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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

2019年度エドガー賞短編部門候補作読書 総括編①

2019年1月22日、エドガー賞の候補作が発表された。今年の長編賞は未紹介の作家ばかりで反応に困るな。ウォルター・モズリーのノンシリーズ長編が受賞すると……長編は20年以上ぶりの邦訳になりますな。

むしろ今年話題になっているのは、評論賞の候補に日本人研究者が英語で著した本が入ったことだろう。元になったという『謎解き『ハックルベリー・フィンの冒険』』(新潮選書)は私も買ったが、原作をきちんと読み直してから読もうかと思っている。というか、大人向けの翻訳を読むのは多分初めてだ。<『ハック』

というのは早くも余談であり、今回のテーマは同賞の短編部門にある。今年は五本の短編が候補に挙げられているが、授賞式までに全作を読み切りそのレビューを書いて行く。というか既に読み終わっているので書くだけだ(※1)

以下、作者名順にレビューを羅列する。

 

Poul Doiron "Rabid - A Mike Bowditch Short Story"

見慣れない単語"rabid"は恐水病を指す。より分かりやすく言えば狂犬病である。マイク・バウディッチシリーズは既に第九作まで出ているが、第一作の『森へ消えた男』(ハヤカワ・ミステリ文庫)だけが邦訳されている。長大なシリーズのスピンオフであれば読まなくてもいいように思えるが、どっこいこれ一作で十分楽しめる上に、他のシリーズ作品も読んでみたくなる良作である。

物語の中心は、メイン州の森に暮らす猟区管理人マイクの師匠で、今は引退したチャーリーが語る、30年前に彼の猟区に暮らしていたベトナム帰還兵とそのベトナム人の妻についての昔話である。帰還兵がコウモリに噛みつかれたという小さな事件がきっかけで、歪んでいても一応保たれていた秩序が崩壊し、悲惨な結末へ転がり落ちて行く。

しかしながらチャーリーの語りは完全なものではない。彼が男であり、捜査官であったがゆえに見落とされたものを指摘するのは、彼の妻オーラだ。彼女が今一度物語の結末を語り直すことによって、見逃された視点が、隠されていた陰惨な真実が明らかになる。これは上手い。米北部の美しい森にあってもアメリカ人の心性の深層を深く抉るベトナム戦争の興味深さは、やはり無類である。

なお本編はkindleで単作で購入可能である。値段は200円。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07CWRHJ3W

 

John Lutz "Paranoid Enough for Two"

未読。といってもジョン・ラッツは以前にもエドガー賞短編部門を受賞したことがあるので受賞率は低そうな気がするし、新シリーズ第一作のkobo版限定おまけ短編とのことでまったく読む気になれない。(↑のように単作で読んで面白い可能性はあるが……)

本編はそのシリーズの第二作 The Havana Game の巻末おまけとして再録されたので、読もうと思えば読むことができる。もし誰か読んで面白いと思った人がいたら、コメント他で教えてくりゃれ。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07CWFXMV1

 

Val McDermid "Ancient and Modern"

マクダーミドも一時期は盛んに翻訳された(主に集英社文庫)が、最近はとんと御無沙汰の作家。最新訳は意外!にも化学同人なる専門出版社から出た『科学捜査ケースファイル: 難事件はいかにして解決されたか』である。パトリシア・コーンウェルもそうだが、作中で使っているうちに調べ物に夢中になって……というパターンらしい。

候補作はノンシリーズ短編。初出は Bloody Scotland というアンソロジーである。「スコットランドの古い建物」を作中に取りこむという縛りのアンソロジーだが、何と本作に登場するのは「隠者の城」と呼ばれる架空の建物なのだ。いいのか、そんな解決法。

結婚を約束した恋人とのスコットランド北西部旅行の様子を、美しい情景とともに描いた前半が素晴らしい。時折、そして繰り返し差し挟まれる「でもコリンにはこの話はしなかった」という謎の一文が、この後何が起こるのかと読者を不安にさせるが、そのつもりにつもった情念が中盤以降利いてくることになる。しかし、力を溜めた割には終盤の爆発力に欠けるため、残念ながら傑作とは言えない。

本作は単作販売を行っておらず、また収録アンソロジーも今のところ電子版が出ていないので、読みたければ書籍を取り寄せるしかない。

 

残り二編とまとめは明日。

 

謎とき『ハックルベリー・フィンの冒険』: ある未解決殺人事件の深層 (新潮選書)
 
Down the River unto the Sea

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