深海通信 はてなブログ版

三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

皆川博子全短編を読む 第3回

 3回目にして、早くも二か月ほどスパンが空いてしまいましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか(テンプレ)。

 さて前回は、『水底の祭り』『薔薇の血を流して』の二短編集を中心に、皆川博子のさらに深く、濃い「行きてのち戻れぬ世界」を紹介させていただきました。

 さて、第3回の内容に入っていく前に、まず見ていただきたいのが、皆川博子初期短編集の出版のタイミングです。

 

○『トマト・ゲーム』: 1974年3月刊(講談社

○『水底の祭り』:1976年6月刊(文藝春秋

○『祝婚歌』:1977年5月刊(立風書房

○『薔薇の血を流して』:1977年12月刊(講談社

---------------------------------------------------------------------------------

○『愛と髑髏と』:1985年1月刊(光風社出版)

 

 4年間で4冊短編集を出した作家が、7年間短編集を出さない(しかもその間70編近くの短編を雑誌に掲載していたにもかかわらず)ということがまかり通ってしまったのは驚くべきことです。しかしその間も、皆川博子の秘めたる闇は深く静かに広がっていたのでした。その契機となる時期について、今回見ていきたいと思います。

 

  1. アイデースの館」 初出:小説現代1976年2月号 『トマト・ゲーム』収録

 前回取りあげた「遠い炎」同様、後に『トマト・ゲーム』文庫版に増補された作品です。人間の死をそのままに写し取った「デスマスク」を巡る旅の果てに辿りついた事実、30年前から消えることなく燻った情熱と怒り、そして蔓延する欺瞞を描いた作品です。とはいえ、個人的にはそのテーマそのものよりもむしろ、デスマスクに魅せられた男が抱く、デスマスクを被っては自分の顔がそれに似ていくという、もはやどこにも向かわない虚無的な妄想が、実は最初からその燠火ににじり寄るものであったという因果話にこそ面白さを感じました。

 

  1. 祝婚歌」 初出:別冊問題小説1976年4月号 『祝婚歌』収録

  前回絶賛した「魔術師の指」と後に『トマト・ゲーム』文庫版に収録された「遠い炎」を含めて5編を収録した『祝婚歌』は、その入手困難さにも関わらず、皆川博子の初期短編の中でも美味しいところを集成した高品質の短編集です。現在では『皆川博子コレクション3』に『冬の雅歌』(これまた超入手困難ながら初期を代表する傑作長編です)とカップリングで収められているので、ごく容易に読むことができます(「疫病船」は『悦楽園』などの短編集で読めます)。

 さて、本作の主人公の女性は、週六日大物劇画作家の背景書きをしてサラリーを稼ぎつつ、自宅でのエッチング制作を趣味としています。突然訪ねてきた若い情人と彼女が会話するうちに心を行き交ったことを描いたのが本作です。交わされる浅く適当な会話と裏腹に描かれる彼女の荒廃した虚無的な精神は、前回紹介した「黒と白の遺書」のエダが成長(?)したものであるかのよう。愛ゆえに人を傷つけることを厭わないエゴイズムに吐き気を催さざるを得ない、またも非常にアモラルな作品です。

 

  1. まどろみの檻」 初出:小説現代1976年4月号 『悦楽園』収録

  何を見るでもないのに、ただこちらに目を向ける女。ある意味では無関係、ある意味では不気味な存在である彼女についての、体育教師の妄想を延々と綴った作品です。彼女を見、彼女を知ったことによってまるで妄念の檻に閉じ込められたかのように、彼女の身の上を想像し、いつしか彼女を殺人者として規定していく男。その歪んだ論理によって組み上げられた「真実」をどこまで信じるか? 読み込むうちに読者もまた檻に閉じ込められたような閉塞感を覚えてしまう作品です。

 

  1. 疫病船」 初出:問題小説1976年6月号 『祝婚歌』→『悦楽園』収録

  自分の母親を殺そうとした女。なぜそんなことをしなければならなかったのか。その動機に肉薄する弁護士が辿りついたのは、戦後間もない時期に起こった痛ましい事件でした。しかし彼女たちの物語を解きほぐすうちに、いつしか彼は自分を主人公とした、憂鬱で一種苦痛でさえある現実の物語に直面し……「疫病船」というモチーフに見える怒り・哀しみ・そして保身の入り混じった感情によってまず読者を打ちのめし、しかるのち主人公のぽつりと漏らした言葉によって何もかもの終わりを予感させる。極めて緊密に構成された傑作短編です。なお、『皆川博子作品精華 迷宮』にも収録されています。

 

  1. 風狩り人」 初出:小説現代1976年6月号 『悦楽園』収録

  「少女は風を撃った」という末尾の文が極めて印象的な作品です。父親のありやなしやの愛の所在を巡るある意味で子供じみた憎悪が、不気味に作品全体の通奏低音となっています。

 個人的に気になったのは、松戸の精神病院で働いているという「江馬章吾」という主要登場人物でした。精神病院と江馬という姓にアンダーラインを引いておくと、その延長線上に現出するのは長編『冬の雅歌』です。78年11月刊の長編と76年6月発表の短編に、いかなる関係が見出し得るか……江馬とその親類である女性の再会が物語の引き鉄になっていく部分? そうかも知れません。「精神病院」というモチーフは皆川の初期短編に頻出しますが、この「江馬」という姓と精神病院の繋がりになんらか意味があったのか?と、とりあえず一つ解けないかもしれない謎々を提示しておきます。

 

  1. 黄泉の女」 初出:別冊小説新潮1976年夏号 『ペガサスの挽歌』収録

  浮気相手に夫を奪われた女が抱く被害妄想と加害妄想とで全編が占められた、もう徹底的に妄想した作品です。

 さて、この物語には二度の転調があります。一度目は、女が浮気相手の子供を誘拐するシーンです。もはや自分の手の届かない物を当然のように享受している相手への憎悪がいたいけな子供に向けられる、というだけでその行為のむごさに慄然としますが、重要なのは主人公が原則何もしないということ。彼女は、誘拐してきた子供を持て余すままにひたすら憎悪の妄想を研いでいきます。その虚しい憎悪を昇華して、醜悪で冷たいものへと転化させる第二の転調……中盤ややダレるのが残念ですが、テーマ的に已む無しか。

 

  1. 花冠と氷の剣」 初出:小説現代1976年8月号 『トマト・ゲーム』収録

  文庫版『トマト・ゲーム』に収録された作品では、これが最も新しい短編になります。それにしても「風狩り人」からの「子供の残酷さ」を描く内容はここに頂点を迎えてしまいました(これまで書かなかった隠しテーマ)。なお、後年多くの作品で実験されていくことになる、「渦巻く妄念が主人公を引きずり込んでいくという内容」を、「冒頭と末尾を、因と果とを接続して読者を物語の檻に閉じ込めるという文学的トリック」によって描くという手法を、より意識的に使い始めたのはこの作品かもしれません。

 

  1. 幻獄」 初出:週刊文春1976年8月号 『巫子』収録

  「始めから終わりまでベッドを一度も降りない官能小説」というテーマで競作を行った時の作品です。ところが、濃厚なポルノを期待した編集の意図からはおそらく外れ、「ドラッグによって引き起こされた妄想」をテーマにした作品へと生まれ変わってしまいました。どこまでが現実で、どこからが妄想なのかは分かりやすいですが、しかしどこまで行っても現実と妄想を隔てる檻からは出られない主人公、いや読者を、静かに描出した結末が秀逸です。

 

  1. 」 初出:カッパまがじん1976年9月号 『ペガサスの挽歌』収録

  電話越しに身をよじりながらの大爆笑をぶつけられたならいかに不愉快か……という、著者自身の思いを乗せたかのような作品。妻を人とも思わぬ、ただ「いるだけ」と感じている夫の思う「不愉快」を煮詰めて、しかしそれを逆にぶちまけられたなら……という結末を超自然的なものとしても読めるように締めるのは、比較的珍しい?

 

  1. 海の耀き」 初出:問題小説1976年11月号 『祝婚歌』収録

  クルージングに出た男と夫婦の三角関係が軋みを上げていく、というストーリーはよくあるものですが、本作を興味深いものにしているポイントが二点あります。一つは、女が趣味とし、後には商売としてしまう「人形作り」。そして、まるで醜い人形を操るかのように人間模様をかき乱す「悪意ともつかぬ悪意」……操る者をなおも操る作者の手際は実に鮮やか。傑作短編集『祝婚歌』の末尾を飾るのにふさわしい良作です。

 

  1. 火の宴」 初出:小説現代1976年11月号 『皆川博子コレクション1』収録

  工芸ガラスの職人の世界を描いた作品です。美しく傲慢な、「紅」のガラスを巧みに使うヒロインの玻津子とガラス工場の跡取り息子の出会い、結婚、そしてそのあとの不毛な生活を描きつつ、そのいずれにも惹かれてしまう素朴な男の呟きによって紡がれた物語は、最終的に悲劇へと転がり落ちていきます。血潮を紅ガラスに譬える描写に、マーガレット・ミラー『狙った獣』の最終段を密かに思い起こしました。

 

  1. スペシャル・メニュー」 初出:小説現代1977年4月号 (単行本未収録)

  さて、今企画初の「単行本未収録短編」となります。ことミステリーで「スペシャル・メニュー」と言えば……つまりアレを指すのは自明ですが、「人口が極端に減少した未来というディストピア」を舞台にすることでもうひとひねりいれています。ディストピア社会を成立させるためのある「工夫」にニヤリとさせられた次の瞬間、ギョッとするような一刺しを入れて即物語を終わらせる。その果断にヒヤリとさせられる掌編です。

 

  1. 花婚式」 初出:カッパまがじん1977年5月号 『皆川博子コレクション1』収録

  失踪した妻を探して夫が辿りついたのは、彼女の兄で現在は寺の住職をしている男だった。妻の抱え込んだ死に向かう衝動は、もつれ切った一族の因果の糸を抱え込んだもので……。「私の影を、魚が食いちぎっていくのよ。白い骨があらわれて……髑髏にぽっかりあいた二つの黒い眼窩が、空の高みを見上げているの……」という妻の独白が本作のすべてかもしれません。虚空へと連なる虚無の絶望、泥中に咲いた一輪の蓮の花を踏み躙るがごとき暴挙……いや、それにしても美坊主ホモとは実にいい物ですね。傑作。

 

  1. 湖畔」 初出:週刊小説1977年5月27日号 『皆川博子コレクション1』収録

  エルサレムガリラヤ湖畔に舞台を設定した作品です。日本ではとても成立しそうもない、でも砂漠地帯ならば、かつてイエスが蘇ったというエルサレムならば起こってしまいそうな殺人事件を描いています。ガリラヤ湖畔と言えば、どうしても1978年の長編『光の廃墟』を思い出します。不正確な記憶では、取材でエルサレムを訪れたというエッセイを読んだような気がするのですが、だとすればまず短編という形でその際の印象を書き留め、さらに別の物語を長編の形にまとめて行ったのでは……と妄想してしまいます。

 

 ということで、短編14編でした。冒頭にも書いたとおり、この時期の皆川博子はオリジナル短編集刊行の機に恵まれず、短編を雑誌に書いたらそれっきりという状態にあったようです。それを90年代以降、日下三蔵氏や東雅夫氏が、『悦楽園』『鳥少年』『巫子』『皆川博子作品精華』『皆川博子コレクション』などの形でまとめ直してくださったおかげで今読める。そのことに感謝しつつ、本稿を閉じたいと思います。

 次回は今回と同じく、まとめ直し短編集の収録作品(特に『鳥少年』)を中心に読んでいきたいと思います。具体的には「火焔樹の下で」(1977年8月)から「滝姫」(1979年1月)までとなる予定です。それほど時間を開けずにお届けできればと考えていますがどうなることやら。期待せずお待ちください。