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三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

【第6便】2011年12月新刊レビュー(国内編)

おばんです。
こまめに更新をしたいけれども、夜の寒さに負けてついつい布団に潜ってしまう今日この頃です。

2011年12月の新刊レビューをお送りします。今回は国内四本、翻訳六本となります。では国内からどうぞ。


上田早夕里『リリエンタールの末裔』(ハヤカワ文庫JA

リリエンタールの末裔 (ハヤカワ文庫JA)

リリエンタールの末裔 (ハヤカワ文庫JA)

 大作『華竜の宮』での日本SF大賞受賞が記憶に新しい上田早夕里のSF短篇集。本作では(科学)技術と人の心との相互的な関係というSFとしてスタンダードな題材を、尋常ではない密度で突き詰めた。手堅さもここまでくると、ある種の凄みを放つ。
 たとえば『華竜』と世界を同じくする表題作では、大空に恋焦がれ、ハンググライダーを求めて都会へ出てきた少年の成長譚が描かれる。ここに出てくる「技術」とは夢を叶える「技術」であり、希望に満ちた目標だ。だが、他者と出会い、夢の達成に込められる意味は進行するにつれ、少しづつ変わっていく。そんな少年の成長過程が繊細に、丹念に記録される。技術、人間、小説のいずれに対しても一切の妥協を許さない堅牢な姿勢は、書きおろし作「幻のクロノメーター」でより高度な完成をみる。
 叙情溢れるロマンとSFは魅力的な組み合わせだ。一方で、誰もが魅了されるだけに陳腐さがついてまわる。だが本短篇集で味わえるのは、とってつけたようなチープなお涙ではない。透徹した論理と精密な描写によりとことん物語を詰めていき、説得性を極限まで高めた上で読者へ手渡されるラストから滲み出てくる確かな余韻、それが上田早夕里の書くロマンだ。(nemanoc)


似鳥鶏『いわゆるひとつの文化祭』(創元推理文庫

いわゆる天使の文化祭 (創元推理文庫)

いわゆる天使の文化祭 (創元推理文庫)

 「にわか高校生探偵団シリーズ(使ってるの帯くらいしか見たことないぞ)」も第四弾。なかなかどうして、構図フェチも伏線フェチも唸らせそうな逸品に仕上がっている。文化祭の準備真っ只中の夏休み、校内で奇妙な「天使の絵」が貼られていた。しかも、部室等のいたる部屋に、部にちなんだ物を持って。この手の込んだ犯人を見つけるべく挑むのはおなじみ葉山君と、吹奏楽部の一年生蜷川ちゃん。犯人から呼び出され、密室からの消失劇を目撃した二人は、協力しながらも互いに「犯人は身近な存在かもしれない」と全てを打ち明ける事ができない。そうしているうちに事件はエスカレートしていき、あわや文化祭中止の事態に。「犯人を連れてくる」そう宣言した葉山君にタイムリミットが迫る。
 本格ファンなら、話が進んでいくうちに違和感を覚えるだろう。語り手の二人が犯人を絞っていき、ある程度見当をつけてもなお。だが真相に気づくのは困難だ。「なぜ?」「だれが?」絡み合い増殖する謎、各章の最終段に現れる挿話。真相が明らかになって初めて見えるシンプルな構図と陥穽。パラパラと解きほぐされ、掘り起こされる細やかな伏線。どこをとっても純度が高い現代本格のポリシーが貫かれ、学園という舞台へ誰もが無意識に持つ、一つの幻想的な側面をミスリードに活かした工夫の妙が印象に残る。シリーズファンなら一層「やってくれたな!」という快感が強くなり、次作への期待も高まるだろう。加えて「学園ミステリ」のヴァリエーションを広げたことで、ブームの今だからこそ「学園モノ」が持つ設定や可能性を見直す風潮が生まれるかもしれない。まだまだ「学園」に埋まっているものはあるのだ、と示してくれたのかも。
 去年某新人賞作で不満を覚えた、現代のウェイン・C・ブースもいかが?(kaneo)


法月綸太郎『キングを探せ』(講談社

キングを探せ (特別書き下ろし)

キングを探せ (特別書き下ろし)

 鮎川哲也『王を探せ』といえば、"亀取二郎"が脅迫犯を葬り去る犯行パートに始まり、次いで警察がその容疑者の名前"だけ"を発見、そこで首都圏の同姓同名者の中から正しい亀取二郎当てをする話。4人の亀取二郎にまで絞込み、それぞれの動機やアリバイに取り組むと1人消え、2人消えするが、しかし、そこで思いもよらぬ第5の亀取二郎が! 亀取軍団は基本形に微妙なひねりを加えたような欺瞞をもって暗躍するのに対して、初老の渋み滲み出る丹那刑事が華麗な気付きでそれらを打ち負かしていくという、実に気を惹く大筋と巧みな小技を重ねに重ねた傑作なのだ。
 そのタイトルにあやかったか、法月綸太郎久々の長編はなんとなんと四重交換殺人。すわガジェット大好き新本格の化物ではという危惧もなくはない。もちろん期待通りのパズルチックな奇想はその骨子にあってそれも決して悪くはないのだが、それだけに留まらず話の見せ方も侮れない。まず第一の犯行についての倒叙パートでつかみ、次は法月父子が家族会議で徐々に迫っていく様子、そして厳しい捜査で犯行計画の歪みが……と捜査側と犯人側の動きが両方楽しめる対決の魅力がある。机上の推理シーンが少々冗長だが、うな重に舌鼓を打ちながらの父子の掛け合いもまた愉しく、瑕というほどでもないだろう。大胆な仕掛けを活かすスマートな演出にほっこりして、遠い次作に思いを馳せようではないか。
 このレベルで十分だから、もっと読みたい……(_1026)


平山夢明『或るろくでなしの死』(角川書店

或るろくでなしの死

或るろくでなしの死

 傑作。今回、たまたまサイン本を手に取ったが、作者が余り紙に記した「死ろす!」という意味不明の文句に心乱された。「死なす!」なのか、あるいは「殺す!」なのか。いずれにせよ悪魔的作家平山夢明は、読者に対して命の、あるいは魂のやり取りを挑んでいるのだ。
 優れた作品を多く収録した本作の中で、曰く言い難い「気持ち悪さ」を残すのが「或るごくつぶしの死」だ。個人的には集中ベストである。どうしようもないダメ男とダメ女が、出会い利用し合い子どもが出来て逃げてというあまりにも陳腐な物語を、ダメ男の視点をなぞりつつとことんまで突き放して描いてしまう酷薄さには肝が冷える。
 抜群の巧さを感じさせるのが、ラストの「或るからっぽの死」。「自分に興味がある人間以外は見ることが出来ない青年」と「自殺志願を押し付けられた少女」が織りなすボーイ・ミーツ・ガールをごく粗っぽく抑圧的に描いていく。しかし最後の一行「大丈夫なんだから。」を目にした瞬間、感情の淵が溢れかえり、嗚咽を抑え込めなくなる。シオドア・スタージョンの短編を思わせる「心震わす」物語の完成形だ。
 陳腐な涙、安直な感動ばかりが物語に氾濫するこの時勢。だが、悪魔に魂を売り渡してでも読まなければならない小説がここにある。(三門