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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

「殺しにいたるメモ」に関するメモ

執筆:TSATO

I

 代表作『野獣死すべし』で、前半を殺人を企てている男の手記、後半をナイジェル・ストレンジウェイズによる捜査と二つに分けた斬新な構成としていることからもわかる通り、犯人の心理描写へのこだわりは、ニコラス・ブレイクの作品では重要な要素の一つだ。彼の作品全体を見るとオーソドックスなフーダニットの作品が多く、『野獣死すべし』ほど凝った構成の作品は少ないが、その心理重視の姿勢は健在である。それをあえて本格ミステリの技巧という観点から見れば、都筑道夫『猫の下に釘を打て』で言及されているような、「犯行計画の変更や心情の変化をプロットに持ち込んだ」作家という評価になるのだろう。
 さらに、(『野獣死すべし』の段階ですでにその萌芽が見られるが)中期の作品では、脇役たちの造詣が深まり、プロットへの絡ませ方が巧みになっている。

 さて、今回取り上げる中期の作品『殺しにいたるメモ』もその系列に連なる作品である。本作は1947年に発表された作品で、素人探偵ナイジェル・ストレンジウェイズシリーズの、番外編も含めた8作目にあたる。1941年の『雪だるまの殺人』以来、大戦をはさんで久々のミステリ作品で、いわばカムバックの一作だ。

殺しにいたるメモ

殺しにいたるメモ

 ストーリーは以下の通り。

 ナイジェル・ストレンジウェイズは第二次世界大戦の間、「戦意高揚省情報宣伝局」で編集部長として働いてきた。連合国が勝利を収め、局員たちの緊張が緩みつつある最近、ナイジェルは鬱積していた人間関係がいずれ爆発するのではと危機感を募らせていた。そんな折、戦死していたものと思われていた元同僚のケニントン少佐が帰還する。戦死したと見せかけ、密かにスパイとしてドイツに潜入、敵国の高官シュトゥルツを捕らえる功績を立てたのだという。内輪の歓迎パーティーは、ケニントンがシュトゥルツから取り上げた戦利品の青酸入りカプセルが開陳されるなど大いに盛り上がるが、その最中、コーヒーを飲んだ局長秘書のニタ・プリンスが急死する。
 その場に居合わせたのは、局でも随一の美貌を誇るニタ、ニタの元婚約者のケニントン、現在の愛人である局長のジミー、ジミーの妻でケニントンの双子の妹アリス、ニタに思いを寄せるキャプションライターのブライアン・イングル、デザイン部職員のメリオン・スクワイアーズ、副局長ハーカー・フォーテスキュー、上級職員エドガー・ビルソン、それにナイジェルの僅かに9人。果たして誰がニタのコーヒーに毒を入れたのか?

 あらすじをよんでわかる通り、本作は「容疑者が限定されたフーダニット」で、特段先鋭的なことをやっているわけではない。しかし、作品としての出来栄えは『野獣死すべし』に比べて勝るとも劣らない。この作品の美点は大きく分けて二点ある。一つ目は、犯行が単純であること、二つ目は、動機が陳腐だということ。いや、これはほめているのですよ。
 まず犯行について。シンプルな犯行は、物語にリアリティを与え、推理小説にありがちなわざとらしさを排除する。犯人はかなりの知能犯だが、それゆえか、その犯行は現実的な範囲に留まっている。思い出してみると、『野獣死すべし』にせよ『死の殻』にせよ、話のキモは黒幕がターゲットをある行動に誘導するというもので少しわざとらしい。もっというと「そんなうまくいくの?」と思わなくもないものだ(被害者の性格を描いたものだし、意欲的ではあるのだが)。実際、前作『雪だるまの殺人』は、「思い通りに行かないこと」が話のキモだった。

 では『殺しにいたるメモ』ではどうか? この犯人は余計な偽装工作は何もしない。そして、それゆえになかなか尻尾をつかませない。例えばこんな一節が印象深い。

 かわうそを巣穴から引きずり出すように、殺人犯を沈黙と無行動と黙認という安全圏から白日のもとにさらけ出すという一大目的に、自分のすべての言葉を向けなければならない。彼(ナイジェル・ストレンジウェイズ)は自分の相手が、素晴らしく知的で鋭敏な感性の持ち主であるのを痛感していた。

 むろんこの作品にも、ある人に罠に仕掛けるシーンはある。しかし、それは人を単純に操るような戦前の作品と比べると、よりシンプルな、手品師が観客の注意をそらすようなものとなっており、その分実行可能性が高い。プロットの構築が良い意味でこなれてきたのを感じる。

 もう一つの美点、動機の陳腐さ。これは本当にすばらしい。この事件の犯人の動機は、ありきたりで、「しょうもない」ものだ。にもかかわらず、被害者の心情、周囲に追い詰められて殺人へと走る犯人の心理を探偵ナイジェルの視点を通してじっくり描くことでドラマを盛り上げている。作者が初期に多用した「悲劇の復讐者としての犯人像」も決して悪くはないが、一見ありふれた動機で人間心理の複雑さを描く本作は、作家としての成熟を感じさせる。

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II

 シンプルな素材で優れた小説を作る、その上で重要な役割を果たしているのが作品の舞台である「広報宣伝局」だ。「広報宣伝局」、正式名称は「戦意高揚省広報宣伝局」。この組織自体は架空のものだが、ブレイクは第二次大戦中、情報省に勤務しており、その体験が基になっているとされる。ひとつの職場を舞台に人間模様を描くやり方は、古くはドロシー・L・セイヤーズ『殺人は広告する』あたりから始まり、クリスチアナ・ブランド『ハイヒールの死』『緑は危険』D・M・ディヴァイン『悪魔はすぐそこに』P・D・ジェイムズ『わが職業は死』『欲望と策謀』『ナイチンゲールの屍衣』など作例は多い。この小説も、そういった作品の中のひとつである。
 この作品で、業務の様子自体を描いているシーンは物語の序盤、殺人事件発生までにほぼ限られる。だが、「戦意高揚省広報宣伝局」という職場やそこで働く人々の姿は強く印象に残る。それは、視点人物のナイジェルがここで数年間働いてきたという設定に負うところが大きい。彼は捜査の過程で、「広報宣伝局」における過去のエピソードをその都度少しずつ「思い出す」。このような形で読者に過去の出来事を紹介していくことによって、架空の部署である情報宣伝局に重みを持たせることに成功している(ついでに、伏線を自在に張ることもできる)。

 また、舞台の演出には脇役たちの存在も欠かせない。「爆弾が炸裂したかの勢いで」ドアを開け、電話をかけながら「定評のある、同時に二人を相手にした会話」をし、ナイジェルに対し、「かすかな母性愛を抱いて接してくれているらしい」アシスタントのパメラ・フィンレイ、「腹の出た、陽気だがぼうっとした元警官で」「失せものやちゃちなこそ泥といった類のもの以上に重大な事件は手がけたことがない」調査部のアドコック氏。
 もっと重要なのは、一、二度しか登場しないエキストラたちだ。一章と二章の冒頭(だけ)に出てくるやたらキャラが立った掃除婦、不吉な予言をする郵便配達夫。事件当時、現場である局長室の控え室にいたタイピストはミス・グレインジリーという名で、局の印刷費用はミスター・オディーという人物が責任者らしい。彼らは読者にとってはただの脇役だが、ナイジェルにとっては、詳しく知っている同僚たちだ。「小説内での描写が少ない」のではなく、「わざわざ描写するまでもなく、よく知っている」の人物たちなのである。そして、そういう人間が大量に登場することによって、基本的に容疑者が限られた謎解き小説であるにもかかわらず、閉鎖的で内輪だけの話に終始している印象を与えない。

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III

 ナイジェルは、1940年からつい最近まで「他省からまわされてくる際限のない仕事に遅れまいと」「一日十時間から十四時間ほども」働く生活を同僚たちとともに5年間続けてきた。ナイジェルにとって彼らは苦労を分かち合った友人であり、「自分の腕時計の文字盤のように見慣れたもの」だ。だが、腕時計の仕組みがよくわからないように、彼らの私生活もまた、よくわからないものである。職員たちは正規の公務員ではなく、いわば臨時雇いの存在(「動員公務員」と作中では呼ばれる)。彼らには元の職業があり、互いの過去や私生活のことはよく知らない。誰もが二つの仮面を持っているのだ。この事件のキーパーソンであるケニントン少佐にいたっては、さらに諜報員としての人格をも有している。いや、そもそも、事件を調査する名探偵であり、同時に局の編集部長でもあるというナイジェル・ストレンジウェイズの立場自体も二重性をもったものだ。「警察にコネがあるんでしょう?」ミス・フィンレイは、無邪気にそう尋ねる。
 もちろん彼らは別に二重生活を送っている訳ではない。捜査の過程で明らかになるのも、「ちょっと意外な一面」程度のものだ。だが、これが積み重なっているうちに、気がつけば事件全体の様相ががらりと変わってしまっている。
 たとえば副局長のハーカー・フォーテスキュー。「管理職者然とした態度、無愛想さ」で、「感情のない物言い」をする彼は、元写真屋で、趣味として有名人の情けない隠し撮り的なスナップ写真を集めている。「作り笑いをしている妻が差し出した花束をぶっきらぼうに払いのけるトルストイ」、「禁欲主義についての力強い説教で知られる大司教が、フォークに山盛りのキャビアを口に入れる瞬間」等々。彼がやくみつるのような趣味を持っていることが事件にどんな影響をあたえるというのか? 実はフォーテスキューの「趣味」は中盤で非常に重要な意味を持ってくるので、ぜひご確認いただきたい。

 また、私生活での人格と「戦意高揚省情広報宣伝局」という公的な場での人格は微妙に異なっているが、それぞれ密接に関連しあっている。編集部長ナイジェル・ストレンジウェイズの優れた記憶力、難しい会議の内容を「録音機のような過不足ない正確さで」復唱できる能力は、名探偵ナイジェル・ストレンジウェイズの最大の武器でもある。彼はその能力を使って登場人物の些細な言動の矛盾を指摘していく。事件前夜のニタ・プリンスの言動、チャールズ・ケニントンの奇妙な沈黙。ナイジェルによって提示される小さな謎の数々は、容疑者たちの多面性を明らかにし、作中の人間関係を謎に満ちたものにする。彼らはお互いをどう思っていたのか?
 物語の中で容疑者は最初の七人から、さらに絞られていく。だが、犯人の特定は難しく、クライマックスでは容疑者同士の告発合戦まで繰り広げられる。最後の最後までなかなか真相を特定させないのは、容疑者たちと被害者の人間関係が判然としないからだ。これは、読者が真の関係を読み取れないというだけにとどまらない。犯人自身、自分の感情、自身のおかれた人間関係をどう処理するべきかわかっておらず、この葛藤は逮捕されるその瞬間まで続き、そのことが、犯人の人間的弱さを印象付ける。
 だが、動機から見える性格の弱さとは裏腹に、犯行そのものは非常に知的だ。この動機と犯行の違いに見える犯人の二面性は、そのまま公私の生活での二面性に置き換えられる。ナイジェルの探偵としての優秀さが、編集部長としての優秀さ(優れた記憶力)によって裏付けられているように、これまで描写されてきた「広報宣伝局」での優秀さが、性格的に弱い犯人が、同時に警察をてこずらせるほどの犯行を行い得る人間であることに説得力を与える。これまでの捜査によって明らかになった人物像と、ナイジェルが5年間を通してみてきた人物像が重なり、一人の犯罪者の姿を明らかにする。この二面性は最後まで解消されることはないが、それゆえの真実らしさを担保するとも言える。
 物語の結末で、ナイジェルの協力者でスコットランド・ヤードのブラント警部は「ひどい偽善と言った方がふさわしい」「わたしはちっとも哀れだと思わないね」と犯人に対して怒りを露わにする。かように犯人を手厳しく非難するブラントに対して、ナイジェルはどこか犯人に同情的だ。犯人の偽装工作を名演技と評し、犯人に対し「好意と賞賛を捨てきれない」。まったく部外者であるブラントと、5年間犯人とともに働いたナイジェルでは、犯人に対する見方がおのずから異なるのだろう。戦意高揚省広報宣伝局という舞台を最大限に活用し、そこに働く人々を描く。それは登場人物の実像に公私の両面から迫るということでもある。作者はそれによって、陰影と奥行きのある一人の犯罪者を描き出すことに成功した。


猫の舌に釘をうて (光文社文庫)

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