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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

皆川博子全短編を読む 第1回

 今回から唐突に皆川博子の全短編を読んでいきたいと思います。しかも短編集別ではなく、雑誌発表順に。

 先日国会図書館で、現行唯一の未単行本化長編『碧玉紀』(1999~2000、文藝ポストに全6回連載)をコピーした際、その待ち時間に雑誌掲載の未収録短編をいくつか読みました。分かっていたこととはいえその凄みに打たれました。もっと読みたい、読まなければ、そう欲情させられました。『皆川博子作品精華 迷宮』の編者、千街晶之氏はその解説で、「財宝の山に分け入ったはいいが、持参した革袋にそのすべてを収めることは無理と悟り、宝の殆どを残したまま下山を余儀なくされたトレジャー・ハンターの心境とでも言おうか」と未収録短編を読む天上の至福を、そしてアンソロジーの枠に合うように振るい落とす苦しみを語っています。しかし、私は別にアンソロジーを編む訳じゃないから、その喜びだけを持ち帰れる。おお、なんと幸運なことか……

 しかもここ数年、出版芸術社の『皆川博子コレクション』を中心に、彼女の膨大な未収録短編をまとめていこうという流れが急速に加速しています。実際、日下三蔵氏作成の短編リスト(『皆川博子作品精華 伝奇』所収)準拠で100程度あった未収録短編は、初期作品集『ペガサスの挽歌』(2012、烏有書林)刊行以降、40程度減少しました。うわあ、いまこそ未収録短編を読む好機!コピー代かからないからお財布にも優しい!

 そうなってくると、全短編を読みたくなるのもごく自然な流れでした。現行発表されている368の短編(同人誌発表作品含む)のうち、1/3くらいしか読んでいないごく素人の私ですので、これを機に短編集の未読もどんどん減らせますし、ついでに「皆川博子コレクション」収録の長編もどんどん読めて、アセンションに至れるのではないかという大いなる期待を寄せるところです。あとさすがに、全短編について発表順に一言なりとも感想を述べているという文章はネット上にも発見できませんでしたので、「皆川博子って、こんな素人にも何か全短編読ませたくなるような作家なのか」と興味を引きたいな、本を買ってもらいたいなとそういう下心見え見えの連載になります。とりあえず、全25回くらいで完結出来たらいいな~。(「長編を含む現行全作品」レビューは、個人で出来るレベルではありませんので、謹んで辞退させていただきます)

 ではレッツドン。

 

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 01. 「墓のないお墓」 初出:アララテ(同人誌)1970年5月号 『ペガサスの挽歌』収録

 皆川博子のデビュー前後の状況については、最近出たものではハヤカワ文庫JA版『トマト・ゲーム』巻末の解説などで詳述されているため、ここではざっくりと。文学賞への投稿を繰り返しながら、児童文学の同人誌に参加した皆川博子の「発表」第1作(と思われるもの)がこの作品です。「人間魚雷」に乗りこみ敵空母への体当たりを敢行するも、機械の不良によりその目的を果たさぬまま海の底に消えたはずの青年の一人語りは、なぜか戦後の、平和を取り戻した世界へと移行し……「戦争を美化することを許さない」という憤りというよりは戦争の虚無を覗きこまされるむしろあっけらかんとした結末。頻出する読点に寸断される読者の思考を、むしろ主人公のそれに同調させていく技巧を含めて、児童ものとして単純に片付けてはいけない作品だな、と思わせてくれます。

 

 02. 「戦場の水たまり」 初出:アララテ1970年6月号 『皆川博子コレクション5』収録

 ベトナム戦争の悲惨な状況を、現地の少年の視点からとらえた作品。相次ぐ空襲、戦車部隊による蹂躙、ゲリラとなった兄の運命、とハードな現実を臆すことなく描いています。忽然と登場する「水たまりの中の理想郷」というファンタジー要素と現実を折り合わせていく手腕は水際立っており、とりわけ「空の色」というファクターは非常に上手い。暗澹とした戦争の中でもなお青いベトナムの空を思わせてくれます。作者自身の戦争体験と絡めて語ることでさらに深みのある議論をすることが出来るのではないでしょうか。

 

 03. 「コンクリ虫」 初出:アララテ1970年7月号 『ペガサスの挽歌』収録

 夜間のビルで、泊まり込みの警備のバイトをしている吉田君の元にやってきた、コンクリートを食べ、小憎らしくもぺらぺらしゃべる正体不明の「コンクリ虫」を描いた、これまでの二作とは打って変わってファンタジックな作品。「児童文学」を意識したのでしょうか? とはいえ、閉塞感のある現代の世、「すべて発見済み」の索莫とした海ではなく、中世のガレオン船行き交う海への憧れを語る吉田君と「コンクリート」に穴を穿って現れた(閉塞感の打破?)「コンクリ虫」の交感、そして妖精的存在の正体が明かされる美しいラストシーンまで無駄なく緊密に構成された良作です。なお、この作品はのちに改稿され、『新潮現代童話館2』というアンソロジーに収録されましたが、なぜかそういった要素が激減してしまいました(その後、『皆川博子コレクション5』に再録)。

 

 04. 「こだま」 初出:アララテ1971年5月号 『ペガサスの挽歌』収録

 05. 「ギターと若者」 初出:アララテ1971年7月号 『ペガサスの挽歌』収録

 「アララテ」への三月連続の掲載、一年のブランクを経て発表された二作。「バカヤロ」という歪んだ感情から生まれた(本人には悪意のない)「こだま」が、誰にも受け入れられず孤独に悩み、それでも最後には理解しあえる仲間を見つけ出して行くという前者と、歌うたいの青年と(なぜか言葉を話す)ギターが、旅をし、その道を分かち、そして再び巡りあう後者のいずれも、短いページ数ながら童話的語りとテーマが無理なく結び付いており弱いもの寄る辺のないものへの作者の優しい視線を感じさせてくれます。

 

 06. 「シュプールは死を描く」 初出:高二コース1972年12月号~1973年2月号 『皆川博子コレクション5』収録

 学年誌に三回分載で掲載された謎解きミステリ中編です。雪山の少年院から脱走した青年が決死の覚悟で辿りついたスキーロッジで起こった殺人事件の謎に迫ります。物語の構図はかなり複雑ながら様々な要素がしっかり生きている面白い作品ですが、謎解きそのものは事前に提示されている証拠が十分でないこと、主人公たちのやや説明過多な会話の流れで結末に「辿りつかせた」感が強いこと(犯人が最後うっかり罪を認めてしまうところまで含めて)から、不完全燃焼感があります。ただし、主人公の青年と一緒に脱走した仲間が、殺人者の罠に掛かって死んでしまうという衝撃の展開(その一)を含め、とにかく読者の予想外を突いていこうという作者の憎い心遣いは評価したいところ。

 

  07. 「暗い扉」 初出:中三時代 1973年4月~6月 『皆川博子コレクション5』収録

 同じく学年誌に三回分載で掲載された作品。「殺人を犯した」と自首してきた少女の示す痙攣症状に不穏を感じたカウンセラーの伊倉が、少女の周辺状況を探った時に見えてきた真実とは……? 少女の心を閉ざす「暗い扉」にいかに取り組むかという丁寧なニューロティックサスペンスと言えます。精神病院ネタにはこの時期から既に取り組んでいたのか!と正直驚かされました。しかも意外と完成度が高い。二転三転する謎の展開には、ミラー/ロスマク夫妻の作品にみられるそれと同じ匂いを感じます。読書家でミステリも好きな作者ですからポケミス初期の『狙った獣』などを読んでいてもおかしくはありませんが、実際のところどうなのか。

 

 08. 「アルカディアの夏」 初出:小説現代1973年6月号 『トマト・ゲーム』収録 

 本短編は、小説現代新人賞受賞作にして、皆川博子の大人向け短編のうち初めて「雑誌に掲載」されました(単純に執筆されたということでは、例えば後に修正の上で小説ジュニアに掲載された「47. 地獄のオルフェ」などはこの前の小説現代新人賞投稿作品ですが、この連載ではとにかく掲載順に拘っていくということで)。孤独と隔絶を抱え込んだ少女がちゃちな鍵で閉ざした自室を「アルカディアの森」として静かに壊れていくこの作品を含めて皆川短編のいくつかは、築40年ほどながら先日ついに取り壊された、明りが足りずどこも薄暗い母の実家を思わせる何かがあり、その点で非常に心の深い部分に働きかけてきます(ごく個人的な感想です)。

 

 09. 「トマト・ゲーム」 初出:小説現代1973年7月号 『トマト・ゲーム』収録 

 受賞後第一作の鳴り物入りで掲載されたのではないかと考えられる(初出誌そのものについては未確認のため不明)恐ろしく完成度の高い傑作です。30年の歳月を経て繰り返されるどす黒く生々しい流血と物語の裏側で交わされる密やかな視線の悪意が文庫60ページほどの分量に詰め込まれ、読者を必ずや戦慄させる結末へとなだれ込んでいきます。ところで、『トマト・ゲーム』にはなぜか動物をモチーフにした作品が多いですが、この作品もある意味でその一つになりますね。

 

  10. 「獣舎のスキャット」 初出:小説現代1973年9月号 『トマト・ゲーム』収録

 この後登場する「13. 蜜の犬」とともに、作者の意図により講談社文庫版には収録を見送られた曰くつきの作品です。もし読む場合には、最新のハヤカワ文庫JA版を手に取られることをおすすめいたします。ただし講談社文庫版は今となってはかなり希少な本なので、こちらから手に取るという人も少ないことでしょうが。

 ピンク・フロイドの陰鬱な曲を背景に、少年院から出てきたばかりの弟と彼の部屋を盗聴する姉との陰険な駆け引きが描かれていきます。ぞっとするほど無感動で人を人とも思わない彼らと、常に悪意の籠った家族の会話(とその欠如)の末に堕ち込んでいった悪夢とは……その望みなき結末に至っても抑制された、むしろ「索莫とした」と呼ぶべき描写が続く本編は実に「最悪」です。

 

 11. 「ペガサスの挽歌」 初出:別冊小説現代1973年11月号 『ペガサスの挽歌』収録

 打算的なようでどこか破滅的な若い後妻と、彼女にハウスワイフとして以上のものを求めない夫、そして対照的な二人の息子の四角関係が巻き起こす死の嵐。長野の別荘地で起こった死亡事件の真相を女の視点から振り返って描いたこの作品は、いわゆる悪女ものの範疇に入る作品なのでしょうが、先にも書いたとおり倫理観が不安定に壊れたキャラクター造形(放埓に自分の欲望を満たすだけというよりは、むしろ常人との境を不安定に揺れている)が、読者をも不安にさせる作品と言えるでしょう。

 

 12. 「漕げよマイケル」 初出:小説現代1974年1月号 『トマト・ゲーム』収録

 受験勉強のストレスに壊れた少年たちの物語と括ってしまってもいいのですが、再読してむしろ感じたのは、完全犯罪を成し遂げながらもどこかで圧倒的権威からの裁きをただ待ってしまう少年の「強い父親」像への憧れでした。これ、正方向か逆方向かはさておき、作者自身のメンタリティともつながってくる部分なんでしょうか。う~ん、まあ評者が勝手に判断していい内容でもないですけれど。

 

 13. 「蜜の犬」 初出:小説現代1974年2月号 『トマト・ゲーム』収録

 先に述べたように「獣舎のスキャット」とともに、講談社文庫版への収録を見送られた作品です。ジャーマン・シェパードへの純粋な憧れを抱き続ける少年の欲望がいかにして満たされ得たかという物語ですが、興味深いのはこわれてしまう青年が、少なくとも内面的には少年の言うジャーマン・シェパードの特徴を備えているようには思われない「負け犬である」というところでしょう。逆にいえば「こわれてしまったからこそ」いかにでも後付けで調教しうるという意図もコミなのかもしれませんが。

 なお、単行本版『トマト・ゲーム』はここまでに登場した5作品を収録し、1974年3月に刊行されました。デビューわずか1年での単行本化というのは、皆川博子への期待度が如何に高かったかを感じさせるエピソードでありますな。

 

 ということで、『トマト・ゲーム』刊行までの最初期作13編をお送りいたしました。後半ほど、レビューが短い気がする? ま、『トマト・ゲーム』収録作品はめちゃめちゃ語られていますからね。ハヤカワ文庫JA版の解説も素晴らしいので、私の駄文を読む前にそちらを手に取る方がはるかに有益ですから~(という逃げ)。

 「どこにも行かれない閉塞感」と「どこか壊れた登場人物の孤独」(からの救済はあったりなかったり)を描いた作品が多いですが、これは様々に姿を変えながら皆川作品のモチーフとなっていきます。「デビュー作にすべてがある」というのはありがちな表現ではありますが、こと皆川博子についてはそれがまさに当てはまる訳ですね。

 

 次回は多分、「27. 水底の祭り」まで収録するつもりです。まあ、連載が続くかどうか、またいつ頃掲載されるかなどの点についてはまったくお約束できませんが、もしよければ期待してお待ちいただければ幸いです。