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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

皆川博子『U』を読む

皆川博子が「オール讀物」で連載していた作品『U』が、先月発売号で完結したので読んでみました。

2016年10月号から2017年8月号までということで、全11回の連載になります。一回当たり平均して16ページ程度の分量で、一ページの文字数は1200文字くらいですから、単行本にすると300ページ弱となります(ここから大幅な加筆が入る可能性はもちろんありますが)。近年の皆川博子の長編の平均からすると、かなりコンパクトにまとまった作品と言えるでしょう。

前置きはさておき、あらすじ紹介に移りたいと思います。この作品では、大きく二つの物語が絡み合うように進行していきます。

U-Boot」という章では、1915年、英国海軍に鹵獲されてしまったUボート(U13)を、機密保持のために自沈させるという決死の作戦に志願した兵士、ハンス・シャイデマンを回収するために英国領海内に侵入したUボート(U19)に乗り込んだ男、ヨハン・フリードホフを中心に物語が描かれます。海軍大臣ティルピッツの記憶が正しければ、50年前からほとんど姿形が変わっていない王立図書館の司書ヨハンは、その出立の前にティルピッツにひと束の手稿と鍵を手渡します。自分が死んで戻らなかった場合は、この原稿を私家版として出版し、王立図書館に一冊納めてほしい……自分は書物であり、書物から生命を分け与えられた人間は老いることがない、と称するヨハンの謎めいた依頼を、ティルピッツは受け入れます。

続く「Untergrund」という章で、しかし物語はがらりと様相を変えます。舞台は1613年、オスマン=トルコに支配されたハンガリーの地。強制徴募(デウシルメ)によって、白人奴隷(イェニチェリ)となるべく運ばれていく少年たちの中にいた、マジャール人で零細貴族の息子ヤーノシュ・ファルカーシュザクセン人で商人の息子のシュテファン・ヘルク、そしてルーマニア人の孤児ミヒャエル・ローエの三人は、歴史の暴風雨へと否応なしに巻き込まれていくことになります。皇帝アフメト一世にその才と美貌を見出され、宮廷内で働く高級奴隷へと育て上げられるヤーノシュと、彼とは対照的に戦士としての鍛錬を続けるシュテファンとミヒャエル。イスラム教徒へと改宗させられながらも自国への帰還を夢見る彼らの運命は如何に。

さて、この「Untergrund」の物語は、ヨハンがティルピッツに託した手稿に書かれたものです(つまり作中作)。この手稿は、ヨハンとハンスの二人で書き継いだものであり、彼らは自らこそヤーノシュであり、またシュテファンであると名乗ります。300年以上の年月を経てなお生きている(と自称する)彼らの希望と絶望とが、現在と過去が交差するこの物語では主旋律となって描かれていく訳です。

 

この作品の大きな美点は間違いなく、17世紀初頭の絢爛豪華にして退廃的なオスマン=トルコの宮廷生活と、戦士たちの生活とを描いている点にあります。入念な調査の跡が垣間見える細かな描写を重ねながら、悉く初めて尽くしとなる異教徒の少年たちの驚きや悲しみ、そして芽生えた虚無を描きつくそうとする、作者のまるで変わらぬ意気込みが感じ取れる点はファンとして大変嬉しいところです。なお、主人公たちの主君に当たるアフメト一世、またその後継者であるオスマン二世は史上重要な業績を残した皇帝ではありませんが、その資料の少なさという間隙を突いて架空の登場人物群を滑り込ませていく手際は流石というほかありません。

なお、1915年のパートでは、ヨハンのほかにもう一人、語り手となる人物が登場します。ハンスの友人で19歳の青年兵ミヒャエル・ローエは、陰鬱と抑制の色が濃いヨハン=ヤーノシュの語りを吹き飛ばす若さと熱が籠った語りを繰り広げ、物語が崖下へと転がり落ちないようにバランスを維持してくれています。この青年もまた、数奇な運命に囚われた物語の奴隷なのですが、その詳細はいまのところは黙することにしておきましょう。

そしてこの奇妙な物語は、ある結末へと辿りつきます。それは不老者たちが彷徨する、岩塩鉱の闇という終わりのない絶望か、あるいは彼らが世界に残した一抹の光か。読んだ人同士できっと話をしたくなる、巧みな演出をお楽しみください。

 

なお、最終回の末尾に付けられたコメントによれば、本作は2017年11月文藝春秋より刊行予定とのことです。乞うご期待。