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深海通信 はてなブログ版

三門優祐のつれづれ翻訳ミステリ。主に新刊の話をしています。そういえば、「アントニイ・バークリー書評集製作委員会」公式ホームページ。

【第8便】「略称孤独の本読み」第二回:クリスチアナ・ブランド


第二回:誰が被害者を殺そうと構うものか。

 今回はイギリスの女性作家、クリスチアナ・ブランドを取り上げる。1941年、『ハイヒールの死』でデビューした彼女は、デビューそのものは遅かったが、黄金時代の巨匠である、アガサ・クリスティー、エラリイ・クイーン、ジョン・ディクスン・カーの三人に比肩する、本格ミステリ作家の第一人者として、例えば山口雅也とかに称賛されている。強いて言うなら、クリスティーの技巧と苦み、クイーンのロジック、カーの演出勘を併せ持ちながら三で割らない作家。うーむ、ちと褒めすぎかしらん。
 このくだりにもう少し具体性を持たせたいので、先日私が代表作の一つ『緑は危険』(1944)を再読した際に書いた自分用読書メモを、ネタバレ箇所を変更した上で転載。

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 ツイッター上でにわかに話題になったこともあって、数年ぶりに再読。真相を知った上で読み進めると、作者が「さりげなく」伏線を配置していることが分かる。その伏線群をロジックによって真相へと織り上げていく、その手技はもちろん極めて巧みである。しかし真実恐ろしいのは、プロットの要請上、一旦は伏せた札をめくってみせなければならない難所において垣間見える、ある種の「おおらかさ」だ。危うく真相に抵触しかけるギリギリのところまでヒントを見せながらそれでも意外な犯人を提示してみせる、想定の外行く論理の切れ味と美しさに痺れる。細心と大胆を併せ持つ畏怖すべき傑作。

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 このように、あらすじすら書かずにざっくりと書いてみたが、しかし、ブランドの本格ミステリとしての特徴は、ほとんどこの文章の中に捉えることが出来たのではないかと自認する。いかなる読者に容易には見破らせぬという絶対の自信に支えられた作品群は初刊50年以上経った現在でも、二読三読に耐えるものばかりだ。まだ読んでいない人は羨ましい、読んだ人も再読しないのはもったいない……と書きつつ、今回のテーマはその実ここにないのである。長々と書いてきたけれど。

 私がブランドを愛するのは、彼女があらゆるものに対して容赦ないからである。とりわけ容疑者たちへの容赦のなさは他の追随を許さない。ごく初期の作品からその傾向は表れているが、頂点に達したのは最高傑作と名高い『ジェゼベルの死』(1948)だ。
 「ケントの鬼」と恐れられるコックリル警部は、物語がある程度進んだところで、容疑者全員を一室に呼び集める。別に推理劇を始める訳ではない。彼は集まった人々に語りかける。真実を語っていただきたいと。そして静かに質問を始める。型破りな尋問集会は、最初は穏やかに進んでいくが、次第に熱狂的な様相を帯びていく。そして導火線に火がついたことを確信すると、コックリルは一歩引く。そして……場は崩壊する。容疑者たちがしっかりと顔に被せてきた嘘の仮面にひびが入る。悲鳴と罵詈雑言が飛び交い、憎悪が人間関係を引き裂いて行く。
 あるいは、その少し後のシーンで行なわれる、狂気の全員自白シーンも素晴らしい。その動機は勿論人それぞれ。醜い利己目的、究極的には犯人であることを隠すために敢えて自白してのけたのかもしれないし、あるいは、いままさに容疑がかからんとする者を、愛する者を守るための利他行為かもしれない。みっともないけど格好いいかもしれない。泣けるね。しかし、名探偵の真実究明はその思いのことごとくを、偽りに満ちた嘘の迷宮を踏みにじっていく。

 もう一つ作例。ブランド作品の中でも、構成的な意味で上記『ジェゼベル』のプロトタイプと言える作品が『自宅にて急逝』(1946)である。この作品は、容疑者リストの中に、十三歳の少年が含まれているのが、年代を考えれば異色。精神的に不安定なため、屋敷の外に出ることなく大人たちに守られながら生活している少年は、アリバイがなく、唯一密室への侵入手段を持っていることから当然疑われてしまう。残酷なことに、彼自身も犯行の行なわれた時間帯の記憶を失っており、ひょっとしたら自分が殺人をしたのかもしれないと怯えている。なんと可哀そうなことでしょうねえ(暗黒微笑 大人たちは彼を庇い、我こそは犯人なりと次々に名乗りを上げることになるが……犯人どこまで図々しいんだよ。

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 こうなってくると、犯人が誰であってもいい気さえしてくる。誰も彼もが腹に一物抱えた物語とは、実に最悪でよろしい。メイヘム・パーヴァなんて嘘っぱちである。事件が終わっても悲劇は終わらない。他人の不幸は蜜の味……うふふ。
 くつくつと口端を震わせながらページを繰る読者をも、しかしブランドは断罪する。彼女の小説に無駄はない。一見どうでもいいシーン、ひたすらに「楽しい」シーンにこそ、真実のピースは潜んでいるのだ。それを読み解けなかった読者は、物語の結末において愕然とする。あの喧騒、あの醜悪の中にこんなものを隠しやがって……嗚呼、してやられた。

 この性悪作家、しかし最愛。(三門優祐)


緑は危険 (ハヤカワ・ミステリ文庫 57-1)

緑は危険 (ハヤカワ・ミステリ文庫 57-1)

ジェゼベルの死 (ハヤカワ・ミステリ文庫 57-2)

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