深海通信 はてなブログ版

三門優祐のつれづれ社畜読書日記(悪化)

社畜読書日録20170528

何が悲しうて労働日である。しかも朝が早い。その分帰りも早いので、久々に(といっても先週の土曜日以来だから最近だ)西荻窪盛林堂書房へ。大して買わない客で申し訳ないが、店長さんとやるかもやらないかもしれない同人誌の企画で盛り上がる。

・俺的〇〇年代ミステリ傑作選(30年代とか選びようがないですって~)
・架空〇〇年代ミステリ傑作選(植草甚一なら、瀬戸川猛資ならこう選ぶかも~のような遊び)
・論創海外ミステリ読書ガイド(200冊記念とかで誰かがやったら買うが、誰がやるんだ誰が……)

他、論創の近刊である『鉄路のオべリスト』/『鮎川哲也探偵小説選』の話(日下さんの解説を読みたい/鮎哲訳の海外短編セレクト法/鮎川哲也旧蔵書の行方……)など。相変わらず行くとためになるお店である。結局買ったのは以下二冊。

ジャック・フットレル思考機械の事件簿Ⅰ』(創元推理文庫)\100
ジェイムズ・E・ケイランス『ジョン・ディクスン・カーの毒殺百録』(本の風景社)\4,000

カー私家版評論本はS・T・ヨシの『ジョン・ディクスン・カーの世界』や、『ジョン・ディクスン・カー ラジオドラマ集』など、結局全部盛林堂書房で買うことになった。ラジオ・ドラマ集はCDの方、ヨシ本は部数限定のおまけつきと、日本に数十点くらいしかない方を買えているので、大変良いお買い物でした。ただし値段も相応(盛林堂書房は大変良心的だが)。

家に着いたらamazonで買った洋書が二冊到着。当初の予定よりも10日近く早く届く。うーむ、こうなるとますます洋書を買うハードルが下がるな。

George Bellairs The Dead Shall Be Raised / The Murder of a Quack \1323
J. Jefferson Farjeon The Mystery in White \1340

今回買ったのは長編翻訳企画用だが、電子書籍では分からぬ分厚さにめげかける。ブレアズはどちらかだけになるかも。

 

今日の読書感想は、アガサ・クリスティー『スタイルズ荘の怪事件』(アガサ・クリスティー文庫)です。古典づいている。
真実を突き止めるまでは多くを語らないポアロが何気なくこぼした内容が、ヘイスティングズ(≒読者)の思考を惑わせ、操るようにも読めるのが面白い。犯人側の策略と他の人物たちの思惑と、そしてポアロがそれに輪をかけて巡らす謀略とが噛み合って、意外な真相へと至る。大変お手本的な作品だと思う。さておき、登場人物たちの階級意識とかまで踏まえて読むとさらに面白いという話なのだが、難しいですね。読書会までには原文にも目を通しておかないと。 

スタイルズ荘の怪事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

スタイルズ荘の怪事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

社畜読書日録20170527

ツイッターだと残らない日録的なものを書いてみようかと思った。今回は果たして何日続くか。

折角の休みだが、出かける気力がまるでないのは人として終わっている。どうせ明日は朝早くから出勤だし、飲みに行くのも億劫だ。そういうことでその辺にある読みかけ本を片端から読んでみる。『ローマ帽子の秘密』(読書会用)、『スタイルズ荘の怪事件』(読書会用)と、結局読書会用の本しか読んではいないのだが。クイーンについては、弘前読書会のために『中途の家』を読むことになっているので、それまでに国名シリーズを全作読み返そうかな、とふと思った。それにしても、なぜ角川は電子版を取り下げてしまったんだろう。
冷蔵庫に何もないので晩御飯の買い物に行くついでにポストを見たら献本あり。

dジャック・ヴァンススペース・オペラ』(国書刊行会)(←白石朗様、ありがとうございます!)

d、つまりダブりだ。昨日会社帰りに買ったの……落ち込んでも仕方がないので、そのうち若い衆に布教する。本当に布教したい「魔王子シリーズ」はあまりにも見ないのが残念。

 

読書感想がメインコンテンツのはずなので、エラリー・クイーン『ローマ帽子の秘密』(角川文庫)をば。
新訳国名シリーズ第一作。クイーンは好きな作家だが、多くの作品が中学生の時に読んで、それ以来一度も再読していない。このローマも未再読組の一冊。「初期クイーンは面白くない」という話がツイッターで回ってきたが、果たして本当にそうだったか自信がなく、口を挿めなかったというのが今回の再読の発端。
で、実際に読んでみると、いくつか気づきがあった。
まず捜査を描く際のテンポの良さ。ローマ劇場で毒殺死体が転がる発端から、「警察到着、クイーン警視到着、エラリー到着、現場調査、関係者尋問……」と流れるように捜査が進行する。途中、帽子についての議論などを挿むなど、単調にならないようにポイントを押さえたストーリーは、優れた訳文も相まってすらすら読める。「情報を①集めて②整理して③評価して、次の捜査へ進む」流れができているので読みやすい。クイーン警視の捜査とエラリーの論理が両輪となり、「劇場内から帽子を持ち出すことができる人間は論理的に考えて一人しかおらず、その人が犯人であるのは間違いない」という結論に持ち込むのも好手。「読者への挑戦」に堪えうるものを用意したという気概もよし。
退屈することはないが……それでもなお面白くはない(十分面白い、という読者がいるのは分かるが)。
色々理由はつけられるが、エラリーが覚えていた以上に画面から不在であるとか、論理的には正しいが「被恐喝者」という以上には真犯人に描写がなく、逆に意外性が損なわれているとか、特殊な毒を使う犯人側のメリットが皆無(作品の要請上特殊なものでないと困るのだが)とか、まあよしなしごとにしかならんのでやめます。  

ジョー・ネスボ『悪魔の星』

読書会の課題書を読みつつ、カーター・ディクスン『かくして殺人へ』(再読)や、ダフネ・デュ・モーリア『人形』を読んだのですが、いまいちピンとこなかったので、レビューを書くのは後回しになっています。

さて、たまには数日前に出たばかりの本をほやほやのうちにレビューしたいと思います。ジョー・ネスボ『悪魔の星』は、ハリー・ホーレ警部シリーズの第5作にして、作中シリーズ「オスロ三部作」(コマドリの賭け』『ネメシス 復讐の女神』、本作)の完結編に当たる作品です。

悪魔の星 上 (集英社文庫 ネ 1-8)

悪魔の星 上 (集英社文庫 ネ 1-8)

 
悪魔の星 下 (集英社文庫 ネ 1-9)

悪魔の星 下 (集英社文庫 ネ 1-9)

 

 

本シリーズの主人公であるハリー・ホーレは、他の刑事たちを遥かに凌駕する現場捜査の経験値、優れた記憶力、そしてそれらを有機的に結び付ける論理的思考力と、様々な資質を備えたスーパー刑事です。しかし、酒のトラブルを起こしては懲戒免職寸前まで追い詰められたこともしばしば……という負の経歴も持っています。

今回彼を酒へと追いやるのは、3年前の事件で起こった同僚の刑事の死の真相をどうしても証明することができない、というジレンマです(詳細は『コマドリの賭け』(ランダムハウス講談社文庫)を参照のこと)。ネスボは何とも大胆なことに、「被害者の視点」から「何がなぜ起こったか」を既に読者に見せてくれているのですが、これにより「真実を知りたい、無念を晴らしたい」というハリーの苦しみが、さらに深い立場から理解できるようになっている、と言うのは構成の妙ですね。

前作『ネメシス 復讐の女神』で、「物語の裏側に潜む真の悪」の正体と事件の真相を知るも上司に跳ね付けられたハリーが酒に迷い、ついに警察からの退職を覚悟し、それでもなお立ち上がって繰り広げる駆け引きと同時に描かれるのが、一人暮らしの女性を狙った、と思われる猟奇殺人事件の犯人を追う捜査です。オスロ市史上でも珍しいこの種の殺人事件の真相を追う猟犬となったハリーは、同僚や部下とともに犯人のメッセージを読み解いていきます。果たして犯人の目的とは、そして意味深なタイトル「悪魔の星」とは一体何を意味するのか。

短く章を区切り、速いテンポで物語を進めつつも、随所に意外な展開をどんどん盛り込んでいく本作は、北欧ミステリ界の現役作家でも随一とされるネスボのストリーテリングの才が存分に発揮された、凝りに凝ったプロットが楽しむことが出来ます。ハリー・ホーレの「あまりにも察しが良すぎる」天分ゆえに、やや展開を急いだかに見える箇所もありますが、正直気にするほどではありません。エンターテインメントとしては十分に及第点を取れる、「巻措くあたわざる」秀作です。

唯一残念なのは、「オスロ三部作」の出発点である『コマドリの賭け』が、版元廃業により入手困難(amazonマーケットプレイスなどで高額で取引されています)であるという点に尽きます。基本的な点は『ネメシス』『悪魔の星』を読めば十分に理解できますが、「真の悪」の堂に入った悪党ぶりを存分に楽しみたい向きにはぜひ読んでいただきたいところです。同版元の刊行物としては、ルースルンド&ヘルストレム『制裁』が早川書房より復刊される運びになっていますが、ぜひこの流れで『コマドリの賭け』も復刊されてほしい(できれば集英社文庫で)ですがいかがなものか(三門優祐)。

 

評価:★★★★☆ 

 

コマドリの賭け 上 (ランダムハウス講談社文庫)

コマドリの賭け 上 (ランダムハウス講談社文庫)

 
ネメシス (上) 復讐の女神 (集英社文庫)

ネメシス (上) 復讐の女神 (集英社文庫)

 
コマドリの賭け 下 (ランダムハウス講談社文庫)

コマドリの賭け 下 (ランダムハウス講談社文庫)

 
ネメシス (下) 復讐の女神 (集英社文庫)

ネメシス (下) 復讐の女神 (集英社文庫)

 

 

ロバート・ゴダード『謀略の都』

ロバート・ゴダード『謀略の都』(2013)を読みました。

  

謀略の都(上) 1919年三部作 1 (講談社文庫)

謀略の都(上) 1919年三部作 1 (講談社文庫)

 
謀略の都(下) 1919年三部作 1 (講談社文庫)

謀略の都(下) 1919年三部作 1 (講談社文庫)

 

 

告白すると、私はゴダードのよき読者ではありません。初期の作品は何作か読みましたが、近年の作品については、たまたま図書館に寄った時に見かければ「数合わせ」という不純きわまる動機で読む(新刊書店で買うことはない)程度。ファンの人には申し訳ない。

ゴダードの最大の強みは「語り口」にある、と思っています。読者を「隠された真実を探究する旅」に巧みに引きずり込む話術は間違いなく一級品です。ただ、そこに力点が置かれているために、「重要なのは読者を引きずり回すことで、真相の意外性にはそれほど注力していない」のか?と私などは思い込んでいます。(※1)

 

閑話休題。この『謀略の都』は、第一次世界大戦終戦直後である1919年4月のパリを舞台に、外交官だった父親が「屋根から墜落」という不可解な状況で死んだことに不審を覚えて調査を始めたことから陰謀劇へと巻き込まれていく青年、ジェイムズ・マクステッド(通称マックス)の冒険を描くスリラー小説三部作の第一部です。

父親がその住居に足繁く通っていたという未亡人、秘密警察の非協力的な上級捜査官、一癖も二癖もある世界各国の外交官たち、怪しげな米国人情報提供業者、ロシアからの亡命者をまとめる組織のボスとその姪、そしてドイツ帝国の伝説のスパイマスター……マックスは父の残したわずかな情報を手掛かりに彼らの話を聞いて回り、父の秘密に少しずつ接近していきます。果たして真実は一体?

これで約750ページの小説を持たせるのだから、ゴダードの語りは極まっています。「信頼できると思った人物があっさり裏切り、怪しげな人物が一番信頼できる、こともある」ゴダードの常道プロットをフル回転させ、渋る口を時に巧みに時に無理やり開かせ、そし明らかになった真相は……え?こんなもんか?というほどあっさりしたもの。むしろその後のあっけらかんと進む第二部の方向性の方がよほど意外でした。「ル・カレばりの謀略スパイスリラー」と言うよりは、むしろ古き良き「外套と短剣」を連想させられました。

 

この三部作の翻訳はなんと今年中に完結するんだそうですが、おそらく第二部、第三部でさらに衝撃の真実(マックスの出生の秘密?)が明らかになっていくんじゃないかな?かな? 今年はあと1500ページ(推定)、ゴダードとお付き合いするのかと思うと、オラわくわくしてきたぞ?(※2)

 

※1:作品のスケールの大きさと主人公の物語の卑小さが見事に噛み合った初期作『蒼穹のかなたへ』(1990)は、個人的オールタイムベストに入る作品なんですけどね。

※2:つまり、講談社文庫から出る翻訳ものの枠が二つ減るってことDEATHよね!!!! 辛い!!!!

 

評価:(将来の期待を込めて)★★★☆☆

西澤保彦『悪魔を憐れむ』

ここもと文章を書く能力が絶滅しているのですが、せめてブログの読書感想文くらいは復調せねば、と150日ぶりくらいに更新します。

 

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西澤保彦『悪魔を憐れむ』(2016)は、タック&タカチシリーズの第10作目。シリーズ第1作の『解体諸因』が1997年の発表なので、おおまか20年に渡って書き継がれてきたシリーズとなります。 

悪魔を憐れむ

悪魔を憐れむ

 

 

本書は以下の四つの短編(二つの中編と二つの短編と呼ぶ方が分量的には似つかわしいか)を収録しています。いずれも、実に「作者らしさ」を十二分に備えた作品で、ぶれずに気持ち悪い作風には敬服を覚えるほかありません。

 

この中でも突出して気持ち悪い、それゆえ忘れ難い印象を残すのが巻頭の「無間呪縛」です。

この作品で主人公のタック(匠千暁)は、知り合いの刑事の邸宅の離れで、十三年間に渡って起こり続けてきた心霊現象、そしてそれに伴う怪死事件の謎を解明するよう求められます。とはいえ、現象を引き起こしていた原因そのものは、子供騙しと言ってもいいような機械トリックの組み合わせでしかありません。本編の眼目は「なぜ心霊現象は「続いた」のか」という動機、そしてそこから導き出される「誰がこんなことをしなければならなかったのか」という問題です。その過程で、作者は「一見まったく関係なく見える、実際関係ない事件」と、この心霊現象事件の動機をシンクロさせていきます。今回は「心霊現象が起こるまでの場繋ぎの座談として提示されたネタが実は……」というもの。心霊現象への犯人の執着以上にありえない、あまりにも強烈なご都合展開ですが、西澤ファンとしてはこの程度で驚いてはいけません。二つの事件を力業で結ぶ西澤の執念と、それに反比例するかのように現実性を失っていく犯人の動機。家父長制と母性の執着/依存、男女の絶望的なディスコミュニケーション、と西澤節をギンギンに利かせた力作なので、ファンは必読かと思われます(ファン以外は読んでも呆れるだけでしょう)。

表題作「悪魔を憐れむ」は、状況説明だらけの退屈な前半から、「指一本触れずに人を殺すにはどうしたらいいのか」というネタで悪魔的な天才犯人が喋り倒す後半まで、一貫してつまらないという、ある意味衝撃の中編です。

「意匠の切断」は、三人の被害者のうち、なぜか二人分だけ首と手首を切って展示するという犯人の謎の行動を、タック・タカチ・モブ刑事(酷い扱い)が酒を飲みながら分析する話ですが、そこに「数か月前に起こったバラバラ殺人」を持ちこむのが無理筋すぎる(作中、タカチの謎解きを聞くタック自身も不思議そうにしています)。「なぜバラバラ殺人という行動に至ったか」という道筋を説明するために引かれた補助線ですが、有効な補助線になっていないのが残念。

「死は天秤にかけられて」は、「なぜタックは七か月前に起こった自分には一切関係ないことをここまで詳細に覚えているのか」という言わずもがなの疑問に苛まれること疑いなしの迷作(書き下ろしにあたって過去作品の時系列の辻褄を合わせるために泣く泣くやった西澤先生が目に見えるよう)。「一晩のうちに(しかも1月2日に)、同じホテルで時間をずらして四人の主婦と同衾する絶倫男」というボアン先輩ならではのトンチンカンな妄想が間抜けさを通り越して笑えるコントですね。ミステリとしてはダメダメですが。

以上四編。ウサコの電撃結婚の意味不明さ(「ここで結婚させたらネタになるやん!」と思いついてしまったんでしょうね)がある意味一番面白いという、グダグダ感がある意味シリーズらしさを象徴する作品集でした。広くはオススメしません。

 

評価:★★☆☆☆

翻訳ミステリ新刊レビュー0914

シン・本格的にシン・刊極道をシン・行しないといけないのですが、いまひとつです。なお、ゴジラは観に行ってないです。

などと言いつつ、わりかし新刊と呼べそうな本を読めたので、感想を書き留めておきます。

 

○レオ・ブルース『ハイキャッスル屋敷の死』(扶桑社ミステリー)  

ハイキャッスル屋敷の死 (海外文庫)

ハイキャッスル屋敷の死 (海外文庫)

 

真田啓介氏の解説で『アントニイ・バークリー書評集』を紹介していただきました。

 

というのは笑える余談ですが、本書、レオ・ブルースの作品としてはなかなかのクセ球です。翻訳のある作品はすべて読んでいる私も、こういう切り口で来るとは予想もしませんでした。舌鋒鈍くいまひとつ要領を得ませんが……ネタばれご法度の作品ゆえ……お許しください。

困るのは未読者の方であり、こんなところに来てしまった時点で、ある程度は覚悟のある読者かとお見受けしますので、ネタばれ二歩手前くらいまで踏み込みます。本書は「脅迫」をテーマにした作品です。「良く分からないが殺意ビンビンの脅迫状を貰った」というシチュエーションに対して、消去を繰り返した後に到達する『最も意外な犯人は誰か』というのは、馬鹿馬鹿しいほど単純な謎です。解けなかった者は痴愚の名は免れぬところでしょう。ただし、それは本書においてはさほど重要ではないのです。

では最も重要な謎とは何か? それはある人物の取り続けるいかにも手緩い態度です。なぜだ?なぜ彼はそう振る舞うのだ? それが明かされる時、読者は醜い真実に直面し、あるいは彼を軽蔑するかもしれません。

ある意味において1957年の作者しか書けない、最も異色にしてさりとて直球のブルース作品です。真芯で打て。そしてお粗末なバットを折られろ。

 

○リー・チャイルド『61時間』講談社文庫) 

61時間(上) (講談社文庫)

61時間(上) (講談社文庫)

 
61時間(下) (講談社文庫)

61時間(下) (講談社文庫)

 

 残り61時間で、物語は終結する。

 

リー・チャイルドはさして器用とも言えぬ、愚直な作家です。降りかかる火の粉を払っては辺り一面を大火事にするジャック・リーチャーに惚れ込み過ぎているようにすら見えるこの作家が、本気でリーチャーを「カッコよく」描いたのが本作です。

雪に閉ざされたサウスダコタ、連邦刑務所の経営に警察が首根っこを握られた街。メタンフェタミンの密売を告発せんとする女性と彼女を抹殺せんと襲い来る殺し屋たち。それにしても裏を掻かれすぎるという事実から浮かび上がる裏切り者の気配。果たして、真犯人はアイツか?コイツか?あるいは……というジェフリー・ディーヴァーなら数十倍の分量でこっちゃんこっちゃんしそうなツイストを、まったく顧みず数行で、しかもその解決をも数行で済ませるジャック・リーチャーさん、最高。パワーこそ正義。

語りの中でみるみる減っていくタイムリミット。読者は「この勢いで時間減っていくのに話は全部収まるのか?」という正直お門違いな心配をこじらせることになるが、そこは一切問題なし。いざとなったら拳で倒す。

死ぬほど単純なエンタメです。難しいことを考えたくない今のあなたにオススメ。

 

ヘレン・マクロイ『ささやく真実』創元推理文庫) 

ささやく真実 (創元推理文庫)

ささやく真実 (創元推理文庫)

 

 それが人の口から出た言葉である限り、嘘と真実になんの違いがあるだろう。

 

マクロイは……ここもとなんでか流行っていますね。今年だけでも『二人のウィリング』(ちくま文庫)に続いて二冊目。『あなたは誰?』(ちくま文庫)や創元推理文庫の諸作品などなど、ほとんど全作品が現役で読めるというのはすごい。

ことに初期のマクロイから感じるのは(精神分析医を主人公においているからという訳ではありませんが)「ページを埋め尽くさなければ・白紙を失くさなければ」という強迫観念さえ感じる「描写」への傾斜です。それは必ずしも精神分析の用語に限らず、芸術しかり科学しかり、あるいは風景描写心理描写、果てはなんでもかんでもみっしりとページに詰め込んで、余白を許さぬ美意識に貫かれたものかもしれません。その膨大なマッスの中にこそ伏線をしっかり置いておく真摯なる姿勢は愛されるのも納得のもの。

されど本作では、それら伏線からの誤導を外しての開陳、ならびにそれらの接続による論理の構築、しかる後の消去法と繋げていく「ロジックの連鎖」がややギコチナイ。しかもそれを最終章残り7ページほどで一息にやってのけようという急ぎ足がモッタイナイ。また、消去法推理の最もやってはいけない締め方を実践しないでほしい、と祈りましたが力が足りず果たせませんでした。残念無念です。

 

次はフィリップ・カー『死者は語らずとも』を読む予定。絶対本年ナンバー10には入るものと確信しています。 

死者は語らずとも (PHP文芸文庫)

死者は語らずとも (PHP文芸文庫)

 

 

実はこのミステリーも結構すごい20XX 第0回

私が「このミステリーがすごい!!」や「本格ミステリベスト10」に個人投票権を得たのは大学時代の話だが、そう考えると新刊を読んでは読む生活を、気がつけば十年ほど過ごしてしまったことになる。

別に数読めば偉いわけでもなし、ちょっと話題に上がった新刊を10、20殺も読めば十分対応できる(実際「読めませんでした~」とかなどとコメントを寄せ、3冊くらい署名を書いて、終わり!という投票者もたまにいる)ところを50、60、時には100と読み漁ってしまったこの10年、いったい何だったんだ、という気持ちにならないでもない。

選りだした6冊がランキング上位に上がればお祭りに貢献しているように見えて良しなのだが、個人的な趣味の歪み具合から票を乱発することに定評のある私は、大抵外す。その外れたのをむしろ珍重してくださる方もいるようだが、だったらもっとコメントを書きたかった……と切に思い続けて10年である。長い。

 

今回、十年分の供養企画というか、このミス投票当時には読まなかったが後で読んだ本も含めて、ランキング外でこういう面白い本が色々あったよね、ということをちょろっと書きたくなったので、またもや終わりそうもない企画をとりあえず立ち上げてみた。

今回は、暫定版の作品リストのみ提示しておく。なお、「2006年以降刊で」「自分が面白いと思った」「でもこのミステリーがすごい!!で10位以内に入らなかった」本30冊が中心となる予定です。

 

ポール・リヴァイン『マイアミ弁護士 ソロモン&ロード』

セオドア・ロスコー『死の相続』

P・Gウッドハウス『ウースター家の掟』

カーリン・アルヴテーゲン『裏切り』

スティーヴン・ブース『死と踊る乙女』

レジナルド・ヒル『異人館

ジャン=クロード・イゾ『失われた夜の夜』

ジェフリー・フォード『ガラスのなかの少女』

クレイグ・クレヴェンジャー『曲芸師のハンドブック』

オレン・スタインハウアー『極限捜査』

ドウェイン・スウィアジンスキー『メアリー-ケイト』

ジョセフ・ウォンボー『ハリウッド警察特務隊』

エリック・ガルシア『レポメン』

ジェイソン・グッドウィンイスタンブールの毒蛇』

ウィリアム・K・クルーガー『二度死んだ少女』

ジョー・ネスボコマドリの賭け』

ロノ・ウェイウェイオール『人狩りは終わらない』

チェルシー・ケイン『ビューティ・キラー3 悪心』

フィリップ・カー『変わらざるもの』

ロバート・クレイス『天使の護衛』

ルイーズ・ペニー『スリー・パインズ村の無慈悲な春』

ニック・ストーン『ミスター・クラリネット

ボストン・テラン『暴力の教義』

マシュー・ディックス『泥棒は几帳面であるべし』

フォルカー・クッチャー『死者の声なき声』

クレイグ・デイヴィッドスン『君と歩く世界』

トム・ラックマン『最後の紙面』

ミック・ヘロン『窓際のスパイ』

リサ・バランタイン『その罪のゆくえ』

ポーラ・ホーキンス『ガール・オン・ザ・トレイン』

 

「コレなんでランキング入らなかったんだっけ」といぶかしまずにはいられない作品から「こんなん未だに好きなのはお前だけだ!」な極度偏愛本まで色々取り揃えてお送りしようかと。よろしく。

翻訳ミステリ新刊お蔵出しレビュー 第一回

ジョン・コラピント『無実』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

ブラッドフォード・モロー『古書贋作師』創元推理文庫

ザーシャ・アランゴ『悪徳小説家』創元推理文庫

 

 唐突ではありますが、自分のモチベーションアップのために、定期的に書評を上げていく所存。可能な範囲で、最新刊+2冊をまとめてレビューします。続くかどうかは神の味噌汁。

 

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 コラピント『無実』は、デビュー作『著者略歴』(ハヤカワ・ミステリ文庫、未読)以来14年ぶりの新作だそうです。内容の過激さからどこの版元にも受け入れられず、結局カナダの小出版社から刊行されるやたちまち話題になったというこの作品(初版の古書価高くなりそう(書痴並感))は、倫理観がどこまで人間を律することができるかという点を掘り下げた作品です。

無実 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

無実 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

 車椅子生活の妻と幼い娘との生活を描いたノンフィクションでベストセラー作家の仲間入りを果たした地味なミステリ作家ジャスパー・ウルリクソンが主人公。一躍時の人となった彼の元に、「娘」を名乗る少女クロエからの連絡が入る。18年前の浅はかな恋愛ごっこ、最初で最後のセックス、その結果彼女が生まれたとしたら……果たして彼女は「本物」なのか?

 読み終わって思ったのは、色々な意味で毀誉褒貶も納得の作品だ、ということでした。妻とのセックスレスな生活を「道徳によって律する」と明言しながらも、「実娘」を名乗る少女のわざとらしすぎるほどの媚態に心乱され、「近親相姦・少女趣味」の二重の罪悪感に苛まれつつ、少女との性的な妄想を抑えられない40男をここまで克明に掘り下げたのは、(内容はさておき)確かにすごい。文章力の勝利と言っていいでしょう。

 先ほど「なのか?」と問いかける形を残しましたが、実際のところクロエは本物ではありません。主人公を社会的に陥めるためにデズという人物によって仕立て上げられた道具、それが「彼女」の存在意義でした。本作について気に入らない点があるとすれば、それは彼女の描き方です。悪意そのものであるデズにあっさり操られ、しかしジャスパーの善意に触れ、彼を騙すことに罪悪感を覚えるようになった彼女……男性にとって都合のいい「ヤれる若い女」以上の何者にもなれないクロエ。作者の無神経さの一端がここに表れているのでは?

 読者の感情の様々な側面を逆撫でしようと仕掛けられた、作者からの悪意の贈り物、それが本作です。原題Undone(『それでも俺はやってない(ヤってないとは言ってない)』と訳したい)にも、考えさせられますね。完成度の高い作品だと思います。

 

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さて、続くモロー『古書贋作師』は、自ら芸術家を称する凄腕の贋作者である主人公ウィルの一人語りを軸に進行する、奇妙な物語です。

古書贋作師 (創元推理文庫)

古書贋作師 (創元推理文庫)

 

 

 彼は、コナン・ドイルチャーチルなどの筆跡を自由自在に真似ることができる自らの能力を生かし、古書に偽の署名を入れたり、書簡を贋作したりしながらそれを売買するのを生業にしていました(父親の遺産で金はうなるほど持っているので、それほど働く必要はない)。ところがあることがきっかけで罪を暴かれて刑務所に入れられ、古本仲間たちの信頼を失ってしまいました。

 物語は、そのウィルの義理の兄にあたる人物がなぜか両手を切断された状態で殺され、発見されるシーンから始まります。果たして、犯人は誰なのか。その謎を解くカギは、やはり贋作の中にありました。殺されたアダムもまた、どうやら贋作商売に関わっていたようなのですが……。

 ウィルの語りはあっちへ行ったりこっちへ行ったりを繰り返します。捜査のパートを途中まで書いては読者を煙に巻き、姿なき稀覯本ディーラー、スレイダーとの不毛な追いかけっこに淫し、カリグラフィーの専門家であった母親との過去を彷徨い、妻ミーガンとの浮世離れした生活を描き、果たして物語はどこに辿りつくのでしょうか。

 彼が終盤まで隠し通す物語の本質は、やや唐突の感が否めないものの、そこも含めて「変な話」として珍重する人も現れるかもしれません。時折差し挟まれる美文調の文章まで含めて、この本そのものがウィルという歪んだ人物をまるごと封じ込めているように思えるのも面白い。

 

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 最後、アランゴ『悪徳小説家』は、ドイツからの刺客。2016年のCWAインターナショナルダガー候補に、ピエール・ルメートル『天国でまた会おう』(ハヤカワ・ミステリ文庫)や横山秀夫『64』(文春文庫)とともに上がっている、既にして世評の高い作品です。

悪徳小説家 (創元推理文庫)

悪徳小説家 (創元推理文庫)

 

 

 世界的ベストセラー作家ヘンリー・ハイデンの秘密、それは(公式で書いてないのでやめとくか)……まあ、適当にセックスフレンドとして付き合えそうだった編集者が「妊娠した」「産むから」「奥さんと別れて」と言い始めて大変面倒なことになるというのが発端です。

 本書の魅力はハイデンという「一貫した破綻」を感じさせる人物の造形に尽きると言っても過言ではありません。彼の犯行計画はどこまでも行き当たりばったりというか、その瞬間は成り行きに任せ、あとで若干修正するという大概雑なもの。後悔しつつもあっさり切り替え、他人を気遣いながらあくまでも自分本位に生きて行かれる自由度の高さが、パトリシア・ハイスミスが愛した主人公「トム・リプリーと比較されるのも無理のないところでしょう。

 ヘンリーとその妻マルタ、出版社の社長クラウスと件の編集者ベティ、二組の男女の嘘まみれの関係が、ヘンリーがただ一つ裏切らないたった一つの真実を守るために利用し尽くされるという、「圧倒的に面白い物語」への作者の奉仕心に心打たれる良作です。今回の三作のうち、個人的ベストは本作でした。

 

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 書物を物語を生み出す人々の真実と虚構の狭間に楔を打ち込む三冊。暑い夏に一筋の清涼を送り込んでくれることは請け合い、ぜひお試しください。(三門

皆川博子全短編を読む 番外編①「フェイク世界史小説」『碧玉紀』を読む

第四回はどうした?という疑問もあるかと思いますが、うっかり番外編をやってみました。

 

皆川博子には未収録の短編が数多くありますが、長編作品にも単行本化されていない作品が一つあります。それが今回ご紹介する『碧玉紀(エメラルド)』です。

この作品は、小学館が季刊で発行していた文藝誌「文藝ポスト」に、1999年夏号から2000年秋号まで全六回に渡って連載されました。執筆順では『死の泉』(1997)の次に当たります。『結ぶ』所収の短編「火蟻」(オール讀物1998年7月号発表)などは、本作を書くための取材旅行で南米を訪れたことがきっかけに書かれた、という話を何かで読んだのですが、どこに書かれたものだったかは、残念ながら思い出せませんでした。

同時期に連載されていた作品には、火坂雅志蒼き海狼』、貫井徳郎空白の叫び』、池井戸潤最終退行』などがあります。これらの作品は連載後ほどなくして単行本化されているのですが、『碧玉紀』はなぜか単行本化されないまま埋もれてしまいました。最終回には「『碧玉紀』は本紙連載を大幅な増補の上で単行本として皆様の前に姿を現します。しばしのお待ちを!!」とあり、単行本化の予定はあったようですが……ちなみにこれも同じく連載されていた作品に山田正紀ハムレットの密室』があります。山田ファンの方はご存知かと思いますが、実はこれも単行本化されないままになっている作品として有名です。

この作品を今読もうと考えると、「文藝ポスト」を古本屋で一冊ずつ買い求めるか、あるいは国会図書館に収蔵されているものを読むか、のいずれかになります。前者は正直現実的ではないので、今回は国会図書館で全ページをコピーし、それをスキャンしたデータをひたすら読みました。分量は、A5サイズの1ページに三段組で印刷されたものが400枚。1ページ1000文字くらい、挿絵のページもありますので、一概には言えませんが、400字詰め原稿用紙で1200枚くらいでしょうか。

 

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さて本筋。

最初の「罌粟」の物語は、1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦がまさに決行されている当日、ドーバー海峡を見下ろせる丘が舞台となっています。このシーンではPK(ナチスドイツの宣伝中隊)の服をまとった隻眼の男が、重傷を負ったヒトラー・ユーゲントの少年兵と出会い、元映画館と思われる廃屋で治療を施しながら、フランス映画やアメリカ映画について語りあうという内容です。

ところが次の章は「」。「罌粟」の物語とは遠く離れた地南米の「神聖ゲルマニア帝国」、その中にある「ヴァチカン公国」を舞台に進行します。この「帝国」は20世紀末から21世紀にかけて、イスラム勢力がヨーロッパへの進出を果たし、英国(「大英共和国」)を除くほぼすべての国を支配した時に、それに対抗する形で南米に成立したナチスドイツを精神的基盤とする国家、という設定になっています。まさかの遠未来、まさかのSF。

「砂」の物語は、①「ヴァチカン公国」の教皇の視点と、②「大英共和国」からやってきたフリージャーナリスト、ジョン・マッキンタイアの手記の二つから主に描かれていきます。神の意志の元抹殺しなければならないと伝えられている「少年」が旧大陸で確保されたこと、ジャングルの奥地に住むという「タマゴ女」が下流に流れ着いたこと、宮殿内部に秘された牢獄に捕えられた「隻眼の男」の存在、またマッキンタイアが出会う奇妙な人々など、物語のキーになるものは、第一回で次々に提示されていきます。

罌粟」「砂」、この二つの物語が交互に語られていくなかで、「薔薇」「百合」「葡萄」の物語が次々に始まっていきます。「薔薇」は、ペスト禍に苦しむ14世紀のドイツのゲットーで展開され、「百合」は、アルビジョア十字軍をはじめとする異端狩りが猛威を振るった12世紀ヨーロッパを縦断し、そして「葡萄」は、1930年代と70年代のドイツでの映画製作が描かれます。いずれの時代にも現れ、子供を助け、護り、そして時には殺す「ヘル・シュトゥルム(嵐)」こと隻眼の男の存在は、最大の謎として残り続けます。時を超え大陸を超え登場する彼はいったい何者なのか?

 

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『碧玉紀』の物語の本線はここまでも書いてきたように、隻眼の男と彼の傍らに常にある少年の秘密を描き出すことをテーマにしています。しかし、本作は「フェイク世界史小説」(第一回の煽り)を自任する作品であり、単なる「歴史奇想伝奇小説」として受け取ることはできません。

本作を特異たらしめている最大の要素が「映画」です。

歳月は、捕えようもなく消える」/「ニュース映画は、<時>をフィルムに定着する。<時>は一方向に流れるのを強制的に中止させられ、停滞し、逆行する。フィルムに定着するということは、<時>を手に入れるということだ。従順に飼い馴らし、自由にあやつることだ。映画というものが発明されるまでは、<時>は、失われるものであり、私の眼底にあるものは、私ひとりの所有物であり、他に伝達することは不可能だった」(第3回、「葡萄Ⅰ」より)

そう語る「ヘル・シュトゥルム」は、作者の本作にかける哲学の代弁者と言えるでしょう。

冒頭「罌粟」に登場する「エメラルド」というフィルムが登場しますが、これは「葡萄Ⅱ」(70年代ドイツ)で作成されていた(が謎の失踪を遂げた)「はず」の映画の一部です。対して「砂」では、「隻眼の男」が所有していたというフィルムの断片が「抹殺すべき少年」を指し示す証拠として利用されますが、しかしこれまた「葡萄Ⅱ」の物語で焼失した「はず」のスナッフ・ムービーの一片と思われます。

なぜこのようなことが起こるのか、あるいは「なぜこのようなことを作劇上起こさなければならない」のか? それは、ぜひ本作を読んで確かめていただきたいと思います。

 

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と、ここまで非常に理屈っぽく書いてきましたが、本作はもちろん皆川博子ファンにとって最高に楽しめるものに仕上がっています。折々に繰り広げられる「少年たち」と隻眼の男の掛け合い、死を賭して闘う男たち、そしてまた別次元の戦いを繰り広げる女たちの美しさ、熱帯幻想と薬物による幻視が入り乱れる描写の数々……皆川博子だけが書き得る世界の濃密なエッセンスを、しかも大量に摂取させられ、酩酊させられることは間違いありません。各話それなり以上の分量があるとはいえ、オムニバス形式に近いので飽きることもありません(その点、個人的に高く評価している『伯林蠟人形館』に近いともいえます)。

 

ごく個人的な感想ですが、皆川博子の最良作にも伍す非常に先鋭的な作品だと思いました。15年間寝かされたままの作品が、本当に増補されて刊行されることがありうるのか。それは誰にも分かりませんが、より多くの皆川ファンに読まれる時が来ることを祈りつつ、本稿を閉じたいと思います。

もしこの文章を読んで本作に興味を持った人がいれば、ぜひ国会図書館に読みに行ってみてください。ただし、コピーをしようと思うと、それだけで一日がかりの仕事になるかもしれません。ご覚悟を。

皆川博子全短編を読む 第3回

 3回目にして、早くも二か月ほどスパンが空いてしまいましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか(テンプレ)。

 さて前回は、『水底の祭り』『薔薇の血を流して』の二短編集を中心に、皆川博子のさらに深く、濃い「行きてのち戻れぬ世界」を紹介させていただきました。

 さて、第3回の内容に入っていく前に、まず見ていただきたいのが、皆川博子初期短編集の出版のタイミングです。

 

○『トマト・ゲーム』: 1974年3月刊(講談社

○『水底の祭り』:1976年6月刊(文藝春秋

○『祝婚歌』:1977年5月刊(立風書房

○『薔薇の血を流して』:1977年12月刊(講談社

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○『愛と髑髏と』:1985年1月刊(光風社出版)

 

 4年間で4冊短編集を出した作家が、7年間短編集を出さない(しかもその間70編近くの短編を雑誌に掲載していたにもかかわらず)ということがまかり通ってしまったのは驚くべきことです。しかしその間も、皆川博子の秘めたる闇は深く静かに広がっていたのでした。その契機となる時期について、今回見ていきたいと思います。

 

  1. アイデースの館」 初出:小説現代1976年2月号 『トマト・ゲーム』収録

 前回取りあげた「遠い炎」同様、後に『トマト・ゲーム』文庫版に増補された作品です。人間の死をそのままに写し取った「デスマスク」を巡る旅の果てに辿りついた事実、30年前から消えることなく燻った情熱と怒り、そして蔓延する欺瞞を描いた作品です。とはいえ、個人的にはそのテーマそのものよりもむしろ、デスマスクに魅せられた男が抱く、デスマスクを被っては自分の顔がそれに似ていくという、もはやどこにも向かわない虚無的な妄想が、実は最初からその燠火ににじり寄るものであったという因果話にこそ面白さを感じました。

 

  1. 祝婚歌」 初出:別冊問題小説1976年4月号 『祝婚歌』収録

  前回絶賛した「魔術師の指」と後に『トマト・ゲーム』文庫版に収録された「遠い炎」を含めて5編を収録した『祝婚歌』は、その入手困難さにも関わらず、皆川博子の初期短編の中でも美味しいところを集成した高品質の短編集です。現在では『皆川博子コレクション3』に『冬の雅歌』(これまた超入手困難ながら初期を代表する傑作長編です)とカップリングで収められているので、ごく容易に読むことができます(「疫病船」は『悦楽園』などの短編集で読めます)。

 さて、本作の主人公の女性は、週六日大物劇画作家の背景書きをしてサラリーを稼ぎつつ、自宅でのエッチング制作を趣味としています。突然訪ねてきた若い情人と彼女が会話するうちに心を行き交ったことを描いたのが本作です。交わされる浅く適当な会話と裏腹に描かれる彼女の荒廃した虚無的な精神は、前回紹介した「黒と白の遺書」のエダが成長(?)したものであるかのよう。愛ゆえに人を傷つけることを厭わないエゴイズムに吐き気を催さざるを得ない、またも非常にアモラルな作品です。

 

  1. まどろみの檻」 初出:小説現代1976年4月号 『悦楽園』収録

  何を見るでもないのに、ただこちらに目を向ける女。ある意味では無関係、ある意味では不気味な存在である彼女についての、体育教師の妄想を延々と綴った作品です。彼女を見、彼女を知ったことによってまるで妄念の檻に閉じ込められたかのように、彼女の身の上を想像し、いつしか彼女を殺人者として規定していく男。その歪んだ論理によって組み上げられた「真実」をどこまで信じるか? 読み込むうちに読者もまた檻に閉じ込められたような閉塞感を覚えてしまう作品です。

 

  1. 疫病船」 初出:問題小説1976年6月号 『祝婚歌』→『悦楽園』収録

  自分の母親を殺そうとした女。なぜそんなことをしなければならなかったのか。その動機に肉薄する弁護士が辿りついたのは、戦後間もない時期に起こった痛ましい事件でした。しかし彼女たちの物語を解きほぐすうちに、いつしか彼は自分を主人公とした、憂鬱で一種苦痛でさえある現実の物語に直面し……「疫病船」というモチーフに見える怒り・哀しみ・そして保身の入り混じった感情によってまず読者を打ちのめし、しかるのち主人公のぽつりと漏らした言葉によって何もかもの終わりを予感させる。極めて緊密に構成された傑作短編です。なお、『皆川博子作品精華 迷宮』にも収録されています。

 

  1. 風狩り人」 初出:小説現代1976年6月号 『悦楽園』収録

  「少女は風を撃った」という末尾の文が極めて印象的な作品です。父親のありやなしやの愛の所在を巡るある意味で子供じみた憎悪が、不気味に作品全体の通奏低音となっています。

 個人的に気になったのは、松戸の精神病院で働いているという「江馬章吾」という主要登場人物でした。精神病院と江馬という姓にアンダーラインを引いておくと、その延長線上に現出するのは長編『冬の雅歌』です。78年11月刊の長編と76年6月発表の短編に、いかなる関係が見出し得るか……江馬とその親類である女性の再会が物語の引き鉄になっていく部分? そうかも知れません。「精神病院」というモチーフは皆川の初期短編に頻出しますが、この「江馬」という姓と精神病院の繋がりになんらか意味があったのか?と、とりあえず一つ解けないかもしれない謎々を提示しておきます。

 

  1. 黄泉の女」 初出:別冊小説新潮1976年夏号 『ペガサスの挽歌』収録

  浮気相手に夫を奪われた女が抱く被害妄想と加害妄想とで全編が占められた、もう徹底的に妄想した作品です。

 さて、この物語には二度の転調があります。一度目は、女が浮気相手の子供を誘拐するシーンです。もはや自分の手の届かない物を当然のように享受している相手への憎悪がいたいけな子供に向けられる、というだけでその行為のむごさに慄然としますが、重要なのは主人公が原則何もしないということ。彼女は、誘拐してきた子供を持て余すままにひたすら憎悪の妄想を研いでいきます。その虚しい憎悪を昇華して、醜悪で冷たいものへと転化させる第二の転調……中盤ややダレるのが残念ですが、テーマ的に已む無しか。

 

  1. 花冠と氷の剣」 初出:小説現代1976年8月号 『トマト・ゲーム』収録

  文庫版『トマト・ゲーム』に収録された作品では、これが最も新しい短編になります。それにしても「風狩り人」からの「子供の残酷さ」を描く内容はここに頂点を迎えてしまいました(これまで書かなかった隠しテーマ)。なお、後年多くの作品で実験されていくことになる、「渦巻く妄念が主人公を引きずり込んでいくという内容」を、「冒頭と末尾を、因と果とを接続して読者を物語の檻に閉じ込めるという文学的トリック」によって描くという手法を、より意識的に使い始めたのはこの作品かもしれません。

 

  1. 幻獄」 初出:週刊文春1976年8月号 『巫子』収録

  「始めから終わりまでベッドを一度も降りない官能小説」というテーマで競作を行った時の作品です。ところが、濃厚なポルノを期待した編集の意図からはおそらく外れ、「ドラッグによって引き起こされた妄想」をテーマにした作品へと生まれ変わってしまいました。どこまでが現実で、どこからが妄想なのかは分かりやすいですが、しかしどこまで行っても現実と妄想を隔てる檻からは出られない主人公、いや読者を、静かに描出した結末が秀逸です。

 

  1. 」 初出:カッパまがじん1976年9月号 『ペガサスの挽歌』収録

  電話越しに身をよじりながらの大爆笑をぶつけられたならいかに不愉快か……という、著者自身の思いを乗せたかのような作品。妻を人とも思わぬ、ただ「いるだけ」と感じている夫の思う「不愉快」を煮詰めて、しかしそれを逆にぶちまけられたなら……という結末を超自然的なものとしても読めるように締めるのは、比較的珍しい?

 

  1. 海の耀き」 初出:問題小説1976年11月号 『祝婚歌』収録

  クルージングに出た男と夫婦の三角関係が軋みを上げていく、というストーリーはよくあるものですが、本作を興味深いものにしているポイントが二点あります。一つは、女が趣味とし、後には商売としてしまう「人形作り」。そして、まるで醜い人形を操るかのように人間模様をかき乱す「悪意ともつかぬ悪意」……操る者をなおも操る作者の手際は実に鮮やか。傑作短編集『祝婚歌』の末尾を飾るのにふさわしい良作です。

 

  1. 火の宴」 初出:小説現代1976年11月号 『皆川博子コレクション1』収録

  工芸ガラスの職人の世界を描いた作品です。美しく傲慢な、「紅」のガラスを巧みに使うヒロインの玻津子とガラス工場の跡取り息子の出会い、結婚、そしてそのあとの不毛な生活を描きつつ、そのいずれにも惹かれてしまう素朴な男の呟きによって紡がれた物語は、最終的に悲劇へと転がり落ちていきます。血潮を紅ガラスに譬える描写に、マーガレット・ミラー『狙った獣』の最終段を密かに思い起こしました。

 

  1. スペシャル・メニュー」 初出:小説現代1977年4月号 (単行本未収録)

  さて、今企画初の「単行本未収録短編」となります。ことミステリーで「スペシャル・メニュー」と言えば……つまりアレを指すのは自明ですが、「人口が極端に減少した未来というディストピア」を舞台にすることでもうひとひねりいれています。ディストピア社会を成立させるためのある「工夫」にニヤリとさせられた次の瞬間、ギョッとするような一刺しを入れて即物語を終わらせる。その果断にヒヤリとさせられる掌編です。

 

  1. 花婚式」 初出:カッパまがじん1977年5月号 『皆川博子コレクション1』収録

  失踪した妻を探して夫が辿りついたのは、彼女の兄で現在は寺の住職をしている男だった。妻の抱え込んだ死に向かう衝動は、もつれ切った一族の因果の糸を抱え込んだもので……。「私の影を、魚が食いちぎっていくのよ。白い骨があらわれて……髑髏にぽっかりあいた二つの黒い眼窩が、空の高みを見上げているの……」という妻の独白が本作のすべてかもしれません。虚空へと連なる虚無の絶望、泥中に咲いた一輪の蓮の花を踏み躙るがごとき暴挙……いや、それにしても美坊主ホモとは実にいい物ですね。傑作。

 

  1. 湖畔」 初出:週刊小説1977年5月27日号 『皆川博子コレクション1』収録

  エルサレムガリラヤ湖畔に舞台を設定した作品です。日本ではとても成立しそうもない、でも砂漠地帯ならば、かつてイエスが蘇ったというエルサレムならば起こってしまいそうな殺人事件を描いています。ガリラヤ湖畔と言えば、どうしても1978年の長編『光の廃墟』を思い出します。不正確な記憶では、取材でエルサレムを訪れたというエッセイを読んだような気がするのですが、だとすればまず短編という形でその際の印象を書き留め、さらに別の物語を長編の形にまとめて行ったのでは……と妄想してしまいます。

 

 ということで、短編14編でした。冒頭にも書いたとおり、この時期の皆川博子はオリジナル短編集刊行の機に恵まれず、短編を雑誌に書いたらそれっきりという状態にあったようです。それを90年代以降、日下三蔵氏や東雅夫氏が、『悦楽園』『鳥少年』『巫子』『皆川博子作品精華』『皆川博子コレクション』などの形でまとめ直してくださったおかげで今読める。そのことに感謝しつつ、本稿を閉じたいと思います。

 次回は今回と同じく、まとめ直し短編集の収録作品(特に『鳥少年』)を中心に読んでいきたいと思います。具体的には「火焔樹の下で」(1977年8月)から「滝姫」(1979年1月)までとなる予定です。それほど時間を開けずにお届けできればと考えていますがどうなることやら。期待せずお待ちください。