「私訳:クリスチアナ・ブランド短編集」について②
ということで、短編集の内容紹介に移ります。本短編集に収録しているのは以下の二編です。
・「白昼の毒殺者」 Cyanide in the Sun (1958)
・「バンクホリデーの殺人」 Bank Holiday Murder (1958)
この二編は、「スキャンプトン・オン・シー」という海辺のリゾートタウンを共通の舞台にしています(共通する登場人物はなし)。この名前の町は地図上では見つかりませんでしたが、作中の描写からおそらくデヴォン州南部、地名で言うとトーキーやプリマス周辺が想定されていると推測できます。ブランドは「ケントの鬼コックリル警部」ものに続く新シリーズを構想していたのかもしれません。
第一編「白昼の毒殺者」は、そのスキャンプトン・オン・シーの町で跋扈する「青酸殺人者」にまつわる物語です。物語は町の小さなホテル「リバーサイド・ゲスト・ホテル」の夕食シーンから始まります。六人の宿泊客に殺人者の凶行について語り聞かせるのはホテルの女主人ミセス・キャンプ。無差別に被害者を選んでいるとしか思えない殺人者は、毒殺する前に被害者にメッセージを送り届けると彼女は言います……「汝の死の運命に会う備えをせよ」……悪趣味なまでに真に迫った語りの毒気にあてられた六人は、怯え、また怒りながら今後の対策について浜辺で話し合っていましたが、すぐそこに小さな紙切れが落ちていることに気づきます。届けられた死のメッセージ。狙われたミセス・クルハム。果たして、神出鬼没の青酸殺人者を止めることは可能なのか?
ミセス・キャンプしかこの町の関係者がいない以上、普通に考えれば犯人は彼女なのですが、そう単純には進みません。ブランドの目は宿泊客たちの間を飛び回り、その嘘か真か判別できない言行を読者に提示していきます。そして訪れた運命の夜……死のメッセージを受け取ったミセス・クルハムを護るために互いが互いを監視し合い、妙なことをすればすぐに分かる状況で食事が供されたにも拘わらず、彼女だけが青酸を飲まされ、死んでしまいます。おお、大胆不敵な不可能犯罪!
という内容。不可能犯罪自体の謎もそうですが、痺れるサプライズエンディングまで読者をまったく飽きさせない良作です。単純なようで謎めいた人物造形、パーティーゲーム「汝は人狼なりや?」を思わせるサスペンスフルな展開も非常に面白い。これほどの作品がまだ埋もれていたとは驚かされます。
もう一編はまた明日ご紹介します。
「私訳:クリスチアナ・ブランド短編集」について①
先にも書きましたが、5/6(日)の第二十六回文学フリマ東京にて、「私訳:クリスチアナ・ブランド短編集」を頒布します。スペース位置は2階のカ-57。サークル名は「クラシックミステリゲリラ翻訳部」です。
さて、「私訳:クリスチアナ・ブランド短編集」とはどういうことか。皆さんご存知の通り日本ではクリスチアナ・ブランドの短編集は二冊刊行されています。具体的には『招かれざる客たちのビュッフェ』(1990、創元推理文庫)と『ぶち猫』(2007、論創海外ミステリ)です。この2冊でクリスチアナ・ブランドの(出来のいい)短編は相当カバーできるのですが、実は雑誌に掲載されたまま未収録になっている作品が17編あります。また、ブランドは未訳の短編もいくつかあり、明確にミステリ/犯罪小説のジャンルに入る作品にも少なくとも4編未訳が残されていると言います。
しかし、今回翻訳したのはまったく新発見の短編2編です。これらは1958年にブランドがイギリスの地方新聞 The Daily Sketch に寄稿したまま2017年まで忘れられていました。そのうち一作("Bank Holiday Murder")は本国版EQMM誌(2017年9月/10月号)に掲載、もう一作("Cyanide in the Sun")はジョン・ピュグマイアとブライアン・スクーピンが共編した不可能犯罪アンソロジー The Realm of the Impossible ※1 に発表されました。ピュグマイアーのブログによると、これら二編を含むブランドの短編集を現在企画しているとのこと。詳細は以下のブログ記事をご確認ください。
Two Christianna Brand short stories – Locked Room International
※1 なお、同書にはリンタロー・ノリヅキの「緑の扉は危険」とソージ・シマダの「Pの密室」が収録されています。
- 作者: クリスチアナ・ブランド,深町真理子
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1990/03/22
- メディア: 文庫
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第二十六回文学フリマ東京に出展します
最近何をしていたかというと、「シミルボン」という書評サイトでひたすらひたすら『イギリス・ミステリ傑作選』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の短編レビューを書いておりました。完結したので、見てくれると嬉しい。通りすがりでも「いいね」をしてくれるとなお嬉しいです。
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さておき、タイトルの通り5/6(日)に東京流通センターで行われる第二十六回文学フリマ東京に出展します。スペースはカ-57。カ-58の「モーリス・ルヴェル短編集」がヤバいので、私の本よりもこちらをまず先にお買い上げください。
お品書きは以下。
新刊:「私訳:クリスチアナ・ブランド短編集」 \500
既刊:「アントニイ・バークリー書評集」Vol.4~Vol.7 \500
七巻は700円だったような気がしますが、余ってもしょうがないのでディスカウント価格です。なお、まとめ買いで安くなる設定も作ります。詳しくは会場で。
さて、「クリスチアナ・ブランド短編集」について。説明すると長くなりますんで、別記事を用意します。
こちらからどうぞ。
田中相『LIMBO THE KING』感想
田中相『LIMBO THE KING』(ITANコミックス)を1巻から3巻まで一気に読んでしまった。3巻は今月の頭に出たばかり。私はKindleでまとめ買いした。
twitterで試し読み広告が回ってきたのが事の発端。個人的にはSNSの広告をクリックすることはまずないので、超レアケース。で、150ページ分(EPISODE5まで。なお、1巻はEPISODE6まで収録)をぱぱっと読んで、そのまま単行本を買ったという訳。完全に広告に釣られてしまった。
まったく知らない作家のまったく知らない作品なので、以下の紹介については多分に不備があると思うが、そこはご容赦くだされ。
さて、物語の舞台は2086年のアメリカ西海岸(そう、本作は近未来を舞台とした作品なのだ)。主人公のアダム・ガーフィールドは米海軍所属の陽気な軍人(28)。職務上の事故で片脚を失った彼は、退役になる代わりにある特殊な部署への転属を命じられる。「眠り病」という、既に終息したはずの特殊な病気を「治療」することを目的とした部署、CNAS。アダムは、かつてその部署に所属していた伝説的な「ダイバー」、八年前に眠り病を終わらせた「リンボ・ザ・キング」と極めて適合率が高い、「コンパニオン」候補者だった……とはいえ、これだけ書いてもまったく分からないと思う。読者は、アダム(軍属だが、眠り病についての知識は一般人レベルで、治療については何も知らない)と一緒に「眠り病」について、そして相棒となる「リンボ・ザ・キング」、ルネ・ウィンターについて少しずつ学んでいくことになるのだ。
メインの登場人物についてひとくさり。アダムは極めて一般的な感性を持つ気のいい兄ちゃんという感じ。いい女がいると口説いてみるし(ただしみんなパートナー持ちなのだ;;)、年の離れた弟妹や婆ちゃんをとても大事にしている。「ダイブ」への偏見を持ちながらも彼がその仕事を受け入れたのは、一つには彼らの生活を安定させるためなのだ。人のパーソナルスペースにぐいぐい入ってくるし、ちょっと騒がしい。でもユーモアのセンスはたっぷりで周囲に人の輪が絶えない、というタイプ。その相棒であるルネは、対照的に謎めいた人物として描かれる。多分三十代中盤。ガッチリ系のアダムと並ぶとその貧相な体格が目立つ。八年前に英雄となったが、今は一線を退いていて、極めて非協力的。なぜ彼が一線を退いたのかは現時点では謎、娘がいるがじゃあ母親は誰なのかというのも謎。ルネ自身も語らない。誰も聞けない。アダムも無理には聞かない。ただ、猫を飼っていたり(作中ではペットを飼うのは法的に禁じられているので、アダムも大興奮)、里親に出している娘を何よりも大事にしていたりと、読者の心をくすぐる可愛さが滲み出てくるのは嬉しい。
この二人のコンビを中心に物語は進んでいく。一巻はややスローペースで、実際にダイブするまでがものすごく長かったが、後半は一気に読者を引き込んでくる。根絶されたはずの「眠り病」が再び流行り始めたのはなぜか、しかも一度治療しても再発するタイプに進化?しているのはなぜか、流行の裏には組織的な陰謀があるのか……謎また謎の展開が連打される。CNASを含めて誰ひとり信頼できない状況で、アダムとルネは独自の行動に移ることに、という二巻後半以降の展開が激熱である。さらに三巻ではアダムの近親にも危機が迫り……やや古めかしいタッチの画風(80年代風?)で、アクションシーンは弱いが心理描写は抜群。個人的には、清水玲子の『秘密 -トップ・シークレット-』をちょっと思い出しました。
海外ドラマ好き、刑事ドラマのバディ物好きな人はきっと楽しめる作品だと思います。とりあえずお試し読みだけでもどうぞ。
新装版 秘密 THE TOP SECRET 1 (花とゆめCOMICS)
- 作者: 清水玲子
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2015/12/18
- メディア: コミック
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2017年新刊回顧③
一か月ぶりの2017年新刊回顧第3回です。そろそろランキング本も出ますので、動き出したいと思います。詳細は第1回および第2回をご覧ください。
今回は、10位から6位までを見ていきます。
第10位:マイケル・イネス『ソニア・ウェイワードの帰還』(論創海外ミステリ)
マイケル・イネスは、英国ミステリ黄金時代後期に現れた「大学教授」ミステリ作家の一人で、ユーモラスなキャラクター造形とジャンルの枠を越える大胆さを併せ持つ、個人的に非常に好きな作家の一人です。2005年前後のクラシック・ミステリブームの中で代表作が各社から一気に6作翻訳されましたが、「なぜか」その後翻訳が途切れてしまいました。本書は、『霧と雪』(原書房)以来9年ぶりとなる翻訳で、作者のキャリアの中では後期に属する作品です。
著名なロマンス小説家の妻をうっかり殺してしまった男が、その死を隠蔽するために様々な工作を働かせるがなかなか上手くいかず……というのが本書の主な筋です。ただし、「犯罪者の心理を描く小説」とか「隠蔽工作を解き明かす名探偵が登場する小説」とかではまったくなく、むしろドタバタの中に見られるおかしみが中心となります。
妻の代わりにロマンス小説を書こうとしてはその浅薄さに悩み、むしろロマンス小説のお約束を取り込んだ骨太の小説を書き始めてしまったり(編集者には新境地!と称えられます)、妻そっくりの娼婦を替え玉にしようとして上手くいかなかったり(『マイ・フェア・レディ』ですし、その元ネタの『ピュグマリオン』でもある)、とさりげなく繰り出される教養の太さが、もはやイヤミにすらなっていないのが最高。
まだまだ未訳の秀作が残っているので、続けて翻訳されてほしい作家です。
9位:M・J・カーター『紳士と猟犬』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
東インド会社によって支配された時代のインドを舞台にした歴史ミステリです。19世紀中盤のインドの風景描写がずば抜けていて、同種の作品群では頭一つ抜けています。向こう見ずで上昇志向の強い若者と、元エリートながら夢破れた中年男性のバディものでもあり、完成度は非常に高いです。
イギリスから赴任したばかりの軍人でインドのことをろくに知らない、読者に近い立場の主人公エイヴリーが、「ブラッドハウンド」と呼ばれるブレイクとともに、行方をくらました詩人を探して様々な冒険を繰り広げる中盤までももちろん楽しいのですが、むしろその真骨頂は終盤、作品全体に張り巡らされた伏線が回収され、物語の様相ががらりと変わることにあります。個人的にこの展開には、ジョン・ディクスン・カーの歴史冒険活劇の傑作『喉切り隊長』(1955)を思い出しました。
歴史好きにはもちろん、「面白い小説を読みたい」という向きには躊躇なくオススメできる逸品です。
8位:メアリ・スチュアート『霧の島のかがり火』(論創海外ミステリ)
メアリ・スチュアートの名前を聞いて、何らか反応のある読者は非常に少ないと思います。かつて世界ロマン文庫において『この荒々しい魔術』が丸谷才一の訳で紹介され、また児童書が何冊か翻訳されている(そのうちの一つ『メアリと魔法の花』が、今年映画化されて話題になりました)作家ですが、日本での知名度はほぼゼロ。ただ、個人的には『アントニイ・バークリー書評集』の中で、「一際優れた物語作家」と紹介されていたこともあり、以前から注目していました。今回翻訳が出たのは大変喜ばしく感じています。
本書は、イギリス北部にあるスカイ島を舞台に展開されるロマンス小説です。かつてモデルとして持て囃されたものの、虚無感に囚われて仕事を辞めてしまった主人公が、旅先で出会った男と、なぜか島を訪れていた元夫との間で揺れ動く……と書くとあまりにも典型的に見えますが、個々の人物・風景の描写やフレイザーの『金糸篇』を踏まえた物語の展開は無理がなくまた知的で、読者を圧倒します。特に、物語の中心になる山麓の描写は神秘的ですらあります。
謎解きに関してはやや安直な部分もありますが、総合的な完成度は非常に高く、広くオススメできる作品です。ミステリの読者にもロマンス小説の読者にも読まれてほしい。
圧倒的なストーリーテリングの才で読書人の高い評価を欲しいままにする才媛の最新作です。1930年代にイギリスの片田舎の貴族の屋敷で起こり、結局解決することのないままになってしまった「赤ん坊失踪事件」の謎に現代の刑事(ある事件で失敗し、強制休職中)が挑むという作品で、物語は現代パートと過去パート(主に作家志望の10代の少女の目線で描かれる)を交差させる形で進行していきます。
本作では、良くも悪くも「思考のバイアス」が物語を牽引する重要な要素になっています。「絶対に○○に決まっている」という登場人物の決めつけが物語の筋を捻じ曲げ、一言確認すれば解決したかもしれない問題を大いなる謎にしてしまうことがしばしば(もちろん性格的に難しいと伝わるように書かれているのですが)ですし、逆に客観的に見られる人物により視点人物の性格的な偏りが緩和され、謎も一緒に解決するというのが作劇上重要な要素になっています。そこを「作家の腕力」と見るか「強引な展開」と見るかで、本書の評価は割れると思います。
とまれ、本書に高い評価が付く理由の一つが、過去パートにおいて「湖畔荘」が湛える瑞々しい美しさであるというのは間違いありません。そこだけでも十分に読む価値のある作品と言えるでしょう。
6位:ビル・ビバリー『東の果て、夜へ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
ここからこのミスランキングの個人投票内容のネタバレになります。
既に多くの識者によって評価されている傑作ですが、正直、本編を一度通読したのみで全てを理解するのは難しいと思います。私もそうですが、巻末の諏訪部浩一氏の解説を読んで、改めて本書を見直すことで評価が変わる部分がかなりありました。kindle版は見ていないので分かりませんが、出来れば解説もしっかり読んでほしいです。
本書は、マフィアの親分に、ある人物を殺してくるように命じられた少年が、ティーンにして既に殺し屋である弟やちょっとオタクっぽい仲間、兄貴分の男とともに旅に出るという話なのですが、その実、あらすじから想像できる内容とはかけ離れた内容となっています。何しろ、ビルドゥングスロマン的な要素はほとんどなく、また命じられた暗殺自体も、物語の核心からずれた部分にあるのですから。「与えられた物語に自分の知る定型をあてはめて読み始めることに慣れた」手練れの読者ほど、まず首を傾げるのは必然だと思います。
この物語の核にあるものを短い文章に換言することは難しいのですが、一つ重要なのは物語の冒頭で少年が「何か」を失ったことです。「自分の仕事」である麻薬吸引所の見張りの統括、普段なら問題のないそれになぜか失敗したことで、見も知らぬ少女が一人死んだ。詳細が語られることのないこの小さな死をきっかけに、何となく生きてきた少年の「何か」が決定的に変わります。その「何か」を「人生」と呼んでいいのか、安直ではないかと不安になりますが、作者の書きたかったことはこれなのではないかという手触りが、自分の中にはあります。ただ、ストーリー上「少女の死」が大きくフィーチャーされることがないので、常に違和感があるのですが。
個人的には非常に好きな小説なのですが、「これ」という決定的な言葉を提示できない力不足が悔しい、そんな作品です。
本企画については、明日、5位から1位を上げて完結の予定です。お楽しみに。
2017年新刊回顧②
2017年新刊回顧第2回です。詳細は以下の第1回の冒頭をご覧ください。
今回は、15位から11位までを見ていきます。
15位:ラグナル・ヨナソン『雪盲』(小学館文庫)
北欧ミステリの変わり種。アイスランドの片田舎の警察に就職してしまった主人公アリ=ソウルが出会う様々な事件、そして人々を描く作品です。
雪の中で倒れた女、強盗に襲われた老女、そして劇場で殺された嫌われ者の男。描かれる三つの事件を一つに結びつけるヒントは一冊の本に。細かに配された伏線をしっかりと回収しつつ、まるでクリスティーのように「見えない、あからさまな手がかり」で読者を驚かせる謎解きミステリの佳品。次の翻訳はシリーズ第5作だそうですが、大切に育ててほしいシリーズです。
14位:オマル・エル=アッカド『アメリカン・ウォー』(新潮文庫)
22世紀の歴史家が、21世紀末にアメリカ合衆国で起こった「第二次南北戦争」を、ある人物に焦点を当てて辿って行くという架空歴史ものです。
この「第二次南北戦争」は決して絵空事ではなく、現在のアメリカの状況に照らしても「十分にありうべき未来の一つ」として捉えることが出来るifとなっています。その意味で本書は現実に対する警世の書ですが、同時に人間がありのまま生き、そして何の意味もなく死んでいく世界を見つめた、生命賛歌の書でもあります。大変面白い。
13位:アーナルデュル・インドリダソン『湖の男』(東京創元社)
アイスランドを代表するミステリ作家のシリーズ第六作(翻訳は四冊目)。地殻変動により湖の底から発見された骸骨と、謎の「盗聴器」を巡る物語です。
本書で描かれるのは、冷戦下のヨーロッパにおけるアイスランドの立ち位置と、若者たちの踏み躙られた人生です。社会主義の理念に情熱を傾ける彼らが突きつけられる失望と怒りは、何十年経とうが風化し消え去ることはないという事実を否応なく思い出させてくれる。圧倒的なリアリティで迫る本書は、傑作『声』(東京創元社)と比べても遜色のない、稠密に「思い」を描いた作品です。
12位:ロバート・クレイス『約束』(創元推理文庫)
本作は、『サンセット大通りの疑惑』(扶桑社ミステリー)から実に17年ぶり、パイクメインのスピンアウト作品『天使の護衛』(RHブックス・プラス)から見ても6年ぶりに刊行された、エルヴィス・コール&ジョー・パイクシリーズの第16作です。
コールとパイクの掛け合いは20年越しでもぶれず歪まず。本書ではそこに、パイクの傭兵時代の仲間で、情に厚いがそれを恥じている「含羞の男」男ストーンが絡み、実に安心して読めるエンタメに仕上がっています。『容疑者』(創元推理文庫)でメインを張った警察犬マギーと相棒スコットのコンビ(と愛すべき教官殿)もサブキャラとして登場し、ファンを楽しませてくれます。是非、シリーズ過去作も紹介してほしい!
11位:ボストン・テラン『その犬の歩むところ』(文春文庫)
本書についてはこちらでも言及しました。端的に言って本書は、(既訳の『神は銃弾』など以上に)まったく好みが割れる作品だと思います。ごく普通の犬であるはずのギヴが辿った数奇な運命と奇蹟としか言いようのない出会いとを、イラクの帰還兵である青年が「語り継ぐ」という本書の形式は、イエスの生涯や言行を「新約聖書」という形で残していったのにも近似する、「アメリカの神話」であるからです。
イラク戦争、911テロ、カタリーナ台風。21世紀に入ってからアメリカ合衆国の人々は大きな喪失をいくつも味わいました。この物語を通じて作者が優しく触れていくのはそういった疵の数々です。決して忘れてはならない、しかしいずれ癒されるべき痛みをギヴが受けた苦しみに重ね、そして感動へと昇華する物語は、どうしようもなく陳腐で、ある意味では傲慢です。しかし、作者の手筋はあくまでも真摯であり、私にとっては乾いた喉を潤す清水のように滲みるものでした。読まれてほしい、でも受け入れられないのも理解できる。そんな一作。
思い入れのせいか、段々文章が長くなってきますね。無理からぬことですが。次回は10位から6位までを掲出します。来週のどこかで投稿出来ればと思いますので、少々お待ちください。
2017年新刊回顧①
いよいよ2017年も終わってしまいましたね。正直なところ主にスマホゲーの影響で、今年は全然新刊が読めておらず、なんとなく心苦しい気持ちです。翻訳ミステリは50冊前後ですね。これほど読まなかったのは十年ぶりくらいかも。
そんな少ない冊数でも、「このミステリーがすごい!」他のランキングに投票する本は選ばなければなりません。そして選んだら選んだで、「これしか選べなかった」「しかもコメントがこれしか書けなくて何一つ表現できない」と苦悩することしきり。
ということで、「このミステリーがすごい!」基準(=面白かったかどうかの一点)で20位まで選び、ちょいちょいコメントを補足することにしました。と言っても、下位から埋めていくので、自分が投票したところまで辿りつくのはまだまだ先になりますが。なお、本ブログ内で触れた内容と重複する可能性もありますが、お許しください!
20位:サビーン・ダラント『嘘つきポールの夏休み』(ハーパーBOOKS)
夏の大当たり本です。新幹線出張でお世話になりました。それにしても、このレベルのお気に入り本でも20位なのか。今年の新刊のレベルの高さが分かりますね。
主人公のポールが獄中で書いている手記、という体裁で物語が進んでいきます。自らのクズぶりをひけらかす異常者の語りにつられて読み切った時には、実にゲンナリした表情になること間違いなし。変な期待をあっさりと裏切る、軽妙な良作。
19位:エーネ・リール『樹脂』(ハヤカワ・ミステリ)
2016年にガラスの鍵賞を受賞した、今時びっくりするほど薄手な北欧ミステリの秀作。今年はその前年に受賞したトマス・リュダール『楽園の世捨て人』も出ましたね。
大切なものを何一つ失いたくない、という考えに取りつかれてしまった男の物語です。琥珀に閉じ込められた虫のように、読者もまた彼の脳内に閉じ込められてしまうかのような独特の読中感が凄絶です。これしかないという結末にピタリと収まるのも高得点。
18位:エリス・ピーターズ『雪と毒杯』(創元推理文庫)
歴史ミステリの名手、エリス・ピーターズの初期作にして、謎解きミステリの文法に忠実な良作。雪に閉じ込められたホテルといういかにもな状況を上手く使っています。
本書の特徴はむしろ、その香気高いロマンス小説要素の「ねじれ」にあります。自分が好きになった男のためにどこまでも身を張れるヒロインは、むしろ主人公気質のようにも。大団円で明らかにされる謎解きそのものは緩めですが、楽しく読める作品です。
17位:デイヴィッド・ドゥカヴニー『くそったれバッキー・デント』(小学館文庫)
「新刊を読む」ことを自らに課していなければ絶対に巡りあえない本が例年何冊かありますが、これもその一つでした。作者は「Xファイル」のモルダー捜査官役の人です。
弱小球団ボストン・レッドソックスの大ファンである父親と、そのダメ息子の物語。肺ガンで死期間近の父にレッドソックスの勝利を捧げたい息子が奔走する物語と脇筋が見事に照応し合い、圧倒的なリーダビリティとして昇華されています。必読の一冊。
16位:ローリー・ロイ『地中の記憶』(ハヤカワ・ミステリ)
2016年エドガー賞受賞作。前二作の時点で分かっていましたが、やはりこの作家は地力が違います。地に足のついた物語を書いてここまで読ませる作家はなかなかいません。
「地下に埋められたものにまつわる想念が、地上に対して影響を与える」という考え方に貫かれた本作は、16年の年月を挟んで「何が起こったのか」「何が起ころうとしているのか」という謎が極点に向かって緩やかに崩壊していきます。一見地味ですが、読者の脳裏に取りついて離れなくなる傑作だと思います。ただし、今年基準だと16位。
本当に何度でも書きますが、今年は中堅どころのレベルが高すぎる。上位五冊はあっという間に決まりましたが、それ以下が完全に団子状態です。嬉しい悲鳴! 次回もできるだけ早めにアップする予定です。少々お待ちください。(5位以上はさすがにこのミス発売後にしておくかな……)
CADS76号到着
ここもとtwitterの知り合いが次々にブログを立ち上げては真面目な書評を掲出しまくっている(毎日更新は偉い)ので、私もふと更新を考えました。しかし最近は新刊すらまともに読めておらず(仕事が忙しいのではないですが)、諦めかけていたところで、面白いものが到着しましたので、ご報告も兼ねて更新することにしました。
CADS(Crime and Detective Stories)とは英国の伝統あるミステリファンジン、ようするに同人誌です。EQFCとか、SRの会とか、ROMとか、日本にも恐ろしく濃い衆が集まって同人誌を刊行しているサークルがありますが、それらと同列、いやあるいはそれ以上のハイパークオリティで不定期刊行を続けているとのこと。
中の人(ジェフ・ブラッドレイさん)が相当アナクロな人であるらしく、CADSにはホームページすらありません。お申込方法は「ジェフさんに直接メールを書く」の一手のみ。英語自信ないニキの上コミュ障の私に、ゼロ面識の人にいきなりメール書けってか……と、これまでは腰が引けていましたが、ふとtwitterで「CADSってどうやって申し込んだらいいんすかね」とガバガバにもほどがあるツイートをしたところ、親切な方が「注文用の例文付けてあげるから、これだけ送ればOK」と教えてくださり、ヒョウ、優しい人もいるもんだ!と即注文いたしました。
で、大体1週間くらいで到着。航空便で11ポンドということは、大体2000円くらい。まあこんなもんでしょう。同人誌だからね。
で、肝心の内容について。
巻頭を飾るのは、トニー・メダウォー(バークリーのThe Avenging Chance~とか、最近コリンズ社が刊行し始めたクライム・クラブ・クラシックの序文書いてる人)の、セイヤーズの手稿を調査した結果報告。これを読みたくて買ったようなもんです。完成作品と言えそうなものは "The Locked Room" という一編のみ(しかし、ピーター卿が密室ミステリに挑戦する作品なら読んでみたいかも)。他は、既存の作品の下書きが多かったようですが、こういう調査するのって楽しそうだよね。英国人に生まれたかったかも、と思う瞬間です。注釈もかなり細かく付けられており、完全に論文の体でした。
他、ピート・ジョンソンによるアンドリュウ・ガーヴ紹介(『落ちた仮面』、『モスコー殺人事件』と、後期の未訳作を中心に紹介。それにしても、日本では代表作とされる『ヒルダよ眠れ』がまったく出てこなかったのは興味深いですね)、B・A・パイク(この人も色々なクラシック・ミステリの序文で見かけます)による、H・C・ベイリーの短編集紹介(これはシリーズものらしく、今回は第11回で、This Is Mr. Fortune という1938年の作品集を紹介しています。残念ながら全編未訳)、1990年代の割と新しい作家を紹介する記事が二本、短命に終わったミステリ小説雑誌を紹介する記事、ヒラリー・ウォーをシリーズキャラクターを軸に紹介する記事、などなどなど読みどころ満載でした。私もパラパラ見ただけで全然精読してませんが、皆さん熱気に満ちていていいことだ。
それにしても、「CADS会員が関わった評論本レビュー」のコーナーが熱い。マーティン・エドワーズの二冊(『100冊で振り返る古典ミステリの世界(仮)』と『探偵小説を真剣に―ドロシー・L・セイヤーズ書評集(仮)』)には、「こいつはすげえぜ全員買おうぜ!」と燃えるような筆致で書かれておりました。私も早く読まんとな。
ちょっと面白かったのが、新刊レビューコーナーに大阪圭吉 The Ginza Ghost の長文書評が載っていたこと。我らが圭吉さんを現代のエゲレスの人はどう評するんだ、と眺めたところ、「「灯台鬼」はお気に入りの一作」とか「「寒の夜晴れ」は不可能犯罪ものの秀作」とか「「坑鬼」は集中最も長く、また優れた作品」とか、洋の東西を超えたシンパシーを禁じ得ませんでした。最後のワンパラグラフをざっと紹介しますと、「総合的に見て本書は優れた短編集であり、ぜひ読むべきだ。大阪はいくつかの作品で同様のトリックやテーマを使いまわしているけれど、読み終わるまでそのことに気がつかないほど熱中させられた。いくつかの解決は、優れて想像力に富んでおり、この時代の日本でこれほど西洋的な考え方が受け入れられていたことには驚きを覚える。また、伝統的な英米のミステリとはまったく異なる「他者性」をいくつかの作品で感じた。大阪が若くして亡くなったのは大変残念なことだ。いずれ彼の「HONKAKU」作品が翻訳紹介されるだろうが、その時を首を長くして待っている」……おお、ニック・キンバーさん。顔も知らなければ名前も今日初めて知ったほどだけど、あんた僕らの仲間だよ。
次はもうちょっと早く更新します。
The Ginza Ghost (English Edition)
- 作者: Keikichi Osaka
- 出版社/メーカー: Locked Room International
- 発売日: 2017/05/29
- メディア: Kindle版
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The Story of Classic Crime in 100 Books
- 作者: Martin Edwards
- 出版社/メーカー: Poisoned Pen Pr
- 発売日: 2017/08
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皆川博子『U』を読む
皆川博子が「オール讀物」で連載していた作品『U』が、先月発売号で完結したので読んでみました。
2016年10月号から2017年8月号までということで、全11回の連載になります。一回当たり平均して16ページ程度の分量で、一ページの文字数は1200文字くらいですから、単行本にすると300ページ弱となります(ここから大幅な加筆が入る可能性はもちろんありますが)。近年の皆川博子の長編の平均からすると、かなりコンパクトにまとまった作品と言えるでしょう。
前置きはさておき、あらすじ紹介に移りたいと思います。この作品では、大きく二つの物語が絡み合うように進行していきます。
「U-Boot」という章では、1915年、英国海軍に鹵獲されてしまったUボート(U13)を、機密保持のために自沈させるという決死の作戦に志願した兵士、ハンス・シャイデマンを回収するために英国領海内に侵入したUボート(U19)に乗り込んだ男、ヨハン・フリードホフを中心に物語が描かれます。海軍大臣ティルピッツの記憶が正しければ、50年前からほとんど姿形が変わっていない王立図書館の司書ヨハンは、その出立の前にティルピッツにひと束の手稿と鍵を手渡します。自分が死んで戻らなかった場合は、この原稿を私家版として出版し、王立図書館に一冊納めてほしい……自分は書物であり、書物から生命を分け与えられた人間は老いることがない、と称するヨハンの謎めいた依頼を、ティルピッツは受け入れます。
続く「Untergrund」という章で、しかし物語はがらりと様相を変えます。舞台は1613年、オスマン=トルコに支配されたハンガリーの地。強制徴募(デウシルメ)によって、白人奴隷(イェニチェリ)となるべく運ばれていく少年たちの中にいた、マジャール人で零細貴族の息子ヤーノシュ・ファルカーシュ、ザクセン人で商人の息子のシュテファン・ヘルク、そしてルーマニア人の孤児ミヒャエル・ローエの三人は、歴史の暴風雨へと否応なしに巻き込まれていくことになります。皇帝アフメト一世にその才と美貌を見出され、宮廷内で働く高級奴隷へと育て上げられるヤーノシュと、彼とは対照的に戦士としての鍛錬を続けるシュテファンとミヒャエル。イスラム教徒へと改宗させられながらも自国への帰還を夢見る彼らの運命は如何に。
さて、この「Untergrund」の物語は、ヨハンがティルピッツに託した手稿に書かれたものです(つまり作中作)。この手稿は、ヨハンとハンスの二人で書き継いだものであり、彼らは自らこそヤーノシュであり、またシュテファンであると名乗ります。300年以上の年月を経てなお生きている(と自称する)彼らの希望と絶望とが、現在と過去が交差するこの物語では主旋律となって描かれていく訳です。
この作品の大きな美点は間違いなく、17世紀初頭の絢爛豪華にして退廃的なオスマン=トルコの宮廷生活と、戦士たちの生活とを描いている点にあります。入念な調査の跡が垣間見える細かな描写を重ねながら、悉く初めて尽くしとなる異教徒の少年たちの驚きや悲しみ、そして芽生えた虚無を描きつくそうとする、作者のまるで変わらぬ意気込みが感じ取れる点はファンとして大変嬉しいところです。なお、主人公たちの主君に当たるアフメト一世、またその後継者であるオスマン二世は史上重要な業績を残した皇帝ではありませんが、その資料の少なさという間隙を突いて架空の登場人物群を滑り込ませていく手際は流石というほかありません。
なお、1915年のパートでは、ヨハンのほかにもう一人、語り手となる人物が登場します。ハンスの友人で19歳の青年兵ミヒャエル・ローエは、陰鬱と抑制の色が濃いヨハン=ヤーノシュの語りを吹き飛ばす若さと熱が籠った語りを繰り広げ、物語が崖下へと転がり落ちないようにバランスを維持してくれています。この青年もまた、数奇な運命に囚われた物語の奴隷なのですが、その詳細はいまのところは黙することにしておきましょう。
そしてこの奇妙な物語は、ある結末へと辿りつきます。それは不老者たちが彷徨する、岩塩鉱の闇という終わりのない絶望か、あるいは彼らが世界に残した一抹の光か。読んだ人同士できっと話をしたくなる、巧みな演出をお楽しみください。
なお、最終回の末尾に付けられたコメントによれば、本作は2017年11月に文藝春秋より刊行予定とのことです。乞うご期待。
社畜読書日録20170624(西千葉猟書編)
久々に古本ツアーなるものをやってみたくなったのである。
しかしながら、中央線沿線や神保町はありふれすぎてつまらない(実際行けば買うものもいくらも見つかるでしょうが)。
滅多なことでは行かない東東京・西千葉を攻めてみることにした。
土地勘(というか古本屋勘)がまるでないので、エリアの主たる猟奇の鉄人さんに夜10時過ぎに助けを乞う(という外道ぶりを発揮)と、翌朝長文のDMでお返事が! 優しい! 同じく東を目指す小野家氏とともに、「猟奇の鉄人街道」を行く旅が始まったのであった。以下購入物件。
片岡義男『狙撃者がいる』(角川文庫)¥108
松本清張『張込み』(新潮文庫)¥108
杉本苑子『開化乗合馬車』(文春文庫)¥108
山田風太郎『厨子家の悪霊』(ハルキ文庫)¥108
仁木悦子『石段の家』(ケイブンシャ文庫)¥330
陳舜臣『幻の百花双瞳』(徳間文庫)¥100
結城昌治『エリ子、十六歳の夏』(新潮文庫)¥100
小杉健治『犯人のいない犯罪』(光文社文庫)¥100
山村正夫『卑弥呼暗殺』(ケイブンシャ文庫)¥100
dハワード・エンゲル『自殺の街』(ハヤカワ・ミステリ文庫)¥108
dハワード・エンゲル『身代金ゲーム』(ハヤカワ・ミステリ文庫)¥108
dマーガレット・ミラー『マーメイド』(創元推理文庫)¥108
森雅裕『さよならは2Bの鉛筆』(中公文庫)¥200
dロバート・クレイス『モンキーズ・レインコート』(新潮文庫)¥108
ジョン・バンヴィル『海に帰る日』(クレスト・ブックス)¥200
dパトリシア・ハイスミス『プードルの身代金』(扶桑社ミステリー)¥108
dロバート・クレイス『ララバイ・タウン』(扶桑社ミステリー)¥108
dイアン・マキューアン『イノセント』(ハヤカワ・ノヴェルズ)¥200
dイアン・マキューアン『セメント・ガーデン』(ハヤカワ・ノヴェルズ)¥200
d瀬戸川猛資『夜明けの睡魔』(創元ライブラリ)¥108
シオドア・スタージョン『時間のかかる彫刻』(創元SF文庫)¥108
いやー買いも買ったり21冊。楽しかった! 中盤やや購入ペースが落ち込むも、終盤の怒涛の追い上げでこの冊数。翻訳物はほとんどダブり掴みだが、これはいさ仕方なし。先日も『モンキーズ・レインコート』をゲットしたロバート・クレイスは布教セット用として見つけ次第常に確保するようにしているもの。新刊の『約束』で「ようやく」シリーズ人気に火が付いたか、amazonのマケプレ価がいささか残念なことになっているが、俺も転売屋に身をやつしてみようかね(冗談)。
陳舜臣『割れる』(角川文庫)を読んだ。
この作品は古くは大学サークルにいた頃から薦められていたのになぜか読まなかった本。それにしても、俺にこの本を薦めた人は、俺がお返しに薦めた本を読んでくれただろうか。謎。
神戸で中華料理店を経営する華僑、陶展文が探偵役を務める本書は、トリックそのものはごくシンプルだし、伏線の丁寧な配置も含めて「何が起こっていたか」を読者も見破りやすい作品である。しかし、丁寧な回収によって一切の過不足なく、綺麗に事態を解き明かして見せる手際はずば抜けて素晴らしい。結末において、作中出てきた「真っ二つに割れる」という言葉の意味を理解した瞬間、「あっあー」と一瞬言葉を失うことは疑いなし。ケレンもハッタリも不要、ただ推理小説を読む喜びを思い出させてくれる一作。