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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

マイクル・Z・リューイン『神さまがぼやく夜』

うっかりすると時間が空いてしまうので、思い立ったら書くのが吉ですな。今回はマイクル・Z・リューイン『神さまがぼやく夜』を取り上げます。
私立探偵アルバート・サムスンや夜勤専門の刑事リーロイ・パウダー、一家総出の探偵家族ルンギ家の冒険を描いてきた名手リューインが、すべての創造主である「神」を語り手に現代社会の諸相を切り出していく本作はユーモアたっぷりの滑稽譚ですが、しかし皮一枚めくるとそこにあるのは……いや、もう少しあとで書くことにします。


神さまがぼやく夜 (ヴィレッジブックス)

神さまがぼやく夜 (ヴィレッジブックス)

「悪魔というのは苛立たしいほど何でもよく知っているのだ。しかし、今夜はそんな悪魔にも我慢するつもりだった。こっちは悪魔の知識が必要なのだ(p.99)」

あらすじはあってなきがごとしですがこんな感じ。

地上管理の仕事をペテロと天使たちに任せたまま、創造部屋にこもって幾百年。21世紀を迎えた地球の文明は神の想像を超えてとてつもない方向へと向かっていた。人間を理解し、そしてできれば自分を神と崇めない、天界にいるようなのとは全然違ういい女と一発ヤリたいものだ、と今宵も神は街に降り立つのだった。

上記あらすじに見られるように、当初「神」の目的は地上のいい女と自由意思に基づくセックスをすることに限られています。しかし、知識はあってもそれを利用したコミュニケーション能力に著しく欠ける彼にとって、現代人と対話し、あまつさえ一夜の恋人になるなんて大変な難事業時には悪魔の知恵も借りつつ(えー?)、色々試していきます。失敗しては天界に帰り、ペテロやマリア、イエスを相手に癇癪を起すたびに地上で災害が巻き起こるのはギャグの域といっていいでしょう。
この作品が単なる艶笑譚で終わらないのは、様々な体験を重ねることで「神」が変わり(神自身、この変化には戸惑いを隠せずにいますが)、地上にやってくる理由も変わっていくことによります。人間が「神」をどうとらえているか、難病に侵された子供との出会い、野球の魅力を知ったこと……当初はただのアホキャラでしかなかった「神」に人格が付与され、興味深い人物になっていく過程の描き方はさすが名手といえます。そして神が辿りつく究極の結論とは……地上はどうなってしまうのか。これについてはお楽しみに。
もともとkindle書き下ろしという極めて特殊な形で書かれただけあって、肩の凝らない目の疲れないあっさり気味の作品ではありますが、リューインの人間観がしっかり出ていて、そこは面白い(宗教心はどうなんでしょうねw)。

だいぶ昔にリューインが書いた『のら犬ローヴァー町を行く』という作品のことを覚えている人もいるかもしれません。弱きを助け強きを挫く(といいなあ)、媚びず怯まず町を行くのら犬の目線から、犬の社会(当然これは人間社会のメタファーですね)や愚かしい人間の姿を描いた、まあ一冊の本としては散漫な作品ですが、ところどころ面白い。田口俊樹氏の訳は勿論、挿絵も抜群に素晴らしいと思いますがw
本書を気に入った人は、この作品にも手を伸ばしてみるといいかもしれませんね。

なお、本作の評価は★★★☆☆です。
いい加減微温的な評価をつけるのをやめなければ、とは思っているのですがなかなかね。

のら犬ローヴァー町を行く (Hayakawa novels)

のら犬ローヴァー町を行く (Hayakawa novels)