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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

第二十二回:バーバラ・ヴァイン『死との抱擁』(角川文庫)

○遅れてやってきた作家

咲: 遅れてやってきたのは誰だって感じがするね。

姫: なにしろ二カ月ぶりの更新ですものね。「いや本は読んでいる、単純に出力する精神的余裕がないだけだ」という言い訳が聞こえます。

咲: まあ、それはいい。いい加減頑張らないと2013年中に終わらないので、ガンガン出力していただかないと。

姫: 今回はバーバラ・ヴァイン『死との抱擁』(1986)です。ヴァイン=レンデルというとサイコサスペンス系なので、咲口くんの手持ちジャンルという認識でいいのかしら。

死との抱擁 (角川文庫)

死との抱擁 (角川文庫)

咲: そのぶっちゃけた分類もひどいな。瀬戸川猛資も「お前ら狂気しか言うことないのか」と泉下でご立腹だよ。ともあれ、初登場の作家なので少し詳しくご紹介を。

姫: まともな作家紹介って初めてのような。バーバラ・ヴァインはルース・レンデルの別名義です。レンデルのデビューはかなり早くて『薔薇の殺意』(1964)。1930年生まれだから御年83歳だけど、「現在も」年一作以上のペースで長編を発表し続けている、ほとんど化け物じみた作家ね。

咲: 普通の謎解き小説の結構に近いウェクスフォード警部シリーズと、ときにサイコがかった心理サスペンスのノンシリーズを並行して書いているのが特徴かな。ちなみに「ウェクスフォード警部シリーズはお金儲け、本当に書きたいのは心理サスペンスで、理想の小説は『カラマーゾフの兄弟』」とインタビューで答えていたとか、そういう話を聞いたことがある。まあ出典不明なので、これ以上つっこまない。

姫: 『カラマーゾフ』未読なので下手なことは言えないけれど、心理を突き詰めて文学趣味、という感じなのかしら。そんなレンデルが「より文学的な」方向へと舵を切るために用意したペンネームがバーバラ・ヴァインで、『死との抱擁』は別名義の第一作に当たる作品。それがいきなり評価されたと言うのは、レンデルにとっても嬉しいことだったでしょうね。

咲: まったくだ。ちなみに、その他の受賞歴も華々しい限りだよ。『身代わりの樹』(1984)でシルヴァーダガー、『わが目の悪魔』(1976)『引き攣る肉』(1986)『運命の倒置法』(1987)『ソロモン王の絨毯』(1992)の四作でゴールドダガーと、本作含め六作品で英米のミステリ賞を受賞している。今気がついたけど『死との抱擁』と『引き攣る肉』は同年の発表。一人の作家が同じ年に発表した作品が英米それぞれの最高作に選ばれたエドガー賞受賞は一年遅れだけど)というのは空前にして絶後だろう。

姫: 日本での紹介はやや遅れて1980年から。1985年くらいからレンデル翻訳ブームが来て、多い年は9冊も翻訳されたとか。異常ね。その異常過ぎる熱は数年で冷めて、2000年以降の作品は一作も翻訳されていない。また、そのほとんどが角川書店から刊行されたのがレンデルの不幸で、今ではほとんどの作品が出版社品切れ、再発予定なしの状態。古本屋とかではわりに見かけるけれど、どれから読んでいいのか分からないから、誰も買わない誰も読まないで人気は微妙。

咲: 翻訳権が高過ぎるのとか、(どことは言わないけど)某出版社が決定的に仲違いをしてしまったとか、イヤな噂は聞くね。で、レンデルをどこから読むか、という話なのだけど……。

姫: 咲口くんの好きな作品とか聞いてもいいんだけど、正直紹介文だけでだいぶ逼迫し始めているので、割愛して先に進むわね。

咲: えー、まあ仕方がないか。さて、そんな文学味溢れる本作のあらすじは以下の通り。


○ずっしり重いパンケーキ、不幸の蜜がけ

 ヴェラ・ヒリヤードは殺人罪によって絞首刑に処せられた。そのことを私は知っている。私が知らないのは、「なぜ」だ。平凡な中流家庭に生まれ、幸福な結婚をしたはずの彼女がなぜ殺人を犯すに至ったのか。仲睦まじかった妹、イーディンと彼女の間の諍いはなぜ起こったのか。渦巻く謎の中心にあるのは、ヴェラの息子、フランシスの出生の秘密。30年前に死に絶えたはずの謎が、いま、再び蠢きだす。

姫: ダニエル・スチュアートというノンフィクション作家が、英国人女性の死刑囚ヴェラに興味を持ち、当時の関係者に話を聞いて回り、彼女の真実に迫る本の原稿を執筆する。その内容確認を頼まれたヴェラの姪、フェイス・セヴァーンが本作の語り手です。

咲: それを読んで行くうちにフェイス自身もおばさんの殺人の謎の深みにはまって行く良くある展開やね。当時の人々の感情をこれでもかと練り込みつつ、ヴェラという女性の本質に外堀から埋めて書こうとするレンデル節炸裂のゴシック小説だ。

姫: ただねー、これってレンデルにとって目新しいことだったのかしら、という感じはするのよね。私も数読んでいる訳ではないけれど、例えば『ロウフィールド館の惨劇』(1977)なんて言うのはまさにこの作品のプロトタイプよね。使用人の女性の感情が爆発して邸の人たちを皆殺しにする、まさにその瞬間の「人間の本質」を描いた作品なのだから。

咲: それを言ったらレンデル作品(のノンシリーズ)はほとんどそんな感じだけどね。実際、『死との抱擁』は(以前の作品と比較して)それほど優れた作品とは思えない。致命的なのは、それこそ「文学性」を強調し過ぎて、エンタメとしての面白さを度外視してしまったことにある。この作品、どんでん返しとか一切なく、ほんとに「ヴェラが殺人に至る経過」を書きまくっただけで終始してしまっているんですわ。読むの、結構辛いんよ。

姫: で、その文学性も幕を開ければ大したことなかったりして。方向性だけ先行して、不完全燃焼になってしまった感はあるのよね。

咲: この手のゴシック小説なら、もっともっと面白て上手い同時代の作品がいくらもあるしなあ。

姫: ゴダードとかでしょ。最近いろいろ読んでたものね。

咲: うむ。あとはヒルの『甦った女』とかね。その辺諸々の不満点を解消するのがヴァイン名義第二作の『運命の倒置法』かな。言ってしまうとアレなのでこれ以上は読んで欲しいけど、作品としてのクオリティはかなりあがっている。これまた十数年前の隠された犯罪がたまたま発掘されて関係者に激震が走るというストーリーだけど、群像劇チックな物語を巧みに統御しているね。

姫: 去年だかの新刊で、ダイアン・ジェーンズ『月に歪む夜』(創元推理文庫ってあったじゃない。アレは完全に『運命の倒置法』オマージュよね。舞台設定から物語の転がし方までよく似てたもの。

咲: デビューして50年も経つと、フォロワーが出てくるものなんだなあ、としみじみしてしまうね。


○まとめ

姫: さてまとめです。まあ、出来は悪くなかったわね。志は高かった。

咲: ただ、その志に読者をつき合わせようっていうなら、もっと段差を低くしてくれないと。その辺ユーザーにやさしくないのがお文学っていうなら、馬鹿馬鹿しい限りだ

姫: ユーザーフレンドリーな第二作が即座に刊行されたのだから許してあげてもいいと思うけれど。

咲: という感じが今回の感想かな。さっきも言いかけたけど、レンデルは文学性とかさておいてももっと読まれていい面白作家だと思いますので、そのうち全体総括レビューとかやりたいですね。

姫: 最近の作品は原書で読むの? 志高いわね〜。

咲: いや、そこまではやらんでもいいだろ……

(第二十二回:了)


引き攣る肉 (角川文庫)

引き攣る肉 (角川文庫)

ごく普通の人間の精神を偶然と狂気によって壊す、レンデルらしさが炸裂した名品。

月に歪む夜 (創元推理文庫)

月に歪む夜 (創元推理文庫)

クオリティは高かったので、是非翻訳が続いて欲しい。