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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

皆川博子未収録短編読書まとめ②

昨日に引き続き、今日も皆川博子の未収録短編を読んでいきます。『辺境薔薇館』発売日には間に合わないにしても、それほど長引かせず終わらせたいショート企画ですが如何に……

 

6.冬虫夏草……「婦人公論」1979年12月増刊号

疎開先での縁から病院を退院した志麻子と一緒に暮らし始めた悠子でしたが、何かに寄りかからずには生きて行かれない彼女に辟易しつつも突き放すことができないでいました。男を気軽に連れ込んでは子供を産みたがり、悠子を困らせる志麻子。そんな彼女が、捨てられていた赤子を拾ってきてしまったことから大きく事態は動き始めます。

冬虫夏草と言えば蛾の幼虫に寄生するキノコの一種ですが、本作に登場する志麻子もまた悠子に寄生して生きている存在であると言えます。ところが二人の関係は寄生から共依存、そしてさらに歪んだ関係へと変化していくのでした。少し長めで読みごたえのある作品ですが、読んでいる途中はもう辛くて「早く終わってくれ」と思わずにいられなかった。凄絶な読み味の良作。

 

7.「沼」……「別冊小説宝石」1980年5月号

私には生まれなかった双子の弟がいる。それにしても弟はどこに行ったのだろう。母の子宮の中で消えてしまったのだろうか。あるいは……母の葬儀の帰り、喪服姿で居心地は悪かったもののふと入った喫茶店で出会った同年輩の男。もしかしてあれは私の弟なのかもしれない……

「沼」とは弟を魚に、そして母親をその住処に例えた「私」なりの言葉ですが、「私」と不仲な「母」の間に存在した確執と歪んだ愛の形をも呑みこんだ、深い表現であると思います。真夏の怪談めいた物語はある実に不愉快な一点に集約されるのですが、あるいはそれは私が男であるからこそ不愉快に見えるのかもしれません。

 

8.「致死量の夢」……「別冊婦人公論」1980年7月号

最近落ちていく夢を頻繁に見るようだ。それは夢というよりも、ふと身体の中に沸き起こる感覚のようなものかもしれない。街を歩いていて急にそんな気分になるのだから。振り向けばあるいは自分を突き落とした犯人が分かるかもしれない。だが、そんな事は怖くてできない。ただ、落ちていくしかないのだ。

集合住宅の中で囁かれる噂を媒介に紡がれていく物語は、究極的にある一室に集約されていきます。語り手の迪子が出会ってしまった「運命の女」はある一つの愛のために生き、今は死にながら生きている存在でした。現実との間に付けた折り合いを互いに引きちぎりあい、ともに墜ちていく女たち。枚数は少ないですが、恐ろしい作品です。

 

9.「雪の下の殺意」……「小説宝石」1981年5月号

天井からぶら下げた生肉がテラテラと光り、そして腐り落ちていくのをただ静かに見守る友江は既に壊れてしまっていた。果たして七年前に雪祭りの街で何があったのか。薄皮を一枚一枚剥ぐように少しずつ明らかにされていく、雪とは対比的にどこか生温かな真実は、まるで腐りかけた生肉のようで不快で吐き気を催すものなのですが、いつしか読者も友江と一緒に呆けたようにそれを見守るだけになるでしょう。

 

10.「赤姫」……「信濃毎日新聞」1981年11月21日号

地方新聞に掲載された、ごく短い作品です。芝居小屋にやってきたドサ回りの劇団の若い稼ぎ頭、珊瑚が浴場で手首を切って死んでいるところが発見されます。警察の捜査では自殺と目されますが、芝居小屋経営者の娘である語り手はそれを信じようとはせず……おや、と思った方は勘が鋭い。どうやらこの作品、皆川博子推理小説協会賞受賞作『壁-旅芝居殺人事件』(1984)と同じ土壌に芽吹いた作品のようなのです。結末はまた少し違い、そしてもう一枚どんでん返しを仕込んでやや軽い味わいになっているのですが……もしかするとこういった事情で未収録になっているのかもしれませんね。でもちょっと面白い。