次回は1995年の受賞作、ディック・フランシス『敵手』です。おお、三度目のフランシス。咲口君は、今度こそフランシス愛に目覚めることができるのか。乞うご期待ください。

咲: なんだよフランシス愛って……短めにまとめよっと。

(第二十六回:了)

蛇の形 (創元推理文庫)

蛇の形 (創元推理文庫)

ラギッド・ガール―廃園の天使〈2〉 (ハヤカワ文庫JA)

ラギッド・ガール―廃園の天使〈2〉 (ハヤカワ文庫JA)