深海通信 はてなブログ版

三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

第二十四回:ジェイムズ・リー・バーク『ブラック・チェリー・ブルース』(角川文庫)+ジュリー・スミス『ニューオーリンズの葬送』(ハヤカワ・ミステリ)

○南から熱い風が吹いてくる

咲: 今回で2ダースです。

姫: この連載も多分3ダースくらいで終わるのではないかと思われるので、これでやっとこ2/3といったところ。山場はまだまだこれからだけどね。

咲: 2014年初旬には終わらせたい。さて、未来への儚き展望はさておき今回は……三冊ほどやっつけます。

姫: バーク+スミスで一回収録して完成原稿まで作ったのだけど、読んで行くうちにどうしてもバークとブロックを比較して語りたくなってしまったので、すべてやり直しということに。凝り性なのも考えものよね。


咲: 今回のテーマは二つ……というか根源テーマがあって、そこに付随するサブテーマが二つという形になるんだけど、まずは根幹の部分から。

姫: 私のぼんやりとした思いつきから始まった話なんだけど、どうも37回あたりからエドガー賞が質的に変わってきたような、そんな感じがするの。質の上下ではなく、方向性が変わってきたというか。

咲: 姫川さんの違和感をものすごく乱暴に表現するとエドガー賞のアメリカ化」かな。もちろん、アメリカ探偵作家クラブの選ぶ賞だし、アメリカの作家が多く選ばれている訳で「アメリカのミステリ賞」ですよ。でも、傍から見える「アメリカっぽさ」というのかな、そういうのを押しだしてきているようなそんな感じがし始めている……うーん、具体的に話した方が分かりいいかも。

姫: 今回取り上げる作品に即して言えば、「地元性」「正義の在り方」の二点ね。それぞれに歪みを抱えてはいるけれど。


咲: よし、まずは第一点「地元性」の方から。今回取り上げる作品のうち、『ブラック・チェリー・ブルース』と『ニューオーリンズの葬送』はいずれもアメリカ合衆国南部テキサス州ルイジアナ州、ミシシッピ州など)を主たる舞台にした作品です。風景や文化もさることながら、南部の人々の心性(メンタリティー)をテーマとして扱っています。

姫: アメリカ人にとって「南部」というのが何なのか、日本人の私たちが説明するのは極めて難しい……それを突き詰めるための切り口になるかもしれないわね。なお、このあとしばらく、「南部を舞台にした作品」がエドガー賞を受賞した例が何件か続くわね。93年の『密造人の娘』、97年の『緋色の記憶』、01年の『ボトムズ』。99年の短編賞受賞作「密猟者たち」もそう。『ねじれた文字、ねじれた路』は賞を取れなくて残念。ジョン・ハートの二作はノース・カロライナだから、字義的には南部かしら。読んでないところで、まだほかにもあるかも。

咲: 「南部であること」が明確に物語に織り込まれたミステリ作品が、90年以降爆発的に増えてきた、そして賞に取り上げられるようになった、というのは間違いないようだね。南部はもともと文学的な素地がしっかりした土地ではあるのだけど。フォークナーとか、ヘミングウェイとか。もっと最近もあるけど、その辺は研究書がいっぱいあるのでそちら参照、という逃避です。

姫: 初期エドガー賞から読んでくると、この変化は違和感を抱かざるを得ない。ずっとぼやいてきたことだけれど、エドガー賞は異国風情の強い作品に弱すぎる」

咲: ま、第一回からそうですからね……一時期は、アメリカ合衆国を舞台にした作品が異様に少ないこともあったし。とにかく「南部=アメリカであること」が物語の鍵になっている作品が増えたのは……なんだろう愛国心が燃えあがったのか、自分のよく知っている舞台をセレクトする作家が増えたのか。

姫: 順番は前後するけれど、ジュリー・スミスニューオーリンズの葬送』(1990)はそのものずばり、の作品と言えそうね。以下あらすじを紹介します。


ニューオーリンズの葬送 (ハヤカワ ポケット ミステリ)

ニューオーリンズの葬送 (ハヤカワ ポケット ミステリ)

ニューオーリンズの街を熱くさせるカーニヴァルの祭りの最中、山車に乗って登場した街の権力者、チョンシー・サンタマンが射殺された。それを目撃したスキップ・ラングドン巡査は、上流階級出身というその異色の出自を買われて殺人事件の捜査に抜擢される。歪み切った人間関係に戸惑いながらも懸命に捜査を進めた果てに見えてきたのは、これまで隠されてきた「旧家の悲劇」だった。

咲: 本作は、正直あまり面白くない。出来が悪いという訳ではないのだが……「サンタマン一族の悲劇」というそれなりに良く出来た物語に、「スキップ・ラングドンという女性の物語」を接合するに当たり、やり方がまずくて異様な歪みが生じてしまった、と。そんな感じの作品です。

姫: 「サンタマン一族の悲劇」というのは、端的に言えばロス・マクドナルドのアレです、と言って、おおよそ見当のついてしまう人もいるかもしれない。私立探偵小説の一典型として完成したプロットだけど、登場人物の魅力で引っ張りながらサプライズエンディング(分かるけど)まで持って行くのには、ある程度以上の作家的能力が必要なのは言うまでもないわ。

咲: それと並行して語られるのが、「スキップ・ラングドンの物語」。不美人の大女という(南部の)男たちに愛されない容姿、上流階級出身でありながら、大学を中退して警察官になったという異色の経歴、にもかかわらず「上流階級出身であるがゆえに」顔繋ぎ役として事件の捜査に引きこまれるという警察内部での扱いの適当さ……「誰にも認められない」ということすべてに苛立ちを覚えながら、必ず見返してやるとやる気を燃やす切れ者の女性、とかならアリかなと個人的には思ったんですがね。

姫: 残念ながらスキップは刑事としてはまったく無能で、捜査の邪魔しかしていない。これが、上流階級出身の(物知らずの)素人探偵の話だったらまだ許せたのに。先輩の刑事たちに報告連絡相談を一切しない(だって認められてないから)。証拠を汚損する、失くす、捨てる。素人(カリフォルニアの映画カメラマン、ゴツイケメン)を現場に連れ込む。実力を認めさせたいなら、きちんとルールを守らなきゃダメに決まっているのに、まったくかなりのおバカさんよね。

咲: 辛辣だな。ともあれ、主人公がこういうキャラクター造形なせいで、物語はさっぱり進まない。彼女の人格を色濃く描けば描くほど、捜査は明後日の方角に逸れていく。たまに直感的に正しい方向に進むのだけど、それって根拠ないんだよね。「女の勘」w

姫: ニューオーリンズの祭りの風景とか南部の人々の心性の歪みがロスマク風プロットにきっちり組み込まれていくあたり、面白い部分もあるのだけれど、彼女が物語の主軸にあることで解決がだらだらと遅延してしまうのには残念と言わざるをえません。

咲: 悪くはない、ただし長すぎる。

姫: 「南部人の心性」の話をきちんと書きたいけど、プロットとがんじがらめにつながっているのでやりにくい……これは、クック『緋色の記憶』とも共通するところだけど。

咲: それはそのうちゆっくり解決しよう。


姫: なんだかすでに長くなり過ぎている予感……

咲: では二作目、ジェイムズ・リー・バーク『ブラック・チェリー・ブルース』(1989)に。あらすじは以下の通り。


ブラック・チェリー・ブルース (角川文庫)

ブラック・チェリー・ブルース (角川文庫)

ニューオーリンズ警察警部補のデイヴ・ロビショーは、今では貸しボート屋を経営して生活をやりくりしている。養女のアラフェアとの生活は裕福ではないが楽しいものだった。しかしある日、旧友のブルースマン、ディキシーと再会したことで、平和な暮らしは崩壊の兆しを見せる。無関係のはずのデイヴに舞い込んだ脅迫状と理不尽な暴力。そして物語の舞台はモンタナ州へ……


○正義は我の胸にあり?

姫: 本作は、作者ジェイムズ・リー・バークのミステリ第三作にあたります。もともとは純文学畑の作家だったのが、本作でも主人公を務めるデイヴ・ロビショーの初登場作『ネオン・レイン』(1987)でミステリに転向。以来年一作のペースで作品を発表しています。MWAのグランド・マスター賞にも選ばれている、紛れもない実力派作家ね。

咲: のち、別シリーズの『シマロン・ローズ』でもう一度エドガー賞に選ばれているくらいだしね。何度も言うようだけど、エドガー賞複数回選ばれている作家というのは非常に希少。ディック・フランシスは別格としても、バーク以外にはT・ジェファソン・パーカーとジョン・ハートだけだ。

姫: このシリーズも同一版元から第八作まで出ているくらいで、翻訳には比較的恵まれた方だけど、90年代バブル期の余波はきっちり喰らってしまっている。当時は「受賞作優先」の傾向があったから、1『ネオン・レイン』→3『ブラック・チェリー・ブルース』→2『天国の囚人』の順で刊行された。でもこのシリーズにおいて刊行順が入れ違うというのは最悪だったのよ……

咲: 詳しくは語れないけど、BCBを先に読んでしまうと、『天国の囚人』後半の衝撃の展開が事前にネタバレされてしまうんですよ。スレイドの『髑髏島の惨劇』を『カットスロート』の前に読むようなもの。シリーズ全体がロビショーの一代記だから、原著刊行順に読むのが重要なので、いまから読む人は角川文庫の刊行ナンバーに騙されないで!


姫: さて……ネオ・ハードボイルドの主人公は、なにかしら弱点を背負っているのが一般的。デイヴ・ロビショーはベトナム戦争の精神的古傷とアルコール中毒を引きずって生きる、まったく典型的なネオ・ハードボイルド・ヒーローですが、テンプレートそのままの分かりやす「過ぎる」造形とは裏腹に、まったく「理解しがたい」人物です。

咲: この「分からない」という感想は、僕や姫川さんに読解力が不足しているとか、そう言う次元の問題ではなく、ロビショーという人物にキャラクターメイキングの段階で埋め込まれたいわば「瑕」である、というのが面白い。実際、彼の行動は作中の他の人物たちにもさっぱり理解してもらえない。

姫: 事件に関わることで身の回りの人に危険が迫るなら、何もしなければいい。彼は元刑事だけど、今は単なる貸しボート屋のおじさんなんだから。ディキシーは、昔ちょっと関わった友人とは言え、今はマフィアのボスの御用聞きみたいなことをやっている社会のゴミ。助けたって何もない。せいぜい彼の感謝くらい? それだって一銭にもならない。ただ無用に、危険に突っかかっていくロビショーの胸にあるのは「俺の正義」なのかしら。

咲: 彼自身、その衝動をコントロール出来ていない。普段はまったく温厚なのに、克服したはずのアルコール中毒と、逃れ得ぬベトナム戦争のトラウマが彼を「暗い箱」に引っ張り込む。周囲から止めろと言われても、自身そのやり方ではだめだと理解していても、その「歪み」は止まらない。

姫: 何が正義か、何が悪かなんてごく恣意的に決まってしまう。ロビショーが最終的に成し遂げたことは紛れもなく「正義」でも、時折吹きだす黒い衝動は「悪」と断じられるべきものだから。実際本作でも、脅迫状を送りつけてきた悪党を半殺しの目に合わせているし。過剰防衛極まりないわ。

咲: 半殺しにされた男は、その後別のマフィアに殺される。そしてロビショーは、殺人罪をなすりつけられ、あわや刑務所行きとなりかける。自分の財産すべてを捨てて保釈を得た彼は、真犯人に落とし前をつけさせるために遙かモンタナへの旅を敢行する。

姫: 作品の主眼は、この「モンタナへの旅」にあるようね(作者は南部出身で現在はモンタナ在住)。通常自分のテリトリーから出てきそうもないロビショーを、なんとかモンタナに引っ張っていく方法としてこの不自然極まりない前提を考えたようだけど、正直無理矢理感は否めない

咲: 「俺正義」に拘るロビショーの姿勢ということなら前作『天国の囚人』の方が遙かに面白いし、「男の友情ストーリー」としての完成度なら、次作『フラミンゴたちの朝』の方が遙かに高い。バークの風景描写の巧さが、モンタナという舞台を得て冴えまくっているのは認めざるを得ないけどね。

姫: アラフェアと一緒に釣りに行くシーンとか、あれは確かに出色ね。

咲: 単作だと、どうしてもアラが目立ってしまってオススメしにくいので、出来ればこの作品だけではなく、シリーズを連続して読んで欲しい。長いけど。ぶち切れおじさん不幸物語もだんだん味が出てくるよ。


○「誰が見張りを見張るのか?(Quis custodiet ipsos custodes?)」

姫: ああ、疲れた。とりあえず今回はこんなところ?

咲: バークとロビショーの抱えた問題を、ブロックとスカダーがどういう風に描いて行くか。そして、80年代末のアメリカ合衆国の歪み。専門ではないけど、少しは自分のなかで整理したい。次回はそんな感じです。

(第二十四回:了)


ヴードゥーの悪魔 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

ヴードゥーの悪魔 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

カーもニューオーリンズ大好きだったんですよ。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

サンデル先生ならどう解くか?(未読)