深海通信 はてなブログ版

三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

第十七回:ウィリアム・H・ハラハン『亡命詩人、雨に消ゆ』(ハヤカワ文庫NV)+ケン・フォレット『針の眼』(創元推理文庫)+アーサー・メイリング『ラインゴルト特急の男』(ハヤカワ文庫NV)

○寂れて古めかしい遊園地

咲: イントロを入れるのももったいないほどに遅延しているので、サクサク進めますぞ。

姫: 不人気ブログの唯一にして最高に不人気なコンテンツですものね。せめて安定した更新くらいは守っていきたいものですが。

咲: まあ、色々あるのだよな。さて、今回は予定を変えて一挙に三冊やります。一冊目のウィリアム・H・ハラハン『亡命詩人、雨に消ゆ』(1977)は、こんな話。


亡命詩人、雨に消ゆ (ハヤカワ文庫 NV 304)

亡命詩人、雨に消ゆ (ハヤカワ文庫 NV 304)

強い雨が降りしきる四月のある日、ソ連から亡命した一人の詩人が誘拐された。連れ去ったのはソ連当局のエージェントだという。亡命してすでに二年、政治とは無縁の存在である彼がなぜ? ふとした偶然からその謎を解く鍵を発見した移民帰化局のリアリィは、独力で秘かに調査を開始する。一方、任務の失敗からCIAを追われ、失意の日々を送っていたブルーワーも、元上司の依頼で詩人の救出に乗り出した。(文庫裏表紙あらすじより)

姫: 詩人として全世界的に高い評価を得ているボリス・コトリコフの失踪事件を二つの立場から描く作品です。「なぜコトリコフは誘拐されなければならなかったのか」という謎に迫るリアリィのパートと、「いかにしてコトリコフを救出するか」という問題に取り組むブルーワーのパートが交互に描かれていきます。

咲: リアリィはコトリコフが接触していたある組織を末端から手繰っていく。捜査局の人間も気づかなかった些細な点から一歩ずつ捜査するあたりは、その独断専行も含めて私立探偵小説風の趣だ。とはいえ、誰が攫ったのかは分かっているし、(リアリィは「何故か」分からなくても)読者にはコトリコフ誘拐の動機はすぐ分かる。おまけに捜査したからって、リアリィに出来ることって本当になにもないんだよな。理解しただけ。自己満足。

姫: 現役捜査官のリアリィに対して、ブルーワーはCIAを馘首になって酒浸りになっている、見事に尾羽打ち枯らした引退スパイです。今回与えられたコトリコフを救助する任務を、上手くやればCIAに戻れるかもと期待している。救助任務とは言っても、コトリコフが閉じ込められている場所や、実際に救助する方法はCIAが用意してくれて、それを成し遂げるのが彼のお仕事なのね。だから、筋トレや器具の操作法の練習ばかりしてます。不安になっては、やっぱり俺はロートルだと愚痴をこぼすのがチャームポイント。

咲: リアリィとブルーワーは、まったく違う次元で動いているし、二人の動きが重なり合うことはない。両方を知っている読者ゆえに気づく事実とか、そういうのも一切ないんだよね。ホント、なんのために物語に二つの軸を導入したのか分からない。

姫: うーん、思考担当と実働担当を分けた方が、話が複雑になり過ぎなくて済むって考えたんじゃないかしら。実際、物語の進行は非常に分かりやすいし。向き不向きをきちんと考えて、適材適所でキャラクターを動かして行くのがスマートなやり方、というアメリカ的手法が作品に生きているのでは?

咲: それはあるかもね。正直、一つの事件から派生したそれぞれのパートはまあまあ面白いんだけど、一個の作品としてはまったく不完全だ。あえて今読む必要はないと思う

姫: 同感ね。いまやジェフリー・ディーヴァーとかが、こういう物語の作り方を完成させてしまったから、古めかしい作品はどうしても厳しい。ディーヴァー作品はジェットコースターにも例えられる強烈なサスペンスが売りだけれど、『亡命詩人〜』は、あまりにもぬるすぎるわ。


○作者の趣味が溢れる小説

咲: お次はケン・フォレット『針の眼』(1978)。冒険小説のオールタイム級名作と呼ばれている作品だ。ハヤカワ文庫NV→新潮文庫創元推理文庫と版元を移動し、翻訳を新しくしながら三度も文庫化されている辺りに、その人気のほどがうかがえるね。

姫: あらすじは以下のとおりよ。


針の眼 (創元推理文庫)

針の眼 (創元推理文庫)

連合軍の上陸地点がカレーかノルマンディかを突き止めよ! 連合軍の最重要機密を入手した、ドイツの情報将校ヘンリー、通称「針(ディー・ナーデル)」は、その情報を一刻も早くアドルフ・ヒトラーに直接報告するため祖国を目指す。英国陸軍情報部の追跡を振りきった彼はU=ボートの待つ嵐の海へ船を出すがあえなく遭難してしまう。

咲: ようするに第二次世界大戦版『ジャッカルの日です、と言ってしまうと身も蓋もないけれど。英国軍の渾身のブラフを看破して、ノルマンディ上陸作戦の秘密を突き止めた「針」(スティレットと呼ばれる短い刺突剣を使うことからついたあだ名)が、英国諜報部の眼をすり抜け裏を掻きながら味方との合流を目論む前半はまさにそれ。

姫: ノルマンディ上陸作戦は史実では成功しているので、ようするに「針」はなんらかの理由で真実をヒトラーに伝えられなかったハズ。臨時に諜報部顧問になった中世史学者ゴドリマンや警視庁のブロッグス警部らの手によって脱出を阻まれたのだろうなあ、と思って読み進めていくと……

咲: 残念ながら、「針」は諜報部の手から逃げおおせてしまう。そして一時の不運から、スコットランド北部の孤島に漂着するんだ。ゴドリマンたちにとってみれば、「針」の生死が確認できない以上、不安は残る。その孤島に人を送って確認させようとするが、嵐と霧のために実行は不可能。結局、「針」とU=ボートの接触を防ぐ者がいるとすれば、それは孤島に住む羊飼いの青年とその妻しかいないということになってしまう。なにも知らない彼らに、英国軍の作戦の成否が、そして英国の未来が掛かっていく!

姫: 羊飼いの青年といっても、そこらの純朴な青年という訳ではない。彼は数年前に徴兵され、飛行機乗りとして前線に赴く直前に事故に遭い、今では車椅子生活を余儀なくされている、という設定。物語の序盤から語られていく彼とその妻の人生の物語は悲しく残酷だわ。ぜひとも国のために働きたいのに、不具者となったために孤島で引き籠った生活を余儀なくされる怒りと悲しみに焦れる男。ずっと彼の傍にいて、彼を支え続けなければならないと考えつつも、数年来夫とベッドを共にすることのない生活に、微かな不満を募らせていく女。二人の間に積もるすれ違いは作中、戦争の状況以上に微細に克明に描かれていく

咲: そこに「針」が現れる。それが触媒になって起こる歪みの暴発、鬱屈する憎悪。男女間の心理をこれでもかと描き、心理小説としての側面を際立たせているのは、冒険小説としては珍しいよね。

姫: 最終的に打ち出される「戦う人妻」のイメージって、フォレットの他の小説にも出てくるのよね。『大聖堂』とか。ブロンド美女で気丈で大切な人を守るために立ち上がる女、っていうのが作者の趣味なんでしょうね。わっかりやすーい。

咲: そこは許してあげようよ。

姫: ということで、単純なスパイを追う/追われるという構図だけではなくて、そこに緻密な(でも卑俗な)心理模様が散らされているという点で、やや新しいと言えるのではないかしら。

咲: 結末はやや弱いかな。「針」も作者と同じく人妻好きだった(っぽい)ので、この作品は「欲求不満のエロ人妻最強伝説」の一書として読まれていくといいと思います。

姫: ひどいまとめだけど、間違ってもいないのが辛い。


○「ラインゴルト特急の男」って誰のこと?

咲: 最後はアーサー・メイリング『ラインゴルト特急の男』(1979)です。さてあらすじは以下の通り。


ラインゴルト特急の男 (ハヤカワ文庫NV)

ラインゴルト特急の男 (ハヤカワ文庫NV)

イギリスで現金密輸を請負う一匹狼、コクラン。今回の仕事は、35万ポンドをスイスに運ぶというものだった。いつもの依頼人ではなく、しかも大陸縦断特急<ラインゴルト>を使えという。コクランは疑惑を抱くが、密輸業を公にすると脅され、仕事を引き受けるだが彼は知らなかった。夢想だにしない罠に自分が落ちてしまったことを。(文庫裏表紙あらすじより)

姫: あらすじには「男の戦い」とか書いてあるんだけど、この「戦い」が始まるまでがえらい長いのよね。その話をする前に、まずはもう少しキャラクター設定を補充しましょ。主人公の一人コクランはアメリカ人ながら、ロンドンに暮らす男。過去の誤ちから労働許可証が取れなくて、生きるために仕方なく、ある男の手先になって現金の密輸に手を染めている。そんな彼が突然、別の男から呼び出しを受けて35万ポンドを運べと強要されるのが発端よ。

咲: この作品の中で、もう一人異彩を放つのが常習的犯罪者のオローク。彼は、コクランに現金輸送を依頼した男の依頼で、コクランから現金を奪おうとする(そう、こういう複雑なプロットを背負ったクライム・ノベルです。冒険小説じゃないのよ)。自分の目的のためなら、邪魔な人間はごく自然に殺し、必要なものはごく自然に奪う、情動に相当の歪みを抱えた男なんだ。このオロークが張り巡らして待つ罠に、何も知らないコクランが飛び込んで行く、という話のはずなんだけど……。

姫: 一つ一つ準備を整えていくオロークとは対極的に、コクランはアメリカからやってきた中世史家で美人の人妻に惚れてしまうのよね。なんとか仲良くなりたい、でも俺のようなカルマを背負った人間の屑に彼女を幸せにすることなんて無理だ、とモジモジしまくりのコクランに対して、読者はいい加減現金を持って移動を開始しろよ、と焦れていく。

咲: ロンドンを出発するまでが長いし、出発してからも彼女のことと自分の過去のことばかり語り続ける。ラインゴルトの出発点であるオランダについても、彼女に会いに行ったりしているうちに乗り遅れてしまう……おい、いつ<ラインゴルト特急>に乗るんだよ!

姫: コクランの惑溺と対照的に、なぜか計画が上手くいかないオロークも焦っていく。<ラインゴルト特急>に乗る前に決着をつけるという彼のプランは、コクランの思いつきによって完全崩壊。二人のすれ違う意志は、ついに二枚舌の依頼人と現金の正規の持ち主をアムステルダムに導くに至り……と8割がた話してしまったわね。

咲: 二つのストーリーラインの、時間的・感情的な噛み合わなさはテクニカルでなかなか面白いんだけど、肝心のお話の中身は薄っぺらなんでね。この作品最大の問題点は、二人の犯罪者を操る黒幕のキャラが弱すぎて、あまりにもあっさり退場してしまうところか。

姫: 作品としてはまったく見るところがないのよね。コクランの過去も完全にお涙ちょうだいで、異常者異常者連呼されるオロークも、サイコ殺人者を読み慣れた目には、せいぜいリプリーくらいのダメ人間に過ぎない。リプリーには可愛げがあったけれど、オロークにその方面は期待できないし。

咲: ちょっと良く出来ている作品だけど、読む必要はないと。


○まとめ

姫: なんか、今回はいまいちテンションが上がらなかったな。『針の眼』くらい?

咲: 人妻好きなら。あとの二作品は、正直読む価値なしという結論だね。

姫: ロシア人詩人が出てきて、作中フランスやイタリアに行くとか、オランダでの衝突がクライマックスで、大陸縦断特急がモチーフになっているとか、エドガー賞はどうもそういうエキゾチック」な雰囲気を醸す作品に弱すぎる気がする。

咲: アメリカ人の読者がそういう作品を求めているということなのだろうなあ。内容的には正直たいしたことがなくても、諸々の要素だけで下駄が入る。

姫: わがまま言う訳じゃないけど、真っ当に面白い作品読みたかったわ。まあ、その辺は次回に期待しましょうか。

咲: 次回は、ディック・フランシス『利腕』ウィリアム・ベイヤー『キラーバード、急襲』の二作品。いざとなればもう一冊増やす気持ちで行こう。

姫: フランシスの超傑作キマシタワー。

咲: はあ、ま、特段期待せずに読みますよ。

(第17回:了)

オリエント急行戦線異状なし

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